第六幕【ロッテンアップル】②
僕は、私は──自分のことを、大したことがない人間だと思っている。
しかし、運に関して違うのかもしれない。
九死に一生を得るタイプの運だけど、大したことがあるのかもしれない。
機械の天敵という性質のせいで、機械に触れてはいけなくて、うっかり触ってしまうと、あり得ない形でぶっ壊れる──そんな性質をしているのに、今まで大怪我していなかったのだから、運は悪くないのだろう、やはり。
誘拐されたのに、怪我もせず、五体満足で、無事に解放されることになったのも、かなり幸運なことだろう。
なんで私は今まで生きて来れたのかと思ったことはあったけれど、結果だけを見るなら、運が良かったの一言に尽きるかもしれない。
こうしてロゼさんに助けられたのも、運が良かったから──なのかもしれない。
「
覆面を取っている篝火さんに、声を掛ける。
視線で人を傷付けることが出来るなら、私は確実に殺されると思えるぐらいの凄みがあった。
「どうして僕のことを殴ったりしたんだい? 僕を殺したところで、何も返って来ないだろう? 死んだ人間はそこで終わりだ」
「アナタにとってはそうなのかもね。けどね、アタシにとっては違うんだよ。アナタを殺すことに意味があるんだ」
「へぇ」
「
「誤解されたくないから訂正するけど、のうのうと生きているつもりはないよ。これでも苦労しているんだよ?」
誘拐されたこととか、それが原因で両親が自殺したこととか、上の妹が現在進行系で不幸な目に遭っていることとか。
苦労しているのは私じゃなくて、妹達と言われたら否定出来ないけどさ。
「千紗ちゃんより、関屋くんより、僕の方が生きた方が良いって主張するつもりもないけどさ、僕は僕なりに生きているんだ。そんな風に言われる義理はない」
「なんで智のことを追い込んだんだ。智の想いに応えろとは言わない。そんなこと、微塵も思ってないから。振るのはアンタの勝手で、アンタの権利だしな。けど、何も、追い込む必要はなかっただろ」
「追い込んだつもりはないよ。死んでも良いとは思っていたけど、死んで欲しいと思っていた訳じゃないから。言っちゃ悪いけど、勝手に追い込まれただけじゃない?」
「卑劣で、卑怯で、残酷で、極悪で、悪質で、鈍感な奴だね、アンタは」
「強いて関屋くんに言うことがあるとするなら、女の趣味が悪かったんだねってことぐらいじゃないかな?」
「女の趣味は確かに悪い。こんな奴を好きになったんだから」
「同感だ」
私のことを好きになった挙句、好きだと好意を伝えたのだから、本当に愚かだ。
「本当は千紗が死ぬってことも、アンタは分かっていたんじゃない? 智が千紗を殺すって、アナタは分かっていたんじゃないの? だとしたら、千紗も報われないじゃない」
「人殺しの関屋くんはともかく、千紗ちゃんは報われないだろうね。死んでしまった以上、どう足掻いても報われることはないよ。死んだら終わるだけだし、篝火さんが千紗ちゃんに続いたとしても、続ける奴がいるってだけの話だ」
可哀想な千紗ちゃん。
自業自得なところはあるけど、ここまでの目に遭うほど悪行を積み重ねたのかと言えば、そんなことはない。
「続く人間がいないよりは良いし、アンタが野放しでいるよりも良いわ。アンタなんて捕まってないだけの犯罪者みたいなもんじゃないか」
「明確に僕に危害を加えた篝火さんの方が、捕まっていないだけの犯罪者みたいなものだろう? お友達にその光景をバッチリ見られているんだ。言い逃れは出来ない」
チラッとロゼさんに視線を向ければ、ロゼさんは無言で私から目を逸らした。篝火さんもロゼさんに視線を向けるが、そちらから視線を逸らすことはしなかった。
