第三幕【虚辞遁走】②

「良い物ってなんですか?」


 室内に入りながら、エーレさんに問い掛ける。室内に入るのを、テクストブーフは止めようとしなかった。


「先に手当するよ。本当はちゃんと病院に行った方が良いんだけどね」


「病院に行ったところで、私、薬効かないから無理だよ」


「それ異能力のせい?」


「そうだよ」


「難儀な体質だね」


「そう思う?」


「似た異能力を持つ人間を一人知っているから、余計にそう思う。その人は異能力のお陰で絶対に病気になることはないから、キミほど苦労はしていないだろうけど。怪我をしたときは、どうするのかなとは思っていたよ」


「怪我のときは大変だけど、慣れると平気になるよ。病気の方は、なったことはないから、今のところ大丈夫。冗談みたいに、健康過ぎる肉体を持っているんだよ、私。予防接種ぐらいでしか病院に行ったことないぐらい健康」


「アンタ、よく今まで死ななかったわね」


「死ぬほど健康だからね──てか、私、促されるがまま、ここに来たけど、良かったの?」


「良いのよ。それで良いの。アタシから無事逃げることが出来たと証明として利用することが出来るから、それで良いのよ。アタシから逃げて、エーレに偶然出会って、治療して貰った──そうい言えば、アイツは信じるわよ。リアンはそういう奴だもの」


「えぇ……」


 どうなんだ、それ。

 流石にそんなことないだろ。

 少しは疑うんじゃないの?

 これで疑わなかったら、色んな意味で心配になる……。


「寧ろ、安心するでしょうね。馬鹿みたいに信じて、ちゃんとした手当てをして貰えたことに喜ぶでしょうね。それに、アタシがアンタを人質として利用する場合も、きちんとした手当てが施されていたとしてもアイツは疑問に思わないわ」


「疑問に思うでしょ……馬鹿じゃないんだから」


「思わないわ。だって、アンタ、超タイプの娘なのよ? ついさっきまでアタシの好みを知らなかったけど、今までのアタシの行動や言動を振り返ったら、アタシがタイプの女の子の傷の手当てをすることを不自然に思わないだろうし、物理的に傷付けることはなくても、性的に傷付けることはするって理解するだろうから、問題ないわ」


 現在進行形で貞操の危機を感じている身からすれば、性的に傷付けるのところは否定出来ない。けど、人からそう思われていることを公言するのは如何なものなのだろうか。良いのかそれで。


「まるで、私が裏切らないとリアンが思っていることを前提に話しているけど、そこまで信用するかな……出会ったばかりの人間を。それに、長時間、私の安否が分からなかったら、一人で逃げたりするんじゃない?」


「リアンはアンタのことを置いて逃げないから大丈夫よ」


「何を根拠にそんなことを……」


 出会ったばかりの私よりも、リアンのことを知っている相手に言う台詞じゃないけど、ここが異常な環境であることを考慮しないで言わせて貰えるのなら、出会ったばかりで、直接的にリアンの望みを叶える訳でもない人間相手に、そこまでするのは──普通はあり得ない。


 敵にアドバイスしているようなものだけど、どうしても根拠を知りたくて、ついこのような言葉を口にしてしまう。


「気に入られているもの──じゃなきゃ、あそこまで助けようとはしないわ。捕まったのを助けただけでも、かなり優しいわよ。その上、クロスボウの矢から助けている辺り、相当だわ。昔の仲間に似ているから、ついつい助けてしまうのでしょうね」


「昔の仲間……」


「ヘマして死んだんだけどね。アンタが、その子に凄く似ているから、放っておけないんでしょうね」


「その仲間ひととリアン、仲が良かったの?」


「まあね。改造人間じゃなかったら、い仲とやらになっていなかったかもね」


 重ねられているのか──どこかの誰かに。


 誰かに重ねられるのはこれが初めてじゃないけど、何だか複雑だなぁ。最悪を極めた母親に重ねられるよりは、遥かにマシだけど。


 母親の元同僚? 部下? に、昔、代替品になることを望まれたけど、あのときと違って嫌悪感はない。ないんだけども、やっぱり複雑な気分になる。


 養母だったフィーユ・リュグナーに、存在すら認識されなかったことに比べれば、比較的マシとは言える──重ねられているとはいえ、存在をきちんと認識されている点では。


「実際どうなのかは、リアンに訊かなければ分からないけどね。とりあえず、そこに座りなよ」


 椅子を指を差すと、白衣をひるがえす。

 背を向けたその姿は、あまりにも無防備で、大丈夫なのかと心配になる。


「鼻と腕以外に、怪我はあるかい?」


 背を向けたまま、棚の方に移動しながら、声を掛けて来る。鼻血が止まっているとはいえ、床に激突したから、鼻は見れば分かるだろうけど、袖で隠れているのに、なんで腕は気付いたんだろう? 腫れていて、痛いから、無意識に庇うような動きをしていたのかもしれない。


