第二幕【闘魂無我】③

 四肢や首があり得ない方向に捻じ曲がっているウィンクルムを見詰め、それから体が降って来た場所を見上げると──


「グァッ⁉」


 突然突き飛ばされ、左肩を強打してしまう。

 誰が突き飛ばしたのかは、言うまでもない。


 ねえ、今日一日でどれだけ怪我すればいいの? あちこちが痛過ぎて、どこが痛いのか分からなくなって来た。というか、全身痛くて、それどころじゃない。


 強打はしていないけど、頭も打ったから普通に痛い。視界がぐわんぐわんする。最悪だ。最悪なのはウチの母だけで良い。いや、良くはないんだけども。最悪だと思うのはアレで充分だ。


 痛みに悶えながら振り向けば、クロスボウの矢と思われる物が、腕に刺さっているリアンが視界に入る。


 刺さった腕を見る限り、そこまで深くは刺さっていないし、致命傷になり得るような位置でもない。


 だというのに──彼は苦しそうに呻き、息を荒くし、壁にもたれており、今にもくずおれそうだった。


「リ、リアン……」


 矢に毒でも塗られていたのかもしれない。

 これ不味い。

 圧倒的に、色々と、不味い。


「ね、ねえ、リアン──」


「その矢には、毒が塗られているのよ」


 聞き覚えのある声が響く。

 直近で出会った人物の声だ、忘れる訳がない。


「改造人間であろうと、余裕で死ねる猛毒よ」


「テクストブーフ……」


 姿が見える位置にいるが、決してこちらの手足が届く範囲には来ない。近くにいたら確実に蹴っていただろうし、掴み掛かっていただろうから、それで正解なんだけど、本当にムカつく。


「クソ野郎……」


 フラフラで、今にも倒れそうで、馬鹿でも無理をしていると分かる。立っているのもやっとというか、壁に凭れていても立てていることが不思議なぐらい酷い状態だ。


 立っていることもそうだが、クソ野郎と悪態を付く余裕があることにも驚いた。どんな体しているんだ。どれだけ体を弄り回されたらこうなるなるっていうんだ。


「毒……毒……この感じ……ぁ、あー、あれか、あれ……通りで、キツイ訳だ……あれなら、余裕で死ねるな……ああ、くっそ……」


 どうやら体内に入った毒に心当たりがあるらしい。だからなんだって話になるけど。


「並の人間なら秒で死ぬし、改造人間であっても一分も保たない筈なんだけど、どうしてアンタは生きているのかしら? それだけでなく、喋る余裕まであるなんて。これは予想外だわ」


「…………」


 本当に驚いているのか分からない声と表情をしている。驚いているとも、馬鹿にしているとも取れなくもない、絶妙な声と表情だったせいで、状況が状況であるため、はらわたが煮え繰り返りそうになる。クソッタレ。


「最高傑作候補──なんて、言われるだけのことはあると、褒め言葉を送るべきなのかしら?」


 このままだと、リアンは死んじゃう。何か手を打たないといけないけど、私は医療──薬物とか毒物とか、そういった知識に長けている訳でもないし、異能力も大したことないし、この状況を打破することが出来るとは思えない。


