第三幕【カリカチュア】③

 私が知っていることを全て伝えると(いっくんのことは伏せている)、思いの外気に入らなかったらしく、もっと面白い情報はないのかと文句を付けられた。


 暫くしたら何か情報が入るかもしれませんと言うと、暫くしたらまた呼び出すと言われ、解放される。


「人を殺すって、どういう感覚なんでしょう?」


 私の突然の発言に、「なんだコイツ」といった反応こそ返さなかったけど、「えっ? 急にどうしたの?」という声が聞こえてきそう反応は返って来た。


 口に出さないでくれるだけありがたい。

 多分、斬緒きりおさんは、気遣いが出来る人だ。

 私なんかと違って。


「突然変なことを言ってすみません」


「ああ、うん、いいよ。それは」


「念のため言っておくと、言い出したのは突然ですけど、少し前から考えていたことですので、突発的に思い付いて発言した訳ではありません」


「逆に反応に困るな、その発言」


「実は最近、身近で事件が起きまして。どうして人のことを殺せるんだろうなあと思い、このような発言をしました」


「ああ、そういう……」


 身近で事件が起きた──多分斬緒さんは、近所で事件が起きたとか、そういう意味で取ったのだろう。私もそう誤解されるように、わざとあんな言い回しをした。まさか、事件に巻き込まれている当事者とは思うまい。


 今更ながら、どうして私と斬緒さんが一緒にいるのかと言えば、相席になったとき、思いの外話が盛り上がりその結果、なんやかんでもう一度お茶をする約束をしてしまったから、である。


 話を盛り上がったのは、私が好いている作家、ゼーレ・アップヘンゲンの本を、斬緒さんが好きだったらしく、この作者の本を他にも読んでみたいが、色々あり過ぎてどれから手を出すか迷っているという話をしたからだ。


 ゼーレ・アップヘンゲン氏は、かなり独特な作風の持ち主で、かなり癖が強い。どの小説も基本的にかなり人を選ぶ。万人受けはしない。代わりに、一部からはカルト的な人気がある。


 数ある小説の中から、比較的癖が強くなく、人にオススメ出来る物をいくつか紹介したところ、先程述べた通り、話が盛り上がることに繋がったのだ。


 話を戻そう。


「それで、少し、気になって、ついあのようなことを口にしてしまったんです」


「そうなんだ……」


「一般的に、誰かを殺すのって、余程相手に恨みがあるとか、本人とって殺人を上回るメリットがあるのとか、そういうのですよね?」


「まあ、そういう風に言うことも出来るだろうけど、人を殺すことは良くないという考えを持っている一般的な人からしたら、どんな理由であれ、人を殺した人間は道を踏み外した人達で、狂った理由で人を殺している人間と変わらないよ。同情するかドン引きするのか違いはあるだろうけど、人殺しという点では同じだし、人殺人という行為に走るほど、精神が歪んだ人間と一緒にいるというのは、人並みに精神が安定している人間と一緒にいるよりリスクが大きいからね。生半可な覚悟では一緒にいることが出来ないと思う。個人単位で見れば話は違うんだろうけど、集団という単位で見たら、そういう人間には、いて欲しくないと思うよ」


 人を殺した時点で、どんな理由があれど、人を殺した時点で道を踏み外している。その通りだ。人を殺していなくても、道を踏み外している人間はいるけど、犯罪歴さえなければ、案外擬態することは出来る。普通の人間になることは出来ないけど、その中に混じって生きていけるだろう。


 何か近隣で事件が起きる度に、上の妹は、「お姉様が犯人ではありませんように」と、寝不足になるほど祈られるほど社会不適合者である私も、この歳まで生きていけたのがその証明みたいなものだ。


 いつ道を踏み外して、いつ「いつかやると思っていました」と、二人の妹から言われるのか分からない、そんな危機感は常にあるけど。


「世の中には快楽殺人者もいるけれど、そういう奴と一緒にされる可能性だってあるんだ。人を殺す以上、そういう扱いを受ける覚悟は必要だと思う。事情を知らない人間からすれば、皆同じ人殺しなんだから」


「親しい人間なら事情を知ろうと思うかもしれませんが、親しくない相手なら事情を知ろうと思わないかもしれませんね」


「敷かれたレールの上を歩けるっていうのは幸せなことだよ。自ら新しいレールを敷くのは、敷かれたレールの上を歩くより苦しいことだし、そのレールがきちんとしたレールになるとか限らない。レールから外れるのは簡単だけど、外れたレールから戻るのは簡単じゃないよ。電車に例えてみれば分かるよ」


