第一幕【灼熱汲々】①

 一人で街を歩いていた浮舟うきふね斬緒きりおは、ふと違和感と覚える。あまりにも静かだった。この場所は人通りが多くないとはいえ、周囲には建物があるのだ。全く音がしないというのは変だ。いくらなんでも静か過ぎる。


 懐に仕舞っている武器をいつでも取り出せるようにし、周囲を見回す。


 直感的に何かが起きていると察知した。

 異常事態が発生していると理解した。


 人の気配が全くない。

 世界にただ一人取り残されたのかと錯覚するほど──異様な空間が出来上がっていた。


(異能力でも使わない限り、こうはならないよな──どこの異能力者がこんなことをしたっていうんだよ)


 空間を操作するタイプの異能力か、こちらの認識を操作するタイプの異能力か──どちらであっても、厄介だと思いながら、武器を取り出した。


 契合棹けいごうとう。見た目は真っ黒な普通の警棒だが、普通の警棒ではない。普通の警棒と同じように使うことも出来るが。


「お初に御目に掛かります」


 綺麗に整えられたスチールグレーの髪をした、華奢という言葉が似合う体格の若い男が、突然出現したかと思えば、丁寧にお辞儀をして来た。


 服装は、町中を歩いていても、特に目立つことのない一般的なもの。


わたくし、カーサ・トリステと申します」


 カーサ・トリステという名に聞き覚えはなく、誰だと思いながら、「なんの用?」と、声を掛けた。


「私達以外に人がいる気配がしないのは、貴方が何かしたから?」


「いえ、これはわたくしではなく、別の者の仕業なのですが──一枚噛んではいますので、わたくしの仕業と言えなくもないでしょう」


 他にもいるのか。

 何人相手にしなければならないのだろうか。


(私に危害を加えようとしていることは間違いない……具体的に何をしようとしているのかは分からないけど)


 斬緒は静かに考える。


 相手はパッ見──隙だからけとしか思えない状態で、今なら確実に仕留められそうに見えるが、そういう風に見せているだけもしれない。ここまで大掛かりなことをする人間だ。そう考える方が自然だろう。


 相手の目的や力量などが分からない内は、下手に動けない。


 何せ彼女は、戦うということに長けていない。肉体は見た目通りであり、リアンやシェーレのように特殊な改造を施されている訳ではない。


「異能力のせいでこうなっているのかな?」


「異能力以外でこんなことが出来るとでも?」


「異能力でも限り出来ないようなことを、科学の力で実現する人間がいるらしいよ──アインツィヒ・レヴォルテっていう人は、異能力を超える科学技術を有しているって、私のお母さんは言っていたしね」


 アインツィヒ・レヴォルテ──共輪きょうりん魔擲斧まてきふ分断刀ぶんだんとうと契合棹の制作者の名前。


「現在進行系でその技術力を体感している私は、お母さんが言っていることは間違ってなかったと思っているよ」


 どんな人物なのか、斬緒は全くと言っていいほど知らないが、彼女の母からその名を数度聞いたことがある。母は一度した会ったことがないその人のことをとても気に入ったらしく、欲しかったとか、一緒に暮らしたかったとか、貴方に会わせたかったとか、そんなことを言っていた。


 かなり情熱的な言葉だったので、よく覚えている。


 出会った後に色々と調べたらしく、後になって世界屈指に技術者だと知ったそうだ。「ファンになっちゃったの♡」とか言うぐらい、ぞっこんらしい。技術レベルは、本当に世界一と言っても過言ではない。


(久し振りにお母さんのこと思い出したな……)


