不心得者の財──トカドール・ファルセダー 23歳 9月

第一幕【百折不撓】①

 レヴェイユ雑技団がどんな組織なのか、一言で表現するなら、『ローゼリア王室を守るための組織』だ。雑技団のトップは、サタナ・レーニョという、喰えない女。言うまでもないことだが、組織の人間は、トップであろうとも、例外なくローゼリア王室に仕えている存在ということになる。会社で言うところの最高責任者は、王室。あくまでも、サタナは社長。


 王室に仕えている組織のトップなのだから、王室の関係者とそれなりにやり取りしている。と、言っても、俺のような末端は殆ど関わる機会はない。直接関わる機会があるのは、団長とか、副長団、支部長、それぐらいだろう。中には例外もいるが。


 団長や副団長クラスの人間であっても、直接王室に足を運ぶように命じられたのは、数える程度しかないみたいだ。


 サタナがトップになってからは、今のところ、この間の足を運んだのを含めて五回しかない。


 彼女が王室に行くのは、重要度が異様に高い案件なのか、雑技団の者相手でも大っぴらに話せない案件なのか、どちらであろうと厄介なことなるのは目に見えている案件のときだ。


 その案件が自分に割り振られるかもしれないと思うと、気と足が非常に重たくなる。


 そして、実際に割り振られると、もっと気と足が重くなる。


 今現在、車を走らせ、ローゼリア王国の観光名所の一つであるニプトゥーン城に向かっているのは、仕事のためだ。


 ニプトゥーン城。

 五〇年くらい前は、建物の中に入ることも出来たみたいだが、古い建築物故、老朽化が進んでいるらしく、今は業者以外は立ち入り禁止、とのこと。


 その城に、本来出る筈がない退職者、浮舟うきふね因幡いなばが、何かを隠したことが判明したらしく、隠した物を見付け出し、危険な物であった場合は、雑技団の方で内密に処理し、危険な物でなかった場合は、雑技団で管理する──と、上司であるサタナから伝えられた。


 本来出る筈がない退職、浮舟因幡について、噂はそれなりに聞いている。箝口令が、暗黙の了解に近い形で敷かれているため、俺が彼女について知っていることは、そこまで多くない。


 退職という概念がなく、使い捨てられるか、使い尽くされるか、そのどちらかしかないレヴェイユ雑技団で、唯一退職することが出来た人物。一部からは強烈に畏れられ、一部から猛烈に崇められている。異能力がヤバい。


 俺が知っているのはこれぐらいだ。


 知ろうと思えば、もっと知れるのだろうが、今の今まで特に知ろうとも思わなかった。噂でしか知らない相手のことを知るために、貴重な休憩時間を無駄にするほど、俺に体力が有り余る日々を過ごしていない。俺が雑技団に入る前に、雑技団を退職したため、直接関わったことはないから、尚更興味が湧かなかった。


 今は訳あって、少しだけ興味があるが……。


 要注意人物であるみたいだし、探るにしても慎重にならざるを得ないだろう。


 そんなことは一度置いておいて、今回の任務に当たるのは──ニプトゥーン城に行くのは、団長のサタナ、俺、若紫わかむらさき式葉しきは、アドラシオン・プリュネの四人。


 団長は分かる、王室から直々に任されたのだから当然だ。俺も分かる、一通り仕事が終わって暇をしていたから。アドラシオンもまだ分かる、俺より使える奴だから。だが、式葉は分からない。何故式葉なんだ。コイツ物探しとか得意な方じゃないだろう。


 俺が知っている式葉は、精神が擦り減って、いつ廃人になってもおかしくない式葉で、こんな風に落ち着いている状態の式葉じゃないから、今の式葉がどうなのかまでは分からないけども。


 だとしても、他にもっと適任がいたんじゃないかと思ってしまう。


「事情は分かりましたが……何故俺と式葉しきはとアドラシオンが選ばれたのですか?」


 本来、上司、しかも団長相手にこんなことを言うのは良くないことだが、気になってしまった俺は、ついつい問い掛けてしまう。


「トカドールは分かるけど、記憶喪失で、今のところなんの成果も出していない私を連れて行くのは、ちょっと理解出来ない。団長の判断を疑うって訳じゃないけど、もっと適任がいると思うんだよね」


