無感動少女は無傷──匂宮天音 14歳 5月
第一幕【キュリオシティ】①
特に困ったりはしていない。
強いて言うなら、グループワークなどがあるとき、いつも一人になる──ぐらいだろうか。二人組のときも、三人組のときも、四人組のときも、いつも私は一人になる。あくまでも、自発的にグループを作る必要があるときに限っての話だ。
昼ご飯を食べるときも当然一人である。
今日もう一人であった筈なのだが──
「やっほほぉーい」
私の前の席の椅子を勝手に借りて、私の正面に座る人物が現れた。しかも、私の弁当を勝手にこっちに押しやり、私の机に弁当を置いた。
弁当箱の大きさは私の二倍。
私はクラスメイト全員の顔と名前が一致している訳ではないし、顔も名前も覚えていないクラスメイトがいるけど、彼がこのクラスの者ではないことは分かる。
何故私の前に座ったのだろう? 人違いしているのか? いや、ないな。
紅鏡人とローゼリア人のハーフとシェーンハイトの間から生まれた私は、非常に紅鏡人離れした外見をしている。
だからなのか、この学校に私と同じ髪色をした人間はいない。同じ緑系の髪の人間はいるけど、少なくとも、髪が隠れていない状態で人違いされる可能性はゼロに等しい。
では、他に、一体どのような可能性が考えられるのか?
あるとすれば、何かの罰ゲームとかだろうか。
それとも私に用事があるのか? 私が忘れているだけで、面識があったりするのか? こんなに背丈が高い知り合いが身近にいたら、覚えていると思うのだが……。
二本の三つ編みに纏められた長く伸ばされた
彼の容姿と己の記憶を精査してみたが、該当する人物が浮上しない。
つまり私は、こんな人のことは知らないという訳だ。
「無反応は傷付いちゃうなぁ」
ジッとこっちを見下ろしながら、彼は言う。
勝手に人の机の半分を占領した人間の台詞ではない。何を言えばいいのか分からないけど、ずっと黙っていても何も始まらない。
「どちら様ですか?」
その問い掛けに目を瞠らせ、如何にも驚いていますと言いたげな表情を浮かべた。
「もしかして、どこかでお会いしましたか?」
黙っている彼に質問を投げると、少し考える込むような素振りを見せた後、何でもなさそうな笑みを浮かべ、こう言った。
「俺って結構有名人なんだけど、俺のこと知らないんだねえ」
「有名人? 芸能人とかなんですか?」
テレビとか、ニュースを含めて全然見ないからな。元々人の顔と名前を覚えるのが得意じゃないし、大御所ぐらいしか知らない。
「いや、そういう意味じゃなくて……学校内では有名って意味」
「なんで有名なんですか?」
成績が優秀なのだろうか。そういうのに興味ないからな、私は……。ウチの学校は成績上位者の順位だけ貼り出されるから、学年一でなくとも、毎度名前が載っているような人なら有名になるだろう。
「勉強も出来て、運動も出来て、顔が良いからだよ」
「勉強も運動も出来るんですか、凄いですね」
「俺が有名人あることを抜きにしても、普通に会話したことあるし、忘れられているとは思わなかったよ……」
「いつの話ですか?」
「一週間も経ってないんだけど……あっちゃんって、記憶力良くないんだね」
そんなに最近の話なのか。
ここ一ヶ月身内と教師以外と会話した記憶がないのだが。
「ええっと、うん、じゃあ、改めて」
「はい」
「
関屋智という名前も、全くと言って良いほど、聞き覚えがなかった。
本当にどういう関係性の相手なのだろうか。
「この間のスポーツ大会、実行委員だったんだけど……聞いても思い出せない? 一緒に準備とかもしたんだけどさ」
それ以外に接点もあるみたいで、そのことについても色々教えてくれた。
彼とは同学年らしく、クラスは隣、体育の授業でペアを組んだこともあるらしい。
「忘れられるのは今回は初めてじゃないし、いいけどさ。何度も会っている相手を忘れるのは失礼だから、せめて顔だけは覚えるようにしたら?」
「善処はします」
「政治家みたいな返答だな」
政治家? 何故?
