第四幕【光芒傀儡】②

 正面から対峙していても、全くと言っていいほど、リアンは隙がなかった。だけど、怒鳴り出してからは、隙だらけになった。


 だから、エーレさんから貰った物を取り出し、引き金を引くということが出来た。


 銃口から飛び出したのは、白い煙。


 白い煙には薬が混ざっているらしく、この煙を吸うと、一瞬で眠る──と、エーレさんが言っていたし、実際煙を少し吸っただけなのに、リアンはすぐに眠ってしまった。


 異能力のお陰で薬の効果を受け付けない私は、眠らずにいられるけど。


「……私は、ここから、リアンを連れて出て行こうと思うんだけど、キミはどうするの?」


 手と鼻を片手で覆い、息を止めているシェーレに、問い掛けた。私の腕から手を離すと、ギュッと私の手を掴む。


「付いて来る?」


 彼女はボーッと表情のまま、首を縦に振った。


「えっと、じゃあ、リアンを運ぶの、手伝ってくれない?」


 左手首捻っているせいで、両手を使うことが出来ないので、そうお願いしてみると、また首を縦に振る。


「煙を吸うと大変だから、とりあえず煙が発生していない場所まで私がリアンを連れて行くよ。だから、煙のないところに移動して、待っててくれないかな? ほら、ずっと息止めているの、辛いでしょ?」


 シェーレは私が言った通りにしてくれた。


 リボンで塞がっていた道は、持っていた鋏と、投げた鋏を使って、切り開いてくれた。強度期待は見た目通りらしい。鉄みたいに硬い訳ではないらしい。これでどうやって壁抉ったんだよって思ったけど、そこは速度のお陰ってことなのかな? 物理には詳しくないから分からないけど……普通に触る分には痛くもなんともない。勢い良くぶん回された状態でヒットしたら、スゴイ痛いみたいな感じか? 駄目だ。なんか違う説明になった気がする。異能力だから深いことは気にしない精神でいこう。


 対改造人間用拳銃と、マガジンは回収しておいた。武器はある分には困らないから。


「どこから外に出れるか分かる?」


 シェーレは北側の通路を指差す。

 シェーレの案内と手伝いのお陰で、リアンを連れて研究所の外に出ることが出来た。


 すっかり太陽は沈んでおり、月が顔を出している。こんな状況でなければ見惚れていたほど、美しく綺麗な夜空だ。


「………………はあ」


 今から歩いて山を降りるのか……。

 夜中に下山するのかよ……。

 しかも、同い年の男子を一人抱えた上に、一二歳の子も連れて。


「困っているみたいだけど、僕の車に乗って行くかい?」


 憂鬱な気分になり、溜息を吐いていると、エーレさんが声を掛けて来た。


「エーレさん……」


 彼が死んでいないことに、驚きという驚きはなかった。なんとなく、そうなんじゃないかと、予想していたから。


「四人乗れるから」


「ここ、車が通れる道、あるんですか?」


「分かり難いところにあるよ。一箇所だけ。その近くに停車しているから、付いて来て。リアンは僕が運ぶから。シェーレのことを連れて来て。彼女は、目を離した隙に、一瞬でどっかに行くことがあるみたい」


 こんな山の中でどこかに行ったら、大変なことになるので、どこかに行かないように、手を繋いだ。


 エーレさんが後部座席にエーレを乗せ、私がその隣にシェーレのことを乗せると、それぞれの体をシートベルトで固定した。


「切っちゃ駄目だよ……後、その鋏は、仕舞っておこうね。危ないから。何かの拍子に体に刺さったら危ないでしょう?」


 鋏でシートベルト切ろうとする彼女を慌てて止めて、そう言うと、すんなり鋏を渡してくれた。後部座席に置いてあったタオルを借り、それで鋏を包み、座席の下に置く。走行中に刃が剥き出しの鋏は危ない。


