第四幕【ギフト】③

 時間通り、関屋せきやくんの家に足を運んだ。


「約束、忘れないでくれたんだね」


「うん、まあね……」


 どこに行きたいのかを訊ねる。具体的にどこへ行くのか決まっていなかったらしく、少し迷いながら、比較的近くにある大型ショッピングセンターの名前を出した。


 言われた場所まで移動し、そこでの買い物に付き合った。私は買いたい物がなかったけれど、関屋くんが買い物をしている姿を見て、私も何か買った方が良いのかと思い、妹が好きな本の続編を買った。


 下の妹が好きな本と、上の妹が好きな本は、全然ジャンルが違うため、買っているところを横で見ていた関屋くんは、「色んなジャンルの本を読むの?」と、問うて来る。


「まあ……そういう拘りは薄いかな」


 妹云々を話すことは面倒だし、時間が掛かってしまうので、そういうことにしておいた。


 私はあまり本は読まない。読むのは、巽さんが書いた本と教科書ぐらいだ。下の妹は結構な読書家で、漫画も小説もジャンル問わず気に入ったものは読む。上の妹は文学系の本を読む。


 上の妹の方は、最近は読書なんて出来ていないだろうけど。


 下の妹経由で上の妹に手渡せば、多分処分されることはないだろう。面倒な相手に好かれたな。好かれたというより、執着されたと表現する方が正しいか。


 あの妹の苦労をどうにかするのは、私には出来ないことだ。けれど、他の人がどうにかしてくれるだろう。


 彼の行動に付き合っている内に、結構な時間が経過していた。触れると機械を壊す体質のせいで腕時計などを身に着けることが出来ないため、空や星などの状態からどれくらい時間が経過したのかを、五分単位でなら分かるようになった。


 といっても、普段は時間を気にしないし、時間を気にする状態であっても、壁などに掛けてある時計を確認するので、この特技と呼んでいいのか分からない技術を発揮することはない。


 面倒臭いから。


「結構時間経っちゃったねえ。あっという間っていうか。アチアチの鉄板を持ったときの一秒は一時間に感じるけど、女の子と出掛けるときの一時間は一秒に感じるって本当なんだ」


 それは女の子が可愛い、もしくは美人な場合ではないかと思ったが、見た目だけに絞れば、一応私もその条件に当て嵌まるか。


 中身は可愛くないし、美人じゃないけど、見た目はまあまあ可愛いからな。


 私は可愛いと言われたことはないけれど、見た目だけはそっくりの妹達は可愛いと良く言われているし、可愛い方ではあると思う。


 妹の外見を褒めると、自動的に自分の妹を褒めることに繋がりかねないから、素直に可愛いと言い難いところはあるが、可愛いのに自分のことを可愛くないという人種が好きではないので、私はそれなりに自分の見た目は可愛いと主張しよう。


「そういえば、さっきから甘味ばかり食べているけど、甘い物好きなの?」


「うーん、この間和菓子を食べたから、洋菓子を食べたくなった感じ。別に特別好きって訳じゃないよ。嫌いって訳じゃないけど」


「和菓子? 何食べたの?」


「羊羹。すっげえいいところの奴」


「あっちゃんの家ってお金持ちだったりする?」


「貰い物だから……お金があるから買ったって訳じゃないよ」


 裕福か裕福でないかと言われれば、裕福ではあるけれど、仕事による収入が高いからではなく、不労所得がそこそこあるから──らしい。


 詳しいことは知らないけど、実家が金持ちで、親戚も大体何かしらの財産を持っているから、その恩恵に預かれているとか、以前言っていた。


 だから、あの羊羹は、買おうと思えばいつでも買えるぐらいには、お金を持っている。


 本人が贅沢をするタイプじゃないから、お金を掛けるべきところ以外はあまりお金を使わない。ただケチではないし、寧ろ寛容ではあるから、高い物でもこちらが欲しいと望めば、ある程度は提供してくれる。


 あくまでもある程度で、際限なく与える訳ではない。


 その辺りの分別はある。


 あの人はやっぱり良い人ではあるのだろう。欠点は沢山あるけれど、その欠点を受け入れられるぐらいには、良いところのある人だと私は思っている。


「高い羊羹が貰えるって、どういう状況?」


 知らん。

 なので、適当に答えた。


「仕事関係の人から貰ったっぽいから、お礼とかじゃない? 詳しいことは知らないから推測になってしまうけど、仕事で付き合いがある相手だから、半端な物は送れないってことで、それなりに高い羊羹を渡したんじゃないかな?」


