第二幕【阿爺下頷】①

 死因はなんだろうか。

 アドラシオンの死体を見たとき、真っ先に考えたことはそれだった。


 その次に考えたことは、式葉しきはに見せてはいけない、だった。


 食事を取ってから、まだ数時間程度しか経っていない。死体を直接目撃したら、十中八九吐く。敵相手だろうと、人が死んだらダメージを受ける奴だから──そんなんだから、いつ廃人になってもおかしくない状態になっていた訳だが……その話、今は置いておこう、とにかく、式葉の精神的なダメージがヤバいことになる。


 聞いただけでも精神を擦り減らすだろうが、死体を直接見るよりはかなりマシだろう。


 精神鈍化剤を飲んでいれば別だが、あれは飲み続けると耐性が出来て効果が薄くなる。記憶を失う前は常飲していた式葉には、どれくらい効くのか分からない。それに、副作用がある。後で気持ち悪くなるという副作用が。


 式葉はともかく、上司であるサタナに報告しない訳にもいかない。真っ先に報告する必要がある。


 その前に、一応脈と呼吸を確認する。


 予想通り、脈はなく、呼吸もしていない。


 式葉を優先したい気持ちはあるけど、立場上そうする訳にもいかないので、サタナに報告することを優先した。


 サタナのところに向かう最中に出会えたら、サタナに報告し終えるまで、式葉が死体を見付けないでいてくれたら──どちらかになることを願いなら、急いでサタナのところに向かう。


 運の良いく、式葉はサタナ達と一緒にいた。何も見付からなかったことを報告するために、サタナのところに向かったらしい。


「団長、取り急ぎご報告したいことが──アドラシオンが亡くなっていました」


「アドラシオンが?」


「はい……病死か他殺かは分かりませんが……とにかく、亡くなっていました」


「案内して下さいませんか? 病死かそうないかくらいなら、専門家ではないわたくしでも区別が付くと思いますので」


 専門家というほどではないが多少知識がある人間なら、状況にもよるだろうが、その程度の見分けは付くのかもしれない。駄目なら司法解剖に回されるだけだろう。


「ええ……」


 サタナと会話しながら、俺は式葉を見遣る。

 呆然と、その場に立ち尽くしている、そんな風に見えた。


「アドラシオン? 他にも人がいるんですか?」


 アドラシオンのところまで、サタナを案内しようとしたとき、引き止めるように出雲いずもが声を発した。


「えぇ。どうやら亡くなられたみたいですけど」


「そうなんですね。ちなみに、これって表に出ます? スキャンダルになるなら、なると言って頂けるとありがたいのですが……」


「なりませんよ。こちらとしても、騒ぎは大きくしたくないですし、例え貴方が彼女を殺したのだとしても、警察に突き出したりしません。こちらで対応します」


「身柄でも拘束するのですか?」


「それだけで済むと思いますか?」


「済まないでしょうね。劣生ぼくは殺していませんから、関係ないですけど」


 出雲は大して動揺した様子はなく、どうでも良いというか、「へえ〜、そんなことがあったんだー」ぐらいの軽いノリとでも言えばいいのか、そんな感じなのだ。


 ニュースでも見ている感覚に近い。

 別世界の出来事、他人事、そういった印象を受ける。


 最悪の権化と呼ばれる姉を持つ妹らしいと言えば、まあその通りなんだが、仮にも一般人が、そのような反応というのは気になる。


 悲しめとか、動揺しろとか、取り乱せとか、それを他人に強要するほどお寒いものはないし、下手に取り乱されるより手が付けられなくなるよりマシだが──引っ掛かるものはあった。