 助手席に私が乗り、運転席にエーレが乗り、シートベルトを確認されてから、それから車は発進させた。


「エーレさん、リアンと取引したんですよね? その取引、エーレさんの利益は、リアンに殺されないこと、だったりします? エーレさんが異能店の情報を提供する代わりに、リアンがエーレさんを殺さない……そういう取引だったんじゃないですか?」


「どうしてそう思うんだい?」


「今思い返せば、テクストブーフに言っていた言葉、あれってああいうだったのかと思って……」


 テクストブーフの──「あら? お説教?」という発言に、あのような返しをしたのは、彼が死ぬと分かっていたからではないかと、たった今思ったのだ。


『そんなことはしない。意味がないからね』


『いつもなら説教するのに、珍しいわね。漸く無駄だと理解したのかしら?』


『そんなところだよ』


 もうすぐ死ぬと分かっている人間に、説教なんて無意味だ。


 だから、いつもならする説教を、しなかった。


「私に、あの、吸ったら一瞬で眠る煙が出る、一回しか使えない銃をあげたのも、今後の展開を知っていたからじゃないかと、思ったんです」


 すぐに気付いた訳じゃなくて、リアンが馬鹿正直に全部話してくれたときに、もしかしてと思っただけだけど。


 確証という確証があった訳じゃない。


 漠然と、そうじゃないかと考えていた程度だ。


「その通りだよ。全部知っていたから、ここから出て行く準備をしていたし、テクストブーフに説教をしなかったし、キミにアレを渡したのも、部外者のキミが死ぬのは、流石に目覚めが悪いと思ったからだよ」


「真っ白な人間じゃないですよ、私」


 飼い主はテロリスト。

 白さとは程遠い。

 何故なら、駒として利用されているのだから。


「真っ白じゃないどころか、例えキミが真っ黒な人間だとしても、この研究所と関係ない人間であることには変わりないからね。死ぬなら僕と関係がない場所で死んで欲しい」


 その言葉がどこまで本当なのかは分からない。しかし、今回の私は、彼のお陰で助かったようなものだ。その点に関しては、深く感謝しなければならないだろう。


「しかし……どのように形容するべきなのか、上手い単語が見付からないけど……キミ、悪運が強いんだね」


「まあ、そうですね……骨折せずに済んだのは、かなり運が良かったと思います」


 腕の骨とか、肋骨とかが折れることは覚悟していたけど、今回はそんなことなかった。


「それもそうなんだけど、そうじゃなくて……」


 約五秒程度、言葉を探す素振りを見せた後、エーレさんは続けてこう言った。


「リアンが生きていることも、かなり意外なことであったんだけど、もっと意外なのは──あのシェーレが大人しくキミに従っていることだね……キミと僕以外の人間が、今日この研究所から出て来るとは、あまり考えていなかったから、本当に驚いた」


 かなり直接的な言葉を使っているけど、これでもオブラート包んでいるのが、声音でなんとなく察することが出来る。


「リアンが出て来るなら、一〇〇譲って理解出来るのだけれど、シェーレが研究所から出て来るとは……」


「そんなに意外なことなんですか?」


「そうだよ」


 力強いと表現するほどじゃないけど、他の言葉よりハッキリした声だった。


「戦闘能力は異常ぴかいちだから、リアンに殺されないかもしれないとは考えていたけど、意志とか自我がかなり希薄だから、ここから出ようとするとは思わなかった──まして、キミの言うことを大人しく従うとは、全く考えていなかった。僕が想定していたイレギュラーとは違うイレギュラーが発生したってことになるんだろうけど、キミ、本当に何者なんだい?」


