第四幕【光芒傀儡】①

 紐──というより、今更だけど、リボンが、とんでもないスピードで、シェーレと私に目掛けて飛んで来た。


 シェーレが足を引っ掛けてくれたお陰で当たらずに済んだけど、リボンが当たった部分──壁と天井が結構深く抉られていた。綺麗な一本線を描くように抉られていて、あれが自分の体に当たっていたらと考えると、冷汗三斗れいかんさんとの思いという言葉が似合う心地になる。


「あれ、なんて言うんだっけな? あー、あれ、あれだ、策士策に溺れるってこういうことなんだろうな……俺は策士じゃねえけど」


 策士はどっちかって言うとテクストブーフだね──とか、言える雰囲気ではなかった。


 自嘲が混じったような陰惨いんさんな笑みを浮かべてそう言ったかと思えば、切れ味の良い刃物のように鋭い眼光を向けて来たからだ。


「あれ、嘘だったんだね。本当は異能力者だったんだ」


 このリボンは、明らかに異能力によって出来たものだ。


「まあな」


「いつの間にか手に紐──というか、リボンを手に持っていたのは、異能力を使って取り出したからなんだ。これで、銃とマガジンを括り付けるように言ったのは、私が一人で逃げたりしたときとか、裏切ったときの保険かな? 動きを制限させたり、殺したりするとき、近くにリボンがあった方が都合が良いもんね」


 窓から中庭らしき場所に落下しているとき、一瞬だけ何かが足に引っ掛かった感覚したけど、あれ、気のせいとかじゃなくて、リアンが異能力を使ったのかな?


 リボンを一瞬だけ私の足に引っ掛けて、勢いが少しでも殺そうとしてくれたのかも。


 私の予想が正しいければの話になってしまうが、リアンには、あのとき、私に死なれたら困る事情があった筈なのだから。


「別に、そんなつもりじゃなったけどな……結果としてそうなったんだよ。こんな状況じゃ信じて貰えねぇか。そうだよな。仕方ないよな」


 どうなのだろうか。今こうして私のことを殺そうとしていることを思うと、最終的になんやかんやで殺そうと企んでいたとしか思えない。


「私が対改造人間用拳銃を手に入れたとき、すぐに移動しないで、ダラダラ過ごしていたのも、何か理由があったんでしょ? 完全に憶測だけど、研究所の誰かが来て──窓から中庭に投げる口実が出来ることを期待していんじゃない?」


 こうして振り返ってみると、結構不自然な点があったのに、意外とそのときだと気付けないものなんだな。私が鈍いだけかもしれないけど──ドーチャならそう言うんだろうけど、人間冷静に考えられる状況じゃないと、簡単なことにも気付けないらしい。


「そうしたら、私から離れて、自然な形で単独行動出来るよね」


 リボンで行く手を塞がれているせいで、階段以外の場所には移動出来なくなっている。


 逃げることは、出来ない。


 だから、私は、時間を稼ぐ。

 話をして、時間を稼ぐ。

 決断のための時間を。


「見付かったのもわざと。すぐに脱出しない理由を作るためでしょ? 構内図を抜き取るためって目的もあったんじゃない? 抱えたときなら、いくらでも抜き取れただろうし。構内図があったら困るよね。単独行動のとき、私が一人でここを出ないとは限らないよね。私には囮という役割があるんだから」


 私の半分こじつけの推理を聞く気があるのか、リアンは黙って聞いていた。シェーレはただただ警戒しており、リアンの様子を窺っているように見えた。


「私が人が少ないと思ったことに、テクストブーフは、研究員の殆どが地下に避難していて、改造人間は怖気付いているからだって説明していたけど──その説明自体は嘘じゃないけど、地下に避難していた研究員も、怖気付いた改造人間も、既に死んでいるからなんじゃない?」