「とりあえずわたくしが確認して考えますので」


 と、出雲に言ってから、俺に向き直る。


「トカドール、アドラシオンのところまで案内して下さい」


「はい」


 呆然としている式葉を放置するのは躊躇ためらわれるものがあったけど、取り乱していないので、一言声を掛けてから移動した。


「あら、本当に亡くなっているのですのね」


 部下が死ぬのなんて、この人からすれば良くあることなんだろうけど、あっさりしているな。


 アドラシオンは付き合いが長い部下なのに。

 いや、サタナに人の心を期待する方が間違っているか。


「窒息死していますね」


 窒息死──彼女が苦悶の表情を浮かべている理由は納得出来るが、首回りが綺麗なのは何故なのかという疑問が湧いて来る。


 ニプトゥーン城の敷地内では、異能力が使えないようにあちこちに様々な対策が施されているのだ。異能力のせいということはない。


 紐か何か使ったのなら、痕跡が残るだろう。手で首を絞めたのなら、紐と同じくらい痕跡が残るだろう。


 もしかしたら、痕跡を残さずに窒息させる方法があるのかもしれないが……。


「夏じゃなくて良かったです」


「え?」


「夏は暑いので、死体の腐敗が早いでしょう?」


「どれぐらい放置するつもりでいるのですか?」


「とりあえず、そうですね……ある程度城内を調べたら、でしょうか」


「今すぐ雑技団に帰らないのですか?」


「そんなことのために戻りなんて、時間の無駄ですわ。犯人は既に分かり切っているのですから、わざわざ解放してやる必要はないでしょう? アドラシオンの死よりもこの任務の方が優先順位高いですから、わざわざ一回帰る理由が何一つありませんわ」


「犯人って……団長、一体誰のことを言っているのですか?」


「──浮舟うきふね出雲ですわ」


「…………」


 俺は俺が犯人じゃないことを知っている。そもそも、ここに来てからの時間は殆どこの人と一緒にいるから、サタナは俺が殺した可能性は低いと分かっているだろう。窒息死はそれなりに時間が掛かる殺し方だ。サタナに至ってはほぼ一人になった時間はないと言っても過言ではない筈だ。式葉はまず動機がない上に、そもそもアドラシオンを殺せるほど強くない。支給されている武器があれば話は別だが、今日は持って来ていないし。


 外部から第三者がやって来て、アドラシオンを殺したということも、ゼロではないが、限りなくないに等しい。


 雑技団の包囲網はそこまでザルではない。少なくとも今日は、関係者以外立ち入り禁止だ。


 冷静になって、消去法で考えれば、確かに出雲しかあり得ない訳だが──あれ? そんな危険人物と、式葉は、今、二人でいる訳で、それってかなり不味いんじゃ……。


「今の状態で式葉のことを殺したら、確実に犯人であるとバレてしまいますし、流石にそんなことはしないでしょう。彼女が蒙昧もうまいの輩ならまだしも、ある程度考える頭がある人間ならば、そんなことはしませんよ」


「…………」


「状況証拠だけしかない状態でも、無理矢理彼女を拘束することは出来なくもないですが……そこはあの姉を持つ妹なだけあると言いますか、こちらが無下に出来ない人物と繋がりがありまして。物的証拠がない状態で拘束するのは避けたいのです。物的証拠さえあれば、強引な手段に出ることが出来るのですが……」


 要するに、帰る理由ないし、出雲を捕まえたいから証拠も見付けろってことか。


「証拠さえあれば、彼女を捕らえることが出来て──浮舟因幡いなばの代わりである浮舟斬緒きりおの代わりにすることが出来るかもしれません」


 斬緒を因幡の代わりにしようとした結果、ただでさえ人手不足の雑技団が更に人手不足、になったというのに、りていないのか。


「因幡の言うことしか聞かない彼ら彼女らを、どうにか従わせることが出来るかもしれません。見た目があの女に似ていて、あの女と血縁がある彼女を、こちらのものに出来ればの話ですが」


「……そうですか」


 人手不足だから、因幡の言うことしか聞かない連中ですら切り捨てることが出来ないのだろうけど、こんな状態が続くぐらいなら、いっそのこと思い切って切り捨てたらいいんじゃないか? その方が、余計な心労を抱えなくて済むと思うのだが……。


