第二幕【究竟憂患】②

 斬緒きりおにとって、母とは、最悪を教えてくれる存在だ。


 彼女の母は、最悪な人間だった。

 しかし、最悪な母親ではなかった。


 人間としては最悪だが、母親としては最悪ではなかった──子供のことを愛していたし、暴力を振るったことはないし、暴言を吐いたこともないし、感情のままに怒鳴ったこともないし、ネグレクトと呼ばれるようなこともしていない。


 躾自体はしっかりされたと思っている。

 駄目なことは駄目だ言われ、悪いことは悪いと言われ、良いことをすればちゃんと褒められた記憶がある。


 お前が言うな──と、何度か思ったりしたが。


 この部分だけを聞けば、人間性に問題はあったが、母親としては悪くなかったと誤解されかねないので、ハッキリ明記するが──決して彼女は良い母親ではない。


 寧ろ最低な部類に入るだろう。


 愛情があることと、良い母親であることは、また別の話なのだ。


 彼女の母親は、呼吸するのと同じくらいの感覚で、人間関係を壊し、割れたガラスの如く修復不可なものにする人物で、斬緒の高祖父であり、彼女の祖父である男を死に追い込んでいる。


 娘である彼女自身の人間関係も、何度も何度も無茶苦茶に壊した。しかも悪意なく。


 ご近所の人間全員を人間不信にしたり、とある村の人間全員を狂わせ──村を文字通り機能不全に追い込んだりなど、そういうことを何度も繰り返し、何度も何度も引っ越しを余儀なくされた。


 そんなことをしても、全く心を傷めず、「なんでこうなっちゃうのかな〜」とか、ヘラヘラとした態度を取っており、これで良く今まで生きていられたなと今なら思う。


 当時は幼かったので、「お母さんなんか変」ぐらいしか思わなかった。


 変という言葉で片付けられる相手ではないが、幼い子供ですら変と思うくらいには、だいぶ問題のある人物であったということだ。


「努力することが、必ずしも偉いこととは限らないよ。努力をすることは、凄く贅沢なことだと思うんだよねえ。傍から見れば、馬鹿みたいなことをしているとか、そういう風に見えるかも。ただ頑張ればいいって訳じゃないってこと。努力した結果、夢が叶わないばかりか、現実を失うこともあるから、斬緒も気を付けてね」


 こんなことを三歳児に話す人間である。実際はこんなことを言い方はしておらず、三歳児でも漠然と理解出来るような言い方だった。


 三歳の頃の話なので、どんな風に言っていたのかハッキリと覚えている訳ではないが、要約すると、このような意味の言葉だったことは覚えている。


 内容だけならためになる話だろう。しかし、何かを一生懸命取り組もうとしている三歳の娘に投げ掛ける言葉としては、かなり不適切だ。


 しかも、意味が理解出来るように言うなど、言語道断だろう。


 よっぽど馬鹿なことをしているなら、言われるのもまだ理解出来るが。


「ねえ、斬緒、天才って、なんだと思う?」


「おかあさんみたいなことじゃないの?」


「お母さんは天才じゃないわ。そう思ったことはあったけど、勘違いだった。お母さんは天才じゃなくて、最悪なのよ」


 それもどうなんだと今なら思う。当時は「ふうん」くらいしか思わなかったが。


「才能も何もない平凡と凡庸には、私と天才の違いなんて理解出来ないだろうけどねぇ」


 クスクス楽しげに笑いながら、記憶の中の母は言っていた。一五歳になった今も違いが理解出来ない。なので、母ならこういうことを言いそうだという、娘目線の憶測になってしまうが、彼女は「才能のある人間」であっても、「天才」ではないと言いたかったのではないだろうか。


「才能ってさ、消耗品に近いのよ。年齢と同じように劣化するものなんだよねえ。大半の天才は、昔活躍した天才になるけど、極稀に生涯天才というタイプがいるんだよ。斬緒のお父さんとかはそう。四六時中犯罪者で、四六時中天才。これって凄いことではあるけど、ろくでもないことでもあるんだよね」


「ろくでもない? どうして?」


「才能を活用しない生き方が出来ないからよ。それってつまらなくない? 才能如きに振り回されるなんて。私なら嫌だよ」


 父が才能を活用する生き方しか出来ないなら、母は最悪という性質で相手を振り回す生き方しか出来ない人だ。


「斬緒は平凡だから、才能なんてものに振り回されることなんてないんだろうね。それが幸せかどうかは分からないけど」


 才能には振り回されていないが、親には振り回されている──と、今なら言うだろうが、当時はただぼんやり話を聞いていた。お母さんがまた難しい話をしているなあ──くらいの感覚だったのだ。


