拙作にして遺作──浮舟斬緒 16歳 10月
第一幕【泥濘暗澹】①
「最近、少し変わりましたね」
シェーレの髪を梳かしている
「変わったかな?」
シェーレとリアンがいるため、生活リズムは変化したと思っているが、それ以外は特に変わったという感覚がないため、斬緒は首を傾げてしまう。
「どう変わったの?」
「端的に言うと、お姉さんになりました」
「お姉さん?」
「妹と弟の面倒を見ているお姉さんみたいになりました。髪だってちゃんと乾かすようになりましたし、嫌いな生のトマトも食べるようになりましたし──」
「ああ、確かに」
言われてみるとそうだ。
「朝、ちゃんと顔を洗うようになりましたよね」
「そう言えばそうかも」
「前は僕がお前の髪を乾かして、僕がお前の顔を拭いて、代わりに生トマトを食べていたというのに」
「恥ずかしいから、シェーレとリアンの前では話さないでよ……」
ムスッという効果音が聞こえてきそうな表情を浮かべる斬緒に、「お前トマト嫌いなのか」と、リアンは意外そうに呟く。
「生の奴がね、どうして苦手なんだよ。火が通ってれば平気なんだけど」
「この間は普通に食ってたじゃん」
「別に平気だった訳じゃなくて──」
端的に言えば、格好付けていた。
「格好付けていたんですよ」
「だから言うなって」
改めて言われると、非常に恥ずかしいのだ。
「で、なんで格好付けていたんだ?」
「髪を乾かせって言っている奴が、髪びちゃびちゃだったら、お前が言うなってなるでしょ?」
「まあ、確かに」
「あれこれ言っているのにさ……自分が出来ていないのは恥ずかしいし、説得力ないだろうから、自然とやるようになったというか、まあそんな感じだよ」
「へえ」
「…………」
なんとなく恥ずかしくなり、シェーレの髪を梳かし終えたタイミングで、彼女は適当な理由を口にして、今日の天気について喋るラジオを消してから、部屋を出て行く。
変なところでマメだなという感想を、リアンは抱いた。自分ならわざわざラジオを消すということはしないからである。
何も分かっていないシェーレは、親鳥に追随する雛鳥の如く、彼女の後ろを付いて行った。
ここだけ切り取ると、小学生の妹と、高校生の姉に見える。
年齢だけなら、シェーレは中学生であり、中身だけは、小学生の方が成熟していると言っても過言ではない。
研究所にいた頃の栄養状態が悪いせいか、見た目だけなら小学生に見えなくもないだろう。
だが、リアンと違い、まだ背が伸びているため、数年ぐらいすれば、見た目だけは年相応になるかもしれない。
(なんでコイツの背は伸びているのに、俺の身長は伸びねぇんだろう?)
背が伸びているせいで、服がきつくなるという現象を、ここ数年味わっていない。出会ったばかりの頃は、そこまで斬緒と差がなかった背丈は、最近彼女の身長が伸びているせいで、地味に身長差が生まれてしまっている。
今はまだ靴や帽子で誤魔化せているが、このままだと誤魔化し切れなくなるだろう。
(男は高校生ぐらいまで伸びるって言うし、まだ大丈夫だろ。これからだ。大丈夫。大丈夫)
自分で自分を慰めていると、「身長がいつどれだけ伸びるかは、個人差がありますよ?」と、フェドートが声を掛けて来る。
口に出していたのかと思い、反射的に口を手で押さえるが、それ見て薄く笑いながら、「口から思考を垂れ流していた訳ではありませんよ」と、言って来る。
「…………」
心は読めないが、それに近いことは出来る──と、以前斬緒が言っていたが、どうやらそれは本当らしい。
「人の心読むなよ」
「貴方に関しては、僕でなくとも読めたと思いますよ。貴方が己の身長に対してコンプレックスを持っていることは、少し接すれば分かることですからね」
身長が高くないことをコンプレックスに思っていることも、それが周知の事実になっていることも、どちらも自覚しているが、改めて面と向かって言われると、それなりに傷付く。
他人に指摘されたくないことでもあり、しかも指摘した相手同性で、背が高い人物となると、余計に来るものがあった。
「話を戻しますが」
「戻すな」
「斬緒みたいに、毎年そこそこ伸び続けるタイプも入れば、ある時期を堺に一気に伸びるタイプもいます──しかし、世の中には、ずっと伸びないタイプもいます」