 無力な自分に腹が立った。


「げ、解毒剤とかって……」


「そんなものないわ」


 きっぱり言い切るテクストブーフの言葉に、呻くような声で、「あぁ」と、リアンが頷く。


「考えてみなさいよ。遅効性ならまだしも、即効性の──普通の人間なら数秒で死ぬような毒に、解毒剤なんて必要だと思う? 必要ないでしょ」


 確かに、数秒で死ぬような毒に、解毒剤が必要なのかと言えば──合理性にのみ視線を注げば、「ない」の一言に尽きるだろうけど……。


「じゃ、じゃあ、リアンは、死ぬの……?」


 このまま死んでしまうなら、完膚なきまでの敗北。全てを捨てて逃げるしかない。リアンも、ドーチャからの頼みも、全部捨てて。


 詰んだ状態をどうか出来る逆転の一手なんてあるの? 解毒剤がないのに──。


「解毒剤は、ねえけど……解毒の、方法は、知ってる……前に、エーレから、聞いた……」


 それは、私に希望を与えるには、充分な一言だった。


「大事な質問だから答えて。喋るのが辛いだろうけど。それは──リアン一人で……どうにか出来る方法?」


 確認のために、問い掛ける。

 彼が聞き易いように、ゆっくり、ハッキリ、言葉を紡ぐ。


 イエスと返事が返って来るなら、どうにか出来るかもしれない。


「? あぁ……」


「オーケー」


 いや、どうにかする。

 どうにかしてやる。


 だって私は──浮舟うきふね斬緒きりおなんだから。

 ──最悪災厄の娘なんだから。


 どうかする方法のために──方法というより、賭けに近いこれを実行するために、数メートル離れた位置にいるテクストブーフを、しっかり見据えた。


「じゃあ、リアンは、私を置いて、解毒しに行って。私は大丈夫だから。考えがあるから」


 成功率はそこまで低くないと思う。ウィンクルムの言葉とテクストブーフの言葉が正しいのなら──下手なことさえしなければ、きっと上手くいく筈だ。


 圧倒的に不利な状況だし、成功したからといって、必ずしも状況が好転するとは限らないけど、それでもどうにかして見せる。


 リアンさえ逃がせれば、問題ない。

 後からどうにかしてやる。

 チェックメイトでなければ、なんとかなる。


 誰かを守るなんて、過ぎた役割にもほどがあるけど、そもそもドーチャに飼われて利用されていることさえ、過ぎた役割なんだから、今更気にしてどうする。


 大丈夫、命乞いの方法なら何通りか知っているから。それに、本当に駄目だったら、私は奥の手を使って逃げるし……。


「はぁ? いや、お前……」


 リアンは何かを言おうとしたみたいだけど、反論する元気も気力もないのか、言葉を呑み込むように口を閉じる。数秒の沈黙の後、軽く私の服の袖を引っ張って来た。


「気を付けろよ……」


「うん、分かってる」


 それだけ言うと、リアンはふらふらの体に鞭を打ち、早足でこの場から去って行く。歩くのですらしんどいだろうに。


 利害関係から来るものとはいえ、リアンは私のことを助けてくれた。私を置いていくという選択肢があったのに。死んだから置いていったとか、ドーチャに嘘を吐くことだって出来たのに。


「追い掛けたりしないんだね」


 予想通りだ。

 あんな猛毒が体内に入っていても、立っていることが出来る人間──度を超えた馬鹿と度を超えた玄人でもない限り、追い掛けたりしない。


 彼はリアンと正面からやり合おうとする馬鹿じゃないし、正面から戦える玄人じゃないから、追い掛けたくても追い掛けられない。


「リアンが本気で暴れたら、アタシなんて蝿みたいに死んでしまうもの。死ぬかもしれないことに突っ込むことは出来ても、死ぬと分かっていることに突っ込むことは出来ないの」


 わざとらしい緩慢かんまんな歩調で、甚振るように距離を詰めて来る。


 嫌な性格しているよ、お前。


「アンタに関しては、行動を読むには材料が少な過ぎるわ。アンタ、一体何がしたいのよ? 何が目的なの? アンタ、純粋に、リアンのことを助けようとしているように見えるわ」


 そんなことない。

 純粋に誰かを助けようとか、一度として思ったことがない。


 ファイルのために、自己満足のために、逃がしているだけだよ。


「流石に嫌なんだよ……自分を助けてくれた相手が死ぬのは」


 必要なら人を殺すけど、それでも殺したり殺されたりは好きじゃない。死体で築き上げた道を歩くドーチャに飼われている以上、最悪と災厄の娘に産まれた以上、説得力なんてないだろうけど。


