第28話 ネルクの選択
その日、会場にいた者は皆口を揃えて言った。
「あの試合は剣術大会史上一番の試合だった」
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動かない。
両者共にその場から動かない。
開始の合図はあった、だがどちらも剣を構えて見つめあっているだけだ。
だが観客全てがその光景を固唾を飲んで見守っていた。
あまりの緊張感に会場は静まり返っている。
次に動いた瞬間、この勝負は終わるのではないかと思うほど、張り詰めた空気だ。
そんな沈黙を貫くようにマリンが動いた。
予備動作はその場にいるほとんどの人物が見えなかっただろう。
明らかに今までの試合とは一線を画す動き出だ。
まるで初めからそこにいたかのように、ネルクの前まで来ていた。
そして剣が振り下ろされる。
誰しもがその一撃で勝負が決まったと思った。
確かに昨日のネルクの動きは悪くなかった。
綺麗な型、そしてあの集中力。
人を惹きつける力も持っていた。
だがマリンの動きは、そんな次元では無いのだ。
普通の人間が、ただ才能を持っているだけの人間が辿り着ける領域ではないのだ。
だが一人、ネルクの動きだけを見続けていた女性は気がついていた。
マリンが動き出すよりも一瞬早く、ネルクが足を動かしていたことに。
そしてその動きは自身が何度も何度も繰り返してきた動きだった。
華流派の型の動き出しなのだ。
だから彼女は見逃さなかったのだろう。
その動きを見たのと同時に、それがネルクの動きではないことにも気がついた。
ネルクは初心者の型しか使えない、だがあの一歩目は上級者が使う型だ。
「ライオット……」
彼女はその動きを知っていた。
相手が動くよりも先に、正確なその一歩目が踏み出されるその光景を。
誰もが勝負が決まったと思ったマリンの一撃。
それがネルクに当たることはなかった。
反応とは考えられないマリンの速度だった。
だが自分たちの目には完璧にネルクが剣を躱したのが映っている。
ネルクの身体能力がそこまで高くないことは、彼の今までの試合で判明していた。
彼は動きのキレや、立ち回りでここまで勝ち上がってきたのだ。
そんな彼が、マリンのあの速度に反応したのだ。
だが観客たちには驚いている余裕はなかった。
攻撃を外したマリンに向かってネルクの剣が振り下ろされる。
完璧な一撃だ。
だがその剣が振り下ろされる相手は、普通の者ではなかった。
マリンはものすごい反射神経と速度で彼の間合いから離れた。
二人は呼吸を整えるように、間が生まれた。
「……っぉうぉおおーー!!」
「「「うおぉーー!!!」」」
この一連のやり取りに観客たちからとてつもない歓声が争った。
誰しもが息を殺して、静かさが訪れていた会場は一瞬にしてその姿を変えた。
だがその声援はあの二人の耳には一切届いていないだろう。
そして再び動きだした。
今度は二人同時にだ。
マリンの目にも止まらない連撃がネルクに襲いかかる。
だがネルクはその全ての攻撃を捌ききっている。
それはまるで未来が見えているような動きであった。
それから一進一退の攻防が続いた。
だがその間二人の剣は互いを一度も捉えることができなかった。
激しい撃ち合いの中、初めて飛んだ血はマリンのものであった。
ほんのわずかな隙、後ろに一歩下がろうとしたそのタイミングをネルクの剣が捉えた。
だがその剣はマリンの腕の皮を切ることしかできていない。
それと同時にマリンもネルクに一太刀あびせた。
マリンは後ろに飛び距離をとった。
先ほどの彼女の一撃は確実にネルクに届いたと思った。
だがネルクからは血の一滴も出ていない。
だが彼女の剣はネルクに届いていた。
ネルクの付けていた眼帯が取れたのだ。
眼帯の紐をマリンが切っていたのだ。
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「まさか、これを切り落とされるとは思わなかった」
(時間がないな)
眼帯が外れた今、俺に残された時間は残りわずかになってしまった。
今まで俺は兄の戦いを見ていた。
そしてその凄さに圧倒されていた。
俺の身体能力は少しは上がっているが、マリンさんに追いつけるものではない。
そんな俺の体が彼女の攻撃を避け続けたのだ。
そして一撃与えることができたのだ。
確かにこの左眼の力もある。
今の俺には彼女の行動が0.2秒早く見える。
だがそれだけだ。
兄はそれだけで俺の体をここまで使いこなしたのだ。
でも今、体の主導権は俺に戻ってきている。
左眼の力は使えるが、この状態ではすぐに力尽きてしまう。
それに俺が体を動かして彼女と戦わなければいけないのだ。
「やるしかないか」
(あぁ、双子の、兄と弟の共闘といこうか!)
