第六幕【ロッテンアップル】①
いつも通りの時間に目が覚めた。
普段ならばすぐに起き上がって、準備をして学校に行く。けれど今日は、創立記念日だから、学校はない。
二度寝しようかと思ったけれど、一度目が覚めると、案外寝れないものらしく、横になって時間を潰すのではなく、起き上がることにした。
一度目が覚めると意識がはっきり覚醒してしまうというのも考えものだな。二度寝、してみたいなあ。
「おはようございます、
「ああ、おはよう。休日なのに早いね」
「普段なら平日ですからね。癖で起きてしまったみたいです」
「お茶を淹れているんだけど、折角だし、
「はい」
さて、どうしよう。
茶を飲み終えた私は考える。
事件に進展がなければ、特にやることがない。朝食を食べた後に、やることがない。家にいても暇だ。ご飯を食べて寝るぐらいしかやることがない。
折角だから適当に外に出て時間を潰そうかな? 外に出たところで、何かが変わるとは思えないけど。
──とか、考えていたけれど、そんなことはなかった。
人通りが少ない道を歩いているとき、いきなり後頭部を殴られたからだ。
今なら、秒で死ねるかもと思うぐらい痛い。
一体何が起きたんだろう?
殴られたことは分かるんだけど……そういうことじゃなくて……そうじゃなくて……頭が痛いせいで、上手い言葉が出て来ないな。血も出てるから仕方がない。
痛む頭を押さえながら、殴った人間がいるであろう方向へ振り向けば、レンガを手にしている人物が視界に入る。
なるほど、レンガ。
そりゃ死にそうなぐらい痛い訳だ。
殴られたときの力を鑑みるに、相手は女性なのかな? 体格が分り難い格好をしている上に、顔を隠しているから確証はないけど、多分女性で間違いない筈だ。
手加減している可能性はない。
あれは完全に殺しに来ている殴り方だ。
「殺すなら、殴るよりも刺す方が確実ですよ……後ろから心臓を刺されたら、僕は普通に死んでしまいますから」
男性の力で、全力で殴られてのなら──私はもう死んでいるのだろうけど。
「ああ、そうそう。後ね、ここ、人通りが少ないとは言え、絶対に誰も来ないと言える場所じゃないし、もう少し人が来ない場所に行くのを待った方が良かったんじゃないですか? その方が確実だと思うんですよ」
「…………」
「一回殴っただけじゃ死なない可能性の方が高いですし、殺し過ぎなぐらい、何度も何度も殴った方が良いですよ? 現に僕、ほら、この通り、ピンピンこそいていないけど、普通に喋ることは出来ている訳ですし」
一回殴った後、反撃されることを恐れていたのか、少し距離を取った──けれど、私のことを殺したいと思っているのなら、反撃を恐れず追撃するべきだった。
詰めが甘いな。
「殺すなら、本気でやらないと──僕は外見通り非力な少女だ。殺そうと思えば殺せる相手だ。キミの殺意が本物なら頑張って、全身全霊で殺しに来てくれよ」
相手を動揺させ、私が考える時間を確保するために、こんなことを言っているだけで、本気でこんなことを思っていた訳じゃない。
レンガでぶん殴られた奴が、いきなりこんなことを言い出したら、いきなり人の頭をレンガで殴るような異常者であっても、流石に動揺するでしょ? やべぇ奴だと思うでしょ? それが狙い。
現に、相手は引いている。
顔が見えていないのに、引いていると分かるぐらい、ドン引きしている。
「…………」
考える時間を稼ごうとしたのは良いけど、何も良い案が浮かばないな……。
このままじゃ死ぬ。
どうしようかな……。
そんなことを思っていると、もう一回レンガで殴られた。
死にそうなほど痛い。
更にもう一回レンガで殴ろうと、腕を振り上げるどこかの誰かさん。
私ではどうにも出来ない。
潔く諦めて死のう。
血が垂れて目に入りそうになったので、反射的に瞼を閉じる。