「背中に、ちょっと……」


「そうか。グランツがいるから、背中の治療はしないでおくよ。グランツがいるからね」


 グランツがいるから。二回も言った。本人が目の前にいるのに、二回も。


「別にジロジロ見たりしないわよ?」


「へぇ、じゃあ、なんで彼女の太腿ジロジロ眺めているんだい?」


「左太腿の内側に黒子があって、エッチだなと思っていただけよ。それに、ジロジロ見たりはしていないわ。チラッと見ていただけ」


「そうかい。外に出ていなさい」


 部屋の外に出ることはなかったけど、エーレさんの手によって、テクストブーフは後ろを向かされ、端に追いやられた。仕切りのような物を持ってきて、こっちの姿が見えなくなるようにしてくれた。


 テクストブーフの言葉を聞き、少し気になり、左太腿の内側を確認する。本当に黒子があった。しかも、パッと見で分かるような位置ではなく、かなり注視していないと気付けないような位置。


 うわぁ……どんだけ見ていたんだよ、アイツ。


 右目の下にある黒子は知っていたけど、こんなところに黒子があるなんて、今の今まで私は知らなかったよ。


 よく見付けられたな……。


「性欲に実直過ぎる変態だからね、グランツは」


 本人すら気付いておらず、かなり注視しないと気付けない位置にある黒子に気付くくらいだからね。相当欲望に忠実じゃないと無理だよ。


「失礼」


 と、断ってから、私の服、左腕の袖を捲る。


「やっぱり、腫れているね……結構庇っているから、腫れているだろうなとは思っていたけど」


 冷却ジェルシートを剥がしながら、そんなことを言う。


「とりあえず患部を清潔にしよう。患部に触れるから少し痛むだろうけど、我慢してくれ」


「分かりました」


 と、私が返事したタイミングで、言葉を発せないほど衝撃を受けることが起きた。


『驚くだろうけど、普通に会話をしながら、僕の話を聞いて欲しい』


「ッ⁉ ッ?!」


 突如頭の中に声が響き、肩を跳ねさせ、声にならない声が飛び出て来る。


 エーレさんは、静かにするように、ジェスチャーで訴えて来る。困惑しながら首を縦に振って頷けば、「じゃあ、軽く拭くね」と、声を発した。


「あんまり、強く、擦らないで下さいね……」


「そんなことしないよ」


 消毒液を付けたガーゼで、軽く私の腕を拭く。消毒液の効果を味わうことは出来ないのに、何故消毒液を使ったんだろうと思ったけど、部屋に水道がないのが見えて納得した。ジュースとかを使う訳にはいかないから、消毒液で代用したってところだろう。


『まずこれは、僕の異能力によるものだ』


 異能力者だったんだ、エーレさん。


精神感応ヴォーチェっていうんだけど、あくまでも一方的に思念を飛ばすだけだから、キミの言葉を受け取ることは出来ない。思念を飛ばす以外のことも出来るけど、説明すると長くなるから割愛するね』


