第三幕【カリカチュア】①

 次の日の朝。


 学校に行こうと支度をしているとインターフォンが鳴った。


 玄関の扉を開けると、鴨跖草つきくさ色の瞳と卯の花色の髪を持った、インテリという言葉が似合う神経質そうな男性が視界に入る。


 次に視界に入ったのは、鉛色の瞳と黒鳶色の髪をした、軽薄という言葉が似合いそうな飄々とした男性。どこかで見た気がするけど、どこで見たんだろう?


 困惑したまま用件を訊ねると、インテリという言葉が似合う男性が、名刺を差し出した。


 名刺には、桐壷きりつぼ請負事務所という文字と、早蕨さわらび長義ちょうぎという文字が書かれており、ここで見覚えがある軽薄な男性と、二日前に会ったことを思い出す。


「昨晩、夕顔ゆうがお千紗ちささんが亡くなられました」


「そうなんですね。では、警察に依頼されてうちを訊ねたのでしょうか?」


 桐壺請負事務所は警察ともコネクションを持っている。別におかしな話ではない。寧ろ良くあることだ。


「理解が早くて助かるよ。それでキミに事情聴取という訳さ。キミだけでなく、キミの保護者ある賢木さかきという男性にもお話を訊きたい。悪いが家の中に通して貰えないだろうか?」


「ええっと、貴方は──」


 名前、なんだったっけ?


「私は空蝉うつせみじゅんという者だ。二日前に会っているのだが、忘れてしまったのかな?」


「名前が出て来なかっただけです」


 嘘だ。

 ついさっきまで忘れていた。


「とりあえず中に入って下さい」


 私は二人のことを家内に案内する。


「あの、事情聴取の前に、学校に連絡しても良いですか? 確実に遅刻することになるでしょうから。無断遅刻になってしまうのと、問題になってしまいますので」


 学校への連絡は、たつみさんに頼めば、すぐに請け負ってくれたので、滞りなく進んだ。


 私には空蝉さん、巽さんは早蕨さんが充てがわれ(という表現をするのもどうかと思うけど、他に上手い言葉が浮かばない)、それぞれ別室で事情聴取されることになった。


 口裏を合わせられないように、という魂胆が見え透いている。隠す気がないんだろうな。かなり疑われているんだろう。第一容疑者扱いされていたりするのかな?


 お陰で顔を見ることも、お互いの声を聞くことも出来ない。


「千紗ちゃんが死んだみたいですけど、事件・事故どちらもあり得ると考えているのでしょうか? それとも事件一本に絞って捜査しているのでしょうか?」


「事件だよ」


 警察は殺されたと考えて捜査しているのか。


「どこで亡くなったんですか?」


「自宅だよ。昨日の夜、帰宅したことで両親が遺体を発見した」


 親が発見したんだ。

 普通はそうか。


「昨日の一七時から一九時の間、何をしていたのか話して貰えるかな?」


 昨日の一七字から一九時の間に死んだのか。


「家にいました。といっても、一七時すぐの頃は家に辿り着いたばかりなので、正確に言えば家の外にいた訳ですから、家にいたとは言えないかもしれませんが」


 いつどんな形で揚げ足を取られるのか分からないため、突っ込まれる余地は作らないようにしないと──普段の私ならば、粗を探されるのは困らないけど、殺人事件の犯人として粗を探されるのは困る。


「自宅にいたことを、今ここで証明することは出来ませんが、防犯カメラなどを調べて貰えば、そこは証明することが出来ると思います。我が家の防犯カメラだけでなく、ご近所さんが設置している防犯カメラの映像などを知らべて頂ければ、僕が家から出ていないと証明出来る可能性があります」


「そうかい。念のため、どうのように帰宅したのか説明して貰えるかい?」


「はい」


 紙とペンで地図を描きながら、口頭での説明を交えて、どのように帰ったのか話した。


「なるほどね。この紙は貰っても良いかな?」


「良いですよ」


 そのまま渡すのは良くないかと思い、私はジップロックに入れて紙を渡した。ジップロックに入った地図をすぐには受け取らず、何故か空蝉さんは数秒見詰めてから受け取った。


「……それで、キミが最後に夕顔千紗ちゃんに会ったのはいつ?」


「殺された当日の、一六時頃でしょうか? 正確な時間は覚えていません」


 他にも色々訊ねて来た。


 事情聴取ってこんな感じなんだ。


 誘拐されたときも色々訊かれたけど、あのときは子供だから手加減されていたんだな。子供の証言だから使えると思われていなかっただけなのかもしれないけど。


 それから、当然訊くだろうなということから、そんなことまで訊くのかというレベルのことまで質問された。


 最後に会ったとき交わした会話。誰かと一緒に帰ったのか。帰ってから何をしていたのか。巽さんとどんな会話をしたのか。今朝起きてから何をしていたのか。夕顔千紗は、どういう関係だったのか。共通の知人はいるのか。共通の知人とはどのような関係なのか。


