第一幕【百折不撓】②

 斬緒きりおの名前を、サタナと二人切りになったタイミングで語り出したのは、俺なりに配慮した結果だ。


 式葉が記憶を取り戻したら──と、考えてしまったのだ。


 記憶を取り戻したとしても、皆にバレぬよう取り繕えるならば、別に記憶を取り戻されたとしても問題ない。寧ろ、聞きたいことを訊くことが出来て都合が良いとすら思う。


 だが生憎、式葉しきはは、そのようなことが出来る器用な人間ではない。


 記憶を取り戻したら、根掘り葉掘り色々訊かれることもあるだろうし……二人にどういう事情があったのかは知らないが、結果だけ見れば──斬緒は式葉を置いて一人で逃げたことになる。ー置いていかれた事実に、ショックを受けるかもしれない。


 ──そんなことを考えてしまった。


 若紫わかむらさき式葉は、非常に繊細な精神の人間だ。

 死体を見てしまったら、何がどうなるのか分からない。


 レヴェイユ雑技団から抜け出す前の彼女は、相当神経を擦り減らしていて、とても平常とは言えない状態だった。


 ショックを受けたら、一体どうなってしまうのか──想像するだけで、ゾッとする。


 俺の手に負えないことになるだろう。


 斬緒がレヴェイユ雑技団にいた頃、俺は任務でローゼリア王国にいなかった。


 だから、詳しいことは何も知らない

 全て伝聞だ。

 全て終わってから帰って来たから。


 斬緒と式葉の間に何があったのか、仔細は本人達しか知らない。


 斬緒側の感情は完全に憶測になってしまう。それなりに好いていただろうというのも、俺の予想でしかない。


 彼女に相当入れ込んでいたらしいリーベ・シュトゥルムが、式葉に対して嫉妬心を抱いたのだから──斬緒の方もそれなりに好いていたと考えるのが妥当だろう。


 少なくとも、傍目からはそう見えていたのかもしれない。


「斬緒が、ここに所属のは、母親が関係しているのですか?」


「関係していますわ。あの母親の娘で、あの母親より遥かにマシな性格をしているのであれば、それなりに使えるのではないかと思ったのですわ。浮舟うきふね因幡いなばの信奉者内何人かをコントロールすることが出来る人材を確保出来るのであれば、多少の犠牲は厭わないつもりであったのですが、残念なことに逃げ出してしまいました。捕まえることが出来るのであれば、また捕まえたかったのですけれど……」


 可能なら、そうしたかったのですが、そういう訳にはいきませんでした──と、心底思っていそうな声だった。


「フェドート・ドルバジェフに飼われていることが判明したため、断念致しました。彼に喧嘩を売るのは、ローゼリアに大きな損害を与えることに繋がります。あの女のように、利益も出してくれるのであれば、ある程度の損害を覚悟したのですけれどね。損害しか出ないのならば、捕まえようという気になれません。あの女の信奉者をコントロールすることは、諦めることにしました」


 団長であるサタナの意向は、そうだったのだろうが、副団長だったリーベの意向は、絶対に違っただろう。


 これは噂で、実情がどうなのかは不明だが、どうやら彼は斬緒のことが好きだから、自分が所属している組織に引き入れたかったらしい。


 ──かなり自分勝手な理由だ。


 もし、それが本当だったのならば、浮舟斬緒に殺されたのも、自業自得でしかない。


 そんな奴が副団長を続けることにならなくて、本当に良かったとしか言えない。


「…………」


「当時、斬緒は一四歳でしたが、一四歳とは思えぬほど将来有望な人材だっただけに、本当に惜しいという気持ちでいっぱいです。味方を死なせるところこそ母親に似ていましたが、母親と違い、人格破綻者ではありませんし、何より話が出来ましたから……本当に残念で仕方がありませんわ」


