第二幕【闘魂無我】①
男は背を向けていたので、こちらは咄嗟に身を隠した。姿こそ見られなかったけど、向こうは何かを察知したらしい。
こっそり様子を確認すると、不審そうにこちらに視線を向けている。ハッキリ顔が見える距離じゃないけど、それでも何かを判断するように、睨み付けていることは分かった。それぐらい鋭い視線だったのだ。恐らく、わざとやっている。あえて分かるように睨むことで、気付いているぞとアピールしているのかもしれない。
「おい」
男が少し声を張り上げた。
低く力強い、威圧感に満ちた声だった。
「おい、誰かいるのか」
確認するために、こっちに近付かれたら一発アウトだな。見付かっちゃう。
マジでどうしよ。
リアンに視線を向ければ、
戦闘力がない私が下手に動くより、戦闘力があるリアンに任せた方が上手くいくだろうし、ここは任せてしまおう。全然役に立てなくて申し訳ないけど。
「そんなに言うなら素直に出て来てやるよ」
身を隠していた場所から出て来たかと思えば、開口一番挑発するようにそう言った。
「動くな、タダでは済ませないぞ」
「動かなくてもタダでは済ませねえだろうに。動いても動かなくてもどっちでも危険だけど、動いた方が危険度は跳ね上がるぞって言い直したらどうだ?」
言い切ると同時に、リアンは思い切り相手を蹴り上げる。スゲェ音がした割りには相手はダメージがあんまりなくて、普通に体勢を整えて手に持っていた銃をバンバン撃ちまくる。
それを華麗に避け、相手を追い詰めようと、拳と足を駆使するが、男は銃弾で牽制する。パッと見確認しただけでも一〇丁ほど銃をぶら下げているため、わざわざリロードする──ということもなく、弾丸がなくなった銃は、リアンに向かって投げていた。
普通の銃ではないというのは、弾痕を見ればすぐに理解する。男が使っている銃は、貫通力に特化している。
こっちに銃弾が飛んで来たら、遮蔽物で止まらず、私の肉体にまで到達しそう……。下手したら私の体を貫通して……考えないでおこう。
いやホント、前に出なくて良かった。
そしてリアンが、こっちに銃弾が飛んで来ないように、工夫して動いてくれて良かった。
どっちが勝ってもどっちが負けてもおかしくない戦いが続き、終わりがあるのかなどと思っていると、リアンはあえてギリギリで弾を避け、次の発砲が行われる僅かな隙を突き、相手の懐に一気に潜り、両腕を掴み上げると、骨を粉砕するように握り潰した。
それから勢い良く膝を叩き込み、頭突きを喰らわれると、男は脳震盪を起こしたのか、フラッと僅かに体勢を崩し──頭を掴まれ、首をがっつり拗られ、背中に顔がある状態になり、息絶える。
「もう出て来て大丈夫だぞ」
「う、うん」
遮蔽物から出て来ると、「これいるか?」と、男が持っていた銃を差し出してきた。見た目は普通の銃に見える。
「これ、普通の銃と違うよね? 何なの?」
「対改造人間用拳銃、普通の拳銃なら傷すら付けられねえ改造人間達の体に穴を開けることが出来る優れもの。使い方は普通の拳銃と同じ」
「そうなんだ。便利じゃん。でも人質が銃持っていたらおかしくない?」
「その口振りから察するに、銃を使うことが出来るんだな」
「まあ、一応は」
上手じゃないけどね。
よっぽど遠距離じゃなかったら、狙いを定める時間さえ貰えれば当てられる程度の腕前。
見た目通りの腕力だから、反動が凄い奴は使えない。一回それで肩が外れた。
「人質として持っているのは不正解だろうが、アゲマキの親戚じゃねえってバレたときのことを考えると、自衛手段を持ってた方が良いと思うんだよな……」
「鞄とかあれば、そこに入れて隠し持てただろうけど、見ての通り何もないからね」
手ぶらだ。手ぶら。偽造書類しか持って来ていないし、それも研究所に渡したから、今は何も持っていない。
「太腿とかに括り付けたら、スカートで隠れて見えないんじゃね?」
プリーツスカートだし、タイトスカートほどピチッとしていないから出来るとは思う。
「括り付けるにしても、紐とかないと……」
「あるぞ」
いつの間にか、拳銃を持っている手とは反対の手には紐が握られていた。手品か何か?