 死んでいるから、どうにも出来ない。


 これだけリアンが動き回れたのも、私が動き回れたのも、そういうことなんだろう。


 二回、私とリアンは別れて行動した。その二回で、研究所内にいる人間を殆ど殺してしまった。


 ウィンクルムも、恐らく、彼が殺した。


「私は殺すための囮として使われただけ。押さえ込まれた私を助けたのも、囮としての役割がまだ残っていたから。クロスボウの矢から庇ったのも、私と別れて行動する口実のため。そうでしょ?」


 私の半分くらいこじつけと言える憶測を聞き終えると──


「ハハッ、正解」


 爽やかだけど、諦めに満ちた声を発し、また笑う。その笑みはいびつで、見ていられないという気持ちにさせられるものだった。


「テクストブーフが言ってたんだけど、リアンの死んだ仲間に、私、似ているらしいじゃん。だからテクストブーフは、リアンが私のことを助けても違和感を抱かない、囮にとして使える、そう考えたんじゃない?」


「そういう打算的な部分もないと言ったら嘘になるけど、お前に死んで欲しくなかったのも本当だよ」


 意外な返答だった。

 やっぱり、純度一〇〇パー打算だった──と思っていたけど、そうじゃないの? 利用するためだけに助けたんじゃないの? 一時撤退をしたテクストブーフを追い掛けなかったのも、そういうことじゃないの?


「一応、可能なら、お前が何にも気付かないでいてくれたら──気付いたとしても、気付いていない振りをしてくれていたら、俺はお前を殺さないつもりだったよ」


 似ている。ただそれだけの理由で殺せなくなるものなのかな? 私には分からない感覚だ。


「なんで? 殺した方が良くない? 気付かれたら困るってことは、知られたくないことだったんでしょ? 後から気付かれる可能性だってあるんだし、殺した方が余計な心配しなくていいと思うんだけど……」


 なんの意図があってそんなことを……。

 いや、まあ殺されない方が良いけどさ。


「叶うなら、一緒にここから出て、今までとは関係ない人生を送りかったと思っていたぐらい──俺はアイツのことが好きだったからな。似ているお前を殺したくないと思うのは、何もおかしくないだろ」


「似ているだけだよ?」


 所詮は出会ったばかりの赤の他人なのに。


「それでも俺は殺したくなかった。今だって躊躇ちゅうちょしてるんだぜ? お前のお喋りに付き合って、覚悟を決める時間を稼ぐぐらいには」


「なら殺さなきゃいいじゃん。迷うぐらいなら人なんて殺すもんじゃないよ。時間稼ぎをして覚悟を決めなきゃいけないぐらいなら、殺さなければいいでしょ」


 リアンに対して、出来れば殺したくないと思っている自分のことを棚上げして、こんなことを言った。本当、どの口が言っているんだ。


「それが出来たら苦労しねぇんだよ……」


 悲哀に満ちた声と表情で、首を横に振る。


「そんなのは精神的強者の意見でしかない」


「精神的強者ねぇ。寧ろ弱者寄りのメンタルしてるよ、私。マジモンの精神的強者っていうのは、思い込んだりせず、人を殺しても自分が悪いことをしているなんて、ナチュラルに考えないし、思わない──平時から狂っている奴のことを指すんだよ」


 常人と凡人は、どう足掻いても、精神的強者になれない理由でもある。


 母とか、ドーチャとかが、精神的強者に当て嵌まるだろう。


 逆立ちしても、私は、母みたいにはなれない。どんな目に遭おうとも動じない無敵と呼ぶに相応しいあの母みたいに、なるなんて、到底無理なことだし、寧ろああなったら終わりだとすら思っている。


「話を戻すか。なんで研究所の人間の殆どを殺したんだ? これに関してはいくつか理由を思い浮かべることが出来るけど、次に関してはマジで分からないんだよ。なんでそれがテクストブーフにバレなかったんだ? 私があの憶測を半分くらいこじつけだと思ったのは、決して馬鹿ではないテクストブーフが気付けなかった理由に納得出来るものがなかったからなんだけど」