 大体、ちょっと対峙しただけで、姉に対して良くない感情を抱いていると分かる相手に、姉の代わり、しかも、代わりの代わりをさせられるなんて、普通に嫌だろ。俺だったら死んでも嫌だ。


 絶対にろくでもないことにしかならない。


 そんなことを面と向かって団長に言う勇気がないため、あくまでも思うだけに留める。


「最悪因幡が隠している物さえ見付けることが出来れば構いませんので、アドラシオンのことはついで程度に考えておいて下さい」


 ついで扱いか……。

 アドラシオン……アイツ協調性ゼロだし、良い奴ではないけど、こんな扱いを受けるほど酷い奴ではなかった筈なんだけどな。


「分かりました」


わたくしは雑技団に、アドラシオンの死を報告しなければならないので、少しの間、ここを動くことが出来ません。何かあった場合、そちらで対処して頂きます。宜しいですわね?」


「はい」


 そう返事をすると、団長に一言断ってから、俺は一度式葉と出雲がいる部屋まで戻る。


「式葉……」


 多少落ち着いた様子の式葉と、特段変わった様子がない出雲がいて、俺は少しだけ安堵した。


「ねえ……トカドール、その、どうだった?」


「まあ、そうだな、死んでいることは間違いないらしい……死因は、詳しいことは、やっぱり調べてみないといけないみたいだから、なんとも。任務の方が最優先にしろとは言われている……」


「そうなんだ……」


「……しんどいなら、休んでいていいぞ」


「休みはしないけど、死体がある場所には近付きたくないから、どの辺りに死体があるのかだけ教えて……」


「ああ」


 具体的に場所を伝えると、「ありがとう……」と言って、反対方向に向かった。


「…………」


 黙って式葉のことを、出雲は黙って見詰めている。一体どういう感情なんだ、それ。


「式葉がどうかなさいましたか?」


「あの子、姉さんと似ているところあると思っていたのですが、そんなことはなかったなと思っただけです」


「似ている?」


「まあ……外見とか中身が似ている訳ではないのですが……どこが似ていると言われると言葉で表現し難いですね。それも錯覚だった訳ですが。姉に最も近い存在である姉の娘と比べたら、全く似ていません」


 姉に最も近いというのは、娘だからというのもあるのだろうが、単純に似ているから──言っているのだろう。


 雑技団にいた頃──式葉は斬緒の世話係みたいなことをしていたらしく、同じ屋根の下で暮らしていたと聞いた。


 結構斬緒に影響されたらしいので、因幡に最も近い存在である彼女に似ている部分はあるかもしれない。


 記憶を失っても──残るぐらいの影響を。


「そう、最も近い……姉に最も近い……五年程度しか過ごしていないのに……凄く凄く近い……」


 ブツブツ喋っている……怖っ……。


「ふふ、ふふふふ……」


 こんなメンタルの奴が社長やっているとか世も末だな。


 確定ではないとはいえ、ほぼ確定なので、奴はアドラシオンを殺したことを前提に語らせて貰うが──


 何か特殊な仕掛けでも施して隠しているのではないかと思い、そのことを出雲に訊ねてみるが、それはないと間髪入れずに一蹴された。


 というより、怒られた。


「何度ここに業者が来ていると思っているのですか。いくら劣性ぼくが姉に劣るからと言って、その程度のことに気付けないほど愚鈍と思うのは、いくらなんでも失礼ではないですか? 人のことを馬鹿にするのも大概にして下さい」


 面倒臭ッ……親の顔が見た──いや、やっぱり見たくない。コイツの親だ、きっと面倒臭いに違いない。


「あくまでも確認です。お互いの認識に齟齬があった場合、面倒なことになる可能性も、ゼロではないでしょう?」


 怪訝に思っていることを隠さないものの、「そうですか」と、一応は矛を収めてくれた。


 一九歳の式葉よりガキっぽいけど、式葉と違って引くところは引いてくれるらしい。


 全身に棘を纏った針鼠のような言動をしている奴だ。何が原因で怒り出すのか分からん。確認であることを強調し、状況を整理するためであると言いながら、他の人間が因幡が隠している物を回収した可能性はないか訊ねる。


