第二幕【奴僕奮励】②

 己の異能力を駆使し、一人瓦礫から逃れたリアンは、十中八九死んでいると思うが、念のため、彼が本当に死んでいるかどうか確認する。


 己の異能と己の膂力りょりょくを効率良く使い、邪魔な瓦礫を退かす。


 退かした瓦礫の下から、別の瓦礫の下敷きになっているナルツィッセの姿を確認することが出来た。


 大量に出血しており、指先一つピクリとも動かさない。


 首に手を当ててみる。

 脈はない。

 念のため、手首にも触れるが、脈はない。


「よし、死んだな」


 念のため、喉奥に枝を突っ込んでみたが、えずいたりすることもなかった。本当に死んでいる見て間違いない。


 彼の死を確認したリアンは、人が集まる前に、その場から去る。


 どこに行ったのか分からないため、合流するのに、そこそこ時間が掛かるだろうと思っていたが──案外すぐに合流することが出来た。


「…………」


「…………」


 ──斬緒きりおとは。


「……シェーレの奴、どこにいった?」


「どこかにいっちゃったみたい……」


 非常に気不味そうな面持ちを浮かべながら、彼女は答えた。


「あッ、一応ね、これには理由があるんだよ?」


「へぇ、どんな理由があるんだ?」


 シェーレに対する怒りから、スチームポットみたいに頭から湯気出てもおかしくな状態になっている彼に、フォローするように、宥めるように、語り掛ける。


「ええっと、どうやら敵影を発見したらしくて……殺しに行っちゃったんだよね……」


「お前を置いて?」


「結果的にそうなるけど……悪気はないから」


「悪気がなければなんでも許されるとでも思っているのか?」


「いや……そうは思ってないけど……」


 シェーレに対する怒りは、何故か少しだけだが斬緒にも向けられた。


 背後に怒りの炎を背負っている幻覚が見えた。血管が切れるのではないかと思うぐらい怒っている。斬緒は何を言っても精神を逆撫ですることになると判断し、身構えた。


「なんの! ために! アイツに! お前を! 任せたと思っているんだ‼」


 予想通り、リアンは怒鳴った。

 しかも、足場を壊しかねないほど、勢い良く地面を踏みながら。


「あはは……」


 乾いた笑いを発するぐらい出来ず、引き攣った笑みを浮かべたまま、沸騰したお湯みたいなリアンを見詰める。


「笑ってんじゃねぇよ」


「ごめんなさい」


 額に青筋を立てていたリアンだが、反射的に彼女が謝罪の言葉を述べると、「はぁ」と大きな溜息を吐く。


「あのなあ、お前、死んだらどうするんだよ」


 額に手を当て、首を横に振りながら、呆れ混じりに呟いた。


「ごめん……。でも、シェーレを追い掛けるとか無理ゲーだし、ある程度なら一応自衛出来る──最悪の場合は、奥の手を使うから」


「奥の手って、一体どんなものなんだ?」


「どんなものって言われても……それは教えられないかな。あまり人に知られたくないし」


 簡単に見せないからこそ──簡単に使わないからこそ、奥の手なのだ。


 奥の手であることを抜きにしても、フェドートから簡単に使ってはいけないと言われている。余程のことがなければ、使わないつもりだ。


「その奥の手は、あの炎野郎のことをどうこう出来るものなのか? それぐらいのもん持ってるって言われねぇと、こっちは安心出来ねぇぞ」


「やってみなきゃ分からないけどさ……多分、どうにか出来ると思うよ」


 ナルツィッセ以上に脅威だと感じているリーベ・シュトゥルムを、奥の手を使用することで殺すことが出来たのだから、恐らく、大丈夫だろうとは思うが。


「だけど、やっぱり使いたくないんだよね……奥の手がどんなものなのか、知られるのは避けたいっていうか……目的を達成するまでは、余程のことがなければ使用しないつもりでいるよ。ドーチャからの頼みなら考えるけどさ」


 手の内を知られるのは避けたい。


 情報化が進んだ現在、どんな形で敵に情報が渡るのか分からない──例え無関係の相手であっても、手の内を知られたくないのだ。


「家族と若葉わかばくらいだよ、私の奥の手を知っているのなんて」


「わかば? 誰だよ、ソイツ」


若紫わかむらさき式葉しきはっていう──私より三つ上のお姉さん。昔、私のことを世話してくれた人と言えばいいのか……まあそんな感じの関係だよ」


「ワカムラサキシキハで、なんでワカバになるんだ? ワカバのワカは、ワカムラサキから来ているんだろうけど」


「式葉の葉がバって読める漢字だからだけど、口頭で説明しても伝わらないよね。リアンには馴染がない文字だし……」


 一応、紅鏡こうきょう語はそれなりに話せるが、読み書きに関してはあまり自信がない。


「後で紙とペンと辞書を用意して説明するよ」


 ちなみに、式葉のことを若葉と呼ぶのは、斬緒だけである。紅鏡語に馴染みがない人間は、「わかむらさきしきは」と耳にして、「若葉式葉」と浮かべない。故に、若と葉を取って若葉という発想がまず浮かばないのだろう。


