第二幕【究竟憂患】①
──どうしてドーチャは私のことを拾ったの? 何も出来ない九歳児を拾ったところで、メリットなんてないと思うけど。
──それはお前があの女の娘で、あの男が興味を示した存在だからですよ。純粋な興味があったから一度姿を見てみようと思ったことが切っ掛けでした。そこから、何かの役に立つかもしれないと思ったことが、お前を拾った理由です。
──それだけ? 他にも絶対あるでしょ。もっと何かある筈だよ。絶対絶対あるってば。
──ええ、僕自身の理由は、本当にそれだけですよ。それ以上が必要ですか? 我儘ですねぇ。
──我儘と言われるとは思わなかった。
──我儘云々は冗談ですが、それ以上の理由がないのは本当ですよ。僕自身は、ね。
──そうなんだ……で、実際、私、ドーチャの役に立っているの? 正直なことを言うと、私なんて役に立たないでしょ? 利用価値もそこまでないだろうし。
──役には立っていますよ。足を引っ張られることもありますが。あれぐらいなら愛嬌の範囲でしょうね。利用価値も全然あります。
──具体的にはどれぐらい役に立っているの? どういう利用価値があるの?
──どれぐらい役に立っているかという質問に関しては、『それなりに』とだけ答えておきましょう。どういう利用価値があるのかという質問には、どう答えましょうか。そうですねえ、誰かを懐柔するという点では利用価値があると言えなくもないです。相手によっては無理ですが。
──拾ったことを後悔したりしないの?
──意外なことに、一度も後悔していないんですよね。本当に意外です。どうして僕はお前を拾ったことを後悔しないのだろうと、自分でも疑問に思うことがあるぐらいです。
──へえ、本当に意外。
──恐らく、数年経っても、お前が大人になっても、僕はお前を拾ったことを後悔しないでしょうね。
──なんでそう思う?
──なんとなく、ですかね。これに関しては、本当になんとなくとしか言えません。この体に課せられた制約のせいで、そう思っているだけなのかもしれませんが。
──そういうお前はどうなのです? 僕に拾われたことを後悔したりしないのですか?
──うーん……後悔はしたことはないかな……冗談でそれっぽいことを思ったことはあるけど、本気で後悔したことはないかな。
──そうですか、意外ですね。一度くらいあると思っていたのに。
──この件に関しては気が合うんだね、私達。
何故、今になって、こんなことを思い出すのだろうか。何気ない会話、しかも数年のを。
ああそうか、走馬灯って奴か──自分の腹を貫通し、血がべっとり付着した先端が見えた瞬間、全てを理解する。
背後から刺され、意識が朦朧になり、走馬灯を見てしまった──と。
刃物が引っこ抜かれ、
致命傷を負ってしまった。
このまま放置すれば、確実に死ぬだろう。
それなのに、放置せず、彼女がトドメを刺そうとしたのは、ひとえに斬緒のことをフェドートと勘違いしているせいである。
侮れない存在。油断大敵。そのようなことを事前に吹き込まれたせいか、確実に息の根を止める必要があると思った。例え数分であっても、攻撃した以上、生かしてはいけないと考えた。
白髪が特徴的な彼女の最適解は、斬緒(彼女はフェドートと思い込んでいる)を放置すること。
手足の届かない距離で死ぬまで待つのが一番だったのだが、それをしかなかった。
「はぁ?!」
二本持っている刀の内の片方を振り上げ、トドメ一撃を振るおうしたのだが──力を振り絞った斬緒が、
契合棹が見た目通りだたの警棒だとしたら、契合棹の方が壊れていただろうが、彼女が持っているのは特殊な武器。
アインツィヒ・レヴォルテからレヴェイユ雑技団、レヴェイユ雑技団から浮舟斬緒という形で渡り歩いた武器。
壊すことはあっても、壊されることはない。
そういうコンセプトで作られている。
「なんだ、お前……武器一個壊れた程度で動揺するなよ、こっちは瀕死の重傷なんだから……」
半ば八つ当たりで、そう言い放つ。
走馬灯を見てしまうぐらいには弱っている彼女だが、まだ立ち上がれているのには一応理由がある。半分くらいは気力だが、残り半分は気力ではない。
「立ち上がることも出来ない筈なのに……なんでよ⁉」
彼女はちゃんと、立ち上がることすら出来ないように、致命傷になる部位を刺した──と、認識している。