「一四……」


 当時、中学校ミドルスクールすら卒業していない年齢じゃないか。写真で顔を見たときからもしかしてそうなんじゃないかと思っていたが、本当に、見た目通り、年端のいかない少女だったのか。


 当時一四歳ということは、現在彼女は一六歳。今現在、どのように過ごしているのだろうか。テロリスト、フェドート・ドルバジェフに飼われているみたいだが……。


 テロリストに飼われるのと、この組織にいるの──どちらが彼女にとってマシなのだろうか。


 フェドート・ドルバジェフのところに戻ったことを鑑みるに、そちらの方が彼女にとってマシな環境なのかもしれない。とはいえ、雑技団に来る前と同じ待遇である保証はどこにもない。相手は凶悪なテロリスト。どうなるのかなんて分からない。他に頼れる相手がいない、ということなんだろうけど……。


 テロリストしか頼れる相手がいない……。頼った相手がテロリストだったからこそ、雑技団から追われていない……。ただの一般人じゃ、どう足掻いても絶対に守り切れないとはいえ、なんだかなぁ……。


 どれぐらいこの組織が酷いのかと言うと、自らここに来た俺ですら、ここは頼りにはなるが、ろくでもないことに変わりないと思っているぐらい、酷い。


 良くも悪くも王室を守るためなら、なんでもする組織であるが故に、下手なテロ組織の方がマシなものになっているから、テロリストといる方が安全かもしれないとはいえ──不憫だと思ってしまった。


 どこにいるのが彼女にとって幸せなのか、俺には分からないが──せめて、ここよりマシな環境で、尚且つ、マシな扱いをされていて欲しい。


「そうですか、本件と関係ない質問に時間を取らせてすみません」


 と、断ってから、城の南側に向かって歩き出そうとしたとき。


「お話しているところ失礼します。貴方達がレヴェイユ雑技団の方ですか?」


 サタナでもなく、アドラシオンでもなく、式葉でもない──聞いたことがない女性の声。


 俺は誰だ以上の感情は抱かなかったが、サタナの方はそうでもないらしく、目を大きく瞠り、あり得ないと言いたげな表情を浮かべ、要するに心底驚いていた。


 声がする方に振り返った俺も、サタナと同じぐらい驚きに包まれることになった。きっと似たような表情を浮かべているだろう。


 斬緒と瓜二つな顔が、そこにはあった。


 実際に会った訳ではないので、確かなことは言えないが、写真で見た彼女の体格と、そこまで大きく違わないだろう。


 年齢は──こちらの方が歳上に見える。


 目の前の人物は、大体三〇前半ぐらいか? 斬緒がそれぐらいの年齢になったら、こんな見た目になるかもって感じだ。


「ああ、サタナ・レーニョ様でしたか。後ろ姿しか見えなかったので分かりませんでした。隣の方は、部下、でしょうか?」


 冷静に観察すると、外見年齢の違いを抜きにしても、違うところがある。


 一番分かり易い違いは、瞳の色だろう。目の前の彼女は、深藍色をしている。


 次に分かり易い違いを挙げるとするなら、黒子がないことだろう。写真の斬緒の顔には黒子があったが、彼女にはない。黒子がない綺麗な肌だ。


 眉もまあまあ違う。斬緒はしっかりとした、太くはないが細くもない凛々しい眉をしていたが、こちらは薄く細い眉をしている。


 分かり難い方の違いを述べる、どちらも黒髪に分類出来る髪色をしているものの、微妙に色が違う。斬緒の髪は色、彼女の髪は墨色。ちゃんと違う色である。


「姉とそっくりだから驚かれましたよね」


 ボブカットの女性は、そう言って、笑みを浮かべた。素敵な笑みなのだが、どことなく近寄り難い雰囲気がある。笑っているのに、笑っていないような──そんな感じだ。


 瞳が笑っていないとか、そういうのではなく、なんだか表情筋も瞳も眉も笑顔なのに、笑顔だと感じない笑みなのである。


「始めまして、レヴェイユ雑技団団長、サタナ・レーニョ様。劣生ぼくはこの城の管理人、正確には管理している会社の社長を務めている浮舟出雲いずもという者でございます。浮舟因幡の実の妹でございます。この通り、顔だけはクローンレベルで姉にそっくりですが、似ているのは顔だけでございます。驚いてくれて嬉しくないと申し上げましょう」


