第二幕【奴僕奮励】③
服が燃え、皮膚が燃え、髪が燃え、一目で重傷と分かるほど酷い状態になった体を引き摺るように足を動かす。
ナルツィッセの炎を喰らい、逃げている間に、シェーレとリアンとはぐれ──一人で逃げるしかなくなった
実際にはゲホゲホ咳をして、息切れしながら言ったので、傍聴人がいれば、何を言っているのか分からないという感想を述べただろう。
一時的に逃れられたとはいえ、また見付かっては意味がない。
今、ナルツィッセと遭遇したら、確実に己は死ぬ。
(…………ヴァルテンに会う前に、アイツと会えれば──)
状況を立て直せるかもしれない。
シェーレとリアンと合流するより先に、彼女と会うことが出来れば、状況を立て直せるかもしれない。
ナルツィッセ・ヴァルテンと違い、こちらに引き込むことが出来る可能性がある。
(恐らくだけど、アイツは──私を殺そうとは思っていないだろうし……だろうじゃねえ、絶対に考えてねえ)
そのためにはリアンやシェーレよりも先に、彼女に会わなければならない。彼女がリアンとシェーレと出会ったら、ただでさえややこしい状況なのに、更にややこしく状況になってしまう。
(即死さえしなければ、アイツが死ぬことはないけど、リアンならともかく、シェーレと会ったらどうなるのか分からないし……)
痛みが酷いせいで、動かすのがしんどい足を、無理矢理動かす。
顔も、手も、足も、胴体も、火傷だらけで酷い状態だが、このままでは一方的に負けるだけなので、絶対に接触しなければ──と、気力だけで足を動かしていた。
(痛覚が損傷していないだけマシだ……そう思おう)
火傷もそうだが、あちこち出血しているため、彼女と出会うことが出来なければ、このまま野垂れ死ぬかもしれない。
目的を達成するまでは死にたくはないが、死ぬにしてももう少し良い死に方をしたい。そしてフェドートに迷惑にならない死に方をしたい。
(熱傷面積が二〇パーセント超えたら重症化するから、とっとと医者の処置を受けないといけないって、前に何かの本で読んだな……)
あちこち熱く、頭がボーッとして、どうでも良いことばかり頭に浮かんでしまう。
「ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ──ガハッ‼」
べっとりとしたものが付着した感覚がし、口元を押さえていた掌を確認する。
「うわぁ……」
血液がべっとり付着した掌を確認した瞬間、後数歩で違えば死ぬかもしれないと感じ、背筋が寒くなった。
ここまで死が背後に迫っていると感じたのは、久し振りかもしれない。
瀕死──その言葉が脳裏に横切る。
「まだ死にたくないあ」
そう思いながら、血が付着した手を拭う。燃え残った服で。
動かせる限り、足を動かし、彼女に会おうとしたが、一〇分もしないで、地面に倒れてしまう。
(……駄目だ。動けない)
指先ぐらいは動かせるが、這ってまで移動するほどの体力がない。
このまま死ぬかと思ったそのとき──視界の端に、目的の人物が移った。
二年しか経過していないため、見た目は殆ど大きく変わっていない。
腰まであるガンメタル色の艷やかな髪。黒い睫毛に縁取られたスカイグレーの瞳。垂れた目尻。気弱な雰囲気。白い月下美人の髪飾り。
『おかあさんのとなりにうつっているおんなのひと、だれ?』
『私の幼馴染。私は結構気に入っているんだよ、この子のこと。今はあんまり連絡取っていないけどね。可愛いでしょ?』
『おさななじみ? なにそれ?』
『ちっちゃいときから仲良しってことよ』
『おかあさんになかよしなあいてとかいるの? おかあさんがそうおもってただけじゃなくて?』
『結構言うよね。誰に似たのかしら?』
『おかあさんかおとうさん?』
『あー、お父さんかもね。そういうところは、お父さんに似たのかも。あの人、結構言うこと言うから』
『おとうさん、そんなひとなんだ』
『うん。そうだよ』
今は色々狂っているせいでそうは思えないが、性根が普通であることから、因幡は非常に彼女のことが気に入ったらしく、ナルツィッセと違い、時折話題に出していた。
「あ、あのぉ……だ、大丈──夫、じゃないですよね……すみません変なことしてしまって。あ、あの、その、それで、あの、あの、あの」
