第四幕【ギフト】②
次の日の朝。
インターフォンが鳴り、眠い目を擦りながら玄関扉を開けると──予想だにしていない人物が視界に入った。
「……いっくん」
意外だ。
意外過ぎる。
いっくんの方から会いに来てくれるとは。
明日は槍が降るかもしれないけど、槍が降っても良いと思えるぐらい嬉しい。遅刻しても絶対に後悔しないぐらい最高。
いっくんは嬉しくないのだろうし、凄く居心地の悪そうな表情をしていて、とっとと帰りたいと言いたげな雰囲気を出しているけれど。
「頼まれていた物を渡しに来ただけじゃ。渡したらさっさと学校へ行く」
いっくんが差し出した茶色の封筒を見て、いっくんが何をしに来たのか理解する。事件に関する資料だ。夕顔千紗が殺された件に関する資料。
「わざわざ僕の家まで届けに来てくれたんだ、嬉しいなぁ」
「儂は嬉しくない」
「ねえいっくん、途中まででいいから一緒に学校行かない?」
「嫌じゃ。お主と一緒に行動するなどあり得ん。命がいくつあっても足りんわ……」
ゾッとしたような表情と声でそう言った後、自分で自分を抱き締めた状態で体を震わせる。わざとではなく、本気で震えているようだ。
いっくんは、私のことを、歩く災害か何かだと思っているのではないだろうか?
「災害ではないが、厄災に近い存在だろう、お主は」
厄災って……大袈裟だなぁ……。
「ちゃんと渡したからな。ちゃんと渡したぞ、儂は」
「渡されたよ……うん」
「儂はもう行く。着いて来ないでくれ……頼むから」
滅茶苦茶真剣に念を押して来る。無理強いはしないよ。いっくんが乗り気じゃないと、こういうのは楽しくないからね。残念。
「分かったよ、分かったから」
いっくんを見送った後、私は一度家に戻り、封筒を自室の机の引き出しの奥に仕舞う。
それから家を出て、学校に向かう。
いつも通り授業を受け、終わるのを待つ。帰りのホームルームが終わった瞬間に、とっとと家へ帰ろうとしたのだが、下駄箱から口を取り出したところを、フェイトちゃんに捕まえられ、なんやかんやでフェイトちゃんとお話することになってしまった。
「僕になんの用? フェイトちゃん」
「
ああ、あれか。
別に大したことないんだけどな……。
「別に、大したことはしていないし、お礼を言われるほどのことじゃないよ」
「大したことじゃなくても、こっちからすれば有り難いことには変わりないから。天音ちゃんが何もしなくても、学校に来ていたかもしれないけれど、天音ちゃんが何もしなかったら学校に来ていない可能性もあるから、本当に嬉しいんだよね。千紗の件はショックだろうし、私達じゃ、どうしていいのか分からなかったから……」
「どうしていいのか分からない?」
友人であるフェイトちゃんの方が、私なんかよりも
けれどフェイトちゃんには伝わったらしく、彼女はきちんとした答えを述べてくれた。
「智の気持ちが良く分かるから、下手に慰めの言葉を掛けられないんだよね。嘘でもそんなことないよ──とか言えないし……」
友人だからこそ、そのようなことが出来なかったということなのか。
私には友達がいないから──その辺りの感覚を理解することは出来ないけれど、言いたいことは分からなくもない。
心から共感することが出来るからこそ、軽々しく言葉を掛けられないということが言いたいのだろう。
「やっぱり友達が死ぬと結構心に来るからさ……何もしたくない気持ちは、痛いほど分かるっていうか……」
私も、友達が死んだりしたら、こんな風に心から落ち込むのだろうか?