「てかさ、学年同じなんだし、敬語使わなくても良いよ。前に話したときはタメ口で話してたのに、なんて今回は敬語なの?」
前に話したときは、タメ口だったのか。
ここまで聞かされても、何も思い出せない。本当に話したことがあるのかな? この人と。
「……前に話したときの状況を全く覚えていないから、憶測になっちゃうんだけど、そのときは最初から同級生だって分かっていたんだろうね。だから、タメ口で話したんだと思う。今回は、ついさっきまでは、上級生かもしれないと思っていたから、敬語で話してた」
上級生相手にタメ口で話すのは失礼だし、とりあえず敬語で話しておけば、不快ということはないだろうから、無難に敬語で話すことを選んだ。
それなりに顔を合わせていたらしい相手のことを忘れている時点で、敬語で話していようがいまいが、失礼であることには変わりないけど。
「ネクタイの色を見れば、学年分かるよね? 男子は学年ごとにネクタイの色違うじゃん」
「そうだったっけ?」
「そのことも忘れていたんだ」
「みたいだね」
「女子は学年ごとにスカーフの色が違うってことも忘れていそうだね」
「今思い出したよ」
自分の制服のスカーフの色と、彼のネクタイの色は同じだった。学年ごとに色が違うことを覚えていれば、同級生であることは一発で分かった筈だ。
前回会ったときは、そのことを覚えていたのかもしれない。
「あっちゃんって、覚えていなくても生きていけるけど、普通は忘れないようなことは平気で忘れるタイプじゃない?」
「そうかもしれない」
下の妹から、「
やはり私の記憶力は、お世辞にも良いと言えないだろう。
この人について、何か思い出そうとしても、何も思い出せないだろうから、思い出すのは諦めよう。
「それで、僕とキミに接点があることは分かったけど、どういう用件があって僕のところに来たのかは分かっていない。そろそろ用件を教えて貰えないかな?」
ダラダラ無駄に時間を消費するのは、お互いにとって良くないと思い、私の方から本題を切り出した。
「忘れるところだった。あっぶね」
と、言うと、咳払いし、ワンテンポ置いてから、こう問うて来た。
「今日の放課後時間ある?」
「予定はないけど、何かあるの?」
「ちょっと話があって」
「ここじゃ駄目なの?」
まだ昼休みの時間があるのに。
まさか少しと言っておいて、滅茶苦茶話が長くなる──とかではないのだろうか?
「ちょっとセンシティブな内容だから」
他の人に聞かれたくないということか。しっかしセンシティブな内容か……。センシティブと言っても、色々なものがあるからな。
「まあ、いいけど……」
ちょっと怖いなと思いつつ、重要な内容かもしれないので、一応頷いた。
それから放課後──僕が予想していたのとは違う方向で、センシティブな話がやって来た。
「
「いや」
全く覚えがない。
そのような名前を聞いた記憶がない。
名前からして女性かな?
なんとなく女性な気がする。
「俺と同じで、スポーツ大会の実行委員会だった奴なんだけど、俺より話してたのに、覚えてないんだ」
へえ、そうなんだ。全然覚えてない。関屋くんよりは話していたって言うけど、同性だから異性である関屋くんより距離が近かっただけで、関屋くんより親しかったのかと言えば、そうでもないような気がする。
「千紗がさ──付き合った相手とか、好きになった相手とかを、悉く破滅させる人間だって思い込んでいるんだよ」
「誰に対して?」
「自分自身に対してそう思っている」
自分のことを、『付き合った相手と好きになった相手を破滅させる人間』と、思い込んでいるってこと? 人間関係失敗した中二病の拗らせて思い込みみたいだな……。右手が疼く的なアレより痛々しいものがある。
「なんていうのかな? 厨二病みたいな感じじゃなくて……結構深刻な奴でさ、思い込んでいるのにもそれなりの理由があって、皆そんなことないよと言っても駄目って状況なんだよ」
「トラウマ拗らせた感じ?」
「そんな感じ。PTSDっていうのかな? とにかく酷いんだよ」
「そう思うようになったということは、それなりに理由があるんだよね? 破滅ってことはさ、好きな相手が相当酷いことになった経験が、少なくとも三回ぐらいは経験していると思っても良いかな? 悉くと表現しているんだから」
「七人破滅させたって、本人が言ってた」
七人か。
結構多いな。
確かにセンシティブだ。
「どう破滅したのかは、俺は聞いてないけど、聞いた奴曰く、そういう風に思い込むのも分かるって言っていたし、かなり酷いことになったんだろうな」
かなり酷いこと、か。
死んだりしたのかな?