 とにかく、色々なことを訊かれた。


 最後に会ったときに交わした会話以外は、それなりに答えることが出来たが、最後に会ったときに交わした会話に関しては、軽く濁した。


 殺されるかもしれないという発言を、あれやこれやと深堀りされても困るからだ。


 ぶっちゃけちゃうと大した意味はない。


 なので、忠告をした程度に留めた。そういうことを繰り返すのは良くないとか、友人達は心配しているとか、そういう話をしたと主張したのである。


「こちらが把握している情報と大体同じだ」


 やはりある程度調べていたか。

 そりゃそうだよな。


「大体ってことは、少し違う点があったんですよね? どこが違いましたか?」


「何が違うとかではなくて──」


「新しい情報を得た?」


「…………まあ、そんな感じだよ」


「そうなるんですね。それって他の人が話した内容を間接的に漏らしているような思えるのですが、それって大丈夫なんですか?」


「……キミ、穹莉そらりちゃんに似ているって言われたことない?」


「良く言われます」


 一卵性品胎児であるため、見た目は本当にそっくり。上の妹を見ても、この人は同じような感想を抱くんだろうな。


「そちらからの質問は以上ですか?」


「現時点で聞きたいことは聞けたけれども……」


「なら、こちらから質問をしても良いですか?」


「内容によっては答えられないけど、それでも良いなら」


「警察から頼まれている訳ですもんね。情報漏洩なんてことをしたら、大変ですもんね。そんなことをしたら、桐壷請負事務所が大変なことになってしまいますもんね」


 この人にプロ意識があるかどうかは分からないけど、事務所への帰属意識はあるみたいだし、そういうのがない人間よりは信用に値する。どうにそれは警戒すべき対象ということでもあるんだけど。


「他の人にも話を聞きましたか?」


「キミが最後だよ」


「早いですね」


「昨日の夜から聞き込みをしているからね」


「それでも充分早いと思います」


 もしかすると、人によってはかなり非常識な時間帯に来られたのではないだろうか? 殺人事件が起きているのだから、時間が経てば経つほど記憶は曖昧になるし、仕方がないんだろうけど。


「現時点では、の話になってしまいますが、僕はアリバイを証明することが出来ていません──ですが、他の人はどうなのでしょうか?」


 誰か一人ぐらい、アリバイがあるのではないだろうか。


篝火かがりびまりちゃんと匂兵部卿におうひょうぶきょう和弥かずやくんはアリバイあるよ」


 あの二人が。

 なるほどねえ。


「そうですか。ありがとうございます」


「他に訊きたいことはあるかい?」


「ないです。ありがとうございました」


 私は頭を下げてお礼を言った。


 事情聴取はこんな形で終わった。

 結構疲れたな……。

 また話を聞きに来るかもしれないとか言われたけれど、来て欲しくないな。こんなに疲れるのならば。


「本当に学校に行くのかい?」


「体調が悪い訳でもないのに、学校を休むのは良くないことですから。休んだら授業に遅れてしまうでしょう?」


「キミがそこまで言うなら、私はそれ以上何も言わないけど……せめて送り迎えはさせてくれ。あんなことがあった後だ。キミが殺されることがないとは言えない」


 何も言わないけど、と言う割には、微妙な表情を浮かべていた。何を言っても無駄だと思われたのかもしれない。


「送り迎えしてくれるんですか? ありがとうございます」


 学校に到着した後は、まず職員室に足を運び、担任に遅れたことを謝罪してから、以降の授業にはきちんと出席することを伝えた。


「すみません……今回の遅刻って、遅刻にカウントされますか?」


「いや、されないけど……」


「けど?」


「その……いいの?」


「何がですか?」


「いや、休まなくて良いのかと思って……」


 事情聴取を受けて疲れていることを、心配してくれているのだろうか? 別に気にしなくて良いのにな。


「大丈夫です。体力はあるというほどである訳ではありませんが、ないといほどでもありませんので」


「そう……」


 先生、疲れているけど、大丈夫かな? 自分の職場の生徒が殺されたんだから、こうなるのも無理ないよね。先生って大変だなあ。


 数学と国語の授業を休んでしまったので、数学の教師と国語の教師に、今日の授業の範囲と、今日授業を休んでしまったことは成績に影響するのかを訊いた。


 どちらも今日の授業の範囲を教えてくれたし、今日休んだことは成績に影響しないことを確約してくれた。


 教室に戻ると騒がしくなった教室が、一気に静かになる。


 千紗ちゃんが殺されたと大々的に宣っている人はいないんだろうけど、情報を完全にシャットダウンすることは出来ないだろうし、多少は伝わっているんだろうね。


 私が関係者であることも伝わっているんだろうなあ。下手なことを言えないってことなのかな? 私は何を言われても気にならないんだけど、他の人がどう思うかは別だしね。


 こういうとき、いつもと変わらない調子で話し掛けてくれるだろう末妹が恋しくなった。あの妹は絶対に言ったらいけないことも平気で言うだろうから、外聞を考えるといない方が良いんだろうけど。


