第六幕【ロッテンアップル】③
彼の姿を見た瞬間、ついさっきまで忘れていた彼の名前を思い出したのは、今この瞬間、私にとって、彼が重要人物になったからだろう。
「キミの保護者である
賢木家の訪れた空蝉さんは、それらしい理由を付けて、私をある料理店の個室に呼び出した。
横槍を入れられたくないと言っているぐらいなのだから、冗談が飛んでくる訳ではないだろう。
何を言われるんだろう?
「今回の事件、
「関屋くんの件、『自殺』という結論が出たんですか?」
「白々しいね。最初から自殺だと分かっていただろう。彼の遺体を一目見たときから、キミは自殺だと分かっていた筈だ」
「どうしてそう思うんですか?」
「順番に話そう。まずは夕顔千紗の件──もしかすると、誰かに殺されてしまうかもしれないと、夕顔千紗に向かって言っただろう? それは関屋智が夕顔千紗を殺す可能性が一応頭に浮かんでいたからじゃないのかい?」
昔、推理小説を呼んでいるとき、どうして犯人は大人しく推理を聞いているんだろうと思っていたけれど、案外聞かされる側になるのは、悪くないな。
「
そう言い逃れしてみようかな? まあ言い逃れする程度のことでもないし、別に何も言わなくて良いか。続きを聞いてから考えよう。
「だけど、キミ、
本気でそうなるかもしれないと──思っていた訳ではない。実際に、千紗ちゃんが死んだと聞いたときは、まあまあ驚いた。
「忘れていた関屋智のことを、夕顔千紗が亡くなっていたから覚えていたのは、夕顔千紗を殺した犯人と気付いていた根拠をもう一つ述べよう」
もう一つ?
「キミ、
なんでこの人、穹莉ちゃんが言ったことを知っているんだろう? どこで聞いたんだ?
「篝火鞠に関屋智の生存確認を頼まれたとき──好都合であると考えたのも、関屋智が夕顔千紗を殺しているかどうか判断するには、好都合だと考えたからだ」
「そうとは限らないと思うんですけど……というか、僕の内心をどうして断定することが出来るんですか?」
形式的に反論しただけで、本気で反論しようと思って言った訳ではない。
「ならば、どうして賢木さんの名前を出さないようにしていたんだい? 賢木さんのことを話すのが面倒だからというのもあるだろうけど、一番の理由は──賢木さんのことを、関屋智から守ろうとしたからだろう?」
私は無言で続きを聞く。
「妹のことをあまり話題に出さなかったのは、同じく守ろうという気持ちがあったからだ。けれど賢木さんほど守る気持ちがなかったから、関屋智の前では話題出さなくても、彼の友人の前では話題に出した。妹のことをそこまで守る気持ちがなかったから、大丈夫だろうと思っていたからだろうね」
穹莉ちゃんは確実に返り討ちに出来るし、
だから、大丈夫だと判断した。
「そして、キミは彼が自殺することが分かっていた。だからオープンカフェでアリバイを作り、確実に殺人犯として疑われないようにしていた。自殺する具体的な時間が分からないから、ギリギリまでアリバイを作った結果、一三時過ぎてしまったのだろうね」
「さあ。僕が自堕落なだけかもしれませんよ?」
「電気のスイッチを押して、電気が点かないことに気付いた。そして、風呂の中に入っている物──ここではそうだな、ドライヤーと仮定しようか──ドライヤーが入っているのを目撃したら、感電死したこと、それが原因でブレーカーが落ちていることに気付いた」
「ドライヤー? 現場にはそんな物なかった筈では?」
「ドライヤーはキミが処分したんだよ」
「へぇ、どうやって?」
「まずドライヤーをぶっ壊した。壊すことは簡単だ。キミが手で触れるだけで良い。だけど、その結果、手を怪我してしまった。それを誤魔化すために、転んで怪我をして誤魔化した。手の怪我が酷かったのは、ドライヤーが壊れた衝撃で爆発したからじゃないかい?」
「その壊したドライヤーを、どうしたって言うんですか?」
「通報してくれた人物の家のどこかに隠したんじゃない? 家の中ではなく、家の外のどこかに。その人物の家ならば、警察は探さないだろうね。死体発見現場ではない以上、強い関連性を客観的に証明出来ない限り、令状なしでは無理だ。少なくともその日は、探されることはない」
