第三幕【虚辞遁走】①

 時間稼ぎが目的で、それ以上のことは何も考えていなかったんだけど、これからどうしよう。ちゃんと考えていたつもりだったけど、マジでつもりなだけで、深く考えていなかったと、今気付いてしまった。


 所詮は子供の浅知恵ってことかな? いつ言われたかは忘れたけど、だいぶ前だったけ? とにかく、昔、「短い時間で最適解を選ぶ能力は高くありませんからね、貴方は」的なことを、ドーチャに言われたことがある。その通りだよ、ホントに。アイツ、私のこと、思いの外、ちゃんと見ているんだな。


 アイツは観察力はあるからな。

 人の心を掌握し、それを利用出来る程度には鋭い。


「ウィンクルムの件、一体どうやってやったの? 死体落として、クロスボウ撃って……位置的に、瞬間移動でもしないと無理だよね? 死体落とした人と、クロスボウ撃った人、別人?」


 ウィンクルムの状態を見るに、落とす前に死んでいたと思われる。だから、死体を落として──と、表現した。改めて彼の状態を思い浮かべる。やっぱり自分落とされる前に死んでいるとしか思えなかった。生きていたのならば、悲鳴を上げないとおかしい。口を塞がれていた訳じゃないんだから。


「アンタ達がいつどこに行くのか大体予測出来たていたからね。あのタイミングで死体が落ちるようにセットして、隠し通路を使って素早く移動したのよ」


 隠し通路、そんなものがあったのか。ドーチャから渡された構内図に書いてなかったけど、意図的に書かれていなかったのか、隠し通路に関しては把握していなかったのか、どっちなんだろう?


 私が利用したところでろくなことにならないと思って、隠し通路の存在を、構内図に書いていなかった説が濃厚かな? 個人的には。ドーチャはそういうことをするかしないかで言えば、するだろうしな。


「アンタを狙えば、確実に、アイツはアンタのことを庇うだろうから」


 実際に庇われたから、私があれこれ言える立場にないけど、確実に庇うっていうのは、何を根拠にそう思っているんだろう? 庇うかもしれないじゃなくて、確実に庇うと言い切るってことは、それなりに根拠がある筈だけど……。


「そういえば、まだアンタの名前を訊いていなかったわね」


 馬鹿正直に答えるかどうか数秒悩んだけれど、何が原因で裏切った振りをしていることがバレるか分からない。変に嘘を吐くと、不信感を抱かれそうだから、正直に答えることにした。


「キリオ・リュグナー」


 この名前も嘘ではない。

 ファイゲ・リュグナーの養女になってからの名前だ。


 書類の上では、今もキリオ・リュグナーのままだから、浮舟うきふね斬緒きりおの方が偽名ってことになるのかな? 偽名ではないか。旧姓名乗ってることになるか。


「見た目で人を判断するものじゃないけど──」


 テクストブーフがこれを言うと、何かあるんじゃないと思ってしまう。散々セクハラされた後だから。


「ファーストネームは紅鏡こうきょう人っぽいけれど、ファミリーネームは紅鏡人っぽくないわ。けど、見た目は、紅鏡人にしか見えないわね。ハーフとかなの?」


「紅鏡人とシェーンハイト人のハーフ。紅鏡人の母に似たから、見た目だけなら、紅鏡人にしか見えないんだよね。ハーフって、初見で気付かれたことないよ」


 これも本当。マジで本当。

 最悪と呼ばれた母は紅鏡人で、そんな母に災厄と言われた父はシェーンハイト人。


 母親の遺伝子が強過ぎるせいか、外見は母そっくり。父親の遺伝子どこに行った状態。本当、どこに行ったんだろう? ちなみに、中身はどっちとも似ていない。似なくて良かったと思う。絶対碌なことにならなかっただろうし。母の遺伝子が入っていると思うと、いつか、ああなるんじゃないかと、戦々恐々としてしまうけど、今のところ似ている部分が微塵もないから、大丈夫だろう。そう信じよう。思い込んでいれば、プラシーボ効果でなんとかなるかもしれない。


「紫色の瞳……よく見ると、シェーンハイト人の特徴はあるわね」


 一旦立ち止まり、そのまま私の瞳を、血に飢えた獣みたいに凝視すると、うっとりとした調子でこう続けた。


「凄く綺麗な紫色の目をしているわ。こんな場所だと、綺麗な目って、あんまり見れないのよね。こんな状況じゃなかったら、ずっと見ていたくらい本当に本当に綺麗。片方隠れているのが残念だわ」


 立ち止まるのを止め、再び歩き出したので、私もそれに続く。


 コイツの性癖を知らなくて、尚且つ、このような場所と状況でなければ、見た目だけはかなり良いので、正直ドキッとしたかもしれない。胸がときめくという意味で。


 だが、相手は、未成年、しかも一五歳の女に欲情し、それを隠さない変態だ。同僚に性癖を知られている変態でもある。


 残念ながら、ときめくことはない。ドキッとしたとしても、それは貞操の危機を感じ取って、身を守れと本能が訴えただけに過ぎない。


「髪も凄く綺麗よねぇ。本当に綺麗で綺麗で素敵だわ。ロングヘアーなのも、個人的にはポイントが高いわね。短い髪より長い髪の方が好きなよ、アタシ」


「私としては、そろそろ切りたいけどね……」


「毛先がお尻まであるものね」


 前髪だけは切っているけど、それ以外は本当に整えるぐらいしかしていないからな……。ここ出たら切ろうかな? 切ってもいいけど、ある程度長さがあれば、武器に出来るから、ここまで伸びていると、切っちゃうのも勿体ない気がする。