「若葉のことは今は良いんだよ。ねえリアン、そっちはどうだったの? ヴァルテンはどうなったの?」


「ざっくり説明すると、俺があの野郎をぶっ殺した。だからアイツは死んだ。見ての通り、俺は無事。怪我一つしてねえ。色々あって廃墟がぶっ壊れたけどな」


 リアンの報告を聞いた彼女は、一つ一つの言葉をゆっくり咀嚼そしゃくすると、何かを考え込むように、口元に手を当てて考え始めた。


 最初は廃墟を壊した件で頭を悩ませているのかと思ったが、どうも違うらしい。何か引っ掛かるところがあるとでもいうような反応だ。


「どうしたんだよ」


「いや……アイツが、そんなに、あっさりやられるかなって」


「俺は確かめたぞ? 脈まで確認した。死んでるに決まってるだろ」


「……そうなんだけど」


 釈然としないと言いたげな反応だ。


「喉奥に枝を突っ込んでも無反応だったんだぞ? 死んでるだろ」


「そんなことしたのかよ」


「まあな」


「うーん、考え過ぎかな……」


「そうだよ。早くシェーレのところに行こうぜ」


「そうだね……」


 引っ掛かるところはあるものの、それ以上考えても無駄だと考え、頭の片隅に置いておくことにした。


「どの方向に行ったのか覚えているか?」


「東の方だよ」


「東ってどっちだよ」


「あっち」


 シェーレが走っていった方向を指差す。


「OK……ちゃんと掴まってろよ?」


 何をするのか察した斬緒は、リアンに抱えられた瞬間、彼の首に腕を回し、力強くしがみ付く。


 普通の人間なら痛みを感じるくらいの力加減だが、リアンの体は常人より丈夫なので、特に痛みを感じなかった。


 彼が何をしようとしているのか、それは──


(やっぱりこうなるのか)


 簡単に言えば、である。


 建物から建物にジャンプするという方法で移動するのだ。


 身体強化等の異能力を持つ者でない限り出来ない芸当だが、彼は肉体を改造されているお陰で、自分より少しだけとはいえ身長が高い女を抱えた状態で、それを普通に行えてしまう。


 ちなみに、これは、リアンほど肉体を改造されていないシェーレでも出来る。


「舌噛むなよ」


 そう言った瞬間、軽々と建物から建物へ移る。絶叫系アトラクションが苦手な人間なら叫びかねないが、絶叫系アトラクションより怖いものを知っている彼女は、そこまで驚かない。


 叫ぶこともなく、落ちないようにリアンにしがみ付く。一応、彼が異能力で出した黒色のリボンで、体を固定されているので、うっかり手を離してしまっても大丈夫なようにはなっているが、心理的な理由から手を離すのは躊躇ためらわれた。


 痛みを感じるぐらい力強くしがみ付いていることは申し訳なく思うが、こればかりは本能的なものだ。


「その異能力便利だよね。リボンで建物の外壁に貼り付いたり出来るし」


 リアンと共にに建物の外壁に貼り付いている斬緒は、不意に呟く。


 建物の屋上を伝って遠くに飛んだり、外壁に貼り付いたり、かなり便利だ。


「流石にお前がいるからやらねえけど、やろうと思えばターザンみたいなことも出来るぞ」


「流石にやめてよね」


「リボンを出すだけとはいえ、結構使い道はあるぞ。俺が全力で振り回すだけで、ただのリボンが鞭になるしな」


 黒糸トラタミエント──リボンを出して、操るだけの異能力だが、創意工夫でどうにかなるものである。


「足場作ったりとかも出来そう」


「そういう使い方をしたこともあったな。リボンである以上、引っ掛けたり、結んだりする必要があるけど」


「正直戦闘能力がない身としては、戦闘に使える異能力を持っていることは羨ましいな。戦闘系の異能力を持っていなくても、中には、下手な戦闘系の異能力を持つ人間よりも遥かに強い存在とかいるけど……」


 身近な存在で言うと、母方の祖父母や叔母、それから叔父。


 祖父と叔母に至っては異能力者ではない。


「叔母さんは、身内以外に触れられたことがないのが売りだし。ただの技術だけで、異能力みたいな芸当しているからな」


「異能力みたいな芸当?」


「自分と他人の位置を入れ替えることが出来るんだよ……」


「すげえな。異能力じゃなくてただの技術でやってるんなら」


「自分の姉……つまり、私のお母さんに対するコンプレックスから、こんなことが出来るようになったんだよね」


「……へえ」


 元々平均よりは優秀な人間だったが、レヴェイユ雑技団から逃げ切れるほど強さを得たのは──姉へのコンプレックスを拗らせたからだろう。


 未だにようとして行方が分からないのは、言うまでもなく、姉にコンプレックスを抱くあまり、彼女を越えようとしたからに他ならない。


「今あの人どうしているのかな……ろくでもないことになるんだろうなあ」


 レヴェイユ雑技団から逃げた後、故郷に帰り、そこでの暮らしを満喫しているとは、身内以外誰も思わないだろう。


「正直、あの人がどうして母さんに対してコンプレックスを抱いているのか、私にはよく分からないんだよね」


 嫌悪と憎悪ならまだ分かる。

 身内に甘い祖父(因幡の父)ですら、「あれはどうしようもない」と、匙を投げた人間だから。


「総合的に見れば、あの人の方が優秀だし」


 そう、叔母の方が優秀なのだ。

 身体能力は言うまでもないが、頭脳面でも姉より優秀なのである。両親の良いところを継いだと言えるだろう。


 言い方は悪いが、因幡は謂わば突然変異の存在であり、比較する方がおかしい。好き好んであれに近しい存在になろうとするなど、奇行であり、狂人の行動と言っても差し支えないだろう。