 式葉自身も思うところがあったのか、俺と同じことを言った。仮にも上司相手にタメ口ってどうなんだと思うが、記憶を失う前からタメ口だったし、今更か。


「端的に言えば、消去法です」


「消去法? 消去法で、俺と式葉は選ばれたのですか?」


 消去法であることが不満という訳ではない。

 消去法であったとしても、何故自分達が選ばれたのか分からず、何故なのかを問う意味で、そう言った。


「まず、浮舟因幡の好意的な者は除外しました。彼女に対して好意的な者は、少なくとも雑技団内には、信奉者でしかおりませんので。危険な物だった場合は処理しなければならない以上、彼女が隠している物なら、危険物であろうと、嬉々として持って帰りそうな人物に任せる訳にはいきません」


「ええ……信奉者以外からは好かれてないの? その、浮舟因幡って人」


「ええ……信奉者以外から好かれていません。それ以外からは蛇蝎の如く嫌悪されるか、心底畏れられているかのどちらかです」


 なんというか、極端な感情しか抱かれていないんだな、その人。雑技団唯一の退職者として今も有名人扱いされている人物だし、二極化と言えばいいのか、印象がそんな感じになってしまうのかもしれない。


 雑技団から裏切り者扱いされずに退職出来ている時点で、かなりの傑物であることに間違いない──雑技団から退職することが出来ず、結局戻って来てしまった式葉を見ると、余計にそう思う。


 信奉者以外からは、嫌悪と畏怖以外の感情を抱かれていない時点で、浮舟因幡という人物は、かなりアレな人物だったのだろうと予想出来てしまった。


 常軌を逸した存在であったことは間違いないだろう。何故そんな人間に信奉者がいるんだと思う反面、常軌を逸した存在に惹かれるという感覚も分からなくもない俺がいる。


 共感することは出来ないが、分からなくもないのだ。


 俺のように、日常的にどこか満たされない者からすれば、自分の近くに、自分の全てを変えてくれそうな存在が現れるというのは、一種の僥倖ぎょうこうだと錯覚してしまうぐらい、強烈なものなのだ。


 もしもの話になってしまうが、俺の前に彼女が現れたら、案外、どれだけみっともなくとも、どれだけ情けなくとも、必死に縋り付こうとしてしまうのかもしれない。


「そして、彼女のことを心底畏怖する人間も除外しました。彼女のことを畏怖する人間は、彼女を畏怖するあまり、使い物になりませんので」


「浮舟因幡という人物は、そんなにも畏れられているのですか? 団長の使い物にならないという言葉が、比喩でもなんでもないのであれば、相当なものですよ」


「相当なのです、浮舟因幡という存在は」


 団長の声は、節々に浮舟因幡という人物への嫌悪と畏怖が込められていた。


 この人が、こんな風に、感情を胸中に収めきれず、表に滲み出しまっている──的な状態になるのは、珍しいな。


「彼女が雑技団から抜けてから、雑技団に入ったトカドールがそう思うのは分かります。同じく、彼女が抜けてから雑技団に入り、尚且つ、記憶を失っている式葉はもっと時間が沸かないでしょうが……」


「その人、雑技団にいた人なのですか? そんな強烈な人が雑技団にいたなら、もっと噂になっていそうな気がするのですが……」


「好き好んで語りたがる者がいないのです。後は直接彼女と関わったことがある相手は、軒のみ死んでいることも、大きな要因の一つでしょう」


 軒のみ死んでいる──という言葉に、俺は思わず息を呑んだ。予想の数段上を行くヤバい奴だった。なんなんだよソイツ。


「話を戻しますが、彼女の信奉者と彼女を畏れる者が除外したわたくしは、次に、何かを探すことに向いていない者を除外しました」


 物を探すのだから、物を探すことが得意ではない者を連れていく者はいない。


「その中から忙しい人間を除外し、現在雑技団にいない者も除外し、残った者の中から一番暇な者を選んだ結果、二人が選ばれたのですわ」


 などと団長は語ってくれたが、式葉に関しては別の理由もあるんじゃないかと思った。


 純度一〇〇パーセント嘘という訳でもないのだろうが、別の理由も存在しているだろう。


 ──浮舟斬緒きりお

 彼女が関係しているのではないか。

 と、俺は内心疑っていた。


 浮舟因幡と浮舟斬緒、二人の関係性は分からないが、赤の他人ということはないだろう。浮舟という名字は、そこまでありふれていない筈だ。


 その二人の関係性は分からないが、式葉と斬緒の関係性ならある程度推測出来る。一緒に雑技団から逃げようとするぐらいなのだから、良好な関係を築いていたことは間違いない。