「電車?」


「業者が敷いたレールの上を走るのは比較的簡単だけど、電車が走れるように自分でレールを敷くのは難しいでしょ? 電車がレールから外れるのは、元に戻るよりは簡単でしょ? そういうことだよ」


 微妙に例えとして適切なのかと思うところはあるけれど、言いたいことは分かるし、伝えたいことは分からなくもない。


 このタイミングで、「実は──」と、千紗ちさちゃんが殺された件について話した。私が関係者であることも、犯人として疑われているかもしれないことも。


 いっくんのことは話さなかった。


「今言っても遅いけど、事件の話って、軽々と色々話しても良いのかい?」


「知られたらいけないことは教えられていないでしょうから、恐らく大丈夫なのではないでしょうか? 口外するなとも言われてませんし」


 本当にそれで良いのかと言いたげな顔をされた。口には出されなかったが。


「お前が犯人じゃないなら、多分その内疑いは晴れるだろうけど……疑いが晴れるまでは面倒臭そうだな。犯人だって扱われたというより、犯人かもしれない程度に思われる感じだけど」


「それで疑いが晴れるなら良いんですけど、何かがあったら、たった一回でも疲れる事情聴取をまた受けるかもしれないと思うと、少し気が重いんですよね」


「それは仕方ないんじゃないか? 向こうも仕事なんだし」


「その通りですけど、僕の保護者であるあの人にまで迷惑が掛かっているのかと思うと、気が引けるものがあるんですよ」


天音あまねは犯人じゃないんでしょ? 犯人が悪いぐらいの気持ちでいたら良いんじゃない?」


「確かに、それはそうなんですけど……千紗ちゃんと関わりを持たなければ、こうはならなかったのかなって。断らなかったことを、若干後悔しています」


 調査費用の件も割りと無駄になってしまった感じは否めない。別にそれで文句を言うということはしないけど、勿体ないとは感じてしまう。私は狭量な人間なのかもしれない。


 懐が広い人間ではないだろう。


「それはもう言っても仕方がないことだよ。言ったところでもうどうにもならないことを後悔するのは、誰しも経験することだし、人間である以上は避けては通れないけどさ」


「そうですね」


 後悔していると言っても、まあそれはそれで仕方がないと割り切っている己もいるので、実のところこんな言葉を掛けて貰えるほど参っている訳ではない。


「死んだら人ってどうなるんでしょうね?」


「死んだらそこで終わりだよ。死んだ人に続く人間はいるだろうけど、死んだ時点でその人は終わり。その人は続かない。変わりに続けようとする人間が現れたとしても、本人が続けることは出来ない」


 死んだら終わり──当たり前の言葉だが、斬緒さんには重みがあった。


 実体験から来るのか、そういうことを理解出来る何かがあるのか、どういう事情にせよ、実感出来る何かがあったのだろう。


 言葉の重み。


 私には存在しないものだ。


 私が言ったところで、誰にも響かない。


 結局どうなろうと同じであると主張したところで、誰にも影響しないだろう。


 言葉に重みがないという点は下の妹と似ているかもしれないけど、アイツだって、特定の事柄に関しては、重みを感じさせる言葉を発することはある。


「なんか哲学みたいな話しちゃったね。面白くなかったでしょ?」


「いえ──」


 私は本音で答えた。


「中々面白い内容でした。そういう意見もあるんだなと思えました」


「そう?」


 斬緒さんは本当かと言いたげな様子で、頼んだドリンクを飲む。


「身近でそういう事件が起きるってのは、穏やかな話じゃないよね。やっぱり身近でこういうことが起きると──自分の身にも降り掛かるかもしれないもんね」


「まあ、そうですね……僕が通っている学校の同級生の女の子が亡くなった訳ですから、犯人が千紗ちゃん本人だけをターゲットにしている場合ならまだしも、女子中学生とか、私立白帝はくてい大学付属中学校の生徒がターゲットなら、僕も殺される可能性はありますからね」


「その女の子がターゲットという訳ではなくて──例えば、強盗とかが、目撃者を消しただけかもしれないけどね……。どちらにせよ気分の良い話じゃないけど」


 強盗。

 可能性はゼロではないけれど、桐壺きりつぼ請負事務所の人──名前は忘れたけど、軽薄そうな人──の口振りから鑑みるに、可能性は低い気がする。


 低いというだけで、あり得ない訳じゃないから、その線について頭に入れておくべきかな? 賢木さかき家はそれなりにセキュリティがしっかりしているから、簡単に強盗が入ることはないだろうけど、賢木家に強盗が入るかもしれないから、一応警戒しておくべきだな。


「千紗ちゃんの家がどこにあるのか分かりませんけど、千紗ちゃんの家が我が家と近かったら、ちょっと怖いですよね」


「怖い、ね……その程度じゃ済まない気がするけどね……」


 死の間際、千紗ちゃんは何を考えたのだろうか?