「出入りした人間は厳しく管理しておりますし、厳しくチェックしておりますので、それはないと思いますよ。存じておられるでしょうが、ニプトゥーン城の敷地内では異能力が使えないように、様々な対策が施されています。だから、異能力が使われた可能性は疑う必要ないです」


「そもそも──」


 ここである人物が会話に割り込んで来る。


「本当に、ここに何かを隠したのかな?」


式葉しきは……」


 幾許いくばくか顔色がマシになった式葉がだ。


「だって、何も出て来ないんだから……隠してる物なんかないと思うのって、別に変ではないでしょ」


「監視カメラの映像で、箱を持って入る姿と、手ぶらで出て来る姿を確認出来ているのですから、それはないでしょう。確かに何度も探しても、見付からない訳ですから、そう思うのも無理はないですが──」


「何度探しても見付からないんだから、隠している以外の可能性を考えた方が良いんじゃない?」


 言葉を遮られたことにムッとしたような顔をしたが、流石に二〇歳はたちにもならない子供相手に怒りを剥き出しにするほど、大人気ないタイプではないそうだ。


 二〇歳はたちにならないと言っても、現在一九歳なので、後一年もしないで二〇歳はたちになるが。


 すぐに取り繕い、「そうかもしれませんね」と言って、出雲は俺の方に向き直る。


 こんなのであっても、大人としての矜持きょうじがあるということなのか。


「すみません。団長様はどこにいらっしゃいますか? 実は団長様にお願いしたいことがあるのですが」


「団長はアドラシオンが亡くなった件で、雑技団に連絡を入れたりしているので、暫くの間は忙しいと思います。代わりに俺が窺います」


「姉さんが隠した物を探すこと最優先にしているから、てっきり放置しているとばかり思い込んでいましたが……そういう訳でもないのですね」


「こちらにも事情があるので」


「事情ねぇ。事情。劣生ぼくは分別の付かない子供ではありませんから、そのことはきちんと呑み込んであげますよ」


 分別の付かない子供と発言したとき、出雲さんは自分の言葉を遮った相手を一瞥いちべつした。言葉を遮られたことを、まだ根に持っているらしい。


 先程大人としての矜持があると言ったが、それは間違いだったみたいだ。勘違いだったらしい。


「姉さんが隠している物を発見出来た場合、危険な物があればレヴェイユ雑技団が処理をし、そうでなければレヴェイユ雑技団が管理なさるということですが──危険な物でなかった場合、件の物を見るだけで構いませんから、確認しても宜しいでしょうか?」


「訊くだけ訊いてみます」


 俺がそう言い終えると、タイミング良く電話が掛かって来た。


 自分の携帯かと一瞬ドキッとしたが、着メロが違う。式葉のものでもない。


「ああ、どうやら劣生ぼくの携帯が鳴っているみたいです。失礼」


 携帯を取り出すと、こちらに断ってから、この場から離れる出雲。


「誰からだろうね?」


 彼女の足音が聞こえなくなったタイミングで、式葉がこちらに近寄り、内緒話をするように、そのように声を掛けてくる。


「会社からじゃないか?」


「ふうん」


「まあ、あの人、あんなんでも社長だし」


「まあ、それもそうだね」


 ──数秒の間を置いて、式葉は漸く本題を切り出した。


「アドラシオンが死んだのって、あの人関係しているの?」


 その言葉に、俺はどう返していいのか分からなかったが、下手にぼかさない方が良いかと思い、「あくまでも、かもしれない程度なんだが、団長は半分くらい断定している」と言った。


「そうなんだ……」


「なんでそう思ったんだ?」


「トカドールの様子が、なんか変だったから」


 俺が原因らしい。


「あのさ、トカドール、ちょっとついて来てくれない?」


「ああ……」


「──もしかしたら、アドラシオンの死について何か分かるかもしれないんだよね」

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