 それだけは、どれだけ考えても、分からなかった。


 牽強付会けんきょうふかいで良いのなら、いくらでも思い付いたけど、どれも納得出来る内容ではなかった。


「知っている情報に誤りがあった、それだけの理由だ」


「誤りがあった……」


「どれだけ頭が良くても──前提が間違っていたら、間違えた答えにしか辿り着けねぇだろ?」


「そんなことか……」


 理屈は分かる。

 単純ではあるけど、確かにその通りだ。


「上から音がしただろ? あれ、俺がテクストブーフを殺したときに立てた音だぞ」


「どうやって──ああ、異能力か」


「そう、異能力。今日までずっと隠し続けていたから、アイツも知らない……だから、殺せたんだよな」


 テクストブーフは敗北を喫した理由が、少しだけ納得出来た。まだ、完全に納得出来た訳じゃないけど。


「なんで研究所の人間をぶっ殺したのかについては……ぶっ殺したかったから、それ以上の理由はねぇよ。こんなところ大嫌いだから、滅茶苦茶にしたかった、ただそんだけだ」


「シェーレのことも殺すの?」


「殺すに決まってるだろ。危険人物だぞソイツ。チョロチョロ動き回っているせいで、どこにいるのか今の今まで分からなかったから殺せなかっただけで。お前と違って最初から殺す気しかないんだよ、ソイツに対しては」


 即答だった。

 シェーレに関しては、本気で殺す気しかないらしい。


「そう……」


 考えはまとまった。

 リアンがお喋りに付き合ってくれたお陰で。


「私を殺したくないって思ってくれたんでしょ? 今も思っているんでしょ? けど、それは出来ない」


「出来ないな」


「なら、出来ない理由を今から用意するよ。そして一緒にここから出よう。そうしよう」


 助けてくれたことも。

 庇ってくれたことも。

 守ろうとしてくたことも。

 傷を心配してくれたことも。

 逃げ切れたことを喜んでくれたことも。


 全部が全部嘘じゃないなら、殺そうとしてきたけど、それでも良いや。


 ここから一緒に出よう。


 ──という方向に考えが纏まった。


 馬鹿だから出来る選択だ。

 賢い人間には絶対に出来ない、と思う。

 リスクとリターンが釣り合っていないから。


「私を殺したら、この後の生活が駄目になるかもしれないよ? 今後暮らしていく上で、必要になってくる物、例えば身分証とか、そういうのを、私が生きていたら、ドーチャは用意してくれるだろうけど、私が死んでいたらどうなるのか分からないよ?」


「お、お前、何言って──」


「私、ある場所にいたことがあったんだけど、そこからある人と一緒に逃げようとしたことがあったんだよね。だけど、失敗しちゃって、私一人だけが逃げれて、その人は逃げれなかったんだ。私はそのことをずっとずーっと後悔している。なんであのときって、今も思っているんだ」


「いきなり、な、なんの、はなし、して──」


「逃げるのに失敗したとき、凄く嫌な気持ちだったよ。最悪な気分で、思い出すだけでも死にたくなってくる。失敗してから気付いたよ、自分が思っているよりその人のことが大好きだったって」


 逃げられたら幸せになっていたかと言えば──断言することは出来ない。絶対に苦労するだろうから。


「……………………」


 彼女とリアンを重ねたりはしていない──双方に対して失礼だし、精神が限界という点以外、似ているところなんてないから、重ねようがない。


「きっと私のことを殺したら後悔するよ? 今すぐ殺せないぐらいには躊躇ためらう気持ちがあるんでしょ? なら絶対に後悔するよ。それならやめた方が良いよ。今後の生活のためにも、今後の精神のためにも、私のことを殺さない方が良いって、絶対」


 リアンの本当の気持ちとか分からない。どこまで本心なのか、そんなことは推察するしかない。それでも躊躇う気持ちが少しでもあるのなら、私の言葉に耳を貸してくれないかな。リアンが殺す気でいるなら、私もそれ相応の手段を取らなくちゃいけなくなるから。