「だからと言って、俺が伸びないタイプとは限らねぇだろ。これから伸びる可能性はあるじゃねぇか」
「去年と今年の間に一ミリでも伸びていたのならあり得たでしょうが、一ミリでも伸びていない以上、可能性は皆無に等しいかと」
「やめろ馬鹿、皆無とか言うんじゃねぇ……ゼロって言われるより傷付くだろうが。俺に現実を突き付けるんじゃねえ」
「去年と今年で一ミリも変化がないのなら、伸びないと思った方が精神的に楽だと思いますよ?」
「…………」
真正面から正論を叩き込まれると、何も言い返すことも出来ず、かと言って、肯定することも出来ず、結果的にリアンは黙ることになってしまった。
「リアン、前にも話したけど、この後シェーレの服、買いに行くんだけど、一緒に来る?」
いつまで沈黙が続くのかというタイミングで、部屋から出て来た斬緒が沈黙を破る。
「服?」
首を傾げながら、「そんな話していたか?」と思い、記憶を掘り起こそうとしたところ──
「ああ、やっぱり忘れてる」
リアンの反応を見た斬緒は、やれやれといった様子で話し出す。
「シェーレの服、キツくなったから新しい服を買おうって話になったじゃん」
「あー、そういやそうだったわ」
身長が伸びた結果、服がキツくなったという点しか覚えていなかった。
「で、どうする? 一緒に行く?」
「フィセルさん、その履き古した靴、いい加減新しいのにした方が良いッスよ」
「あー、確かに。かなりボロいね」
「そんなにボロい?」
「ボロッいッスよ」
服に関しては全く気を遣わないシェーレだが、靴だけは例外で、靴に関しては人並み以上に気を遣っている。
対してリアンは、身形は仕事に支障が出なければ良い派であり、パグローム研究所を出て以来、殆ど身形に気を遣わなくなっていた。
髪は斬緒に言われたから、毎日乾かして梳かしているだけであり、服装も、斬緒がフェドートに頼んで用意してくれた物を着ていただけであり、本人が自発的に気を遣ったことはない。
そのため、研究所にいた頃から履いている己の靴の状態がどんなものなのか、全く気付いていなかったのである。
指摘され、漸く、靴がボロボロであることに気付く。
靴紐が千切れ掛けているのは、宜しくないという意識がある。
「これは買い替えた方が良いな」
「そうした方が良いよ」
「ああ……そろそろ買い替えるのですね。いつまで履き続けるつもりでいるのかと思っていましたよ」
「…………」
歓迎されるとは思っていないし、歓迎されたかった訳ではない。斬緒のことを殺そうとしたことを思えば、飼い主である彼から良く思われなくても仕方がないと思っているが──これはそういうのとは何かが違う気がする。
好かれていないのは間違いないだろうが、当初リアンが予想していたのとは、違う理由である気がした。彼が予想していた理由もある程度含まれているだろうが、それだけではないような気がするのだ。
嫌い──ではあるのだろうが、そこに別の感情が混じっているような気がするのは、何故なのだろうか。
「リアン、行かないの?」
「今行く」
考えても答えが出るような気がしないので、何故を掘り下げることはせず、彼は部屋を出た。
「あ、前にも言ったけど、ちょっと出掛けて来るから、行ってくるね」
部屋を出る直前、斬緒は立ち止まってから、顔だけフェドートに向ける。
「いってらっしゃい」
「いってきまーす」
そんなやり取りをしてから、リアンに続くように部屋を出て行った。
ただ駒として側に置いているのではなく、それなりに可愛がっているのだろうと分かるやり取りだ。斬緒の方も、可愛がられている自覚はあるのだろう。
「とりあえずシェーレの服を買って、それからリアンの靴でいいかな? そのレベルで悲惨な状態の靴を後回しにするのは気が引けるけど……シェーレにずっとピチピチの服を着せるのは抵抗があるし……せめて一着、すぐ着る奴は先に買いたいな」
「俺の靴は別に後回しで問題ねぇしな。元々俺の靴を買うのは予定になかった訳だし、それでいいじゃないか?」
「シェーレの服を先に買いたいと言った後に言う台詞じゃないけど、そのことを棚上げにして言わせて貰うけど、その靴は後回しにして問題ないレベルじゃないよ。これからはもっとこまめに買い直すべきって注進するぐらいには酷い」
「そこまでか?」
