アクセルヒーロー事務所 ~元S級ヒーローオーナー転職記~

ありんす

第1幕 折れたヒーロー

第1話 折れたヒーロー

 つい数年前まで、世界は一つだと考えられていた。

 しかしある学者が、鏡の中には別の世界があることに気づく。

 世界中の研究者が集い検証を行うと、鏡の中に反転した全く同じ世界があることが確認された。

 この偉大なる発見に人類はわき、鏡の世界を反転世界リバースワールドと命名。

 人類はリバースワールドに希望を抱き、別次元連結アナザーワールドコネクティングシステムを開発。

 初めて実験的に鏡の世界へと突入を果たした。

 しかし、人類が月に到達したのと同様、革新的な一歩は別世界に潜んでいた悪魔を呼び起こしてしまうことになる。



 リバースワールド実験から25年後――

 二人の男が闇夜の工場地区を駆ける。

 トタン屋根を踏みしめ、屋根から屋根へと通常の人間では考えられない身体能力で飛び移っていく影。

 一人は中世の甲冑に、近代的な機械装甲を融合させたスーツを纏う。騎士のようなヘルムには鋭い角やスリットが入っており、腕のガントレットには対鏡魔民間特務部隊H.E.R.Oを示す刻印。


 彼の名は田村ヒーロー事務所所属ヒーロー、サンダーイーグルの神村結城かみむらゆうき

 彼の腕には、気絶した民間人が抱えられている。

 先を行くもう一人の男は、同じ事務所所属のヒーロー、アクセルファイアの八神大輝やがみだいき

 シャープなフォルムにライダーヘルメット、炎を彷彿とさせる赤のスーツに脚部にはホイールが装備されている。

 背中からは排気筒のようなパイプが伸びており、スーツのモチーフはレーシングカーと見てわかる。


「こちら田村ヒーロー事務所所属、アクセルファイアだ! 民間人を救助したが、こちらは負傷。数十体の鏡魔に追われている。至急ヒーローの応援を請う」

『アクセルファイア、こちら日本ヒーロー協会オーダー本部。ヒーローの応援は間に合わない。自力でその区域を離脱せよ』

「本部、とにかく応援を頼む! このままでは全員が飲み込まれる!」

『繰り返す、応援は出せない。自力で脱出せよ』


 機械音声みたいに同じことを繰り返す、通信相手のオペレーターに苛立つ八神。


「くそっ! ダメだ結城、こいつら完全に日和ってやがる!」

「俺たちだけでやるしかない! 行くぞ大輝!」

「アクセルファイア、ドライブチャージ!」

「サンダーイーグル、ウイングチャージ!」


 爆炎と雷光が工場区域を眩く照らす。

 二人は果敢に戦うが、敵の多さに圧倒されダメージを浴びながらも逃げるしかなかった。

 彼らを追跡するのは、鏡より現れた怪物鏡魔ビースト。人よりでかい体躯に、燃えるような黒い毛並みをした4足歩行の獣。

 犬にも狼にも見える黒獣は、無駄のない走りでトタン屋根の工場を飛び越え、ショートカットしながらグングン距離をつめてくる。


「はぁはぁ、逃げろ結城!」

「逃げろってお前、その怪我でどうするつもりだ!?」


 血まみれのアクセルファイアは、このままでは二人共追いつかれ殺されることに気づいていた。


「オレがここで鏡獣ビーストを食い止める」

「ふざけるな、その状態で戦って勝ち目があるか! やるなら俺もやる!」

「馬鹿野郎、お前に比べたら俺の方が軽症だ!」


 救助者を抱きかかえた結城サンダーイーグルの脇腹からも、とめどなく血が流れ出ていた。


「結城、お前は救助者を連れて逃げろ」

「そんなことできるか!」

「黙って行け! ここで全滅するか、お前らだけでも助かるか。単純な話だろう!」

「お前!」

「行け、結城、俺たちはヒーローなんだ! ヒーローの責務を全うしろ!」


 殺意に満ちた黒獣の姿が遠目で確認できる。

 あのスピードなら、後10秒もしないうちに追いつかれることだろう。


「ファイアー……サーキュラー!」


 大輝は自身の手のひらに楕円形の炎を灯すと、追走してくる黒獣たちに投げつける。


「俺のことは気にせず先に行け! 後で追いつく!」


 工場の可燃物に引火し周囲が業火に包まれ、割れたアクセルファイアのマスクが赤く照らされる。

 結城は死相の見える大輝と、救助した人間に葛藤を覚えながらも走り出す。


「くそっ! 絶対に助けに戻る!」


 結城はその場を一旦離脱し、救助した民間人を安全圏にまで運び出すと、再び大輝の元へと戻った。

 しかし、そこにあったのは無惨に食い散らかされた、彼の親友の遺体だけだった。



 半年後――


『それでは次のニュースです。昨日外国人による大規模デモ隊と警官隊が衝突。デモ隊側に多数の死傷者と逮捕者が出た件で、解説の政治評論家の安田さんに話を伺っていきたいと思います』