 と言っても過言ではなかった式葉が、一緒に雑技団から逃げ出そうとした相手──斬緒が式葉に対してどの程度好意を持っていたのかは分からないけど、式葉は相当好いていたのだろう。


 因幡と斬緒が赤の他人ではないという俺の予想が当たっているのだとしたら、もしかすると、式葉は彼女から因幡について何かを聞いている可能性がある。


 記憶を失っている状態でも、何かに気付けるかもしれない──団長はそんなことを企んでいるのかもしれない。


 実際どうなのかは分からないが、可能性はあるだろう。


 もしもそうなら、という前提で語らせて貰おうが、一長一短がある案だろう、これは。記憶を取り戻したら、また逃げ出そうとするかもしれないのだから、団長的にはデメリットがある。


 そうなったときは、捕まえて、絞れるだけ情報を絞り取るつもりでいるのだろうが……。


「因幡について、教えられることは教えておきましょう。あの女を一言で表現するのであれば──最悪の権化です」


「最悪……」

「権化……」


 ハンドルを握っている俺は『最悪』に反応し、その隣に座っていた式葉は『権化』に反応した。


「彼女の最悪な部分を、全て挙げていたら、枚挙にいとまがございませんので、代表的なものを一つ挙げておくに留めましょう」


 枚挙に遑がないという発言に、思わず振り返りそうになるが、振り向くことはしなかった。事故を起こしたら笑えないことになるから。まして、完全にこちら側に非がある状態で、団長を怪我をせたとなれば、かなり重い処分が下る。そうなったら笑えない。


「敵も味方も無差別に死に追いやります」


「そういうことを繰り返したから、雑技団を追い出されたのですか?」


「違いますわ」


 間髪入れずに否定された。


「彼女の最悪さが、その程度で済む訳がないでしょう。その程度で済むのならば、最悪の権化と言われませんわ」


「最悪の権化という言葉が正しいならだけど……えーと、損害を補填出来るレベルで成果を出していたから、クビにしたくても、クビにすることが出来なかったとか?」


「式葉にしては良い回答ですわね」


 運転手に座っている俺と違い、助手席に座っている式葉は、じっくり考えることに注力することが出来たからなのか、限りなく正解に近い答えを口にしたらしい。


 結構珍しいことだ。


「腹立たしいことに、彼女が出て来れば、多大な損害を出すものの、どんな面倒な出来事であっても解決してくれました。本当にどんなことでも解決してくれたのです。最悪な形で、ですが。だから、切りたくても切りれなくて、大変扱いに困りました」