「僕は何一つ悪いことがしたことがない清廉潔白な人間とは程遠いし、世間的にどちらの方が害悪なのかと言えば、やはり、この僕なのだろうけど──しかし、客観的にどちらの方が法で裁かれる状態になるのかと言えば、言うまでもなく篝火さんだ。このまま僕が警察に駆け込めば、間違いなく篝火さんは逮捕されるだろうね。けど、僕は、そうしようとは思わない」
「はぁ? なんでよ?」
「友達想いな女の子を警察に突き出すのは忍びないし、別に僕は悪いことをしたら必ず裁かれるべきとか、そんなことを考える善良な人間じゃないからさ。勧善懲悪が成り立つのは物語だけで純分じゃないか?」
「い、意味が分からない……なんなんだよ、アンタ……」
「友達のためにそこまで出来るのは素晴らしいことだと思うんだよ。それが錯乱した末のものであったとしても。僕はここまで誰かを想うことが出来ない。そのレベルの感情が存在していたとしても、それが原動力になることはないからさ──これは嘘じゃないよ、素直に素晴らしいと称賛しているし、同時に、酷く羨ましいとも思っているんだ」
自分にないものを持っている人間が眩しく感じる──隣の芝生は青く見えるだけだと分かっているが、その気持ちは止められない。
「ある程度リスクは覚悟していたからさ、怪我もリスクだと思えば、まあ別にいっかという気になるんだよ。それに篝火さんにとっても悪い話じゃないだろう? 罪に問われないんだから。そこのお友達の女の子が黙っててくれれば、僕は永久のこの件を胸に仕舞うと約束しよう」
この言葉を発している今は本気だけど、数秒後にはどうなるのか分からないのが
あくまでも多分だけど。
「その代わりという訳じゃないけど、僕が死なないとどうして報われないのか──僕が死んだところで何も変わらないと頭で理解していながら、こんなことをしてしまった理由を、もっと教えて欲しいんだけど、良いかな?」
それが知りたいからわざわざ追い掛けた。答えを聞く前に自殺されたり、自首されたりすると困るから。
「…………」
完全に固まってしまっている篝火さんに、なんと言えば良いのか分からなかった私は、とりあえずこう続けた。
「警察に突き出さないだけだと物足りないかい? それもそうか。警察に捕まっても良いという覚悟があったからこそ、僕のことをあんな場所で殴った訳だしね。報酬としては物足りないだろうね」
言ってから、「ああ、確かに、そうだな」と思った私は、更に続ける。
「僕のことを殺したいのに殺せないんだから、せめて痛め付けるぐらいのことはしないと満足出来ないだろうね」
そう思ったときには行動は完了していた。
私は、私のことを殴った。
右の拳で、手加減なしで、自分の顔を殴った。
非力な少女の力であっても、加減せずに殴ればそこそこ痛いらしい。きっと私の顔は真っ赤に腫れているに違いない。
「な、何しているのさ、アンタ……」
「馬鹿じゃないのか、キミ……」
篝火さん、ロゼさんの順に声が聞こえる。
無視して私はもう一回自分の顔を殴ってみた。今度は上手い具合に攻撃が入ったらしく、鼻から生暖かい液体が流れる感覚がする。鼻血が出ているのだろう。
もう一回、自分の顔を殴る。
殴られた頬の方が痛くて、地味に喋り難い。
これは間違いなく腫れている。
鏡を見なくても分かる。
殴ったところが熱を持っているを感じた。
「これじゃ物足りないかな? それとも自分の手で殴るかい? いや、自分の手で殴るんじゃ、手が痛くなるか。けど石で殴られたりするのはちょっと……そんなことされたら死んじゃう。答えを聞く前に死ぬ。それはちょっと困るんだよね。下の妹は、篝火さんのことを絶対に許さないだろうし、うーん、どうしようかな? どうしたらよいと思う?」
「は、は……ぁ、アンタ、頭おかしいんじゃないの?」