 最悪な人間だったが、母らしいことは良くしてくれたと思う。


 こんな状況でなければ干渉に浸りたかった。けれど、生死が懸かっている状況なので、干渉に浸り掛けた己を無理矢理引っ張り上げる。


 そして、ジッとカーサのことを見据えた。


「街の様子に関しては詳しく話すことは出来ませんが、なんの用という質問に関してはきちんとお話しますよ」


「ふうん、親切なんだね」


「フェドート・ドルバジェフさん、貴方を殺しに来ました」


「は?」


「意外でしたか?」


 カーサは揶揄やゆするような笑みを浮かべる。


「貴方がしていることを思えば、当然のことだと私は思うのですが──ああ、それとも、このタイミングで殺しに来たのが意外だと感じたということでしょうか?」


「…………」


 どちらでもない。

 勘違いされていることに驚いている──と、素直に口にすることが出来ないのは、驚きのあまり絶句しているからではない。


 フェドートが、己の飼い主が、狙われているという事実に、どう対処するべきなのかを、考えているからだ。


(違うと否定しても私を殺そうとすることに変わりないだろうけど──その場合、私を殺したら、ドーチャを探し出して、ドーチャを殺そうとするんだろうな)


 もしかしたら、他のメンバーが、フェドートのことを殺そうとするのかもしれない。


(助けなきゃ……)


 阻止しなければ──絶対に。


「噂とは常々宛てになりませんね。噂だと線の細い男性でしたが、実際は可愛らしい女性──黒い髪、紫の瞳など、当て嵌まるところはありますから、噂があちこち回っていく内に、実際とは違うものになってしまったのかもしれませんね」


 噂の方が合っている。

 噂の方が正しい。

 お前が間違っている。

 ──と、心の中で、斬緒は呟く。


 線が細いという噂が、実は女性だったという部分に説得力が生まれているが、実際彼と相対すれば分かるが、確かに線は細いが、女性と間違えられるような体格ではない。服を着ていても、しっかり男性だと分かる体格をしている。


「噂の案外馬鹿に出来ないよ──実際に己の目で見て確認する必要はあるだろうけど」


 弥縫びぼう策として、人違いであることを指摘せず、フェドートの振りをしている彼女は、そのことを口にする訳にはいかない。思っても口にも出さない。顔もにも出さない。


 ただ静かに勘違いを受け入れる。

 否定しないというだけで、その勘違いを間違っても肯定する訳ではないが。


「そうかもしれませんねえ」


 どこ吹く風という態度のカーサは、にっこり微笑むと──懐から武器を取り出す。


 普通のサバイバルナイフだ。

 なんの変哲もないサバイバルナイフ。


 普通にナイフで攻撃して来るが、普通に避けることが出来た。


 素人がそれらしくナイフを振り回しているといった感じだ。今まで武器を握ったことがない人間なのかと思うほど、動きが非常に拙い。


 戦闘能力が高いとは言えないフェドートに、傷一つ付けることが出来ないだろうと半分確信に近い感想が浮かぶ動き──をしているというのに、何故か斬緒の攻撃は当たらない。


 不自然なくらい、掠りもしない。


(なんだこれ? なんなんだこれ?)


 予め『攻撃が当たらない』という結果を作り、『斬緒が攻撃する』という原因を作ることで、確実に攻撃が当たらない状況を作っているのかと思うほど──奇妙で奇異で不自然で不思議な状態だった。


 一旦攻撃を中止し、彼から距離を取り、冷静になって考えてみる。考えている間も警戒は解かない。


「異能力?」


 考えた結果導かれた結論は、『異能力のせい』だった。


「正解です。噂通りの聡明さを持っているのであれば、もっと早く気付く思ったのですが……やはり噂は宛てにならない」


 ドーチャならもっと早く気付いたよ、私と違って馬鹿じゃないんだから──とか、心の中で思いながら、彼をどうやって対処するのかを考える。


 フェドートなら戦わないという方法を選ぶだろうと思い、同時に、「私には出来ない選択肢」だと思った。


(ドーチャなら逃げるんだろうけど、私は逃げれないんだよなぁ──逃げたらドーチャが殺されるかもしれないし)


 とにかく、ドーチャを守らなければならないと思っている彼女は、逃げるという選択肢を取ることが出来ない。


(もしも、ドーチャがコイツと戦うなら、どうするのかな?)