「ええ……じゃあ、持って行く? かな?」
何故か疑問形で変な返し方をしてしまった。拳銃を一丁右太腿に括り付けて、まだ弾丸が入っている他の拳銃からは、マガジンだけ貰い、それは左の太腿に括り付けた。
服の上からだと意外と分からない。
丈も極端に短い訳じゃないから、意外となんとかなった。
「この男の人、白衣着てるけど、研究員?」
にしては強くないか? 強過ぎないか?
「そいつは改造人間。白衣は趣味だ」
あ、そうなんだ。それもそうだよね。ただの研究員にしては、やっぱり強過ぎるし。
「趣味なのか」
「異能力なしの普通の人間の力じゃ、骨を折るどころか、痣すら作れねぇぞ。俺的には相性が良くて、コイツ的には相性が悪いから、無傷で勝てたって感じだ。もっと広い場所だったら、普通にヤバかった。一体一なら勝てるかもとか考えるなよ?」
「いや、そんなことは微塵も考えていないけど」
普通の拳銃だと掠り傷一つ付けられなくて、普通の人間の力だと痣すら作ることが出来ない──そして身体能力は化け物クラス。
真面目に戦いたくない、改造人間と。
戦うってなったら、私死ぬ自信しかない。戦闘系の異能力を持っている人間ならまだしも、私はそうじゃないから。
「銃声聞き付けて、ここに来──ッ!!」
「グウェ!!」
いきなり壁に叩き付けられ、痛みと衝撃のあまり変な声を発してしまった。とりあえず突き飛ばされたということは、辛うじて理解したんだけど──理解したのだけれど。
「悪ィ!! 後で説明する!!」
理解した途端に、そこから次の思考に移る時間を与えられず、ヒョイッと投げられた。
少しの浮遊感の後、私は物理法則に従い、落下していく。
予想より長い落下時間に驚きながら、重力に逆らえずにいる肉体を制御することも出来ず、されがままになるしかなかった。一瞬だけ何かが足に引っ掛かり、本当に一瞬だけ落下が止まるが、すぐに落ちてしまう。
落下した場所は、研究所内にある硬い床──ではなく、ゴミ袋の上だった。
顔に掛かる髪を振り払えば、こんな状況じゃなかったら見惚れていたほど美しい夜空。外にいるのかと思って、体を起こして
どうやら私は、窓の外から中庭に放り投げられたみたいだ。そこそこ高さがあったせいか、ゴミ袋という名の緩衝材があったとはいえ、衝撃を殺し切ることは出来なかったらしく、左手首を捻ってしまった。地味に痛い。地味に困る。両手が駄目にならないだけマシか。骨が折れていないだけいいだろう。
スカートを軽く捲る。しっかり縛り付けてあったお陰で、拳銃とマガジンは無事だ。どこかに行ったりしていない。良かった、武器はある。
なんか、こう、状況がよく分からないから、断定することは出来ないけど、とにかく良くないことが起きたんだろうな。
具体的に何が起きたのかは分からないけど、とにかくなんとかしないと。
「早くリアンと合流しないと……」
捲っていたスカートから手を離し、もう一回周囲を見渡そうとしたのだが──「あ」「あ」
ガッツリと、パクス・ウィンクルムと、目が合ってしまった。
完全にヤバい。
どうしよう。
まだ
「見逃してやるからとっとと帰れ」
向こうの出方を窺っていると、ウィンクルムは開口一番そう言い放った。どこか面倒臭そうで、自棄になっているように見えたのは気のせい?