「容姿が産まれたときに親から与えられる呪いだとしたら、才能は産まれたときに偶然から与えられる運ってところかな」


「なまえは、おやからあたえられるしばり?」


 考えて発言した訳ではなく、テレビか何かで聞き齧った言葉を並べただけなのだが、それは彼女の母も理解していただろうが、案外的を射ていると思ったらしく、「そうかもね」と笑う。


「私とあの人の遺伝子を引き継いだ存在である以上、とんでもない怪物が産まれてくると思っていたけど、そんなことはなかったわね。マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるように、社会不適合者と社会不適合者を掛けたら社会適合者が産まれるのかも」


 どう足掻いても一般社会で生きることが出来ない社会不適合者である両親より、社会に適合することが出来なくもない程度であって、斬緒もそれなりに社会不適合者という自覚がある。


 ギリギリ社会で生きられなくもないというだけで、一般社会では鼻摘まみ者であることには変わりない。


「話が逸れちゃったね。ねえ斬緒、アンタは自分に才能がないことを誇りに思いなさい。才能はないけど、能力はあるんだから」


 母は、「才能」と「能力」は、別物であると考えていた。


 才能から能力が派生することはあれど、能力から才能が派生することないからという発想から来るものらしい。


「将来なりたいものが出来たとき、ならないよりはなった方がいいだろうけど、なれないならなろうとしない方がいいわよ。なりたいものになるっていうのは、選ばれし者の特権なんだから」


 こんな風に、夢のないことを、相手のメンタルが最も折れ易いタイミングで言う人間だった。


 幼い頃の彼女は、今より鈍感だったので、メンタルが折れることはなかったが、五年くらい早く産まれていたら、メンタルが折れていたかもしれない。折れなかった可能性もそれなりに存在しているため、実際どうなったのかは分からないが。


 フェドートに拾われてから、彼に指摘され、そのことに気付き、「自分の子供のメンタルを折りにいくとか頭おかしい」と、思うようになった。


 結構真剣な口調で、「斬緒が娘でなければ、親子関係は破綻していたでしょうね」と、フェドートに言われたときは、「だろうね」と返してしまった。「お前のような娘を育てた点は、あの女の功績と言えなくもないですが」と、彼は辛辣なコメントも付け加えた。


 良い親ではない、寧ろ悪い親に入る部類だと感じているのに、それでも楽しかった思い出が曇ることはないのだから、そういうところは育て方が良かったと言えなくもない。


 恥ずかしいから大きな声では言えないが、愛されていたという感覚は、確かにあるのだ。


 頻繁に好物を作ってくれたり、毎年誕生日を祝ってくれたり、誕生日のときには高い物であっても、欲しい物を買ってくれたり、遊園地とかにも連れて行ってくれたり、アニメとかも普通に見せてくれた。


 勿論、駄目なときは駄目と言われた。

 娘に甘かったが、甘やかすだけの母親ではなかった。


 夜中にこっそりテレビを見ていたら、リモコンを取り上げられ、強制的にベッドに連れて行かれたし、肉を食べて野菜だけ残そうとしたら、普通に怒られた。


 絶対に野菜を食べたくない娘と、絶対に野菜を食べさせたい母の、くだらない熾烈しれつなバトルを繰り広げたこともある。


 ちなみにこのバトルは、このままではキリがないと思った母親が、娘にバレないように、野菜を料理に混ぜるという方法を取ることで、終わりを迎えた。


 最悪な人間で、最悪ではない駄目な母親だが、それでも確かに娘への愛情はある人だと──娘である斬緒は思っている。


 母親と過ごした時間はあまり多くない上に、覚えている範囲となると、限りなく少なくなってしまうが──それでも、あの頃の時間は、彼女とって大切で貴重な財産なのだ。


(久し振りにお母さんの夢を見た……)


 気絶から目覚めた彼女は、第一にそのようなことを思う。


(ドーチャに拾われてからはあまり見なくなったんだけどな……)


 あちこち痛む体に鞭打って、体を起こし、ベルデの体をまさぐり、刀以外に何か持っていないかを探る。


 煙草とライターしかなかった。


「ライターか、まあライターでいいか……」


 近くの自販機でペットボトルの水を二本買う。蓋を開けて、それをすぐ近くに置く。


 そして、ポケットからハンカチを取り出すと、それを一部分裂くと、布面積が小さい方は、長い髪を纏めるのに近い、布面積が大きい方は口に詰め、しっかりと噛む。


 それから、片手が折れているため、片手で、刺さったままの刀を掴んだ。


(せーの、せーで‼)