 私の異能力より、実用性が高そうな異能力だ。


「結構酷いね。折れたりはしていないみたいだけど」


ひびは入っているかもしれません」


「あまりにも酷いようなら、レントゲンを撮った方が良いよ」


 口で会話をしながら、患部を拭い終えると、ガーゼを捨てる。


『良い物についての説明を、グランツに聞かれないようにしたかったから、こうして思念を飛ばしているんだよ』


 良い物。一体何を渡されるのだろうか。


「レントゲンか……」


「病院に気軽に行ける身分じゃないだろうけど、ちゃんとした人に診て貰った方が良いだろうね」


 手当てしながら、彼は思念を飛ばす。


『僕が渡す物について、軽く説明するから、ちゃんと聞いて。会話をしながら、話を聞くのは簡単じゃないだろうけど』


 会話と手当てをしながら、思念を飛ばし、について説明して来た。


『何があるか分からないからね。キミは一般人じゃないだろうけど、この研究所のことは何も知らない子供であることには違いないから……』


 なんでそんな物をくれるんだという疑問が、しっかりと顔に出ていたのか、そのことについて説明してくれた。


「手当ても終わったし。良い物をあげるよ。ピンチになったらこれを使うといいよ」


 と言って、信号銃のような外見をした物を渡した。サイズは私の掌と同じくらい。引き金を引いたら救難信号弾が出来そうだけど、実際出て来るのは違う物だ。


「何? これ」


 グランツがこちらを覗き込み、怪訝な眼差しをエーレさんに向ける。初対面のときの冷厳さを感じる目付きだ。普段は、というか、性欲で動いていないときはこうなのだろう。


 ずっとこの状態でいれば、未成年の黒髪巨乳の少女と、普通にヤルことヤレると思うよ……顔とスタイルだけは良いから。引っ掛かってくれる娘はいると思う。


 騙されて、体を差し出しちゃう人って結構いるから。ドーチャに騙されてなんでもホイホイ差し出した人物を、少なくとも私は五人くらい知っている。女の子と呼ぶような若い人じゃなくて、どの国でも成人として扱われる年齢の女性だったけど。紳士の振りが上手いんだよな、あの波旬はじゅん


「良い物だよ。本当にどうしようもないとき、自分で使おうと思ったけど、使い勝手はそこまで良くないし、僕にはもう不要だから。この子なら扱えるだろうから、この子にあげようと思って」


「質問の答えになってないわ」


「キミのせいで、僕は何度も始末書を書く羽目になったんだけど、忘れたのかい? 真面目に答えてくれると思うなんて、勘違いも甚だしい」


「どれのことかしら? 心当たりがあり過ぎて分からないわ」


「人に嫌われること、人に恨まれること、人に憎まれることが日常茶飯事。仲間にすら、嫌われ、恨まれ、憎まれる人間だから、そう言うだろうとは予想したけど……本当に終わっているな、キミという奴は」


「あら? お説教?」


「そんなことはしない。意味がないからね」


「いつもなら説教するのに、珍しいわね。漸く無駄だと理解したのかしら?」


「そんなところだよ」


 それ言うと、エーレさんは出て行けとでも言うのに、シッシッと手を振った。もう用事はないので、素直に出て行った。


「この辺りにはいなかったから、第七研究室の辺りか、特殊研究室の辺りのどちらか、よね」


「なんでそう思うの?」


「解毒のために必要なであろう道具が揃っているのがそこなのよ。解毒したとしても、すぐ軽々と動き回るなんて出来ないでしょうから。まあ、いるとしたらこの辺りよね」


 毒でフラフラになり、今にもくずおれそうなリアンの姿を思い浮かべる。確かに、アレでは、すぐに動き回るのは出来そうにないだろう。アレですぐに軽々と動き回れたら、私は驚きのあまり一〇秒くらい、ポカーンと口を開けたまま、立ち尽くしてしまう自信しかない。改造されていることを加味しても、それはもう人間とは呼べない何かじゃないかと思ってしまう気がする。


 テクストブーフに向けていた視線を、正面に戻すと──ポツンと、人が立っており、思わず腰を抜かしそうになった。


 気配もなく、音もなく、いきなり現れたとしか思えなかったからだ。


 全体的に見ると、かなり長めのランプブラックの髪だけど、長さがバラバラで、一体どんな切り方をしたら、そうなるんだと言いたくなる。


 素人が切っても、こうはならないと思う。


 サイドだけ長いとか、逆に短いとかではなく、本当にバラバラ。腰まであるところもあれば、肩甲骨までしかないところもあり、幼稚園児が悪戯いたずらで切ったのかと思ってしまう。


 ぼんやりとした、捉えどころのない、ボトルグリーンの瞳をしており、幽鬼のような表情も相まって、虚無が人の形をしたら、こんな風になるんじゃないだろうか。


 年齢は一一か、一二くらいに見える。


 私との身長差から推察するに、一五〇センチあるかないか?