上の妹なら本気で落ち込むし、暫く引き摺る。下の妹も本気で落ち込むけれど、自分なりに割り切って引き摺ることはないだろう。
私がそうなると断定出来ない。落ち込んでも、ここまでにはならないのではないだろうか。そんなことはないような気がしなくもない。実際どうなるのかは、やはり友達がいない私には分からないけど。
ああ、でも、いっくんが死んだら、本気で落ち込むかもしれない。妹や巽さん、神父様が死んだら、それなりにショックだろうな。
「だから、本当、慰めの言葉が出て来なかったんだよね……頭に浮かんでも、声には出ない感じ。分かるかな?」
「うん。まあ、言いたいことはなんとなく理解出来るよ」
「うん、まあ、そんな感じなんだよ。こうして学校には来ているけど、授業なんか頭に入って来ないし、結構まだキツイ」
「そうなんだ……」
フェイトちゃんは溜息を吐き、それからもう一回こちらに視線を遣る。
「ああ、なんかごめんね……愚痴を零すみたいになっちゃって」
「ああいいよ。気にしていないから。誰だって愚痴を零したくなるときはあるよ。吐き出して楽になるときは、普通に吐き出してもいいんじゃないかな? 相手は選ぶ必要はあるだろうけど」
「そうかな?」
「そうだよ」
あくまでも一般論であり、本心からこう思っている訳じゃない。なんかそれらしいことを言うべきだと思ったから、それらしい言葉を持って来ただけだ。
「あのさ……変なことを訊くんだけど、千紗ちゃん、どんな感じだった? 最後に千紗ちゃんと会ったときの様子、どんな感じだったの?」
「どんな感じだったと言われても……僕は普段の千紗ちゃんを知らないからなんとも。僕から見て特筆変だと述べれるところはないかな。思い込みの件で、少し態度がおかしかったけれど、それぐらいだと思う」
「そっか……」
思い込みの件。
本当は思い込んでいる振りをしただけで、実際は『付き合った相手と好きになった相手を破滅させる』とか思い込んでいないよ──と、言おうかという考えがなかった訳じゃないけど、流石にやめておいた。
死人の、しかも、良く知らない人間の──悪口につながることなんて、言わない方が良い。
何故ならば、彼女は、
「そうだよね。千紗ちゃん、まさか殺されるなんて思っていないだろうし」
殺されるかもしれなと私は言ったけれど、その私ですら、本当に殺されてしまうとは思ってもいなかったのだから──彼女が、あんなことを言われた当日に殺されるとは思うことはなかっただろう。
遠い未来の話だと思っていたに違いない。
そもそも私の言葉を本気で受け止めていたのかすら怪しい。
私と同じレベルで記憶力に問題があるならばまだしも、彼女はそうではないだろうし、流石に、「──もしかすると、誰かに殺されちゃうかもしれないよ?」と言われたことは覚えているだろうが。
改めて思うと、フラグ回収早過ぎるな。
これが現実の話じゃなかったら笑っていたかもしれない。
「一体、誰が、千紗ちゃんのことを殺したんだろう?」
「さあね。誰が犯人なのかは警察が今頑張って調べているところだから。僕よりも千紗ちゃんについて知っていることが多いであろうフェイトちゃんなら、何か分かるんじゃない?」
頭の中では見当が付いているのではないだろうか? 見て見ぬ振りをしているだけで。
「さあ、それが分かったから苦労していないよ。誰からも恨みを買うような娘じゃないとは言えないけど、殺されるほど酷い娘じゃないもん」
確かに、殺されるに値するほど酷い娘ではないだろう。いらない恨みを買う行動はしているけれど。
そのいらん恨みが積もり積もって──なら、あり得なくはない気がする。
まあ、だからと言って、殺人が正当化される訳ではない。
死んだ方が良い人間は存在する。殺されて清々したと言われる人間も存在する。しかし、だからと言って殺されて良いかと言えば別なのだ。
人が人を裁くことが許されない構造になっているから。
私刑が許されるようになったら、極論、どんなことであっても相手に酷いことをしても良いということになり、社会があっという間に世紀末になってしまうことに繋がってしまう。