 掴んだ刀を思い切り、勢い良く引き抜こうとするが、片手しか使えないせいで、上手くいかず、少しずつ引っこ抜く羽目になってしまう。


「ッ〜〜〜〜⁉」


 己の肉体に刃物が刺さるように動いたときよりも激しい痛みが走るが、なんとか刀を体から引っこ抜くことが出来た。


 当然、傷口から血が出る。


 それを止めるために、彼女は上着に火を点ける──ベルデから奪ったライターで。


 焼くことで消毒&止血をしようと考えたのだ。


 そのために火が点かないように髪を纏め、消火用の水を用意した。


 ある程度傷口ごと体の一部を服ごと焼くと、水を掛けて消火。滅茶苦茶痛かったが、出血多量で死ぬことと比べたら安いものだろう。


「あー、クソ、痛い……イッテェなぁ……はあ、最悪……原因ぶっ殺したけど、ちょっと物足りないぐらいだわ……」


 ベルデの首に刺さったナイフは引っこ抜かず、投げた契合棹けいごうとうを拾うと、近くの服屋に入り、また着替えた。代金はレジのところに置いた。


(……仕方ない、これ使うかぁ。あんまり好きじゃないけど)


 太腿に付けているベルトに見える者──共輪きょうりんのスイッチを入れる。


 共輪の効果は、ある範囲にいる人間の気持ちを読み取るというもの。


 人が多い場所で使ったり、大量の感情が渦巻いている人間がいるところで使うと、情報過多で頭が回らなくなったりする。斬緒はこの道具との相性が良くないため、道具を使っている間は頭痛に苛まれてしまう。頭痛薬を服用してもどうにもならない頭痛だ。


 共輪のせいで頭が痛く、折られた腕も痛く、折られた左側の肋骨も痛く、止血のために焼いた腹も痛い。


(斬られたり、刺されたり、殴られたり、蹴られたり、骨を折られたり、そういう痛みには慣れたけど、神経を直接内側から攻撃されるようなこの痛みだけは慣れないな……)


 気絶という形で睡眠を取ったとはいえ、疲労が抜けた訳ではない。死体の上で、刀が刺さった状態で寝たことで、逆に体を痛めたくらいだ。


 彼女は壁にもたれ掛かり、少し体を休ませる。


 共輪があるため、人が近付けば嫌でも、存在に気付けるから出来たことだ。


「……ん?」


 五分くらい休んでいると、誰かの心の声が頭に入ってくる。


 誰かが近付いて来たことは分かったが、どこにいるのかは分からない。


 視線だけあちこち向ける。

 相手の反応を窺うために。


(コノ俺ノ存在ニ気付イタノカ? 空間製作ノ異能力ヲ応用シ、姿モ気配モ完全ニ隠シテイル。ソンナコト、絶対ニアリ得ナイ)


 空間製作の異能という心の声を拾うと、「お前か?」と、斬緒の声が辺りに響く。


「町の様子がおかしいのって、お前が何かしたからか?」


「ナッ──何故?」


 気付いた、という彼の心の声は、しっかりと彼女に伝わる。


「何故と言われてもね、半分くらいは偶然だよ」


 ここまで追い詰められばければ、彼女は共輪を使わなかった。


 出会ったのが、肉体的に追い詰められる前だったら、彼に気付かず、何も分からないまま殺されていただろう。


「コレハ流石卜言ウベキナノカモシレナイ。フェドート・ドルバジェフ、噂通リ侮レナイ人物ダ。噂卜違ッテ男性デハナイミタイダガ」


 何回目になるのか分からないが、噂の方が正しい。噂通り、侮れない男なのだ──フェドート・ドルバジェフは。


「シカシ」


 金髪碧眼の男──スパティウム・ファブリカートルは、姿を現す。


「オ前ハ既ニ毒ニ侵サレテイル」


「…………」


「怪我ノ影響モアルダロウガ、既ニ指先一つ動カスコトモ出来ナイ筈ダ。直接飲マセタリ、直接投与シタリスルノハ難シイ卜判断シ、空気感染サセルトイウ手段シカ使エナカッタセイデ、コノヨウナ毒ヲ使ウシカナカッタガ、貴様ノ動きヲ止メルニハ充分ダッタヨウダ」


 それは、相手が本物のフェドート・ドルバジェフならば、確かに効果的な方法だろう。


 だが、残念なことに、彼女はフェドートではない。異能力のお陰で、薬物による影響を一切受け付けない体質の人間だ。


 彼は懐から拳銃を取り出し、銃口をこちらに向ける。


 約一〇メートルも離れているだけでなく、毒に蝕まれていると思い込んでいるため、余裕綽々といった態度を取っていられるだろう。


「遺言ハ? イヤ、聞ク必要ハナイナ。ドウセ喋レ──」


「バッカじゃねえの?」


 斬緒は契合棹を投げた。

 スパティウムにとって、それは予想外の行動である故に、避けなければという気持ちより、驚きが勝り、思うように動けない。


 相手のことを殺す気で契合棹を投げたので、それが当たった彼は──契合棹の効果に従い、絶命した。

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