……殴られる感触の代わりに、大風が拭いたときに出るような音が聞こえ、その瞬間、呻くような声が聞こえる。
「大丈夫かい?」
腕で血を拭い、声がする方に顔を向け、瞼を持ち上げれば──私にハンカチを差し出すロゼさんが視界に入る。私服なのか、何故か着物に袴、ブーツといった和装姿。伊達眼鏡は制服のとき同様に掛けている。
辺りを見回せば、地面に蹲り、呻き声を発する──私のことをレンガで殴った人。
血が付着したレンガは、近くに転がっている。
「ッ⁉」
私を殴った人は、ロゼさんの姿を認識すると、走って去って行く。
二度もレンガで頭を殴られた私は勿論のこと、この状況をどうにかしてくれたであろうロゼさんも、その人物を追い掛けることはしなかった。
「とりあえず、これで出血した部位を押さえてくれ」
「自分のハンカチを使うから、大丈夫。ありがとう」
ロゼさんが差し出してくれたハンカチを受け取らず、自分のハンカチで傷口を押さえたのは、別にロゼさんのハンカチを使いたくないからではなく、単純に、人のハンカチを血で汚すのは申し訳なかったからだ。
「立てそうかい?」
「立てるし、歩けるからさ──良かったら、良かったらで良いんだけど、
「いや、そんなことよりも、怪我の治療を……キミはまず病院に行くべきだ。頭の治療をした方が良い。あ、これは、別にキミのことを頭がおかしいと思っている言っている訳ではない」
「そんなこと言われなくても分かっているよ」
ロゼさん、それは日頃から私のこと、頭がおかしいと思っていないと出ない台詞だぞ。
「ただね、僕のことを殴った奴が篝火さんだって分かったから、流石にこのまま放置する訳にはいかなくなったというか……怪我の方も、殴られてすぐの頃は結構ヤバイと思ったけど、思っていたより大丈夫そうだから、彼女に会いに行こうと思ったんだ。どこに行ったか心当たりないかい?」
「何故、
「それ、僕に対して、病院に行くように言っているときに出ても良い発言だよね。本当は篝火さんが犯人だって分かっているから、今その発言が出て来たんじゃないのかい?」
「…………」
「適当にそれらしいことを言っただけなんだけど、本当に分かっていたんだ」
「…………」
「友達を庇いたいのか、本当に僕のことを優先しているのか、僕は理解出来ないし、分からないけど──僕は篝火さんに会いに行くと決めたから、なんと言われても会いに行くよ」
「何故自分のことを殺そうとした人間に会おうとするのだ。破滅主義者か、貴様」
「そうかもね」
「誤魔化すな。ハッキリ答えろ」
「単純に訊ねたことがあるんだよ──訊きたいことを聞けた後に死なれるのは構わないけど、その前に死なれるのは困る。自殺なんて終わり方、つまらないからね」
自殺されるのは困る。
「ロゼさんだって、自殺する友人が一人から二人に増えるのは嫌だろう?」
ロゼさんは少し考え込む素振りを見せると、「少し歩くことになるが、それでも良いのか?」と、問うて来る。
「大丈夫、歩けるからね。問題ないよ」
全く無問題だと言い切ることが出来ないけれど、動くんに支障はない。
ゆっくりと立ち上がり、ロゼさんの後ろを着いて行く。
途中、何度も、「本当に行くのかい?」と、問うて来たので、その度に大丈夫だと答えた。
「自分のことをレンガで殴ったかもしれない相手に、わざわざ会いに行こうとするなんて、キミはかなりの
「やろうと思えば、すぐにでも警察に突き出せる状態だからね。そこまで恐怖を感じていないよ。この怪我は相手より優位に立つことに利用出来るのだから、あのときは死んだと思ったけれど、今となっては
「僥倖……」
「知りたいことを知れそうなので。僥倖とは少し言い過ぎかもしれないが、チャンスではある」
「チャンス……」
「それに、ロゼさんは、僕が殺されそうになったら助けてくれでしょ? 友達を殺人犯にしないために」
「そこまでのことを、頭をレンガで殴られてすぐの状況下で考えていたのか……末恐ろしいな」