「僕は、いつ如何なるときも、正常でいるつもりだよ。少なくとも人殺しの関屋くんよりは正常だと思う。だって僕、人は殺していないし」
キッともう一度私を睨み付け、ゆっくりと立ち上がる篝火さんは、怯えながらも私へ近付こうとする。
「待て」
私の前に立ったロゼさんが、静止の声を掛ける。
「こんな奴の言葉、もう聞かなくて良い……こいつはわざとキミを挑発しているんだ。キミを怯えさせては怒りを煽るのは、キミの精神を行ったり来たりさせるためだ。そうすれば精神の置きどころが不安定になって、キミから完全に理性が奪える。そして自分の望む情報を確実に手に入れようとしている──理性で取り繕っている部分を取っ払ったものを」
そんなこと全く考えていないと言ったら嘘になるけど、素直に話してくれるならなんでも良かったんだけどな……。あくまでもそちらはオマケというか、無理だったときの保険みたいなもので。
「私は、
「ロゼ……」
「鞠の言う通り、匂宮天音は卑劣で、卑怯で、残酷で、極悪で、悪質で、鈍感で──そして自分の感情を無視出来る悍ましい人物だ」
「酷いこと言うなぁ……それだと、僕が非情な人間みたいじゃないか」
情の深い人間ではないけどさ。
「鞠、いいか、ソイツのことは無視するんだ──そして私の言葉を聞け」
僕、めっちゃ嫌われてない?
僕が何をしたって言うのさ。
「…………」
「奴のような人間とは対峙してはいけない。私が彼女を助けたのは、キミを殺人犯にしたくなかったからだ。決してソイツのためじゃない」
「けど、ロゼ……」
「匂宮天音は、千紗が智に殺されることも、智が自殺することも分かっていた。いや、分かっていたというのは大袈裟な表現だ。かもしれない──程度のことは考えていた。そして、そうなっても良いと思っていた。死んでも構わない。死んだらどうなるのか──興味本位で、首を突っ込んでいる。キミがこうなるのだって、ある程度予想していた。そうなるかもしれない──そうなったら好都合、そう考えていたことだろう」
別に、そんなことないけどな。
予想と呼べる程度のものではないし……。
確かに、かもしれないとは思っていたけどさ。
「奴にとっては、実験用のマウスを眺めているような感覚なんだろう。そのことを許せないという気持ちも、生きていれば報われないという気持ちも、私は理解出来る──けれど、このまま、怒りのまま行動すれば、奴の思い通りになってしまうし、奴にとっては自分自身を傷付ける行動すら、観察対象の面白い行動の一つでしかないんだ」
私って、そんな悪辣な人間に見えるのかな?
「私のことも友人だと思ってくれるならば、私のために、奴を殺すことはやめてくれ」
篝火さんは、ジッと、ロゼさんを凝視した後、脱力したようにその場に座り込んだ。
「僕のこと殺したくないの?」
「……貴様はそのまま生きてそのまま死ね。誰かに殺してもらえるなど思うな」
篝火さんに問い掛けたのに、ロゼさんから答えが返って来る。
「辛辣だなぁ。でも誰かに殺されないのは、それはそれで良いことじゃないか。寧ろ惨めにどこかの誰かに殺されて死ねと願った方が良いんじゃない? ロゼさん」
「知るか。勝手に死ね」
ロゼさんは、篝火さんを連れて、廃屋から去って行く。
知りたいことを知れなかったから、警察にレンガで殴られたことを訴えるのも悪くないけど、推理小説じゃあるまいし、犯人だからといって、必ず糾弾しなければならない訳でもない。
警察に使う時間が勿体ない。
「帰って美味しいご飯でも食べようかな」
これにて事件は終わり。
お疲れ様でした。
──と、ならないのが、私という人間の悪いところである。
どういう訳なのか、あの軽薄そうな、
さて、面白くなって来たぞ。
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