 相手の攻撃を避けながら、思考を巡らす。フェドートの思考のステップなど分からない。彼の考えていることなど分からない。けれど、どういう行動を取るのかは、ある程度想像することが出来る。


 フェドート・ドルバジェフは戦闘員ではない。頭脳労働担当の男で、その頭脳をフルに利用し、他人をチェスの駒のように動かす男だ。要は支配者。必要なら自分自身で行動することも厭わない支配者。死や苦痛を恐れぬテロリスト。自身も異能力者であるというのに、この世から異能力を消そうとすること企む反社会的存在。そんな彼ならどういう行動をするのか──正確には、どのような提案を斬緒にするか。


(……………………ああ、ドーチャならこういうことをしそう)


 ある程度想像することが出来たので、「ああ、そうか、こうすればいいのか」と思い、すぐに実行した。


 カランッ。


 契合棹をいきなり地面に放り出した彼女にギョッとした。まさかこの状況で武器を手放すとは思わなかったからだ。


「ッ?!」


 武器を捨てただけでも驚いたが、何故かカーサに全速力で走って来る。反射的に手に持ったナイフで彼女を攻撃しようとしたが、思い切り蹴られたせいで、体勢を崩した挙句、武器を手放してしまう。


「ッグ、ガ、ア、ンガッ」


 彼女は尻まである長い髪を、隙だらけになった彼の首に巻き付け、髪の毛を縄代わりにし、思い切り首を締め上げる。


 背後から首を思い切り締め上げられ、彼は窒息の苦しみに苛まれ、苦痛のあまり、激しく藻掻き──そして絶命した。


 戦闘員ではないが、それなりに戦う彼女は、武道に通じておらず、戦闘系の異能力を持っていない一般人が相手なら──武器さえあれば、対処することが出来る。


 フェドートもそうだ。


 戦闘能力という点では、実のところそこまで大きく違わないのだ、この二人は。


 どちらが強いかで言えば、当然、筋力や体格の面で有利を取れるフェドートだが。


 フェドートならばどういう行動をするのか考えた。いくつかのパターンが浮かんだが、彼がどんな行動を取っても、カーサが勝てるとは思えなかった。正面から対峙しているというのに、カーサを殺すフェドートの姿しか浮かばなかったのである。


 このイメージが正しいのであれば、自分も、彼に勝てるのではないか、と思った。


 そう思ってからは早かった。異能力のせいで契合棹が当たらないなら、その異能力の詳細は一体どういうものなのか、彼の異能力の弱点はなんだ──というように、カーサを掘り下げた。


 掘り下げた結果、浮かんだ可能性は、彼の異能力は『武器による攻撃は通用しない』、それ以上の効果はないのではないか、というものだった。


 予想通り、彼は武器ではない攻撃なら通じた。


 髪の毛は武器でない。

 人体の一部だ。


 これなら彼を殺せるのではないかと思い、実行したのだが、実のところ、ここまで上手くいくのは予想外だった。


 カーサの敗因をあげるとするなら、斬緒のことを、フェドートと勘違いした上に、当然の如く武器に握り締める彼女を見て、武器を使って戦うと思い込み過ぎたからだろう。


 フェドートならば、このような無謀な賭けに出ることはしなかった──確実に言えることは、このように、浅い考えで行動することはなかった筈だ。


 フェドートは堅実な人間であり、好き好んで非堅実的な方法を取る人間ではない。


 武器を使って戦う人間──その認識は間違っていなかったが、彼女は武器がなくても必要なら戦う人間である。


 手が使えなかったら足で攻撃する、手足が縛られたら口を大きく開いて噛み付く──刃物を持った、自分より体格の良い人間と対峙している状態で、武器を捨てるという選択肢を、必要ならば取ることが出来る人間なのだ。