法律が許すなら平気で奪うし、壊すし、殺すけれど、法律が許さないから奪わないし、壊さないし、殺さない──そのような考え方をしている人間は、一定数存在している筈だ。
少なくとも、ここに一人存在している。
私はこういう考えの持ち主だ。
あくまでも個人的な意見だし、他人に強要するつもりはない。
上の妹は奪う壊すは出来ても──実際はそれにすら、余程のことがない限り手を伸ばさないだろうけど──人を殺すことだけは絶対に出来ないだろう。
羨ましいとは思う。
それほど強靭な精神を持っていることは。
ああはなりたいとは思わないけれど、素直に称賛を送りたくなるぐらいには凄いと思う。
野生としては失格だが、人間としては『良』評価は貰えるだろう。
格が違う。
人間としての格が。
失礼を承知で言わせて貰うが、こんな姉とあんな妹を持っていながら、人間としての矜持を維持していただけでも凄いのに、現在進行系であんな目に遭っているのに、腐らないでいるのは──本当に凄い。
私はそう思っている。
誰がなんと言おうと、この意見を捻じ曲げることはない。
「もしかして、犯人からすれば、死に値するようなことをされたのかもね」
だからなのか、フェイトちゃんに対してこんなことを述べておきながら、深空ちゃんは例外であって欲しいと願ってしまった。
理不尽な理由であっても、相手にとっては死に値するような理由であっても、絶対にないだろうが、正当な理由であっても──誰かに殺されて死んだ人間のカテゴリーに入らないで欲しい、と。
じゃないと、何か、色々辻褄が合わなくなる。
まあ、こんなことを考えているけど、多分殺されたら殺されたで、なんかそれはそれと受け入れてしまう
やっぱり私は真人間にはなれないのだろう。
適当に言葉を交わし、それらしい理由をでっち上げて、彼女から離れた私は、急いで帰宅し、いっくんから受け取った封筒を開封した。
中身の資料は、警察の内部資料。
本当、いっくん、どんなコネを持っているんだろう?
まあ、そこを探ったら、今まで通りいっくんと付き合えなくなるから、興味すら持っていない振りをしていよう。
友人として認識すらして貰えていないのは残念だけど、いっくんと時折交流するのが私の数少ない楽しみなのだから。
「ふぅん」
夕顔千紗が殺された件に関する情報が羅列されている資料。大半はどうでも良いこと、つまり私が知りたかったことではないことばかりが書かれているが、中には有益な情報があった。
千紗ちゃんの家庭環境。
父、母、千紗ちゃんの三人家族で、家族関係は特別問題なかったらしい。
アリバイ関係。
私のアリバイは多数の防犯カメラの映像などから、証明することが出来たらしい。一応巽さんも疑われているのではないかと、要するに、私を庇っていると思われているのではないかと不安だったが、そういう風に疑われているということもないそうだ。それは安心した。
エルドラート姉妹も、関屋くんも、家にいたと証言しているみたいだが。
事件現場の様子。
室内は荒れていたみたいだが、何か盗られた物はないとのこと。
窓が壊されたり、玄関を壊されたりとかはしてないらしい。
強盗の可能性は更に薄くなった。
千紗ちゃんとバッティングして、盗むことが出来なかっただけという可能性もあるので、完全にないとは言えないけど。
新しく増えた物もないらしい。
頭の中に浮かんでいた可能性がより高くなり、その他の可能性が薄くなった。
完全にないと断定することは出来ていないが、薄くなっただけ有り難い。
余計なことを考えなくて済む。
受け取った資料はシュレッターで細かく刻んだ後──来客用の灰皿を取り出し、それの上に刻んだ紙を起き、全てが灰になるまで燃やし続けた。
証拠隠滅。
流石にこんなヤバイのが持っているとバレたら不味い。私だけじゃなくて、いっくんにも累が及ぶ。それは彼との約束を反故することになってしまう。それだけは避けなければならない。
それから私はゆっくりと眠る。
明日のことは考えなかった。考える必要がなかったからだ。
そんなことよりも、あの灰から資料の存在がバレないかの方が大事だった。
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