俺は自分から前に出た。
時間がないというのもあるが、相手の反応を待って戦うやり方は兄のように上手くできないと判断したからだ。
俺の動きに反応するように彼女が動き出す。
実際にはまだ動き出してはいない。
俺は今左眼で0.2秒先を見てるのだ。
そして右目で現実の動きを追っている。
同時に二つの景色を脳で処理する必要がある。
だが何度も練習はしてきた、そして兄の力も借りている今なら可能だ。
左眼で動いた方向に体を向ける。
そして一瞬にして彼女の剣が俺に振り下ろされるのが見えた。
俺はそれに合わせて剣を動かした。
そして右目が未来の光景に追いつく。
俺の剣と彼女の剣がぶつかり合っているのだ。
「ようやく、受け止めましたね」
マリンさんはどこか楽しそうな表情でこちらを見ている。
今まではマリンさんの剣の軌道を見て回避していた。
だがそれはライ兄だからできたことだ。
俺は受け止めることが限界だ。
確実にさっきよりまずい状況だ。
マリンさんに押し込まれている。
なのに……それなのに……
「これからですよ!」
どうして俺は笑っているのだろうか。
身体能力の差があるため、このまま剣を受け止めることはできない。
俺は寒流派の型を応用した動きで彼女の剣の動きをずらす。
だがそれと同時に左眼には彼女がその力を利用して斬りつけて来る光景が見えた。
ライ兄ならどうする。
更にマリンさんの攻撃を回避するだろうか。
だがこのタイミング、俺では絶対に不可能だ。
俺がライ兄だったら……
(ネルク、お前はお前だ。自分の戦い方を見失うな。今まで積み重ねたものを忘れるな)
そうだ、俺はネルクだ。
ライオットじゃない。
だからライ兄になることなんてできない。
俺ができることは、才能がない俺にできることは、
「これしかない!」
俺は両手で持っていた剣を右手に持ち変える。
それと同時に俺の寒流派の型の勢いを利用した彼女の攻撃が俺に届いた。
そして俺の左腕を切り飛ばした。
俺は弱い。
才能もない。
でもそれは勝てない言い訳にはならない!
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「いいかネルク、勢流派にはある型がある。それは自分の身を切り捨てでも相手に一太刀でもあびせる型だ。残酷だが、ネルクには才能がない。だからこの技を使う時が来るかもしれない。生き残るため、あるいは大切な何かを守るために。いいかしっかり覚えておけ!」
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これはあの日父さんに教えてもらった型だ。
生き残るため、大切な何かを守るためにと。
俺は今、何のためにこの型を使う?
これは試合だ。
いくら白熱してるからといって、生き残るために使うわけではない。
「がんばれ」
俺は彼女の言葉を思い出した。
そうか、俺にとってこの試合は大切なものだ。
大切な彼女のお願いなのだ。
理由はそれで充分だ。
俺は右手の剣を強く握る。
片手で放つ勢流派の最高の一撃。
俺が最後に選んだ型は彼女を捉えた。
だが、勝負を決めるほどの一撃にはならなかった。
「まぁ、俺にしては頑張ったかな……」
俺は真っ赤に染まった視界を閉じてその場に倒れた。
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