見なくても困惑していると分かるほど慌てふためく彼女の声を聞くと、妙に頭が冷静になり、ボーッとしていた脳内が、クリアになる。
目的の人物に会えた喜びとか、助かるという嬉しさとか、そういうのもよりも先に、「コイツどうにかしないとな」といった気持ちになったのである。
「……………………落ち着いてくれない?」
怪我をしている己の方が遥かに冷静という状態に、心の中で奇妙なものを感じながら、一言声を掛ければ、「す、すみませぇん」という情けない声が聞こえて来た。
「あの、その……ヴァルテンさん、ですよね? ヴァルテンさんのせいで、こうなっちゃったんですね?」
「……うん、そうだね。とりあえず、どうにかしてくれない?」
正直喋るのもしんどい。
喋らないと意思が伝わらないので、仕方なく喋っているだけで。
「はいぃ……すみません……今治しますからぁ」
そう言った瞬間、出血が止まり、燃えた髪が元通りになり、あちこちに出来た火傷が綺麗に消え──簡単に説明すると、怪我をするより前と同じ状態になったのである。
七割燃えた服や靴は変化がないが、服は着替えれば問題ない。
身体からジクジクとした痛みは消え、体の動かし難いという感覚はなくなった──これなら戦える。
(本当スッゲェ異能力だよな)
一五歳のとき、止血のために腹を火で焼き、その結果火傷の痕が出来てしまったのだが、それも綺麗に消えており、怪我一つない綺麗な体を眺める。
ネルケの異能力、
時間が経過しなければ、亡くなった人間でさえ生き返らせることが出来る無法の異能力で──どのような怪我をしてもすぐに治るため、彼女を殺すには、遠距離から脳天を撃ち抜いたりする必要がある。それも、かなり工夫する必要があるが。
コンマ一秒でも死を予感させることなく殺さなければ、本能的に異能力が発動し、負傷した部分が綺麗に治ってしまうらしい。
そんなことが出来るのは──斬緒が知っている人物に限定すれば、
本人が自覚する間もなく、死なせる以外の方法で、彼女を死なせることはほぼ不可能に等しい。
一応、寿命で死ぬまで待つという選択肢はあるが、病気にもならないため、余程のことがなければ、長生きすると思われるので、現実的ではないだろう。
(コイツを殺せるのはかなり限られた、一部の特別な人間だけなんだよなぁ……)
能力を悪用すれば、浮舟因幡でも殺すだけなら出来るだろうが、彼女の性格上、ネルケを殺すということはしない──というか、出来ないので、不可能と考えた方が良い。
「あはっ。ちゃんと治って良かったですぅ。えへ、えへ、えへへへ。あ、あれ? でも、なんで、どうして、左目を閉じているんですか? 治らなかったんですか?」
「別に……怪我している訳じゃないから。病気でもないよ。普通に開けることも出来るし。異能力関係で、眼球が……ちょっとあれなことになっていて。後は察して」
「異能力、ですか……モノにもよりますが、異能力関係だと、私の異能力では対処出来ないこともありますからね……」
「いや、そんなこともないよりもさ……ヴァルテンに協力したでしょ」
彼が建物が倒壊することを恐れていたのは──彼女の異能力の恩恵を受けるためには、彼女の近くにいる必要があるからだ。
瓦礫の下敷きになり、彼女が彼に近付くことが出来なければ──死んでしまう。
だから火力を抑えていた。
火力を抑えていたのは、別行動しているネルケがいつ戻って来るのか分からないという問題があったからでもある。
瓦礫の下敷きになると分かったときは本気で焦っていたが、死亡確認のために、瓦礫の下敷きにした本人が瓦礫を退かしてくれたため、運良く生き返ることが出来た訳だが。
生き返った後、大胆に高火力広範囲の炎を放てたのは、別行動していたネルケと合流することが出来たからだ。
異能力を使用して失った血液を、彼女の異能力で補填することで、事実上何度でも戦える。
斬緒の予想は当たっていた。
(チェルヴェッロはネルケには甘いところがあったし──ネルケが頼めば、金さえ払えば、ヴァルテンに協力するだろうね)