「へえ。そういうの気にしたりする、面倒臭そうだね。社会人になりたくないなあ」


「まだまだ先の話だけど、僕はそういう気遣いが出来るタイプじゃないから、上手く社会人としてやっていけるか不安だよ」


 たつみさんは自分のコミュニケーション能力の低さを理解しているから、会社には属さず、あくまでも個人事業主として文筆業に従事している。


 不労所得があるから、働かないという選択肢もあったけれど、不労所得だって永遠という訳ではなく、何かあれば瓦解しかねないことを理解していたので、きちんと働いて、自分のことは自分で養えるくらいの収入を得ようという考えに至ったそうだ。


 ちょっとやそっとの不況では動じない盤石な不労所得があるから、かなり貯金が溜まっているらしいので、いきなり職を失うことになっても、暫くは生きていけるようになっているのだから、彼の考え方は間違っていないと言える。


「いつまでも誰かに養われる訳にもいかないし、自分なりに生きていく術を見付けるけどね」


 こんなことを言った後、ふと、こんなことを思った──私は、社会人になるような年齢まで生きていけるのだろうか、と。


 肉体に何か問題を抱えているからそう思ったとかではなく、単純に、その年齢になるまで生きている己の姿が想像出来なかったのだ。


 社会人になっておかしくない年齢になった自分が、どんな風になっているのかが想像出来なかったのではなく──社会人になる年齢まで生きている己の姿が想像出来ない。


 その年齢まで生きていたら、随分長生きしたなと思ってしまう。


 そんなことを、社会人になってからも言っていそうなのが私なのだけれど──案外真逆のことを言っていてもおかしくないような気がしなくもない。


 自分のことなんて自分では良く分からないというが、私の場合は、それとは何か違うような気がしないでもない。


 所詮そんなもんだ。

 私は大した人間ではないのだから。


「まあ、いつまでも親の世話にはなれないよな。親だってずっと生きている訳じゃないし、寿命で考えれば先に死ぬのは向こうだから」


「寿命以外の要因でなら、どうなるか分からないけどね。身近な例だと、千紗ちゃんは親より先に死んじゃった訳だし」


「……そうだね」


「この国の地獄の考えに則ると、親より先に死んだ子供は地獄に堕ちるらしいけど、それって理不尽だよね。自ら命を断つならまだしも、誰かの手で死んだのに、地獄に堕ちるなんて」


 地獄って存在するのかな? 異能力があるくらいだし、地獄が存在してもおかしくない気がするけど、存在していなくてもおかしくもない。


 存在していたとしても、私の知識にある地獄と同じとは限らないし、親より先に死んだ罪で地獄に堕ちていない可能性もあるけれど、親より先に死んだ罪で地獄に堕ちている可能性もあるのだから、本当に恐ろしい。


 地獄に堕ちたら、私みたいな存在でも天国へ行こうと蜘蛛の糸を掴もうとするのだろうか。


「地獄に堕ちたら、人はどうなるんだろうね?」


「さぁ。御伽噺話通りなら、罰を受けるんじゃないかな……」


「僕も今死んだら地獄に堕ちるのかな?」


 実の両親は既に死んでいるから、親より先に死んだ罪で地獄に堕ちることはない──と、思うのだが、この親が、一親等離れた尊属の血縁者以外も当て嵌まるなら、つまり、私の保護者をしている巽さんも含まれるなら、親より先に死んだ罪で地獄に堕ちるかもしれない。


 親より先に死んだ罪がなくても、私は地獄に堕ちるだろうが。


「そんなことないでしょ」


「どうかな? 虫を殺しても地獄に堕ちるんだから、地獄に堕ちない人間はないと思うけどね」


 悪意はなくても、意図的に虫を殺したことがない人間は、それなりにいるだろう。


 私だって意図して、殺そうと思って、虫を殺したことはある。数え切れないレベルで、何度も何度も殺した。邪魔だからとか、そんな理由で。


「地獄に堕ちたら、皆抗うのかな? 地獄の刑罰は苦しいって話だし、僕みたいな奴でも誰かに助けを求めちゃうかもね……」


 千紗ちゃんなら──私以上に全力で抗おうとするしているかもしれない。地獄の底で助けてと言う姿は、想像すると、かなり奇異だ。


 罪を犯しておいて、助けてと言うのだから。


「実際、長い間、苦痛を味わっているのに、助けを求めない人間はいないよね。誰も助けてくれないと頭で理解していても、ない可能性に縋りたくなるだろうね」


 いくら私であっても、拷問されれば、いっくんであっても売るだろうし。


「殺されるってなったとき、千紗ちゃんは何を思ったんだろう? 他に縋れる相手もいなかっただろうし、自分のことを殺そうとしている相手に助けを求めたのかな? あり得ない話じゃないよ。他に縋れる相手がいないし、ある意味では、彼女の命を助けられる相手でもある訳だからさ」