 カーサに向かって投げるならまだしも、何もないところに、捨てるように手放すのは、想定外のことだった。違う武器に持ち替える、とかだったら、理解出来ただろう。


 武器を捨てた瞬間、ほぼ同時と言って良いタイミングで、彼に向かって全力で走ったことも──結果的には良かった。


 何故武器を捨てたのか、そのことを考える時間を与えずに済んだからだ。それだけではない。狙いを定めて切ることも出来なかったのだ。


 なんの先入観もない状態──少なくとも、堅実な人間『フェドート・ドルバジェフ』であるという思い込みさえなければ、こんな風に殺されることはなかっただろう。


 彼が考えていたのは、フェドートを殺す方法であって、斬緒を殺す方法ではない。


 相手を誤認した結果──彼は死んだ。


 誤認したのを、彼の落ち度と責めるのは、やや酷なことだろう。全く落ち度がない訳ではないものの、全てが彼の落ち度という訳ではない。


 彼が斬緒をフェドートと誤認したのは──彼自身記憶が曖昧になるぐらい昔の出来事、一三年前に行われた刷り込みのせいだから、だ。


 当時、まだ幼かった彼に、館内放送を利用して語り掛けて来る存在がいた。彼はその人物の姿を見ていない。本当に声だけしか知らない。辛うじて女性であるということは分かっている。


 カメラ越しにカーサの姿を見た彼女は、なんとなく声を掛けてみたくなって、わざわざ館内放送を利用して、声を掛けて来たらしい。


 あれこれ一方的に毒にも薬にもならないことを言ったかと思えば、唐突に、「フェドート・ドルバジェフって奴のこと、知ってる?」と、問い掛けてきた。


「忠告してあげる──キミ、将来ソイツに殺されるよ?」


 ただ問い掛けられただけなら、彼は数年もすれば、問い掛けられたことを忘れていただろう。しかし、確信に満ちた声で殺されると言われれば、流石に忘れることなど出来ない。


「そのは、すこぶるヤバイよ。変に捻ったことはしない方が良いかもね。頭を使ってに対抗するなら、に並ぶ頭脳を持っていないといけないけど──キミじゃあ無理だろうし、変に策を弄するのはやめておいた方が良いかもね」


 他にも色々なことを言われたが、要約すると、このようなことを言われたというのは、漠然と記憶していた。


 声の主は、終始、フェドートのことを女と言っていたため、声の主の言葉を訝しむ気持ちを持っていたものの、性別まで嘘を吐いていると思わなかったせいか、彼はフェドートのことを女性と思い込んでしまった。


 声の主は、性別以外は嘘を吐かなかった──何故、女と偽ったのかといえば、将来的にカーサがフェドートと関わると察知していたからであり、性別を勘違いした状態で彼と関わったら、「なんか面白いことになるかも」と思った、ただそれだけなのだ。


 深い意味はない。

 思い付いたから実行しただけで。


 そんな風に勘違いをしていた状態であっても、フェドートを殺すという目的を、斬緒に悟られなければ、もしかすると、彼は生きていたかもしれない。


 闘争ではなく、逃走を選び、彼女はどこかに逃げ、フェドートを殺すという計画は頓挫とんざし、彼は依頼を失敗するという形で生きていた可能性は、充分あった。


 数少ない取り柄である足の速さに賭けて、全速力で逃げるという選択肢が、斬緒の脳内にあったからだ──フェドートを殺すという目的を聞くまでは。


 フェドートを殺すと聞いた瞬間に逃げるという選択肢を頭から消したのは、ひとえに飼い主である彼に懐いているからだ。


 逃げてフェドートにこのことを伝えれば、彼はそれ相応に対処して、カーサ達の計画を破壊し、終わりを迎えていただろう。


 けれど、それをしなかった。

 万が一のことを考えて。


 カーサが死んだことを確認した彼女は、この後について思考を巡らす。


 フェドートを殺そうとする存在はまだいる、一体どれだけの人間が存在しているのか分からないが、少なくとも、町をこのような状態にした奴は生きている。


(それなら、殺さないと──)


 殺さなかったら、もしかしたら、フェドートは死ぬかもしれない。


 殺し殺されは大嫌いだが、大事な存在が殺されるとなれば、話は別。


 彼女は契合棹を拾い上げ、町を歩く。


 頭の中は、どうやってフェドートを殺そうとする存在を見付け出し、息の根を止めるか──しかなかった。

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