「大したことじゃないよ。呻き声で篝火さんが、僕を殴った犯人であると確信出来れば、簡単に思い付くことさ。そして篝火さんも、ロゼさんの姿を見た瞬間逃げ出したということは──ロゼさんには敵わないと思っているか、ロゼさんのことは殺したくないのかの、どちらかだ」
「……
表情や声から感情を窺わせないロゼさんだけど──このときの感情はよく分かった。
この人は、私のことを本気で警戒しているし、そして畏れている。
何も畏れなくても良いのに。
畏れられるほどの存在感なんて、私にはないのに。
「ああ、どういう訳なのか、和弥くんは僕のことを危険人物か何かだと勘違いしているみたいなんだよね」
「キミは危険人物だよ、間違いなく」
「どうしてそう思うんだい?」
「一般人の癖に──大した理由もなく、自分が死に掛ける状況を利用しようとしている人間が、危険人物なければなんだというんだ。まさか、千紗の死と
「千紗ちゃんが死んだことはそこそこショックだよ。心から嘆いているのかと言えば嘘になるし、そこまで気にしているのかと言えばノーだしさ」
「貴様は何を訊こうとしているんだ?」
「千紗ちゃんのことを殺した
「智が千紗を殺した……何故」
「知らない。そこは分からない。証拠だってない。けど確信を持って言える──
「智が千紗を殺す理由など微塵もない筈だ……あったとしても、流石に殺そうとしないだろう。殺してやりたいとは思うことはあっても、実行はしない」
「切っ掛けさえなかったら、彼だって殺そうとはしなかったんじゃないかい? それに友達なら、家の中に入ることも簡単に出来るだろう? 友達を家に挙げるなんて普通のことだし、親がいない時間帯──つまり千紗ちゃんが一人で家にいる時間帯を把握していてもおかしくない。窓や玄関が壊れていなかったのも、千紗ちゃんが鍵を開けて招いてくれたと考えるのは不自然なことじゃないだろう? そして、最初から千紗ちゃんを殺すことだけが目的なら、千紗ちゃんの家から失くなった物がないことも納得出来るだろう? そして警察が強盗の可能性が低いこと考えていたことにも、辻褄が合う筈だ」
いっくんから受け取った資料には、そのような記述なかった。
「色々言いたいことはあるけど、今ハッキリしたことは──キミが私の敵じゃなくて、本当に良かった」
「ロゼさんが敵じゃなくて、本当に良かったと、僕も思っています」
篝火さんを一瞬で圧倒出来るぐらいだし、この目で確認していないから、確証はないけど、この人は戦える人──な、気がする。
「ロゼさん、一瞬で、篝火さんのことを、どうにかしましたけど、武道か何かやっているのでしょうか?」
「子供の頃から色々嗜んでいる……空手とか、合気道とか、キックボクシングとか、テコンドーとか、剣道とか、フェンシングとか、薙刀とか……他にも色々やっている」
「凄いね。僕は運動が得意じゃないから、とてもじゃないけど、出来そうにないよ」
「……健康な人間ならば──の話だけど、無茶なことさえしなければ、その内、体が追い付いてくる上に、普通じゃなくなるよ」
「僕は根性なしだから無理だよ」
「根性なし──ね。キミには根っ子と呼べる軸がなさそうだから、強ち間違いではないか」
妙に含みを感じる。
その含みについて訊ねようと思ったけど、篝火さんどころの話ではなくなってしまう気がしたので、訊かないことにした。
「……ここだ」
彼女が指差した先には、廃屋があった。
「なんでこんなところに……」
「前に……皆で、遊んだことがあるんだ」
「へぇ」
その皆に、千紗ちゃんや、関屋くんが含まれているのだといしたら、お誂え向きの舞台だ。
──悪くないな。
私はゆっくりと、痛む頭を押さえながら、廃屋に足を踏み入れた。
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