──が、斬緒は、ギリギリのところで、回避していた。刺されることを避けることは出来なかったが、絶対に刺されてはいけない部位が傷付けられることは、回避していた。
彼女は戦士ではない。
戦った経験はあるが、それがメインではない。
武器に頼ってばかりの彼女だが、武器に頼るという形であっても──戦ったという経験は、立派な経験値として、体に刻み込まれている。
死線を潜り抜けた経験は──決して無駄ではなかったのだ。
(コイツに私の手を内を晒したことに変わりないし……同じは使えないな)
不意打ちで、相手がこれについて知らないから、出来ることなのだ──あくまでも。
武器が壊れたことに動揺したものの、向こうが瀕死であることには変わりないため、彼女は冷静さを取り戻す。
正確には完全に取り戻せている訳ではないが、表面を取り繕うことは出来ている。
斬緒も、それなりに冷静さを取り戻した。
彼女は、このタイミングで、自分を刺した人間が、白い髪をしていることに気付く。
彼女のオリーヴァ色の瞳を見詰めながら、どこかでこんな特徴の人間の話を聞いたことがあるなとか、そんなことを思った。
眼前の女性の姿を改めて眺める。
ショートカットの白い髪はサラサラ。切れ長のキリッと目をしている。スレンダーな体型も相まって、カッコイイという印象を抱いた。服装は動き易そうなものだが、極々一般的なもの。刀さえ持っていなければ、本当にどこにでもいそうなカッコイイお姉さんと感じていただろう。
「ベルデ・スパーダ?」
いつだったか、フェドートが話していたボディーガードの名前を口にした。
フェドートが話している内容が本当なら、彼女はあくまでもボディーガードで──このようなことをするタイプではない筈だ。
「知っているのね、アタシのことを」
「別に……少し噂を聞いているだけだよ」
「噂? 噂ねえ……どんな噂なのかしら」
「……噂が本当なら、アンタって、ボディーガードであって、殺し屋ではないよね? なんでこんなことをしているの?」
「依頼人──正確には依頼人が所属している組織に、少し恩があってね。特別にこの依頼を受けたのよ」
「そんなことを出来るのは……私が知っている限り、レヴェイユ雑技団ぐらいなんだけど──ああ、よっぽどの大恩でもなければの話ね」
レヴェイユ雑技団の名前を出せば、彼女は一瞬だけ眉をビクリッと動かし、驚いたような反応を示す。
その反応は、斬緒に情報を与えるには充分なものだった。
「──へえ」
発せられた声の低さにベルデにが驚くのと同時に、斬緒は契合棹を握り締め、構える。ギュッと力を込めて。
そして、斬緒は、フェドートから聞かされた内容を思い浮かべた。
『まず、最初に言っておきますと、彼女は異能力者ではありません。異能力者ではありませんが、下手な戦闘系の異能力を持つ異能力者より、戦いに長けているでしょう。異能力者ではないからこそ、戦闘の腕を磨いたらしいですよ。本当かどうかは分かりませんが』
『ふうん。それが本当だったら、相当な努力家だね。個人的には異能力なんてあってもなくても、使い熟せなかったら、無能力と変わらないと思うけど、あれば一応牽制にはなるだろうし、ない奴よりは有利を取れるかな?』
『その意見には僕も同意ですが、そこを掘り下げたら話が逸れてしまうので、また今度──彼女はボディーガードをしています。ボディーガードとして、対象を守ることに長けています』
『ボディーガードだからね』
『これの意味が分かりますか?』
『……強いってこと?』
『強いか強くないかで言えば、彼女は間違いなく強いのでしょうが、僕はそのような話をしたい訳ではありません。お門違いな意見です。全然違います』
『ええ……ううん……よお分からん、何が言いたいの?』
『誰かもしくは何かを守ることに長けているのであって、攻撃することに長けている訳ではないということです』
『そうなんだ』
『負けないことが大事なのであって、勝つことは大事ではないのですよ──彼女がボディーガードである以上、勝つ必要はないのですから、そういう意識になるのも無理はないでしょうね』
『……そうなのかな?』
『ええ、彼女に弱点があるとすれば、そこでしょう。後はそうですね、狂気の領域に入っていないことでしょうか?』
この言葉が正しいのであれば──勝機はある。