ナルツィッセ・ヴァルテン、ネルケ・トレットマン、チェルヴェッロ──お互いがしっかり協力し合えば、最強のチームになっただろう。お互いがしっかり協力すれば──シェーレがいようと、リアンがいようと、斬緒に勝ち目などなかった。
だが、チェルヴェッロは運良く死んでおり、そしてネルケは──完全にナルツィッセの味方という訳ではない。
こちらの努力次第で、戦況を有利にすることが出来る。
「うぅぅ……すみません。けどぉ、どうしても貴方に会いたくて。私一人の力じゃ、貴方がどうしているのか突き止められる気がしなくてぇ……それで、他に良い方法がなかったからぁ、それで、それで、その……あの人に協力して、貴方の居場所を知ろうと思って……あの人が、貴方を殺そうとしたことには同意しないですぅ。信じて下さぁい」
「別に疑っていないよ」
寧ろ、予想通りの理由過ぎて、拍子抜けしてしまったぐらいだ。
「あのぉ……怒っていませんかぁ?」
「怒ってはいない」
「本当にぃ?」
「うん」
複雑な気持ちではあるが、怒っていないのは本当である。怒ったところでどうしようもないことを抜きにして考えても、微塵も怒りが浮上して来ない。
「あはっ。本当ですか? 嬉しいですぅ」
「…………私も会えて嬉しいよ」
「本当に、会いたかったです。会いたくて会いたくて……会えて嬉しいです本当にぃ」
斬緒にギュッと抱き着き、泣き縋るように訴えて来る。その姿は迷子になった子供みたいで、かなり哀れな様子であった。
「ぅう、ぅぐ、っ、ぅ……」
「泣かないでよ」
どうして良いのか、分からなくなる。
泣いている相手の慰め方など分からない。
「ぅうう、もうどこにも行かないで下さい──因幡さぁん」
まして、己のことを別の誰かと思い込まなければ、精神が崩壊してしまうぐらい追い詰められている人間の扱い方など──もっと分からない。
(こんなに弱っている人を、私は利用するのか)
しかも、相手は母親の幼馴染で、母親の同級生で、母親のお気に入り。
レヴェイユ雑技団を去る際、個人的に別れの挨拶をし、ふと思い出したように、何度も話題を出すぐらい、気に入っている相手。
詳しいことは知らないが、ある程度予想することは出来る。母親から聞いた情報を繋ぎ合わせると、どうやら悲惨な環境にいたらしく、彼女に気に入られたことで、彼女に救われ、かなり依存するようになったらしい。
こうして、未だに彼女の死を受け入れることが出来ず、彼女によく似た存在である斬緒を、彼女と思い込むほど、彼女に依存しているのだから、余程彼女に救われたと感じたのだろう。
そう思うと
目的を達成するためには──今はまだ死ぬ訳にはいかない。胸中の芽生えた罪悪感を毟り取り、なかった振りをする。
「ねえ──ネルケちゃん」
なかった振りをする直前に、「ごめんなさいお母さん。貴方の幼馴染を利用するために、私は貴方の真似をします。本当にごめんなさい」と、心の中で母親に謝罪した。
「眼鏡くんがさ、私のことを殺そうとしているみたいなんだけど、私はまだ死にたくはないんだよねえ。やることがあるからさ。ネルケちゃんが眼鏡くんの味方をするなら、それはそれでも良いんだけど──私のことが好きならさ、私の味方になってくれない?」
ネルケの脳内ではどうなっているのだろう。
斬緒のことを嫌うあまり、名前を出来るだけ呼ばないようにしているとはいえ、ネルケの前で、一度も名前を口にする機会がなかったとは思えない。
斬緒を殺すと彼が言っているとき、脳内ではどう変換されたのだろうか。
「眼鏡くん、ちょっと、いや、かなり邪魔になっちゃったんだよ。だから眼鏡くんのことを殺そうと思ってるんだ。協力して、ネルケちゃん」
「はい! はい! 勿論です」
元々因幡と声が似ているらしく、口調や話し方を似せるだけで、それっぽく映るらしい。表情まで似せているので、因幡を知っている者には、黒いカツラを被り、紫のカラコンを付けた因幡に見えるだろう。
「眼鏡くんの件以外でもお願いしたいことが色々あるんだけど──いいかな?」
「はい! はい! どんなことでも! 貴方のお願いなら、どんなことでもします!」
「そのためにも、まずは眼鏡くんのことをどうにかしないとねえ」
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