第五幕【ピカレスクロマン】①
また明日、一三時に家へ来てくれと
次の日、朝九時に目が覚めた。
買った本を妹に渡すために、一〇時に家を出ようと靴を履いていると、どこかに出掛けるのかと声を掛けられたので、
「気を付けてね」
「ええ」
玄関扉に手を掛けたところで、ふと足を止め、なんとくなくこのようなことを訊いてみた。
「巽さんは人を殺すという行為は許せますか?」
「良くないことだと思うが、絶対に駄目だとは思わない。許せるか許せないかは経緯にもよるよ」
「そうですか」
いってきますと言って、今度こそ、私は家を出た。
教会に行き、神父様に末妹はいるのか訊ねたところ、「今日は朝早くから出掛けていまして……何か用件がありましたら、私の方から伝えておきますが」という答えが返って来た。
「では、これを
前日に買った本が入った袋を差し出す。
「分かりました。多分夕方には帰って来ると思いますので、夕方手渡しておきます」
「お願いします」
中には深空ちゃんに渡す本があるけれど、わざわざ伝えなくても、中を見た穹莉ちゃんはそのことを理解するだろう。この本とこの本は深穹に渡すものだと理解して、ちゃんと手渡してくれる筈だ。
一三時までまだまだ時間がないため、適当な場所で時間を潰すことにした。
オープンカフェで早めの昼食を取り、この間巽さんが執筆した本を読み、一二時半ぐらいまでそこにいた。
関屋くんの家に辿り着いたときには、一三時を少し過ぎてしまったらしい。
鍵は開けておくから、家に入って待っていてくれと言われていたし、忘れないようにとそう書かれたメモを貰っているので、私は指示通り家に入り、リビングのようなところに行き、そこのソファーに座る。
壁に掛けられた時計は一三時一三分を指していた。
それから一〇分経過しても、一向に姿を現す気配がない彼を探すために、失礼を承知で家の中を散策する。
扉を開けて、人がいるかどうか確認するというだけで、部屋を漁ったりはしていない。
それに、扉を開ける前に、一応ノックはしているし、声も掛けている。
脱衣所らしき部屋の扉を開けたとき、風呂場に続くであろう扉を開けるかどうか少し悩んだが、その扉が少しだけ開いており、そこから人の腕らしきものが見えてしまっては無視することも出来ず、二回声を掛けて一〇回ノックしても反応がないことを確かめてから、電気のスイッチらしきものを押し、失礼を承知で扉を開けた。
そこには、上の妹なら手で口元を覆うような光景が広がっていた。
──浴槽の中で絶命している関屋
どうして見ただけで死んでいると判断したのかと言えば──彼が尋常ではないぐらい目を口を大きく開いている上に、眼球も下も眉も全く動いていないからだ。
扉の隙間から見えた腕は、浴槽からだらりと落ちている腕だった。
念のためその腕に触れ、脈がないか確かめてみたが、かもしれないが、そうであるになっただけで、大して意味もない行為に終わる。
死んでいる人間を目の前にしてやることなんて一つに決まっているのだが、すぐさま行動に移せる人間は案外少ないだろうし、即座にそれを出来ない事情が私にはあった。
一度家を出て、近隣の家に通報をお願いする。
電話に触れれば電話をぶっ壊してしまうため、こうして誰かに頼むしかない。
走ったから、転んで怪我をしており、息切れも酷かった。
結構派手な怪我をした女子中学生が、息切れしながら警察への通報を求めたら、案外応じて貰えるものらしい。
まあ転んだせいで、服が一部破れたり汚れたりしているから、実際よりも派手に怪我をしているように見えたからというのもありそうだ。
事情を伝え、怪我に関しても転んだだけであることも伝え、とりあえず私は警察署まで連れて行かれることになったので、警察の人に巽さんへの連絡を頼んだ。
彼の携帯の番号を、私は覚えているので、それを伝え、連絡を入れて貰うことになった。その番号を私自身が使うことは出来ないけれど、覚えていれば他人に使って貰うことが出来るので、ちゃんと頭に叩き込んでいる。
警察の人間に事情聴取されるのかと思ったけれど、意外なことに、警察の人ではなく──