「どっちかって言うと、両親……私の祖父母にコンプレックスを抱く方が自然だと思うんだよね。叔母さんは親の良いところを継いだけど、親の劣化版みたいな状態になっているから」


 親の劣化版と最初に言い出したのは、斬緒の母である因幡だったりする。


 それを知ったときは、妹に対して結構辛辣だなとか思ったが、実際祖父母の功績(と、呼んで良いのか分からないもの)を知れば知るほど、あの評価は当たっていたのかと実感させられた。


「姉だからじゃないか?」


「親は自分より一〇年、二〇年長く生きているから、人生経験の差で済むけどよ……お前の叔母とお前の母親の年の差がどれぐらいなのか知らねえけど」


「一つだよ。一つ。一歳差の姉妹」


「歳が近くて同性だからこそじゃないか? 全体的に優秀だからこそ、自分に近い存在が自分より秀でている部分があることに、どうしようもない劣等感を覚える、とか……」


「私にはよく分からない感覚だな。私に姉妹がいないからそう思うのかもしれないけど……」


「実際どうなのかは分からねぇぞ。他に理由があるのかもしれないし……」


「叔母さん本人にしか分からないよね。訊いたところで絶対に教えてくれないだろうけど」


 浮舟因幡が有している天賦てんぶのカリスマ性が原因なのだが──母親のカリスマ性にことがない、否、存在なので、絶対に理解出来ないだろう。


 彼女からすれば『天賦のカリスマ性? なんだそれ?』状態。


 母親の信者がどうして信者化しているのか分からないし、母親にコンプレックスを抱く叔母が何故コンプレックスを抱くのか分からないのだ。


「いたぞ」


 リアンがある場所に視線を向け、そこにシェーレがいると訴えたが、斬緒には分からない。


 視力も人より優れているようだ。


「あの辺りに降りるぞ」


「ああ、うん」


 リアンが着地した場所には、地面に倒れているシェーレがいた。その服には大量の血が付着している。


「あー、おはよーございまぁす」


 一瞬、敵にやられたのかと思ったが、横になっていただけらしい。


「シェーレ、てめぇ……なんでキリオのこと一人にするんだよ。何かあったらどうするんだ」


 シェーレは、きょとんと首を横に傾け、数秒黙り込むと、「あー」と、言葉を発する。


「スミマセン」


 珍しく本当に反省しているらしい。


(コイツが反省することってあるんだな)


 そこそこ付き合いがあるが、こんな風に反省する彼女を見るのは、これが初めてだ。


 よっぽど斬緒のことが気に入っているらしい。


「色々言いたいことはあるんだろうけど、それは後にしよう。シェーレが何をしていたのか教えてくれないかな?」


「ええっと……あそこ」


 スッと、近くの建物を指で示す。


「の、三階だっけ? そこにいる奴を、殺しました」


「ソイツどんな見た目してた?」


「見た目……あー、ええっと、確か、薄紅色の髪をした女の人でした」


「薔薇色の髪……チェルヴェッロか」


「チェルヴェッロ?」


「レヴェイユ雑技団の人間。金が正義の奴で、基本的に金さえ払えば大抵のことをしてくれる女なんだよ。だからヴァルテンが金を払って協力させたんだろうな。他人を認識を捻じ曲げる異能力を持っているし、リアンとシェーレを襲った一般人を用意したのはチェルヴェッロだろうね」


「えっぐぃな、その異能力」


「チェルヴェッロの異能力って、確か……自分の姿を認識されないようにすることも出来た筈だけど、よく殺せたね……」


「なんとなく、そこにいるかなぁってと思って切ったら、そこにいたんですよ」


「……野生の勘か」


 チェルヴェッロをフォローする訳ではないが、認識出来なくなるだけで、そこにいることには変わりないのだから、感覚的な部分では察知出来る何かがあったのかもしれない。


「しっかし、チェルヴェッロとヴァルテンって、確か、そこそこ仲が悪かったと記憶しているんだけど……金に釣られたのかな」


 金関係には誠実だから、下手な人間より信用出来ると思ったのかもしれない。


「いや、待てよ」


「?」「?」


「チェルヴェッロがヴァルテンに協力したんじゃなくて、ヴァルテンの別の協力者に協力したのかも……」


 一人心当たりがいる。

 そしてその人物がヴァルテンと協力しているのだとしたら、己の杞憂きゆうは当たっている可能性が高い。


「不味い……」


 そのとき──炎が視界に入った。

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