「その後どうしたんですか? ずっと隠しておく訳には行かないですよね?」
「後日回収したんだろう? 学校に行く途中で回収した。だから過去一全速力で走って、息切れする羽目になったんだろう?」
野暮用──隠したドライヤーを処分すること。
「へぇ。でも、どうしてこんなことをする必要があったんですか? 僕が殺したならまだしも、関屋智は自殺なのでしょう?」
「その話をする前に、まず、関屋智が夕顔千紗を殺した理由について話そう」
「何か恨みでもあったんでしょうか?」
「恨みならばあっただろうね──キミが夕顔千紗のために、ウチの事務所に依頼までしたことだ」
「いや、千紗ちゃんのためじゃないですけど、あれ……」
「そんなこと私も知っているよ。だけど彼はそう思わなかったんだろうね。夕顔千紗のために、大金と時間を割いているように見えたのだろう。だから殺した」
「たかがそれだけのことで?」
「たかがそれだけのことで友人を殺すような人間だから、キミに振られたからという理由で自殺したんだろう? そして当て付けとして、キミが多少嫌な思いをする状況を作った」
「…………」
「自殺死体の第一発見者にしたのが良い例だ。好きな相手に、最初に見付けて欲しいというロマンチックな気持ちもあったのかもしれないけど。そして湯に浸かる前に、着替えを用意したのも、髪を洗ったりしたのも、自殺する人間の行動に見えないようにという意図があったんだろう──なんでそんな意図を持って行動したのかと言えば、キミが多少疑われたら良いなという気持ちがあったからだろうね」
ふうん。
「風呂場で自殺する人間が、わざわざ着替えを用意したりするのか、髪を洗うのか──そう思われる状況を作ろうとしたんだろう」
「僕を殺人犯だと思わせたいなら、随分と詰めが甘いですね」
「本気で殺人犯になって欲しかった訳じゃないんだろう。メモ紙を残したりしたのも──あくまでも、少し嫌な思いをして欲しい、自分のことを傷として刻み込んでやりたい、そう考えていただけで、人生を滅茶苦茶したかった訳ではないのだろう」
「訳が分かりませんね……」
「そうだね──傷になりたいだけで、人生を壊すのは嫌だった。そういう中途半端な人間だから、自殺したんだろうね。目の前で自殺するとかではなく、自殺した己を発見させるにした辺り、そこまでの覚悟もなかったんだろう」
「それで、どうして僕は、彼が死んだ原因である物を隠したんですか?」
「隠したのは──彼の思惑をブチ壊したかったから。それと、彼女の友人がどう動くか観察しようと思ったから。予想通り過ぎてつまらないから、面白い展開にしようと思ったんじゃないかい?」
面白い展開にしようとは思わなかった。ただ単に予定調和を崩そうと思っただけだ。
「キミは──感情はあるけど、心がないよね」
「?」
「心が揺れ動かない──どんな状況に陥ろうともメンタルに影響がない」
「…………」
「恐ろしいよね。キミにとっては、喜怒哀楽、全てが同じという訳なんだから。感情が高ぶればバイタルに影響が出るのが普通の人間だけど、キミだけはそうじゃない。嬉しいと感じる心も、悲しいと感じる心もあるのに、それが精神状態に影響しない。そんな奴、本当に人間と言って良いのかな?」
「生物学上、人間ですよ」
「心理学の上ではどうなんだろうね?」
「仮に人間じゃなかったとして、僕ってなんなのでしょうね?」
「悪魔か何かじゃない?」
悪魔って……中学生じゃあるまいし、どうなんだその表現。
「割りと本気でそう思っているんだよ。感情はあるのに心がないだけなら、流石に悪魔とまでは言わなかったよ。そんな奴を、果たして人間と呼んで良いのかとは思っただろうけど、口はしなかっただろうね」
人間以外の存在だったら、私はなんだっていうのさ。悪魔と呼ばれるほど劣悪な存在になったつもりはないんだけどな。
「けど、キミは──終わっている」
「終わっている……」
「終わっているという性質を持っていると言えばいいのだろう。周囲を終わらせてしまうというタイプの、終わっている人間だ」
「周囲を終わらせてしまうと言われましても、周りが勝手におかしくなっていくだけなのに、僕のせいされてもと思ってしまいます」