「……管理人が来ることは聞いておりましたが、まさかあの女の妹が来るとは」


 因幡の妹ということは──斬緒の叔母。


 クローンレベルで姉と顔立ちがそっくりなら、斬緒が母親似だった場合、必然的に彼女に似てもおかしくないだろう。


 浮舟家はマトリョーシカか何かか?


「会社名しか出しておりませんし、担当の者が行くとしか連絡入れていませんから、まあそういう反応にもなると予想しておりましたが、まさか言葉を発することが出来ないほど驚くと思いませんでした。正直がっかりです。レヴェイユ雑技団レベルの組織の長でも、そんな風に驚くのですね。それぐらい姉さん劣悪な存在であるということでしょうか? まあそういうことなのでしょうね。何せ姉さんですから。劣生ぼくをこんな風にした姉さんだから」


 嫌悪、呆れ、劣等感。

 姉に対して、良くない感情を抱いていることは確かだ。


「先に述べさせて頂きますと、簡単に見付かると考えないで下さいませ。劣生ぼくが何年探し尽くしても、全然見付からなかったですから。劣生ぼくだけでなく、他の者の手を借りても何も見付かりませんでした。強いて申し上げるのであれば、監視カメラの映像で姉がここに入ったことが間違いないことが判明したぐらいです。ここに入ったときは何かを持っていましたが、ここから出るときは何も持っていなかったということぐらいです。だというのに、本当に姉さんがここに来たのかと疑うぐらい、何も見付かりませんでした。きっと長期戦になるのでしょうね」


 そして姉だけでなく、姉の元上司であるサタナにも、一応後輩に当たる俺にも攻撃的だ。


 なんか言うと面倒臭そうだし、黙っていよう。


 直接罵倒の言葉を口にするとか、そういうスタンダードな嫌悪ではなく、視線や表情を取り繕いながらも嫌悪を滲ませるという、厭味ったらしいもの。


 攻撃対象に、俺を巻き込まないで欲しい。サタナはそれなりに接点があるから分かるが、俺は接点皆無と言っても過言ではないんだぞ。


「監視カメラの映像が必要であるのならば、すぐに持って来ましょうか? 劣生ぼくはそれをすぐ用意することが出来ます。どうなさいますか? 団長様」


 如何にも面倒臭そうな眼前の人物に、「ええお願いします」と、サタナは言い、それから周囲を見回していた。


 釣られて、俺も周囲を見回す。


 城内が綺麗なのは、定期的に業者が来ているからというのもあるのだろうが、出雲が姉が隠している物を探すために訪れているのも理由の一つかもしれない。


「こちら監視カメラの映像です。好きなだけ、じっくり、思う存分見て下さい。持ち帰りたいのであればどうぞ。データは会社にもありますので」


「ありがとうございます」


 現時点での出雲への印象を簡潔に纏めると、なんか好きになれない──だった。


 声が棘々しくて、なんか嫌だった。

 周囲に対して攻撃的な人物は、雑技団にはそれなりにいるけれど、あれと違う粘着質な感じが、どうも受け付けない。


 最悪の権化が姉として身近に存在していたら、こんなことになってしまうかもしれないとは思ったし、上司から『最悪の権化』呼ばわりされる人間が姉であること自体は普通に同情するが……。


「何突っ立っているのですか。貴方も一緒に確認して下さい。サボるならせめて分からないようにして頂けませんか?」


 別にサボっていない──と、言い返したかったが、言い返すと面倒なことになるので、すみませんと謝り、サタナと共に受け取った映像を確認する。


 映像には小さく隅の方に、何か箱のような物を持った鳥の子色の髪をした、斬緒と出雲に似た人物が映っており、彼女が城内に入る様子が確認出来た。


 彼女が浮舟因幡なのだろうか?