 かなり小柄で、かなり細い。


 ガリガリとまでいかないけど、三歩手前ぐらいの細さだ。


 顔と体型だけでもかなり気になるところはあるけど、特筆するべきところは──内側にも外側にも刃が付いた鋏を両手に持っていた。


 右手に鋏、左手に鋏。

 幽鬼のような雰囲気も相まって、かなり怖い。


「誰」と、そこで一度言葉を区切り「ですか?」と、私を手に持っていた鋏の先端を向ける「その人」


 かなりゆったりとした話し方だった。声自体は可愛らしいのだが、話し方が不気味で、ゾワゾワと背筋に悪寒が走りそうになる。


 色んな奇人変人狂人と出会って来たので、変態への耐性はそこまでではないけど、奇人変人狂人への耐性はあるつもりでいたけど、そんなことはないのかもしれない。


 思い上がりだったかもしれないと、今少しだけ思い始めている。


「協力者よ。リアンを捕らえるための、ね。だからその鋏で刻んじゃ駄目よ」


「だめ?」


 それは駄目なのかどうかの確認というより、ただ言葉の一部を鸚鵡おうむ返ししただけ、といった感じだ。


「駄目よ」


「はぁあい」


 返事こそしたけど、鋏を持った女の子は、鋏を下ろそうとはしない。


 ボーッと、私の方に視線を向けている。


 言葉の意味を理解していないのではないかと不安になった。


「鋏を下ろしなさい」


「鋏?」


 きょとんと首を傾げたかと思えば、キョロキョロと辺りを見回す。


「ああ、鋏鋏鋏、ハサミ、はさみ……ぇっと──あー、あった」


 手に視線がいくと、漸く人に鋏を向けていたことを思い出したらしく、スッと鋏の先端を下に向ける。


 さっきから思っていることだけど、色んな意味で大丈夫なのかな? この子。テクストブーフもかなりヤバいけど、この子はこの子でかなりヤバいよね。扱いに困るな。一応言葉が通じるだけテクストブーフの方がマシに思える。


「ンギャッ⁉」


 いきなり後ろに回り込まれ、背中に飛び付かれた──しかも、鋏を持ったまま。


 あッッッぶねッ‼

 めっちゃッあっぶねッ‼

 下手すりゃ鋏が背中に刺さっていたぞ、これ。


 実際は左肩が少し切れただけで済んだけど、何かが間違えば、背中から、思い切り、グサッと刺さっていただろ。怖ッ……。


「左肩、さっくり切れているわね」


「深い?」


「浅いから大丈夫よ」


「いや、そんなことよりも、この子なんなの?」


「シェーレ・シックザール。改造人間の一人よ。リアンに並ぶくらいの武闘派で、扱い難い、意思疎通が取れない、かなり面倒な子。敵味方の判別は出来るし、敵を殺すという一点に絞れば、かなり優秀ではあるのよね。言うこと聞かせるのが死ぬほど大変だけど」


 一一か一二くらいに見えるこんな子まで、改造を施されているのか……。


「といっても、リアンほど体を弄られている訳じゃないわよ。だから、アイツほど丈夫じゃないのよね」


「それ、なんか理由あるの?」


「改造を施す前から、充分過ぎるほど強い。下手に改造すると改造前の戦闘スタイルを貫けない。純粋に幼い。こういった理由があるわ」


「幼い、ね。いくつなの?」


「一二」


「本当に見た目通りの年齢なんだね」


 一二か……私より年齢が三つ下なのか。


「この子、シェーレだっけ? どうする? 私の背中に引っ付いているけど」


「そのままおんぶして頂戴。アタシとアンタだけでリアンに挑むより、遥かに勝機があるから」


「えぇ……」


 なんで私がそんなことを……いや、無理矢理引っ剥がそうとしたら、また鋏で怪我しかねないけども……。どうにか離れるように言ってくれないかな?


「多分暫くはそのままよ。ずっとこの場所で留まっている訳にはいかないから、諦めて」


「…………はあ」


 先程も述べた通り、小柄で細身なので、そこまで重くはない。おんぶしながら歩けるか歩けないかで言えば、歩けなくはない。正直嫌だったけど、こんなところで足を止めるのも時間が勿体ないので、言われた通りにすることにした。


「シェーレ、アンタこの辺りにいたなら、リアンがここに来たかどうかぐらい分かるわよね?」


「りあん? あー、フィセルさんですねぇ。来てないッスよ……だから、アタシ……」


 とまで言ったかと思えば、急に黙り込んだ。続くを話すように促しても、全然喋らない。死んだのかと錯覚するほど静かになる。流石に死んではいなかった。じゃあ寝たのかと思ったけど、そうでもないらしい。テクストブーフ曰く、喋る気分じゃなくなったらしく、何を言っても答えなくなった。


「まともに意思疎通取れないけど、本当にこの子連れて行くの?」


「戦闘では使えるのよ? 当然じゃない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る