 雑多な書類や荷物だらけの事務所内。

 テレビに映るニュースキャスターと、白髪の解説者が流暢な喋り口で社会問題を伝えてくる。


『はい、2054年に始まった政府の移民及び難民受け入れによる混乱。そこに鏡魔や能力者覚醒による犯罪、おまけに悪の秘密結社”ブラッドオーダー”を名乗る存在が現れ、日本の治安は大きく損なわれました。警官は慢性的な人手不足、常にどこかしらで放火や窃盗事件が行われています。これは2020年代では考えられなかったことです』


 コメンテーターは、語気を荒くしながらデスクを叩く。


『現在の日本の治安は、麻薬カルテルと抗争状態にあったメキシコ以上に悪化してると言われています。それもこれもアナザーコネクティングシステムで、鏡の世界を覗こうとしたからでしょう』

『やはりあの実験の失敗があったから、ということでしょうか?』

『こう言うと陰謀論者と呼ばれますが、あの実験後から鏡魔という怪物がこの世界に実体化するようになり、能力者エーテラーと呼ばれる、人の力を越えた特異能力を持つ人間が出生するようになりました。私は別に神なんてものを信じてはいませんが、人類はパンドラの箱を開けてしまったのではないかと思っていますよ』


 禿頭の中年男性、田村ヒーロー事務所オーナー田村博士(49)はテレビの音量を下げると、事務机を挟んで向かい合った、枯れ木のようにやつれた男を見やる。

 目の下は黒く、黒い髪も長らく切っていないのかボサボサ、着ているスーツもヨレヨレ。

 押せば倒れて、そのまま立ち上がれなくなりそうなこの男こそ、雷鳥の異名を持つヒーローサンダーイーグルの神村結城(27)である。

 田村は安いインスタントコーヒーが入ったカップをデスクに置くと、大きなため息をついた。


「結城、そろそろ大輝の死から半年経つ。いい加減乗り越えてはくれないか?」


 ヒーローが主に戦っている、鏡より現れし怪物鏡魔。

 形は獣や人、虫型など様々で、鏡の中を移動し、無差別に人類を襲う。

 鏡魔討伐を主とする、民間警備会社が台頭し始めたのは今から10数年前。

 田村ヒーロー事務所は、鏡魔に対抗する力を持った異能力者を雇用する、ヒーロー事務所である。


「君が親友を失った悲しみはよくわかるが、ウチの事務所にS級ヒーローはサンダーイーグルアクセルファイア大輝しかいないんだ。君が動いてくれないと、ヒーロースーツの維持もできない。ウチが大手ヒーロー事務所と違って、自転車操業なのは知ってるだろ?」


 ヒーロースーツとは、様々な軍事企業や民間企業が開発する対鏡魔専用コンバットスーツで、一撃で体を引き裂いてくる鏡魔の攻撃にも耐える武装である。

 結城のスーツにも最新のテクノロジーが使われている為、当然メンテナンスに月数百万単位のコストがかかる。


「…………」

「大輝も、君にこうして枯れ木みたいになってほしくないんじゃないか? 君もまだ27だろ、折れてしまうには早いんじゃないか? 食わせなきゃいけない嫁もいるだろ。え~っと瑞希ミズキさんだったか」

「…………妻とは別れました」

「はっ!? お前去年結婚したとこだろ!?」

「ヒーローとして家をあけることが多くて、負担になっていたようです」

「よりは戻らなそうなのか?」

「彼女は既に再婚してますので」

「そうか……」


 田村はタバコをくわえると、安いライターで火をつけ白い煙を吐く。

 結城が鏡魔との戦いで重症を負って苦しんでいる時に、あっさりと彼を捨てた嫁に渋い顔をする。

 重い空気に負け田村がテレビに視線を向けると、セーラー服を着たヒーローが炭酸飲料のCMに出ていた。


【スーパーヒーロージューシーズも飲んでる、ビタミンシュワシュワドリンク! 皆も飲んで鏡魔と戦おう!】


「ウチもスポンサーつけりゃいいんだけど、大手はああいうチャラチャラしたアイドルヒーローが好みでな。お前も見てくれはいいんだ、仮面ヒーローをやめて顔出ししてくれないか?」

「ヒーローは顔出ししないが、俺と大輝のポリシーなので。すみません」


 弱小オーナーは大きなため息をつくと、テレビの画面が切り替わりニュースの続きが始まる。


『全国のニュースです。昨日住宅に押し入り家族4人がハンマーで襲われる事件が起きました。犯人は物音を聞きつけた近隣住民によって通報され、駆けつけた警官に逮捕されました。家の中にいた全員の死亡が確認されており、逮捕された杉本・カルロ容疑者は”金を盗むためにやった、幸せそうな家族を狙った”と容疑を認めています――』


 結城は映った犯人の映像を見て言葉を失う。


「どうした?」

「この男……俺と大輝が助けた人間だ……」


 田村は即座にリモコンを手に取り、テレビを消す。


「……人間、生きていれば罪を犯すこともある。助けた人間の後の人生まで面倒をみきれんよ」

「ぐっ……こんな奴を……こんな奴を助けて大輝は……」

「結城……」


 結城は拳を固く握ると、手のひらから血が滴り落ちた。


「社長……すみません。俺は……もうヒーローを続けられません」


 田村は結城の心が折れてしまった事を察し、小さく息をついた。


「……そうか、仕方ないな」

「本当にすみません」

「いや、いいんだ。ウチは、どこか大きなヒーロー事務所の下請けにでも回るさ。こんなことしか言えんが、君も気を落とさずにな」

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