「それでさ──頼みたいことっていうのは」
忘れ掛けていたけど、そういう話をしていたんだった。
この話の流れだ。
頼みたいこととやらの内容は、ある程度予想出来る。
「──千紗の思い込みをどうにかする手伝いをして欲しいんだよ」
「手伝いって何をすれば良いの? そもそも、僕如きに出来ることはないと思うんだよ」
「千紗と親しくないからこそ、お願いしたいんだよ。千紗の奴──俺達がそんなことないって言っても、友達だから気を遣ってそう言っていると思っているらしくて、親しくない相手ならそういう思考にならないだろ? だから、そんなことないよとか、そういうありきたりなことを言って欲しいんだ」
私がそんなことないよと否定したところで、親しくない相手だから気を遣っていると捉えられるのではないだろうか。
そういう風に否定するだけなら簡単だろうし。
というか、そういう風に思い込んでいる人間を正すことは、容易なことではないだろうし、そう思い込みたいなら思い込ませておけばいいんじゃないかと、外野の私は思ってしまう。
放置出来ないレベルで深刻なのかもしれないけど、そのレベルに到達しているなら、それは、学生である私達がどうにか出来る案件ではない。
病院に行くように勧めて、カウンセリングを受けさせるべきだろう。
カウンセリングに行った方が良いと言うのは容易なことではないし、実際に行くのは夕顔千紗本人なのだから、彼らに出来ることはそれぐらいしかまいのかもしれないが──私が否定した程度でどうにかなるとは思っていないだろうが、やれることはやっておきたいのかもしれない。
私には友達と呼べる相手がいないから、友達に何かをしてあげたいという気持ちは理解出来ないし、あくまでも想像することしか出来ないし、それが友情なのか自己満足なのか分からない。
大して彼とも千紗ちゃんとも親しくない私に頼むのだから、相当切羽詰まっているのだろう。切羽詰まったが故の行動で──断られることなんて承知の上で頼んでいる。
断ること自体は容易だ。もっと適役がいるだろうから他を当たってくれと言いたい。しかし、断ったらどうなるのだろうという気持ちもある。
このどうなるだろうは、私がどうなるのだろうではなく、眼前にいるこの人や、千紗ちゃんとかが、どうなるのだろうかという意味だ。
私は自分が駄目な奴という自覚はある。
こういうことに向いていない奴であることも。
それなのに、大したことは出来ないし、あくまでも否定の言葉を述べるだけだよと言って請け負ったのは、なんとくでしかなく、本当にそれ以上の理由はない。
野次馬根性もないとは言えない。
そこまで拗らせてしまうほどの出来事って一体なんなんだろうという、個人的な興味も多少なりとも存在していた。
上の妹なら純粋な心配から相手のために協力しただろうけど、私はそこまで善なる存在にはなれない。
下の妹なら「そこまで自分の存在を過信することが出来るなんて、どれだけ自分のことを凄い存在と思い込んでいるんでしょう」と、悪意も敵意も害意もなく突き放すのだろうけれど、私はそこまで辛辣になることも出来ない。
だから引き受けてしまった。
引き受けた後、面倒そうだしやっぱりなしと言おうかなとか考えたけど、流石にそれはどうかと思うので、訂正の言葉を述べることはなかった。
まさか、この出来事が、あんなことになるとは──このときは夢にも思わなかった。
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