 考える間もなく死んだかもしれないけど、考える時間があったら何を考えたのだろう?


 長生きするぐらいなら、とっとと死にたいから──私は自分が死ぬとなっても、その事実をあまり気にしないけど、他の人はそうじゃないだろうし。


 いや、案外、死ぬとなったら死にたくないとか思うのだろうか? 思ったところで、思わなかったときと何か変化するのかと言えば──そんなことはないのだろうけど。


「あっ‼」


 手首に付けている時計を見た斬緒さんは、突然大きな声を発した。


「何かあったんですか?」


「いや、実は……この後予定があって、今それを思い出した……」


「あー」


 なるほど。用事を忘れていることを気付いたらから、こうなっているのか。


「重要な用事だったのでしょうか?」


「あー、いや、重要じゃないと言ったら嘘ではあるんだけど、凄く重要ってほどでもないというか──学業とかじゃなくて、ただの私用だから」


 頬を掻きながら、どっち付かずな様子を見せながら、「どーしよッ」と、呟いている。


「既に遅れているしな……」


 独り言を呟いた後、思い出したように、視線を私に戻す。


「えっと……ごめんね。私が用事を忘れていたせいで、こんなことになっちゃって。お金はここに置くから、それで私の分の支払いお願い。自分の分もそれで支払っちゃっていいからさ……本当にごめんね」


 膝まである長い髪を激しく揺れる勢いで、店を去る支度をする斬緒さんに、「僕もそろそろ御暇しようと思っていましたので」と声を掛け、テーブルにある自分の分の食事を平らげていると──


「斬緒」


 吊り目の男の子が、斬緒さんの名前を呼ぶ。背丈が斬緒さんより低いので、なんとなく私とそこまで年齢が変わらないのではないかと思った。けど、顔から窺える年齢は斬緒さんと同じぐらいだし、良く見ると高校の制服を着ている。つまり、最低でも、僕より二つは上。


 美醜は分かれど顔立ちの違いを判断するのが苦手だから、どっち系の国の人なのか判断出来ないけど、紅鏡こうきょう人ではないことは確かだ。


 蘇比そひ色の髪をしているその人は、不服そうな表情を浮かべている。


「約束すっぽかしてその女と駄弁っている時間は楽しかったか?」


 浮気された人みたいな台詞だ。


 ……この人、斬緒さんのこと好きなのかな?


「あの、これは、その……すみません約束していたことを忘れていました」


 浮気を咎められた人みたいな表情を浮かべながら、斬緒さんは謝罪した。


「こっちは心配したんだぞ」


「大変申し訳ございません」


 よくよく考えたら斬緒さんが約束を忘れたのは私のせいなのではないだろうか? もしかしたら違うかもしれないけど──近所で殺人事件が起きたというインパクトのある話をしたせいで、斬緒さんは約束のことが頭から抜け落ちたのではないだろうか。


「あの……」


 斬緒さんに対し、不服そうな表情を浮かべている彼に、声を掛ける。


「実は私、斬緒さんに色々相談に乗って貰っていたんです。そのせいで斬緒さんのことを予定より長く引き止めてしまって。斬緒さんは私に気を遣って約束のことを言い出せなかったのだと思います。なので、斬緒さんが遅れてしまったのは、僕が原因なのです。だからあまり責めないで頂けないでしょうか?」


 完全に嘘ではない。

 約束を忘れた原因が私なのかは分からない。

 けれど、相談に乗って貰っていたのは本当だ。

 斬緒さんは相談と思っていたかは分からないけど。


「そうなのか?」


 素っ頓狂な表情で斬緒さんを見詰める。


「相談ってほど大仰なものじゃないけど、話は聞いてあげていたかも? ちょっと彼女、色々あったらしくて……」


「そうか。それなら仕方ないとは言わねえけど、悪気があった訳じゃねえし、普段から遅刻する訳じゃねえし、今回は許す」


「本当ごめん、次から気を付けるよ」


「頼むぞ」


「うん」


 お互い会計を済ませ、別れた後、漸く私は──関屋せきやくんの家に足を運んだ。

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