(私は死ぬかもしれないけど、ドーチャのところに行かせないことは出来る)
死ぬのは絶対に嫌だが、このまま死ぬぐらいなら、せめて、フェドートの役に立ってから死にたい。それが出来ないのならば、彼の邪魔にならない方法で死にたい。死んでまで彼に迷惑を掛けるの御免だ。
理想を言うなら、目的を遂行した後に、彼のために死にたいが、今の状態を見るに、それは叶いそうにない。ギリギリまで諦めたくないが、どうしても駄目なときは諦めよう。
口にしなければ良かったと心の中で思いつつ、「……レヴェイユ雑技団、嫌な名前」と、ついつい口に出してしまう。
かなり小さな声だったため、刀を持った彼女には聞こえなかった。聞こえていたら何か変わったかもしれないが、そのような未来は残念ながら訪れない。
レヴェイユ雑技団のことが気になったものの、それを問うてから行動出来る体力や気力があるのか分からない。それらについて問うのはやめた。
「一か八か、だよなぁ……」
そう呟いた途端、斬緒は手に持っている契合棹を、ベルデに向かって投げた。
契合棹の具体的な効果は変わらなくとも、刀を一本破壊しただけで充分脅威な存在であることは理解出来たため──ヒョイと、契合棹を避ける。
素人、しかも瀕死の状態の人間が投げた物など、当たる訳がない。
血迷ったかと思った。
出血多量で頭が回らなくなり、このような行動に出たのかと思った。
ベルデはそのように判断した。
しかし彼女は、血迷ってなどいない。
しっかり考えている──その考えが狂気的だと言われたら、否定することは出来ないが。
ベルデが狂気の領域に入っていないというフェドートの言が正しいのであれば、斬緒は間違いなく、狂気で異常で猟奇の領域に入っている側の人間だろう。
攻撃という名の防御を崩すならば、どうするべきなのかという問いに──刀を封じるという回答を思い付く人間はかなりいるだろう。
それをどうやって実行するのかと問われ──
「ンァガッ、ガガッ、グッ‼」
「?!」
自分の体に刃物を刺させると回答した挙句、それを実行することが出来る奴は、中々いないだろう。
──浮舟斬緒を除いては。
自分の体を貫く刃物が、更に深く深く刺さるように動かす。
深く刺されば刺さるほど、刀が抜き難くなるからだ。
彼女には
「あ、あ、あ……アンタ、何、して……」
「あはは……滅茶苦茶痛い……」
笑う彼女を見て、心底恐怖する。なんで笑っていられるの? そんなことを言いたくなった。ただ、他にも、次々と言葉が出て来るせいで、声として発することは出来ない。
様々な狂人を相手にしたことがある自負を持っていたが──今の今まで、自分の肉体を傷付けることに躊躇いがないタイプの狂人と出会わなかった。
それが、彼女の敗因の一つになったのは、間違いない。
最悪と呼ばれた女から産まれた娘であり、そんな女に災厄と呼ばれた男から産まれた娘である彼女は──最悪が最悪たる所以の遺伝子と、災厄が災厄たる所以の遺伝子を、しっかり引き継いでいた。
だからこそ、このような、自傷行為でしかない戦法を選択することが出来た──と、形容するのは、些か物語チックが過ぎるだろうか。
刀を離すことは出来ず、ただ呆然と、呆気に取られたまま、血を流すニンマリとした口元と、右目の下にある黒子、紫水晶の瞳がある斬緒の顔を注視する。
呆気に取られ、精神的に斬緒に敗北した時点で──心が折れてしまった時点で、彼女に勝ち目はない。
心が折れず、すぐに刀から手を離せば、斬緒を殺すことが出来ただろうが、残念ながら、圧倒されてしまった時点で、そのような未来は訪れない
刀の鍔が服に接触すると──「死ね」と、取り出したナイフで、ベルデの首を刺した。
深く、深く、刃の部分が首の中に入るように、刺したナイフを押す。
それで力を使い果たし、斬緒はベルデの体の上に、折り重なるように倒れた。
「ドーチャ……」
そのような倒れ方をしたため、彼女の耳元に囁くように呟いた形になってしまった。
飼い主の顔を脳裏に浮かべながら、斬緒は意識を失う。
(ドーチャ?)
相手の言葉をただ復唱するだけの言葉が、ベルデが最期に思ったことだった。
そのまま、彼女は亡くなり、最期に浮かんだ疑問について考えることが出来なかった。
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