「ここを出たら、美味しいスイーツを食べたり、ショッピングに行ったり、遊園地に行ったりとか、そういうことしてみようよ。一緒に出掛けたりとか。漫画呼んだり小説呼んだりするのも良いかも。オススメ小説があるからさ、今度貸してあげるよ。ローゼリアに、ニプトゥーン城っていう古い城があるんだけど、結構有名な観光地でさ、子供の頃から行ってみたくて。良かったら一緒に行かない? 学校に行きたいなら、行けるように手配するから。ドーチャにお願いするから。勉強が難しかったら、少しなら教えられるからさ。うん。ここから出たいんでしょ? なら、出た後のことを考えようよ」


 チラッとシェーレに視線を向ける。彼女は黙っていて、鋏を持っている手と反対の手で私の腕を握っていた。


「はは……ははははははは……」


 乾いた笑い零すと、リアンは歪な笑みを作る。


「お前、ホント、バッカじゃねえの……そんなんで、殺すことが日常生活に組み込まれている人間を、殺すのを止めるとか思っているのか? 殺すことが処世術になっている人間が、殺さない決意が出来るとか、本気で思っているのか?」


 リアンは、震える。

 ガタガタと、怒りで。

 全身を震わせる。


「ふざけんな! ふざけるな! ふざけるな! 理由を並べられた程度で止められる訳ねえだろ! 殺さなきゃ生きていねぇんだぞこっちは! 殺した数だけ寿命が伸びていたんだぞ! 殺すより殺さない方が大変なんだぞ! ふざけてるだろ! 馬鹿にすんのも大概にしろよ! そんな風に思えるほど、こっちは微温ぬるい世界に生きていた訳じゃねえんだぞ! テメェ基準に語るんじゃねえ! 俺のこと知らねえ曲に! 俺のことなんにも分からねぇ癖に! あれこれ御託を並べやがって! 死にたくねえだけだろうが! だったら素直に命乞いでもしておけよ! クソッ! クソッ! クソッ!」


 感情のまま怒鳴り散らし、途中から衝動のまま頭を掻きむしり、怒鳴り終えると、欲望のままに涙を流す。


 ああ、滂沱ぼうだの涙って、こういうことを言うんだろうな。


「自分で自分のことを終わらせようとするのは、ただの悲劇でしかないよ。自分で自分のことを見限るのは、ただの愚行だ」


「皆そんな風に生きれねぇんだよ」


 敵意が籠もった眼差しだけど、不思議と怖くはなかった。ただただ痛々しくて、哀れだった。


「簡単に人は死ぬけど、簡単に人は終わらないんだよ……続けようとする人間がいるせいで」


「俺にそんな奴はいねえよ。一人いたけど、ソイツはとっくの昔に死んでるからな」


 涙を引っ込ませ、ジッと私のことを見詰める。最早私しか見えていないんじゃないかと思うぐらい、熱烈な眼差しだ。


「ソイツと似ているから、お前のことは殺したくなかったけど──お前と話したお陰で、迷いは吹っ切れた。ありがとう」


「…………」


「お前は強いな」


「強くない」


「俺から見たら強いんだよ」


「私が本当に強い人間なら──こうはなっていないよ。強さってのは、特権階級にしか与えられないものなんだ。私やリアンみたいな奴には与えられない。これは私やリアンが劣った存在だからじゃない。良くも悪くも普通だからだよ」


 強さなんて、極一部の例外にしか与えられない特別ものだ。一五年しか生きていない人生で学んだことの一つ。


「ハハッ、言うじゃねえか」


「知っているからね──経験から来る考えだよ」


「そうかよ。なら、そんな人生、すぐに終わらせてやる。今からお前のことを苦痛を味わう間もなく殺してやる。良かったな。もう惨めなことを考えずに済むぞ」


「悪いけど、私はまだ死なないよ。やらなくちゃいけないことがあるから。惨めでも、足掻いて生きる。死ぬよりマシだ」


「遺言だけは聞いてやるから、それは諦めろ」


「さっきリアンは『お前と話したお陰で、迷いは吹っ切れた。ありがとう』って言ったけど──そっちこそ、私の話に長々と付き合ってくれてありがとう」


「は?」


 私はエーレさんから貰った、信号銃に似た外見をした銃の引き金を引いた。

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