「本気で気になるんだけど、アンタ何者なの?」


「ただ利用されているだけの存在だよ……テロリストの駒」


 最悪の娘だから、使えるかもしれないと拾われて、それで、良いように利用されている馬鹿な奴だ。


「ただの駒が、この研究所に侵入するなんて、普通は出来ないのよ」


「偽造書類の完成度が高かったんでしょ」


 ドーチャが用意したんだから、気付かれなくて当然よ。アイツ何十年もテロリストとして活動しているけど、未だに捕まっていないんだよ? そんな奴が用意した偽造書類──簡単に看破される訳がない。


「偽造書類程度で、この研究所に入れる訳ないじゃない。まして総角あげまきの親戚を名乗るなんて、普通は出来ないわよ」


「名乗っている本人が、無知で馬鹿で愚かで、名乗らせている奴は、すこぶる賢いから出来たんじゃない? 詳しいことは知らないから、それ以上答えることは出来ないけど」


「──アンタ才能があるわよ」


 唐突にそんなことを言われた。ドーチャ以外からは、今まで言われなかった言葉だ。正直嬉しくない。貶されているような気分になる。


「才能?」


 私に才能なんてない……。


 才能のある人間というのは、私の両親みたいな奴のことを言うのであって、私はどう足掻いても凡人だよ。スッペクは超絶平々凡々。


「人間関係の才能──結構役に立つわよ。コントロール出来ない以上、才能というより性質と呼称するべきなのかもしれないけどね」


 人間関係──人間関係、か。

 寄りにも寄って、人間関係か……。


「だとしたら、私は産まれた時点で、失敗しているよ──終わっているよ、マジで」


 最悪と形容された女が母親で、そんな母親から災厄呼ばわりされた男が父親──これが失敗じゃなかったら、なんと言うのか。


 しかも、現在進行系でテロリストに飼われているし、駒として利用されて、結構ヤバい状態にいるし、割りと人間関係に関しては失敗している。


 レヴェイユ雑技団にいたときも、人間関係で、盛大に失敗してしまった──だから、あんな結末を迎えた。


 あんなのは一度で良い。

 一度ですらあって欲しくなかったけど、二度目はもう良い。


 私だけが散々な思いをするなら自業自得で済むけど、他人を巻き込むのは御免だ。


「そういえば、考えがあるとか言っていたけど、何か奥の手でもあるのかしら?」


 奥の手はあるけど、それは使わない。失敗しない限り使わない。こんなところで使うものじゃない。アレは絶対簡単には使わない。そう決めているのだから。


 私にスタイルなんてものはないけど、これだけは誓っている。


 ドーチャに誓わされる前から、自分で自分に深く誓っていることだ。


「奥の手ではないけど、一つ提案があって。テクストブーフ、貴方は私に興味があるんだよね? あの、その、所謂──性癖ぴったりの存在なんでしょ? 要は好みなんだよね? 貴方にとっての私って」


 ウィンクルムの言葉と、テクストブーフの言葉、嘘偽りがないのなら──私は滅茶苦茶好みということになる。しかも、清楚だと思われていることになる。


 清楚さの欠片もないのに。

 黒髪=清楚ってどんな思い込みよ。

 ウィンクルムが拗らせてるっていうのも納得だ。


「未成年、黒髪清楚、巨乳の──可愛い女の子だもの……食べちゃいたいわ。清楚系の服を着て欲しいわ。ボレロ系の制服とか似合いそう」


 清楚なんて、初めて言われたよ。

 清楚な女の子は、こんなことしないから。

 見た目も全然清楚じゃないのに……何で黒髪というだけで、清楚と思い込めるのか、不思議だ。


 今まで出会った黒髪の女性が、全員清楚系だったのかな?


 それと、多分だけど、着たことないから想像でしかないんだけど、ボレロは似合わないと思う。お母さんは似合ってなかったから。


「食べちゃいたいっていうのは、やっぱり、性的な意味で?」


「性的な意味で──に、決まっているじゃない。カニバリズムの趣味はないのよ、アタシ」


「だろうね」


 自分で言ってて気持ち悪くなってきた。体が拒絶反応を示す前に、交渉を終わらせよう。じゃないと交渉決裂になってしまう。


「アブノーマルな内容でなければ、そういことをしても良いと言ったら──どうする?」


 虚を突かれた表情を浮かべるテクストブーフの顔を見て、ニンマリした肉食獣みたいな視線を向けて来るよりは、こちらの方が良いなと思った。その方が、私の精神的負担は軽くなるから。


 というか、変な表情していなかったら普通にカッコいいじゃん。イケメンじゃん。勿体ないな。天は二物を与えずってことかな?