「…………」


「僕はあらゆる人間に敵視されているけど──僕みたいな人間でなくても、色々な人から敵視されている相手もいるよね」


 敵視。


 純粋な意味での敵。

 ライバルとしての敵。

 憎しみとしての敵。

 仇としての敵。


 述べようと思えば、いくらでも述べられる。


「僕は人間としてかなり駄目な存在だ。他者の考えは察せても、他者の気持ちって奴が全く理解出来ないんだから」


 だから、苦しんでいる上の妹の痛みが──ちっとも分からないのだ。


「世の中には誘拐した側なのに、誘拐された側よりも地獄を見て自殺する人間もいるし、欠点だらけの人格を持っていて、社会性がないのに、二番目の姉と神父にはそれなりに胸襟を開く人間もいるし、普通なら幸せになれない方がおかしいほどまともな人間なのに、どういう訳なのか、現在進行系で不幸な人生を歩んでいる真ん中っ子もいるし──社会不適合者なのに、それなりの人生を歩んでいる文筆家もいる」


 そして、私のような人間もいる。


「僕は人を殺すのは悪いことだと思う。人を殺すのは良くないことだ。理由は簡単。それが共通の理念で、それが悪いことということにしておかないと、自分にとっても不都合なことになる可能性があるから」


 法律で禁止されているだけあって、禁止されるに相応しい理由がそれなりにある。


「死んだら終わり──続こうとする人はいるけれど、死んだその人は終わり」


 斬緒きりおさんが言っていた通りだ。


 重みのある言葉──「死んだらそこで終わりだよ。死んだ人に続く人間はいるだろうけど、死んだ時点でその人は終わり。その人は続かない。変わりに続けようとする人間が現れたとしても、本人が続けることは出来ない」は、本当に名言だと思う。


 本当に。

 その通り、だ。


「千紗ちゃんは終わった。千紗ちゃんに続く人は現れるかもしれないけど、千紗ちゃんは終わってしまった」


 正直──千紗ちゃんに続く人は、いない気がする。


 千紗ちゃんを想う人はまあまあいるだろうが、続こうとする人はいないと思う。


 アレは続きたいと思いたい何かが存在しないから。


「正直──僕は興味があったんだよね、千紗ちゃんに」


 これは本音だ。


 弱者の振りをした強かな人物はそれなりにいるけど、弱くはないが決して強かにもなれない──強かっぽく振る舞っているけれど、決して強くも弱くもない存在であるところが、本当に興味惹かれるものがあった。


 千紗ちゃんの様子を見れなくて、経過観察が出来てなくて、本当に残念である。


 勿体ないことになってしまったな。


 もうちょっと、強めに忠告をすれば良かったかな?


「──僕はどうして今生きているんだろうね? 凄く不思議だ」


「どういうこと?」


「大した話じゃないよ。とっくの昔に死んでいる方が自然なのに、今こうして生きているんだから不思議だよなぁって話」


「とっくの昔に死んでいる方が自然って──」


「別に病気とかじゃないし、事故に遭った訳でもないよ」


 機械の天敵だからでもない。


 いや、事故には遭ったか。

 誘拐された件は、ある意味では事故に遭ったと言えなくもない。


 かなり良い生活をさせて貰っていたから、視点を変えれば僥倖ぎょうこうと言えるだろうが。


「とっくの昔に自殺しそうとか、そういう話?」


「自殺なんかしないよ。なんでそんなことする必要があるの? わざわざそんなことするなんて面倒じゃないか」


 メリットがない。

 デメリットしかない。


「単純に誰かに殺されていないのが以外って話」


「えっ?」


「誰だってブチ殺したいと思う相手はいるだろ? 僕はそのブチ殺したい対象とやらになり易いみたいでさ、弾みで殺されていない方がおかしいと思うんだよ」


 殺意を向けられた回数は数え切れないほどあるのに、どうして致命傷を負うこともなく、惰性で生きることが出来ているのだろう?


「悪運が強いのかな? 悪運が強いのかもね」


「あっちゃんはさ、死にたくないって思うの?」


「希死念慮はないけど、死にたくないと強く思う動機もないからな──どっちでもないと言った方が正しいかも」


「…………」


「僕に好意を抱く人間は不幸だと思う。そこまで大事じゃないぐらいの気持ちでいた方が楽だよ。好きだけど、切り捨てられる程度が良いだろう」


 切り捨てることは出来なくても、深い入りしないでいる巽さんの対応は正しいのかもしれない。


「……それでも俺は、あっちゃんのことが好きだよ」


「僕はそうでもない」

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