第二幕【闘魂無我】②

 一人で、下手に動き回るのも怖いけど、ジッとしていても仕方ないので、扉の近くまでゆっくり移動する。スニーカーの方が音が出難いし、移動し易いけど、残念なことに、今日は履き慣れていないローファー。慎重に足を動かした。


 聞き耳を立て、足音などが聞こえないことをしっかり確認した。と言っても、本当に音がしていないか確信を持つことが出来ない状態なので、安心することは出来ない。耳の近くで発砲されたせいで、音が聞こえ難くなっているのだ。


 なので、五センチほど扉を開けた。

 音を立てないように、慎重に。


 扉から中を覗くと、廊下が続いている。

 見える範囲には、誰もいない。

 見える範囲には、身を隠せそうな場所はない。


 静かに、扉の中に入る。


 左手首捻っているし、あまり無茶は出来ないよなぁ。普通に痛いし、保冷剤欲しい。


 少し歩いてみて思ったことは、、だった。


 リアンを追い回したりしているのだろうか? どこにいるんだろう? そもそも、この研究所にはどれだけの人間がいるんだろう? 広い施設だから、それなりに人がいるんじゃないかと勝手に思っていたけど、実はそんなことはないのかな?


 背中滅茶苦茶痛いし、左手首痛いし、近くで銃声を聞いたせいで、耳の調子が良くない。早くリアンと合流したい。


「これ、ちゃんと合流出来るのかな……」


 もしかしたら、リアンは、もう捕まってしまっている可能性だってある。合流出来ない可能性も全然あり得る。


 この研究所について何も知らない、武器すら持っていない私が、対処出来るとは思えない。こんな状況を、どうにかすることが出来るとは思えない。もし捕まっていたら、ホントにどうしよ。


「そんときは、怒られる覚悟で、一人で帰るしかないか……折檻せっかんも覚悟しよう」


 正直、帰る方法はある。

 今、この場から動かず、すぐに帰る方法が。


 あまり使いたくない手だし、出来るだけ奥の手を隠し続けていたいけど、命には変えられない。


 私は、目的を達成するまで──死ぬ訳にはいかないのだから。


 とりあえず、リアンの状況を知らないとな。


 リアンがどこにいるのか分からないし、やっぱり元いた場所まで行ってみるのがいいのかな。なくなった構内図、完全に覚えている訳じゃないけど、多少は覚えているし、戻れないこともないと思う。記憶が曖昧だから自信ないけど。


 階段の位置は覚えている。

 階段まで移動しよう。


 周囲を警戒しながら、階段付近まで移動すると──近く部屋の扉が開かれ、三人の人間が飛び出して来た。


 ──三人の人間が、一斉に、私に組み付き、床に叩き付け、手足を固められてしまう。


「ィッぇ〜……」


 顔面床に直撃したせいで鼻血出てるし、元々痛かった背中が更に痛くなったし、左手首も痛みが悪化したし、重いし最悪だ。


 待ち伏せされているかもと考えて、一番近い階段も、一番遠い階段も使わないことにしたんだけどな……。中途半端な位置にある階段をわざわざ選んだのに。こんな中途半端な位置で待機するなんて──あれかな? だからこそ、かな? こっちの行動が読まれていたのかな? それとも、全ての階段の近くに人を待機させていたのか?