「私の体を、テクストブーフさんに差し出して、一緒に気持ち良いことをするって言ったら、どうする?」


「体を、差し出す……」


「ちなみに、私、未経験なんだけど、お嫌い?」


 色仕掛けとか、向いていないことはするべきじゃないな。凄い安っぽい台詞しか出て来ない。ドーチャが聞いたら笑いそう。


「いいえ、その逆、凄く好き──寧ろ、良い」


 好きなのか……。

 そうか……。

 自分から言い出しておいて、こんなことを言うのは失礼だけど、それでも言わせて欲しい。マジで気持ち悪いなコイツ。ねっとりとした声や視線がホントに気持ち悪い。


 よくもまあ、こんな風に、綺麗な顔の利点が全て消え、冷厳れいげんさはどこに行ったのかと言いたくなる、だらしなくて気持ち悪い表情を作ることが出来るな。


「テクストブーフに付くから、リアンを裏切ってそっちの仲間になるから、私に優しくしてくれない? 殺さないで欲しいし、痛いこともしないで欲しいんだけど、無理かな?」


「アンタの要求を呑んだら、こんなことや」


 テクストブーフは、スッと私の太腿を撫でる。


「こんなこともして」


 テクストブーフは私の胸を揉む。


「──その先も、アンタは、合意の上でしてくれるってこと?」


 テクストブーフは私の下腹部に手を当てる。


「うん、まあ、ね。アブノーマルなものじゃなければ、だけど」


 頬が引き攣りそうになるのを必死で我慢して、肯定の言葉を絞り出せば、テクストブーフはニタァアという効果音が聞こえてきそうな笑みを浮かべた。


「そうねぇ。無理矢理っていのも、品がないものね。そういうことをするなら、合意の方が楽しいものね。無理矢理するのも、合意では得られない何かがあるんだけど……受け入れられたら嬉しいわよね」


 品がある人間は、出会ったばかりの人間に、性癖を開示したりしないんだぞ。お前が品を語るなよ。品というものを知っている方々に失礼だよ。


「そっちからアタシの方に来てくれるなら、それに越したことはないもの──えぇ、いいわ、その要求、呑んであげる」


 とりあえず、私の身の安全は、少し間、保証されることになった。


 貞操の危機はともかく、生命の危機は去った。


 リアンを裏切るつもりはサラサラないけど、リアンが無事だと分かるまでは、裏切った振りをしなければ──裏切った振りをしているとは、バレないようにしない、と。


 私は差し出された手を取った。


 ねっとりと、気色の悪い手付きで、撫で回されたけど、胸太腿下腹部を触られた後だと、手ぐらいならいいかという気分になってくる。


 感覚が麻痺しているな……。


 こういうことを何度も繰り返すと、傍目からは異常なくらい許容範囲が広くなったりすることもあるんだよね。


 ドーチャ関係だと、私はそうなっている気がする。


 ドーチャの頼みごとという名の命令のせいで、怪我とかをしても、ちっとも憎たらしいとは思わないんだよな。


 何となく慣れてしまっているせいで、まあこれぐらいよくあることだなとか、骨が折れていないだけまだ良い方だなとか、そんなことを思ってしまっているし。


 人間って、慣れる生き物なんだよなぁ……。


 慣れって恐ろしい。


 流石にリアンのことを放置して、私に手を出そうとはしないだろうし、セクハラを超えることはされないでしょ。こんな状況で体を重ねようとするほど、脳内が性欲に満ちていないだろうし。


 少しの辛抱だ。

 …………大丈夫だよね?

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