「艶があって綺麗だと思うから、切っちゃうの、勿体ないと思うけどね」


 ドーチャが勝手にヘアオイル塗ったりしているせいだよ、艶があって綺麗に見えるのは。


 私は髪なんて、シャンプーで洗って、リンスして、乾かす程度のことしかしていないんだよ。


「最初は質問に戻るんだけど、あのウィンクルムの死体って、わざわざ用意したの? 殺したりとかして……」


「殺していないわよ。なんで同僚パクスのことを、わざわざ殺さなくちゃいけないのよ。殺すにしても、あんな風に、痛め付けるような、惨たらしい殺し方はしないわ。手足を折る必要性がどこにあるっていうの? 手間じゃない。殺すだけなら首に骨を折ればいいでしょ」


 手間という表現もどうなのかと思うけど、まあ確かに。リアンをさっさと見付けないといけない状況で、時間が掛かる殺し方をするなんて、非効率的ではあるよね。よっぽどの恨みがあるならまだしも、テクストブーフはそういうのと無縁そうだし。


 好き嫌いはあれど、恨みとか憎しみとは──一生縁がないであろうところは、ドーチャによく似ている。ドーチャは私に対して性欲なんて向けて来ないし、ドーチャの方が何倍の厄介だから、見ているだけで全然違うけどね。


 アイツに倫理観なんてないけど、性関係は意外とまともなんだよな……。未成年には絶対に欲情しないし、物理的には手を出すことはあっても、性的には手を出さない。そこのラインだけはしっかり守っている。未成年じゃなければ、必要なら誰かと肉体関係を持つけど、積極的にそういうことをするタイプじゃないというか……これに関しては、テクストブーフと比べるのは、ドーチャに失礼だ。ごめんドーチャ。本当にごめん。


「アタシは、リアンがアンタを窓から中庭に放り投げたところを確認して、近くにいるパクスに連絡を入れたのに、向こうからの報告がいつまで経っても来ないから、仕方なく中庭に向かったら、どういう訳かアイツ、死んでいたのよね。てっきりキリオが殺したんだと思っていたんだけど、アンタでもないの?」


「……違うよ。私には、人の骨を、素手で折れるほどの筋力はない。肋骨なら、ワンチャンいけるけど」


「じゃあ、一体誰が殺したのかしら? 心当たりがあり過ぎて分からないわ」


「そんなに心当たりがあるの?」


「そりゃそうだよ。アイツは、この研究所では、かなりマシな部類に入る人間だけど、あくまでもマシなだけで、性格に問題があることには変わりないもの。嫌いな奴は嫌っていたわ。重度の女嫌いで、軽度の男嫌いだったから。強いて言えば、女であろうと、男であろうと、子供にはマシな態度だったけどね」


 普段から、私と接したときと同じような態度で接されれば、そりゃ嫌いにもなるし、殺したくもなるよね。侵入者や裏切り者がいるときに殺したら、罪を被せられるとか思ったのかも? 嫌いな奴を殺すには、絶好のタイミングではあるよね。スケープゴート扱いのこっちとしては、気に食わないの一言に尽きるけど。


「これからどうするつもりなの?」


「アンタがこっちに付いたことが、他の奴に露見しない内に、アンタを利用して、今度こそリアンを始末しようと思うわ。出来れば、殺さずに、捕らえたいところだけど、そんな悠長なことは言ってられないわね。逃げ出されるぐらいなら、息の根を止めないと」


 私がテクストブーフの立場なら確実に殺そうとするから、言い分だけなら理解出来る。一度殺し掛けたテクストブーフだ、出来るか出来ないかで言えば、出来るだろう。


 どうにか阻止しないといけないけど、実は私が裏切った振りをしていました──となっても、普通に対処しそうで怖いな……。


 リアンの評価通りの人物ならば──策略だけで圧倒してしまうのかもしれない。


 駒を動かすだけで、目的を遂行したり、欲しいものを手に入れたりするドーチャが身近にいるせいか、具体的な想像が出来てしまい、頭が痛くなった。


「なんで、テクストブーフは、こんなところにいるの?」


「なんでと言われてもね。他に適任がないから以上の理由なんてないわよ。アタシが一般社会で生きていける奴だと思う? 今アタシ、早くリアンを殺して、アンタとヤルことしか頭にないのよ? 表の世界で生きていたら、教師にでもなって、生徒に手を出していたと思うわ」