桐壺請負事務所の人──名前は思い出せなかったが、改めて彼が名乗ってくれたことで、彼が桐壺請負事務所の人間だと思い出せた。
名乗られる前は彼と初対面だと思っていたが、そんなことはなかった──
とりあえず事実関係だけ説明した。
昨日彼と大型ショッピングセンターに行き、そのとき今日の一三時に関屋家に来てくれたと言われ、その通りにした──と。
「何故家の中に入ったのか、家に入ってから目撃するまでの状況を教えて欲しい。覚えている範囲で構わないから」
もう一人、彼の相方と読んでいいのか分からない人と違い、彼はこちらのことを慮って話しているように思えた。
言葉だけ聞けばストレートだし、それ自体は否定しないけど、声とか仕草とか表情とかが、こちらを落ち着かせようとしているように感じた。
別に大して慌ててないし、落ち着かせようとしてくれなくて良いんだけど、そういう気遣いが出来る人物という点では──非常に好ましい。
そうやって油断させて、色々吐かせる公算なのかもしれないけど。
「家に入っているように言われていたんですよ」
メモ紙を差し出しながら、私は続ける。
「忘れないようにということで、メモまで渡されたんです。鍵は開けておくから家に入って待っていて、と」
筆跡鑑定をすれば、これが関屋くん自身が書いたメモであると証明されるだろう。
「それで家の中に入って、リビングでいいんですかね? とにかく部屋で待っていた訳ですが、いつまで経っても関屋くんが登場しないので、失礼を承知で家の中を探させて貰いました。あちこち部屋を探している内に──浴槽にいる彼を発見した訳です」
浴槽にいる彼を発見するには、脱衣所の扉を開け、脱衣所に入り、そこから風呂場の扉を開ける必要がある──普通なら脱衣所の段階で別の部屋を当たるだろう。
脱衣所自体もプライベートな空間だが、風呂場はもっとプライベートな空間だ。
常識のある人間ならば入るのに
「もっと詳細にお話しますと、脱衣所に入ってしまったとき──風呂場の扉が少し開いて、人の腕が見えたものですから、声を掛けたんです。ノックもしたのですが、反応が全くなくて……もしかして気絶でもしているのかと思って、失礼を承知で扉を開けたんです──そしたら、ご存知の通りの彼がいた訳です」
何故自分で通報しなかったのかということは説明するまでもないだろうが、念のため、説明しておく。
「機械に触れない体質でして──すぐさま通報したかったのですが、自分では通報出来ないので、近隣の家まで言って通報して貰いました。走ったので、転んで怪我をしてしまいましたが……」
「機械に触れると爆発するとかなんとか──
ああ、その話もしていたのか。
巽さんに事情聴取したのは彼だから、何かの流れで聞いていてもおかしくない。
「言い方の印象通りなら、関屋智を探すために、家の中をあちこち探したみたいだが──それは具体的にどういう風に探したんだ? 適当にあちこち扉を開けて部屋の中を見ただけなのか、部屋の中に入ってしっかり確認したのか」
「その中間という感じですね。扉を開けて、頭を──上半身を突っ込んで、部屋をぐるりと見回して誰もいなかったら次の部屋。そんな感じです。僕は彼と親しくないですし、家に挙がるのは二回目なので、どこにどの部屋があるのか分かりません。かなりプライベートな空間も覗いてしまう羽目になりましたが」
彼のご両親も今頃警察署に訪れているのだろうか? 一三時すぎに関屋家に訪れたとき、駐車スペースに車がなかったから──多分車で出掛けていたのだろう。
駐車スペースは普段から使われている形跡があったので、車を持っていないということはなさそうだし、多分そうなのだろう。
「それと──現場のものに触れるのは良くないことですが、死んでいるかどうか確認したくて、彼の脈を確認してしまいましたし、後、電気のスイッチを押したりしました……」
「なるほど」
そう呟くと、何かを考え込む素振りを見せた。
「関屋家に行く前、何をしていたのか、思い出せる範囲で良いから教えて貰えないだろうか? 詳しくは解剖の結果次第だが──彼の死亡推定時刻は、午前一〇時から午前一二時ぐらい。その時間に何をしていたのか知りたい」
「一〇時は……神父様──