 髪色のせいか、出雲が斬緒の母親って言われた方が、得心がいくな……。


 直接会ったら印象変わるのかもしれないけど。


 大体一〇分くらいか? それぐらい時間が経過した頃、何も持っていない彼女が、城から出る姿を確認することが出来た。


 小さく隅の方に因幡が映っている映像なので、正確な箱の大きさは分かん。が、隠し持ったりするのに向いていないものの、そこまで大きい物でないことは、辛うじて分かる。


「ああ、そうそう、この頃の姉は異能力が使えなくなっていましたので、異能力を使ったという可能性もありません」


「異能力が使えなくなっていた?」


「使えなくなっていたそうです。最初は冗談かと思いましたが、劣生ぼくが個人的に調べたところ、本当に使えなくなっていました。例え異能力が使えなくなっていなくても、この場所で異能力を使うことは出来ませんので、異能力が使われた可能性は疑う必要はありません」


 浮舟因幡の異能力。

 浮舟因幡が、一部の人間から強烈に畏れられていた理由の一つ、と言われているもの。


 自分より精神が弱い者を支配することが出来る異能力──無敵に近いメンタルをしている彼女が使用すれば、どんな相手でも支配することが出来ると言っても過言ではないとか。事実上、最強に近いと、誰かが言っていた。


 故に彼女は畏れている、そうだ。


 最悪の権化であるが故に畏れられ崇められ、無敵に近いメンタルをしているが故に畏れられ崇められ、支配の異能力を持っているが故に畏れられ崇められた。


「姉の内面に変化という変化はなかったので、どう足掻いても最悪であることには変わりありませんでした。姉は異能力が使えなくなっても、普通に今まで通り生きていました」


 彼女が異能力を失ったことに、俺だけでなく、因幡のことを知っているサタナが気付くことが出来なかったのは、単純にレヴェイユ雑技団を去ってからの因幡をあまり知らないからというのもあるのだろうが、異能力を失う前に支配している対象に下した命令に、影響が出ていないというのも大きい──と、思われる。


 彼女に支配された者達は、これからも彼女に従い続けるらしい。本当に気の毒だ。一部が喜んでいるが、俺だったら嫌で嫌で仕方がない。出来るのであれば、自殺しているかもしれない。あくまでも出来るのであれば。


「姉も原因が分からないみたいですよ。根拠のない考察になってしまうのですが、子供を産んだことで姉の無敵に近いメンタルに変化が起きたからなのではないかと思っています」


「変化?」


「我が子のことを心から慈しみ、愛している人間のメンタルは、無敵に近いとは言えない、そう思いませんか?」


「我が子という弱点が出来てしまっていますからね」


「斬緒ちゃんが姉と同じ異能力を持っていたら、斬緒ちゃんに受け継がれたのだと解釈したかもしれませんが──そうではないみたいなので、恐らく姉のメンタルの変化が原因なのではないかと」


 異能力については、まだ分からないことが多いし、そういうこともあるのかもしれない。


 実際に、メンタル的なものが原因で、異能力が使えなくなったという例は、それなりに存在しているからな……。普通にあり得る可能性だ。


 黙ったまま、喋っている二人に挟まれるのは気不味いので、映像を確認し終えた俺は、サタナに一言断ってから、城内を何かないか、隅々まで探しに回った。


 予想していたが、案の定、何も見付からなかった。


 いや、見付かったものはあった。

 お目当てのものではないが。


 短く整えられていたのに、ボサボサになっているシーグリーンの髪。大きく見開かれたウィログリーンの瞳。苦悶の表情。


 アドラシオン・プリュネの死体を、発見した。

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