「シャバで生きられないヤバめの性欲だね……」


 正確には、シャバで生きられない、ではなく、シャバで生きてちゃいけない、だけど。


「アタシ、絶対捕まらない自信があるわ」


 うん、まあ、そうだね。

 何か分かる。

 根拠はないけど、捕まらない気がする。

 完全犯罪は意外と出来るって、ドーチャが証明してくれているせいで、漠然とそう思ってしまった。


 捕まって欲しいけどね、個人的には。

 こんなセクハラ野郎を、世間様に解き放っちゃいけない。


「…………」


「アンタは普通の世界でも生きていくことが出来なくもないんでしょうけど、アタシにはこれしか選択肢がなかったのよ」


 これしか選択肢がない──能力的な意味ではなく、精神的な意味で、なんだろうな。


「私を飼っているテロリストに拾われる前は、普通の世界で、ちゃんと生活していたからね……一応これでも」


 学校に行ったことはないし、かなり癖はあるけど、一応、昔は、裏側の世界に、足を突っ込んでいないから、普通の世界で生活していた──と、言ってもいい筈だ。


「テロリストに拾われていなかったら、こうなってなかったのかな? 拾う相手が変わるだけで、なんやかんやで、同じ道筋を辿っていたような気もする」


 あの母親の娘に産まれた以上、雑技団の人間に攫われる運命は避けられなかっただろうし、誘拐されて、否が応でもあそこに所属することになっていただろうし、寧ろドーチャに拾われていたお陰で、あんなとこにずっといないで済んだと言えなくもない──人生、本当に、どうなるのか分からないもんだな。


「それで、私を利用するって言っていたけど、裏切っているかどうかという違いはあっても、私を利用するという点で同じなんだよ? 二回も同じ手が通用するの? 流石にそこまで馬鹿じゃないと思うんだけど……」


 階段を昇るタイミングで、彼に問い掛ける。リアンのことを詳しく知っている訳じゃないから、確証はないけど、話している限り、賢くはないだろうけど、馬鹿ではないと思う。少なくとも私ほど馬鹿じゃない。


 同じ手を使われる可能性を、少しも考慮出来ないほど愚かじゃない筈だ。


 それに──純粋に強過ぎる暴力の前では、どんな戦略も知恵も技術も技能も手段も物量も虚言も事実も、何もかも、通用しない。


 私が本当に裏切ったとしても、リアンはそこまでショックを受けない気がする。多少は動揺するかもしれないけど、なんやかんやで受け入れる気がする。助けてくれた相手にこんなことを言うのは失礼であるけど──ハッキリ言わせて貰うけど、お互い情のみで動いている訳じゃなくて、利害で成り立っている関係で、裏切る理由なんていつ出来てもおかしくない。


 腹の中では、お互い何を考えているのか分からないんだから。


「このままリアンと対峙したとしても、警戒されるだけじゃないかな?」


 今の私には、裏切った振りをしてリアンの味方をするという選択肢と、本当に裏切ってテクストブーフの味方をするという選択肢がある。


 どちらも、選ぼうと思えば選べる──二者択一状態。どっちを選んでも、野となれ山となれ。なるようになる事態に身を任せるしかない。


「一騎当千を体現するあの男に、正面から挑む気なんてないわ。戦っちゃ駄目なのよ、戦闘に特化した相手とは」


 戦っちゃ駄目──そう言われて、最初から、テクストブーフは、一度としてリアンとは戦ってはいなかったことに気付く。


 私とは戦ったけど──それも、リアンがいなかったら、一方的に私の負けが確定していただろうし、戦いというより蹂躙じゅうりんという感じだけど──リアンとは、最初から戦っていない。リアンと同じ土俵に立たないようにしている。


 だから、テクストブーフは、怪我一つなく、こうして歩くことは出来ている。


 戦いで負けないようにするには、最初から勝負をしなければいい──これを実行出来る人間は、そこまで多くない。


 戦闘員と対峙して、戦わず、逃げず、挑む。

 リアンの警戒の意味が、よく分かった。

 寧ろ、足りないぐらいだとすら思った。

 戦わずに勝つ──テクストブーフなら、出来るかもしれないと、思ってしまった。


「リアンがどこに行ったのか、いくつか心当たりがあるから、今、そこに向かっているけど──この辺りにはいないかもしれないわね」


 階段を昇り終え、踊り場を通り、廊下に出ると──唐突にテクストブーフが、そんなことを言った。


「どうしてそう思うの?」


「静か過ぎるからよ。アイツの性格上、ジッとしている筈ないもの。まあ、ここにいる可能性はゼロではない以上、確認はするけどね」


「ふぅん」


 そんな風に会話をしていると──見覚えのある人物が視界に入る。


 扉を半分くらい開き、ひょっこり顔を出した人物は、「なんだ……キミ達か」と、言う。


「リアンを裏切ってそっちに付いたのかい?」


「エーレさん……」


「まあ、現時点で、彼の隣にいるのは賢明だと思うよ」


 と、言って、扉の中に引っ込んだかと思えば、今度は扉を全開にして、室内からこう言った。


「時間があるなら入りなよ。もう少しマシな手当をしてあげるから。それと、良い物もあげるよ。使うかどうかはキミ次第だ。いらないなら捨ててくれても良い」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る