 何者。

 よく訊かれるな。

 正直問われても困るよ。


「テロリストの駒になっている凡人ですよ……それしか言えません」


「キミのような凡人がいるか」


「スペックは平々凡々ですよ」


 両親と、テロリストに飼われている事実を除けば、かなり平凡な人間だ。人格も、精神強度も、能力も。


「頭だって良くないし、運動神経も良くないし、突出した技術がある訳じゃない──そんな平均的なスペックをした人間です」


 今回助かったのだって、運が良かっただけだ。


 リアンがギリギリまで殺すのを躊躇ためらってくれなかったら。エーレさんが部外者の私が死ぬのは忍びないと思ってくれなかったら。テクストブーフの好みに私が合致していなかったら。


 私はどうなっていたのか分からない。


 偶然という偶然が重なった結果、私は生き延びた。


 その偶然のいくつかを、ドーチャは把握していたから、死なないと言ったのだろうけど。


「私の飼い主が、私は死なないと言っただけの根拠が揃っていたから、死ななかったんですよ」


 私が本当に非凡な存在なら、この悲劇をどうにかしている。


「どうなんだろうね、と言いたいところだけど、まあこの辺りは考え方の違いになるだろうから、この話はここで止めにしよう」


 と言って、エーレさんは話題を切り替える。


「キミ、この後どうするのか、しっかり考えてあるのかい?」


「一応は。今まで通り飼い主の世話になります」


「キミだけなら問題ないかもしれないけど、リアンとシェーレもとなると、かなり違って来るんじゃない?」


「そこは、リアンとシェーレの戦闘力などを交渉の材料にして、頑張って交渉しようと思っています」


「なら、いいんだけどね」


「そういうエーレさんは、この後どうするつもりなんですか?」


「僕は、コネを使って、他国に移住でもして、ひっそり仕事をして、ひっそり生きるよ」


「ひっそり……隠居?」


「それに近い形になるね」


 隠居か──目的が達成したら、私も隠居しようかな。そのとき生きているかどうか分からないけれど、生きていたらそうしたいなぁ。


 隠居するには圧倒的にお金が足りないから、それをどうにかしないといけないか。


「どこで降ろして欲しいとかある? 山を出てすぐのところで降ろされても困るだろう?」


「ええっと、じゃあ……人通りも車通りもあまりなくて、防犯カメラもない道でお願いします」


「細かい割りには抽象的だね。下山して、暫くした場所に、条件に合う道があるから、そこで下ろすよ」


「分かりました。ありがとうございます」


 山を抜けて三〇分くらいしたからだろうか。


「着いたよ」


 脇の方に停車し、鍵が開く音がする。


 車から降りて、後部座席に座っている、寝ているのか起きているのか分からないシェーレを揺すると、すぐに目を開け、タオルに包まれた鋏を回収すると、すぐに車を降りた。


 リアンは起こして良いのか分からず、結局起こさず、背負っていくことにした。


 片手だけで抱えるのはしんどかったので、シェーレにも手伝って貰う。


「本当にここで大丈夫なのかい?」


「うっかりエーレさんが私の飼い主の姿を目撃したら、かなり大変なことになりますので……」


「それは、かなり不味いね……困るよ」


「我が身が大事なら、ここで私達と無関係になった方が良いです」


「そうさせて貰う──キミがどこの誰なのか知らないし、名前すら知らないけど、まあ、なんていうか、気を付けてね」


「えぇ」


 運転席の窓が閉まる。

 エーレさんの車が、完全に見えなくなるまで視線で追う。


 心の中でもう一度エーレさんにお礼と言うと、私はリアンを背負って歩き出す。


 長い道のりだった。


「無茶をするのが趣味のような方だと思っていましたが、まさかここまで無茶をするとは……そんなの捨ててしまえば良いのに。馬鹿ですね、ホント」


 ドーチャがいる場所まで戻って来ると、開口一番、優雅に紅茶を飲んでいた彼に、馬鹿を見るような目を向けられ、呆れたような顔をされ、こんなことを言われた。


 体力と筋力が限界を迎えて、すっかり動けなくなり、床にぶっ倒れた私の心配をしないのは別に良い。良くないけど、まあ良いとしよう。だけど、私の背中に乗っているリアンを見て、『捨てればいいのに』はないだろ。