 故に、彼女は一部から猛烈に畏れられ、一部から強烈に崇められているのだろうか。


「多大な損害を出し、多大な功績を残した彼女は──ある日、退職届を持ち、団長室にノックすらせずに入って来ました。そしてなんと言い放ったと思いますか?」


「……トカドール、なんて言ったか分かる?」


「分からない」


「私も分からないな……」


 なんか、俺達、今更だが、普通に会話しているな。再会したばかりの頃はかなり気不味い間柄だったのに。


 なんていうか──記憶を失う前よりも、普通に話せているような……考えないでおこう。俺が傷付くだけだ。


 俺がそんなことを考えていると、サタナは辟易した声でこう言った。


「あの女、『一〇〇年の恋に落ちたので、雑技団辞めるね』と言って、こちらの言い分などを何一つ聞かずに去って行きました」


 式葉は「うっわぁ……」と、ドン引きし、俺は「…………」と、絶句してしまった。


「嵐のような人ですね──その浮舟因幡という方は」


 なんとか振り絞るように、そうコメントをする俺の横で、呆れたように、式葉が「嘘でもいいから、マシな理由を述べて辞めればいいのに……」と言った。


「そうだな、一身上の都合と濁せば良いのにな」


「でも、そういう気遣いが出来る奴は、最悪の権化と言われないと思うよ」


「式葉の言う通りではあるのだが……女子中高生であっても、かなり引きますが、もしも良い年齢であるときに、これをしたのなら、引くを通り越して寒気を覚えますね」


 冗談抜きで、ドン引きしている。


「当時彼女はニ〇を超えてしましたよ」


「酒のさかなに出来ませんね」


 ネタにすら出来ないレベルで酷い。


「ええ、本当にその通り。いつ思い返しても、腸が煮え繰り返るだけで、笑いなんて一切起きません。何せ彼女が退職届を持ってきたとき、彼女が出した損害のせいで、皆が睡眠時間を削って働いていたのですよ?」


「うわぁ……」

「うわぁ……」


 丁度、赤信号になり、車を一時停止していたので、俺は式葉の方を見てしまう。式葉も俺の方を見ていた。偶然お互いにお互いの顔を見ることになったらしい。


「ついでに、退職を届けを出した後、組織内の人間関係を引っ掻き回し、レヴェイユ雑技団は、深刻な人材不足に陥る羽目になったのよ」


 今の今まで黙っていたアドラシオンが、補足するようにそう言った。


 話し込んでいる内に、目的地に辿り着き、駐車場に車を停めると、エンジンを切る。


 車から降りたサタナは、そのまま城に向かうことはせず、一度立ち止まったかと思えば、なんでもないような薄く笑った顔を、複雑そうな面持ちに変化させ、ニプトゥーン城を眺めた。


 本当、ただそこにいるだけなら、普通に綺麗な人なんだよな。


 長く艷やかなシャトルーズイエローの髪。シアンの瞳。優雅で妖艶な顔立ち。素晴らしいプロポーション。今年四一歳とは思えぬ若々しい外見。


 見た目は綺麗なんだけどな……。

 年齢言われなかったら三四とか三五ぐらいに見える阿嬌あきょうなんだけどな……。


 中身が、だいぶ……。


 俺の視線を違った意味に解釈したらしく、「ああ、すみません。因幡が隠した物がここにあるのかと思うと気が進まなくて……。ジッとしていても仕方がないので、中に入ってしまいましょう」と、団長は歩を進めた。


 ニプトゥーン城内は、予想より綺麗だった。


 定期的に業者が来ているお陰だろう。老朽化しているという言葉から連想するような状態ではない。床が抜けそうということもなければ、壁の塗装が禿げそうという印象もない。


 ただ、一応、老朽化しているというのは本当らしい。


「思っていたより中綺麗だね。本当に老朽化してるの? 城の敷地内には綺麗な花畑があるし、大きい池とかもあって、風情があるのに。城の外観だけでも充分価値があるから、観光地として成り立っているんだろうけどさ。なんか勿体ないね」


「老朽化自体はしているみたいだぞ。見た目はだいぶ綺麗になっているみたいだが、安全面を考えると……観光客を呼ぶのは、躊躇ためらわれる状態らしい。怪我でもされたら大問題に繋がるから、人を入れないようにしたのだろう」


「それは分かっているけど、やっぱり、ちょっと勿体ないなって思うでしょ? テンションが上がるぐらい綺麗なところなのに……」


「走るなよ?」


「私に自殺願望はないけど?」


「二人共、雑談は構いませんが、目的をお忘れにならないで下さいませんこと?」


「分かってるよ。探し物でしょ。とにかく……城の中を探せばいいんだよね?」


「忘れていなかったのですね。意外ですわ」


「流石に忘れないよ」


 口数の少ないアドラシオンは、「私はあっちに行ってくるわ」と言って、こちらの返事など聞かずに、あっちとやらに向かってしまった。


 コイツ……相変わらず、相手の意見を聞かないな……。


「俺は、南側を探すから、式葉は北側を探してくれないか? 何か探している物が見付からなくても、手掛かりはあるかもしれない」


「分かった」


 城の一階南側に行く振りをした俺は、七分くらいすると、サタナがいるところかまで戻り、二人切りになったことを確認すると、声を潜めて、訊きたかったことを質問した。


「先程名前が挙がった浮舟因幡というのは、浮舟斬緒の親族は何かですか?」


「母親です」

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