 ああ、もう、痛みのせいで頭が回らない。


「鼻骨折れてないといいんだけどな……」


 裏を掻くことが得意なドーチャならどうするかと、しっかり考えるべきだったか。いや、無理だわ。アイツの考えていることなんて分からない。


 ああ、そうだ。共輪きょうりんのスイッチ入れておけば良かったんだ。馬鹿じゃん。本当に痛みで頭が駄目になっているな……クソッ。


 あれにもデメリットはあるから、使うことを避けていた理由はあるんだけど、こんなことをなるぐらいなら、デメリットなんか気にしなければ良かった。


「鼻骨の心配をしているなんて、随分と余裕があるじゃない。貴方、状況を分かっていないのかしら?」


 カツン、カツン、カツン、足音が止まったタイミング──誰かの靴が見えたタイミングで、無理矢理顔を上げると、見目麗しいれいげんな顔立ちをした男性が、視界に入る。


 冷厳でありながらも、華やかな顔立ちをしていて、こんな場所と不釣り合いだ──と、思ってしまった。


 自分をこんな目に遭わせたことへの怒りよりも先に、そういう感想が頭に浮かんでしまった。


「骨折ってクッソ痛いんですよ。今の私、どんな状態なんですか?」


 ラベンダーの瞳と、視線が合う。

 やけに熱い視線だ。


「ボロ雑巾の方が綺麗に思えるぐらい汚いわ。服もボロボロだし、鼻から血を垂れ流しているし、酷い状態。どうしたらそうなるのかしら? 可愛い顔が台無しよ」


 八割ぐらいはお前のせいだぞ。

 後、可愛い顔とか言うな。

 私は可愛くない。


「窓から放り投げられたり、取っ組み合いをしたりすれば、こうなるよ……」


「それで、侵入者さん? アンタ一体何者?」


「何者と言われてもね。ちょっと答えに困る。強いて言うなら、テロリストに飼われている中型犬だよ。それ以上は言えない」


 中型犬であっても、忠犬ではないけどね。


「テロリスト、一体どこの誰のことを言っているのかしら? 心当たりが多過ぎて見当が付かないわ」


「で、そういう貴方は?」


 エッグシェル色の髪に、切れ長の目をした、長身痩躯そうくなその人は、こう名乗った。


「グランツ・テクストブーフよ」


 グランツ──リアンが警戒していた人。実年齢が何歳いくつなのかは知らないけど、見た目は二五前後くらいに見える。


「噂のグランツさんか……リアンが滅茶苦茶警戒していた」


「それは、どちらの意味で?」


「どちらの意味? 『目的を遂行するために、一番効率の良い手段を弾き出す力がスゲェんだよ』とは、言っていたけど……」


 それ以外の意味でもヤバいところがあるのか? これに並んでヤバいと言われるようなところがあるのか、この人。


 どんなヤバさを持っているんだ。これ以上ヤバいところなんてなくていいんだけど。


「そう、それならいいのよ。そうよね。リアンは知らないものね」


「???」


 リアンが知らない。どういうことだ? いや、それを考えるよりも先に、この状況をどうにかすることを考えないと。このままじゃ不味い。


「アンタ達、その子を例の場所まで連れて行きなさい。殺しちゃ駄目だよ。手足を固めたまま、連れて行くのよ? 能無しなアンタ達でも、それぐらいのことは出来るでしょ? 寧ろ、それぐらいしか出来ないでしょ?」


 手足は微塵も動かない。相手は四人。この状況をどうにかする手立てなんてあるか? 奥の手以外の手段では──ない。これは奥の手を使うしかないのか? この程度のことで?


 いや、でも、死ぬかもしれないぐらいなら、奥の手を、切り札を──


「キリオ!」


 そう考えたとき、聞き覚えのある声が響き、同時に銃声が響く。


 肉が叩き付けられるような音と、生暖かい液体が体に付着する感覚がして──ああそういうことかと、状況を理解する。


 リアンが銃を撃ったんだ。

 私を抑えている奴らに向かって。


「チッ」


 テクストブーフが舌打ちする音が聞こえた。


 パンッ‼ パンッ‼ 更に二発弾丸が放たれ、私は解放される。


「大丈夫か? お前……。鼻血がやべぇぞ」


「だいじょばない……クソ痛い」


「女の子のピンチを救うヒーローみたいよ、今のアンタ」


 皮肉るように、嘲笑するように、冷淡な声で言い放つ。そこは怒りが含まれているに感じた。捕らえた獲物を解放されたら、そうなるか。それじゃないような気がするけど、勘違いだろう。


「うっせえな。カマ野郎」


 どうやらこの二人は、敵対していることを抜きにしても、折り合いが悪いらしい。普段からこんな風にお互いのことを罵倒しているとしか思えない。なんというか、慣れているのだ。


「この研究所には存在しない、アタシ好みの、黒髪の未成年の巨乳の少女だったのに……折角捕らえたってのに。もう。最悪よ」


「…………」


 お前か! ウィンクルムが言ってたの、お前のことか! うわ、うわ、うわ! う、わぁあああああ……。どちらの意味で──って、そういうことかよ! 熱い視線、そういうことか! 捕らえた獲物を解放された怒り以外を感じたの、勘違いなんかじゃなかった! なんてこったい!


 私は反射的にリアンの後ろに周り込み、盾にするようにしがみ付いた。


「お前二八だろ。コイツ、年齢、俺と変わらねぇぞ……」


「二八」


 二八歳が、一五歳を狙っている。

 犯罪じゃん。キモっ!

 そういえば、もうすぐ三十路って言ってたわ。

 ねえ、もし、連れて行かれたら、どうなっていんだろう、私。


「あんなことやこんなことしたかったのに」


「ひぃぃぃん」


 やばい。悪寒が走った。マジで寒気がした。うわうわうわ。気持ち悪い。ホントキモい。


「お前……気持ち悪いな」


 ドストレートなリアンの罵倒に、心の中で同意する。


 ヤバい、鳥肌立ってきた。

 ここに来てから、一番身の危険を感じてる。

 生命の危機は覚悟していたけど、貞操の危機は覚悟していなかった。こっちの方が嫌だ! 生命の危機よりずっと嫌だ!


「うぅ……ぅ……」


「大丈夫大丈夫。俺が隣りにいる以上、あの気持ち悪い野郎も簡単には手ぇ出せねぇから。な?」


「介護かしら?」


「お前が原因だぞ。獲物を見るような目付きやめろ。怖ぇよ」


「まあ、ここは逃げるけどね。死んだらたのしめないもの」


 私に、一体何をなさるつもりなんです? 愉しむって。と、いうか、なんでそんなにも余裕なんです? どう考えても、貴方の方が不利だと思うんですけど? どうして?