 放課後──意外と言えば意外だが、正当と言えば正当とも言える相手が、私に会うためだけに賢木家のインターフォンを押した。


 その姿を見たときだいぶ驚いたが、まあそりゃ来るよなとも思ったので、玄関の扉を開ける。


「ご無沙汰しております、お姉様。お変わりなく何よりでございます。恐れ入りますが、お時間ありますか? 少しお話がありまして」


「ああ、うん、入って」


 お変わりなくって、別にそんなことはないんだけどなあとか思いながら、私は上の妹──深空みそらを自分の部屋に招く。


「入室してから申し上げるのもおかしな話でございますが……わたくしを部屋に挙げて良かったのでしょうか? 賢木さんにお伺いを立ててからの方が──」


「僕の妹と神父様は、巽さんの許可を取らずに、家に招いて良いってことになっているんだよ」


 事情聴取のときも、当然例外だ。


 流石に殺人事件の件で警察から依頼を受けた人間が来ていると聞いて──なんで勝手に家に挙げたというほど、巽さんは狭量な人間はないし、常識を失っていない。


「例外として扱われているのですね」


「そういうこと」


 ワンテンポ置いてから、深空は言う。


「早速ですが、お姉様……本題に入らせて頂きます」


「ああ、うん、どうぞ」


 何を言うのか想像出来ているけどね。


「お姉様の同級生が何者かの手によって殺されたみたいですが──お姉様が殺したのですか?」


 犯人か否かを問いたのだろうか、もう少し別の問い方は出来なかったのだろうか? 例えば「殺してませんよね?」とか、「犯人ではありませんよね?」とか。


 何故「お姉様が殺したのですか?」なのだ。


「質問を質問で返すね。どっちの方が可能性が高いと思う?」


「どちらも同程度可能性が存在していると考えております」


 五〇五〇フィフティ・フィフティか。

 嘘でも殺していない可能性の方が高いと言ってくれよ。


 本当は殺しているが六割、殺していないが四割な気もするから、まあ、だいぶオブラートに包んだ表現をしてくれているのかも。


「殺していないよ」


「本当ですか?」


「殺す理由がないよ。少なくとも僕が衝動的に人を殺すことはないというのは、お前も良く知っているだろう?」


 そもそも私は短気で人を殺すほど愚かじゃないし、理由があったとしても人を殺すほど追い詰められてもいない。


 私は完全犯罪出来るほど有能じゃないから、絶対に罪にならない状況でもない限り、人殺しなんてしないだろう。


 リスクとリータンが釣り合っていない。


「衝動的には人を殺さないと存じております。しかし理由と状況が揃えば、簡単に人を殺してしまうことも存じております」


「リスクに対してリターンが少ないのに人なんて殺さないよ」


「リターンが大きければ、簡単に殺してしまうのでしょう?」


「深空ちゃんはしないだろうし、穹莉ちゃんもそんなことしないだろうけど、リターンがリスクを上回れば、一定数は人を殺すんじゃない?」


わたくしは人を殺すぐらいなら死んだ方が良いと愚考しておりますので、その意見に賛同することは出来ません」


 憂い帯びた表情のまま首を横を振り、深空ちゃんは一言こう言った。


「家族に迷惑を掛けてしまいます」


「僕はともかく、穹莉ちゃんに迷惑を掛けるのは嫌だろうね」


「相手がお姉様であっても嫌です。お姉様も家族ですから」


「ふうん、別に気にしないけどねえ──深空ちゃんの怪我の原因である相手を殺す分には」


 深空ちゃんは何も言わない。無言で服の上から腕を押さえて、視線を逸らすだけだ。言い訳することも出来ず、かといって、イエスと認めることも出来ず、結果黙っているんだろう。


「見なくても分かるよ。年々酷くなっているってことも」


 上の妹の怪我の原因が、どうしてこんなことをしているのかなんて知らないけど、ある程度察せられる部分はある。多分年齢を重ねれば重ねるほど危ない。


「殺しちゃえばいいのに」


「お断りします」


「深空ちゃんの場合、リターンの方が大きいよ? そこまで重い罪にならないと思うんだよね。未成年だし、大抵の人は同情してくれるだろうし」


 殺そうと思えば殺せると思うんだよね。アイツ深空ちゃんに対しては隙だらけだし。


「殺人教唆の罪でお姉様を道連れにしても良いのならば殺しますよ」


「それは困るなぁ。やっぱ殺さないで」


「二度と人を殺せなどと仰らないで下さい」


「うん、言わないよ」


 多分。


「…………」


 深空ちゃんはまた少し黙ると──


「本当に殺していないのですよね?」


 ──と、確認するように問われる。


「流石に信じてくれよ」


 お前は私をなんだと思っているんだ。


「お姉様は、殺しても本気で忘れている可能性があります故、複数回確認しなければ安堵出来ません」


 それもう病気だよ。

 そうなったら人として終わっているよ。

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