「そこまでだよ……」
買い物は順調に終わった。
シェーレの服を買うことが出来たし、リアンの靴も買うことが出来た。
「お前に何も買わないのか?」
「特に買いたい物ないし、服とか日常的に必要な物以外はあんまり持たないようにしているんだよね。どこかに定住している訳じゃないから、物が沢山あったら不便でしょ? いざというときは身一つで動く必要もあるし」
「ああ……あちこち放浪しているもんな……」
斬緒はともかく、フェドートは戸籍があるのかさえ分からない。
「ドーチャに拾われてからずっと流浪者生活をしているけど、慣れるまではキツイよ」
「あの研究所に比べれば、大抵のことは平気だけどな」
苦労がないと言ったら嘘になるが、あの生活よりマシだと思えば、意外となんとでもなる。
「そうなのか……地獄であることには変わりないけど、それでも良いのか?」
「同じ地獄なら、多少マシな地獄に堕ちた方が良いだろ」
「言いたいことは分かる」
地獄から出ることが出来ないのなら、比較的過ごし易い場所に身を置く方が幸せになれる可能性が高いだろう。
幸せとまではいかなくても、堕ちるところまで堕ちずに済む──かもしれない。
「まあ、そうだね」
「だろ?」
そのように話している二人の姿を──遠目から双眼鏡を覗いて眺めている人物がいた。
「見付けた」
──俺の
「見付けたんですかぁあ?」
「ああ、見付けた」
「あはっ、あははは、やぁっとあの人に会えるのですね。やっと、やぁっと」
「ああ、だが、どういう訳か、余計なモノが二つほどくっ付いている」
「どういうことですぁ? なぁんで他にも人がいるんですかぁ?」
「僕が知る訳ないだろう。知っていたら困っていない」
「あはっ、それもそうですねぇ」
「あの女が逃げ出して、飼い主のところに逃げて、それから今の今までどうしているのかと思ったが──まさか家族の真似事をしていたとはな」
「真似事なんかしたなくたってぇ、あの人にいぃぃぃっぱい家族がおりますのにぃ」
禁忌と呼ばれ、ミス・アンタッチャブルと言われている己の孫よりも、よっぽどミス・アンタッチャブルな存在である彼女の曾祖母。
最悪の生みの親であり、最悪の妹の生みの親である彼女の祖父母。
彼女の母の妹であり、劣等未満と評された彼女の叔母。その叔母の子供。
彼女の母親の弟であり、叔母の弟である彼女の叔父。
今確認出来ているだけで、これだけ血縁者がいる──わざわざ家族の真似事をする必要などないだろう。
「あの女にも何か事情があるのかもしれないが、そのような事情はどうでも良い。あの女にどんな事情があろうと、僕にとってはどうでも良いからな」
「冷たい御方ですねぇ。あはっ」
「余計な二つに関しては予想外だったが──フェドート・ドルバジェフがいないことは、
どういう理由なのかは分からないが、どういう理由であっても、フェドートは斬緒のことを重用しているらしいので──彼女に何かをすれば報復される可能性はあるだろうが、そんなことは承知の上。
各々の望みが叶えば、どう転ぼうが構わないと二人共考えている。
考えることは違えど、視線の先だけは同じ二人は、そのまま会話を続けた。
「だとしても、不穏分子? 想定外? が、あることにはぁ、変わりないんですからぁ、ちょっと計画を変更した方が良いんじゃあ、ないですかぁ?」
「あの様子を見る限り、二人共一般人ではないだろうからな──周囲に対する警戒の仕方が常人のそれではない」
少なくとも、警戒心が強い一般人には見えない。
立ち振る舞いが、戦闘と死が日常の中にある人間と同じだ──自分達がそうだからこそ、二人はそのことが分かる。
「私はぁ、知っての通りぃ、戦い向きの人間じゃあないんでぇ、ちょぉっと様子見させて頂きますねぇ」
「万が一のことがあった場合、お前に倒れられて困るのは僕だからな」
「貴方がいなくなって困るのはぁ、私も同じなのでぇ。死なないで下さいねぇ。あはっ」
「こっちはこっちで動くが、良いな?」
「良いですよぉ、お任せしちゃいまぁす。あ、でもぉ、あの人のこと、殺さないで下さいねぇ。あはっ。貴方如きじゃ殺せないでしょうけどぉ。あはっ」
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