「フィセルさんだけならまだしも、後一人、研究所の関係者を連れて来るとは……」


 やれやれといった様子でかぶりを振ると、私の上に乗っかっているリアンをどかす。


 人一人分の重さがなくなった私は、リアンが持っている黒いファイルを差し出した。


「ちゃんと持って来たんですね」


「だって、これが欲しかったんでしょ?」


「……欲しいという言葉自体は、嘘ではないのですが……実のところ、そこまで欲しいという訳でもなかったんですよね」


「何か裏の目的でもあったの? 私がファイルを受け取るかどうかはそこまで重要じゃなくて、リアンと接触する方が大事だったとか?」


 カップに残った紅茶を啜り、それから「えぇ」と、澄ました笑顔を浮かべて肯定する。


 疲れているせいか、その澄まし顔がウザいと思ってしまった。普段ならなんとも思わないのに。


「正解と言っても過言ではないのですが、一部だけ訂正させて貰うと、お前とリアンさんが研究所内で騒ぐを起こすことが大事だったのです。だから、ファイルに関しては手に入らなくても良いと思っていました」


 ファイルのために頑張った私の労力よ……無駄じゃねえか。いや、いらない訳ではないから、無駄ではないか。無駄にした気分にはなったけど、冷静になって考えてみると無駄ではなかった。


「実は僕もあの研究所にいたんですよ。もう既に知っているのかもしれませんが、あの研究所には、隠し通路があるのです。それを利用して、貴方達が囮になってくれている間に、このファイルに書かれている情報よりも重要な情報を盗み出すこと──これが僕の本当の目的でした」


 構内図に隠し通路について書かれていなかったのは、やっぱりわざとだったんだ。そうだろうなと思っていたよ。


「隠し通路の存在は一部の人間しか知りません。フィセルさんですら知りません。ほんの一握り、しかも、フィセルさんを捕らえようとする人間とくれば、数人程度」


「本当に一部の人間しか知らないんだね」


「それに──フィセルさんが研究所の人間を殺すことは分かっていましたので。誰かに僕が見付かる心配は、殆どしていませんでした。死人が誰かを探すなんて出来っこないでしょう? 現に、僕はあの研究所の敷地内に足を踏み入れたとき、結構な数の人間が死んでいました。お陰でゆっくり探すことが出来ましたよ。時間を気にしなくて良いというのはいいですね」


 結構な数、か。

 ドーチャが来た時点で、どれだけの人が殺されていたんだろう。


「……あのさ、ドーチャはさ、どこまで予想していたの?」


 こうなることも、全部予想していて、私は、またドーチャの掌の上で転がされていたのかな?


「お前が死なないこと。研究所の人間の殆どがフィセルさんによって亡くなること。これぐらいですよ。お前がフィセルさんだけでなく、そこの女の子──」


 床で寝ているシェーレに、ドーチャが一瞥いちべつしたので、「シェーレ・シックザールっていうの、その子」と、彼女の名前を教える。リアンのことは説明するまでもないけど、この子に関しては後でちゃんと説明しておかないといけないな……眠くて忘れてたよ。


「シックザールさんまで連れて来るのは、全く想定していませんでした」


 どうなのだろうか。想定していなかったという割りには飄々ひょうひょうとしているし。この話も、どこまで本当のことを言っているのか分からない。


「疲れているとは思いますが、何があったのか、教えて頂けませんか? 一部は知っていますが、全部が知りませんので」


「ざっくりとでいい?」


「構いません」


 本当にざっくりと、私が知る範囲で、概要をなぞるように、研究所内での出来事を伝えた。


斬緒きりお……本当にお前という奴は、変なところで甘いですね」


 全てを聞き終えたドーチャは、また呆れたような声を発する。


「だからこそ、死ぬことはないだろうと思い、フィセルさんと接触させた訳ですが……」

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