「その銃、もう弾丸ないでしょ? その子を放置すること、出来ないでしょ? らしくもないことをしちゃうぐらい、気に入っているんでしょ? アタシを追い掛けるということは、その子を一人にするということよ」


 背を向け、颯爽と去って行く彼を、リアンが追い掛けることはしなかった。私はそこまで強い力でしがみ付いていた訳じゃないので、振り解こうと思えば振り解けたのに。


「キリオ。とりあえず、これで鼻抑えとけ。血ィやべぇから」


 差し出されたハンカチを受け取り、私はそれで鼻を抑えた。


「他は大丈夫か? どっか怪我してねぇか?」


「左手首を、ちょっと……それと、背中が痛い」


「左手首?」


 断りを入れてから、左腕の袖を捲り、手首の状態を見たリアンは、「腫れてんじゃねぇか」と、目を瞠らせる。言われて、視線を遣れば、結構腫れ上がっていた。


「あっちの部屋に湿布があるから、そこまで一旦移動するぞ。放置したらもっと酷くなるかもしれねえ──ああいや、湿布意味ねえか、お前には」


「冷やせるものがあるなら……それが欲しい。鼻血が酷いから、ティッシュも欲しい」


「保冷剤とかあったし、冷却ジェルシートもあるし、とりあえずあっちの部屋まで移動するか」


 リアンが指差した部屋は、医務室的な部屋らしく、応急処置が出来る道具が一頻ひとしきり揃っていた。血を拭い、それから冷却ジェルシートを患部に貼る。暫く押さえていたお陰で、鼻血は止まった。鼻の骨は折れていなかった。


「着替えもあるから、これに着替えたらどうだ? 血塗れの服着ているのも気持ち悪いだろ?」


 折角の制服を捨てるのは勿体ないが、もう二度と着れないぐらい酷い状態なので、素直に着替えることにした。サイズは少し大きいけど、着る分には問題ない。


 着替えている間、当然リアンは後ろを向いていた。


 着替えた際に気付いたことだが、右腕に痣が出来ていた。背中にも痣が出来ていた。通りで痛い訳だ。


 共輪を使うかどうか悩んだが、リアンがいる内は使わないことにした。頭が回らない状態で使うと、情報が処理し切れなくて、寧ろマイナスにしか働かないからだ


 だってアレ、使うと頭痛がするだよ。軽い頭痛じゃなくて、結構酷い頭痛。


「何から何までごめん……役立たずで」


 移動しながら、謝罪の言葉を口にする。

 足枷にしかなれていないことが、本当に申し訳ない。


「戦闘要員じゃねえのに、こんなところに送り込んできた貧弱野郎が悪いだろ、これは」


「確かに」


 帰ったら文句を言ってやろう。そんな元気があればの話、だけど。


「あのグランツって人、マジでさ、どういう人なの?」


「どういう奴と言ってもな……前に話した以上のことは知らねえよ。ああいう性癖の奴だって知ったのはついさっきだし。言ってなかったこともあるけど、研究員も兼任しているってだけで、大した情報じゃねえぞ。一応武道の心得はあるけど、改造人間に対抗出来るほどじゃねえし。キリオを制圧するぐらいは出来るだろうが……」


「深く知っている訳ではないんだ」


「アイツは俺と違ってバリバリ前線に出るタイプじゃねえから……そこまで交流はないんだよ。馬が合わねえから、出来るだけ直接関わることは避けていたしな」


「嫌い合っているみたいだね」


「ここの研究所の所長の方が人格者に見えるぐらいえっげつねぇんだよ。アイツの策に付き合った結果、痛い目に遭ったしな……合理的な策ではあったが、駒として動かされる俺からしたら、気に良い気はしねえ。俺は成功の部類に入るから、使い捨てられることはなかったけどな、他はそうじゃなかった。だから大半は死んだ」


 怒りとか憎しみとか後悔とか、様々な感情が綯い交ぜになって、どうしようもない顔付きになっているリアンは、少しだけ、だが、歩くスピードを落とす。


「あの野郎は、俺のことを使い切ろうとしていたから、俺は使い捨てられずに今もここにいる」


「…………」


 何も言えなくなり、私は黙る。

 私が想像出来ないほど過酷な生活を送っていた彼に、彼より温い世界で生きている私が、何かを言える訳がない。


「死ぬのが遅いか早いかの違いで、こんな場所にいたらいずれ死ぬことは変わらない。だから逃げ出そうと思ったんだ。他は最悪どうにでも出来ないことはねえが、グランツだけはどうないかしねえと……どれだけ逃げても意味がなくなる」


「必ず探し出されるってこと?」


「そういうことだ。居場所を特定されて、地の果てだろうとお構いなく、追い掛け回してぶっ殺そうとするだろうな」


「そんなやべぇのに目を付けられたのか、私は」


「そういうことになるな……」


 心底哀れむように視線を向けると、「俺以上に狙われるかもな」──あり得そうな、末恐ろしいことを言って来る。


 背筋がゾワッとした。


「グランツだけは、確実に仕留めねえと」


「そうだ──」


 ね──と、言い切る前に、ドサッと上から何か大きなものが落ちて来る。


「え」


 私も、リアンも、思わず足を止めた。

 呆然と、落ちて来たものを、注視した。


 落ちて来たもの、それは、ウィンクルムの死体だった。

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