神父様がいる教会の住所、そこには防犯カメラがあること、神父様ではなく妹にプレゼント渡すことが目的だったこと、妹がいなかったので神父様から渡して貰うことにしたことなどを話す。
「その後は──早めの昼食を取るのも兼ねて、オープンカフェで一二時半まで時間を潰していました」
レシートが残っているので、レシートを提出した。少なくとも、このカフェにいたことは証明されるだろう。一二時半まで時間を潰していたことは証明出来なくても、立ち寄ったことは証明出来る筈だ。
「そのオープンカフェに防犯カメラがあり、尚且つ天音さんが映っているのであれば──アリバイを証明することが出来るかもしれません」
「是非調べて下さい」
「ええ、それはこちらの仕事ですので」
ワンテンポ置いた後、彼はこちらの手に視線を向ける。
「手の怪我がかなり酷いみたいですが……」
「見た目ほど大したことはありませんよ。転んだとき、咄嗟に手を付こうとしたのですが、上手くいかなかったから、膝以上に酷いことになっちゃいました」
血を洗い流せば、怪我もそこまで酷く見えないだろう。まあ数日すれば収まるだろうし。
治療を受けるかどうか訊かれたので、家で手当するので大丈夫ですと断り、とりあえず一旦開放された。
署まで来てくれた巽さんと共に家路に就いていたのだが、全く歩行者がいない道を歩いていたタイミングで、「なんというか……」と、巽さんが口を開く。
「何を言っても角が立ちそうだけど、強いて言うなら──災難だね」
「死体の第一発見者になる日が来るとは思いませんでした」
「キミがその程度のことで動揺するとは思っていなかったけれど、本当に動揺していなくて安心したよ」
それは素直に「そうですか」と返事し難い言葉だったが、実際大して動揺していないのだから、「そうですか」と言うしかないだろう──言わないけど。
「そういえば巽さん、署までどうやって来たんですか?」
「タクシーに乗ったんだよ」
「そういえば巽さんって車乗りませんよね。免許持っていないんですか?」
「免許は持っているけど、取得した後に自分は色覚が人と違うと気付いたから、取得してからは車に乗っていないし、持っていないよ。医師が言うには、免許を持っていても問題ないし、色関係の仕事に就かない限り、日常生活でも問題になることはないみたいだけど、個人的に抵抗があって、運転はしないと決めている」
初耳だ。
全然知らなかった。
「先天的なものですか?」
「先天的なものらしい。私自身割りと最近まで自覚していなかったから、他の人には今私が見ている景色がどう見えているのかが分からない」
通常、人間は三色型の色覚──色を伝える三つのチャンネルを持っている。
けれど彼は違うのだろう。
そのチャンネルが少ないか多いかは分からないけれど──今まで同じ部屋の下で暮らしていた私が気付かなかったぐらいなのだから、他の人が気付かなくてもおかしくない。
「生まれつきこうだから困るも何もない、これがデフォルトというだけなのかもしれない──どうしようもないものに困るぐらいなら、そういうものとして受け入れた方が良いのだろうし、仕事のネタになって私として都合が良いぐらいだ」
仕事のネタ──小説のネタにするのか。
まあ、そういうことが出来ないと、文筆業で得た収入だけで今まで暮らしていないか。
「私のことは、今はどうでも良いんだ」
そういえば関屋くんが死んだ件について話していたんだったっけ。
「どういう状況なんだい? キミが犯人かもしれないと思われたりしているのかい?」
「今回の件に関しては大丈夫だと思います。アリバイを証明することが出来ると思いますので」
千紗ちゃんの件も、無事だ。
関屋くんの件も、当然無実だ。
私は人を殺していない。
「それなら良いんだけどさ…………」
良いと言っている割りには、どこか納得のいかなそうな雰囲気を醸し出している。
「嘘じゃないよね?」
「本当ですよ」
「信じるよ」
なんで妹といい、巽さんといい、私のことを疑うんだろう。
そんなにも人を殺しそうに見えるのかな?
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