「キミ自身自覚しているだろう? だから今回みたいなことをした──関屋智が夕顔千紗を殺すかもしれないと思ったのも、関屋智が自殺するかもしれないと思ったのも、篝火鞠がキミを殺そうとするかもしれないと思ったのも、周囲を終わらせてしまうことを、自覚しているからじゃないのかい?」
全く違うかと言えば、嘘になるけど……自覚していると呼べるほど自覚的かと言えば、そんなことはない。
「自覚していなければ、『僕は人間としてかなり駄目な存在だ。他者の考えは察せても、他者の気持ちって奴が全く理解出来ないんだから』『僕に好意を抱く人間は不幸だと思う。そこまで大事じゃないぐらいの気持ちでいた方が楽だよ。好きだけど、切り捨てられる程度が良いだろう』、こんな発言は出て来ない筈だよ」
「僕の行動を監視でもしていたんですか? それとも盗聴?」
「そんなことしなくても、ある程度想像出来る」
想像で補えることなのか、それ。
それぐらい頭が良いということなのかもしれないけど……いや、これは頭の良さという話ではないような気がする。
まあ、良い。
そこは些事だ。
「キミを誘拐した男も、キミと出会わなければ誘拐犯にもならなかっただろうし、ぶっ壊れて自殺することもなかっただろう。キミが娘として産まれていなければ、キミの両親は自殺することもなかっただろう。キミの両親が自殺することがなかったら、深空ちゃんは、現在進行形で苦痛を味わうこともなかっただろう。関屋智もキミと出会わなければ、キミを好きになって狂うこともなかっただろう。狂った結果、友人を殺すこともなく、最終的に自殺することもなかっただろうね。キミと出会わなければ、夕顔千紗は友人に殺されることはなかっただろう。キミという人間が存在しなければ、篝火鞠が狂うこともなかった。全部キミのせいじゃないかい?」
「もしもそれが全て僕のせいだとして──僕はなんの罪に問われるんですか?」
「今回の証拠隠滅の件ぐらいだろうね。けれどこれも、立証することは難しいから、キミはなんの罪にも問われずに生活することになるだろう。そのまま生きてそのまま死ぬんだ。周囲を終わらせてしまう性質を抱えながら、ずっと生きていけ」
水滴だらけコップの中を満たす烏龍茶を、彼は一気に飲む。喋り過ぎて喉が乾いたのだろうか?
「本当はね、何も言わずに適当なことを言って帰ろうと、キミと会う直前まで考えていた」
半端に解けた氷のみになったグラスを、机に置く。
「けれどキミと会った瞬間思ったよ──こいつは野放しにしてはいけない、と」
危険人物というより、害獣に対する認識だ。
この人にとっては、匂宮天音は害獣ということなのだろうか?
「実際、キミはあまりにも人間として終わっている。どんな凶悪犯よりも終わっている。間違いない。断言しよう。キミみたいな奴は──死んだ方が良い」
「死んだ方が良い」
夢の中で、
「死んだ方が良いでは生温いな。キミみたいな奴は死ぬべきだ」
「死ぬべき」
「ああ、本来大人である私が、女子中学生であるキミにこんなことを言ってはいけない、それでも言わせて欲しい──キミは死ぬべきだ。生きていちゃいけない」
「生きていちゃいけない」
さっきからこの人が言った言葉を繰り返しているな。なんか馬鹿みたいだ。
「存在するだけなら罪にならないというのが一般的な理論だろうけど、キミにだけは、世界でただ一人キミだけは、それに絶対当て嵌まらない──キミは存在するだけで罪だ」
ここまで存在を貶める言葉を言われたのは、人生で初めての出来事だ。
「存在するだけで罪であるキミは──世界のために死んだ方が良い。誰にも見付からない場所で、ひっそりと、孤独のまま死ね」
「そんなこと、初めて言われました」
私は、初めてこの場で笑顔を浮かべた。
「──死ね」
侮蔑するような眼差しを向けながら、一言暴言を吐いて、彼は去って行った。
お代は机に置いてあった。
お釣りは受け取りたくないと書かれた紙も添えて。
うん、面白かった。
「望外の成果として
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