「お前が総角の親戚を騙ったこととも、お前がリアンの脱走に手を貸そうとしたことも、どっちも知らない振りをしてやるから、目を瞑って見なかったことにしてやるから、とっとと出ていけ」
総角って人の親戚じゃないことも、リアンの脱走の件も、バレているらしい。ここまで来たらそうだよな。バレるよな。そりゃあ。
「どういう風の吹き回しかな? そっちからしたら、見逃すメリットなんてないでしょ? 殺した方が良いんじゃない? 知られたら困ることを知られている可能性があるんだから」
信用出来る訳ないだろと遠回しに伝える。
こんな言葉、信じられる訳ない。
「組織全体で見ればないが、俺個人にはあるんだよ。ガキが死ぬのに抵抗を覚える程度の良心はあんだよ、これでもな……。こんな研究所にいる時点で、倫理観とか良心とか言っても、説得力なんてねぇだろうが。それでも一応は良心の呵責っつーもんがあるんだ。改造人間達については諦めたが……部外者のガキについては諦められてねぇみたいでな。俺的には、とっとと出て行ってくれる方が都合が良いんだ。分かったなら出て行ってくれ」
「……その言葉を信じるとして、出て行かないって言ったら、貴方はどうするの?」
「暴力的な手段を取るしかなくなる」
暴力的な手段。殴る。蹴る。投げる。撃つ。どれが来るだろうか。どれが来ても、勝てるかどうか怪しいな。そこまで距離が離れていないし、力だって私よりはあるだろうし。私が拳銃を取り出すより先に、ウィンクルムが手にしている銃から弾丸が放たれる方が早いだろう。
「場所が分からねぇなら案内してやるから、とっとと──」
「帰らないよ」
圧倒的に不利だけど、絶対に勝てないというほど絶望する状況じゃない。
どの道、ドーチャから頼まれたことを──ファイルを入手していない以上、帰るという選択肢はない。帰らないというより、帰れない、だな。
ここで帰るなんてことをしたら、私がどうなるか分からない。ドーチャがなんて言うか……。だけど、今、目の前の危険よりも、よっぽど危険であると分かる。絶対碌なことにならん。
「……死にたくないだろ、テメェ」
ウィンクルムは、銃口を、先程よりもしっかり私に向ける。少し声が震えていた。手の震えているように見えた。手に関しては暗いから断言出来ないけど。
「死にたくはないけど、諦めたくもないんだよ。ドーチャの頼みという名の命令に逆らうことも出来ないし……」
逆らったらどうなるのかは分からないが、逆らうと
「どっかに雇われてるのかよ」
「雇われてはいない、飼われているんだよ」
話をしながら、ゆっくり、ゆっくり、彼に近付いていく。
「おいおい、近付くんじぇねぇ……撃たれてぇのかテメェ」
予想していた通り、だ。
銃を向けられている私より、銃を向けているウィンクルムの方が、遥かに弱気で、
これなら、なんとかなるだろう。
勝機がある、筈だ。
「こんなやばいことをしている研究所に一人で来る奴が、拳銃一つでどうにかなると思う?」
これは虚勢だ。
牽制と時間を稼ぐために、言っているだけだ。
「例えば、何かしらの秘策とか、持っているかもしれないよね」
「何が言いてえんだよ」
「安易に引き金を引いていいのかな? もしかしたら、とんでもないことになるかもしれない」
「お前、俺が撃てねぇと思っているのか? そんなんで撃つことが出来なくなるとか、本気で思っているのか? あぁん?」
撃つ気満々の奴はもう撃ってるんだよ。そういう台詞は撃ってから言うもんだろ。一発でもいいから。
一回も引き金を引いたことがないド素人ならまだしも、多少心得がある奴なら、この距離だったら確実に当てることが出来るのに。
「一般人ならまだしも、そうじゃない人間を、拳銃一つで牽制しようとするなんて、馬鹿のすることだよ。ダークな世界じゃ通用しないよ。リアンとか普通に銃弾避けていたし」
ジリジリと距離を詰めていき、いい具合になった頃。
「改造人間と、ただの人間を、一緒にするんじゃねえ。あれか? お前はこの状況をどうにか出来る異能力でも持っているのか?」
彼の声が更に荒くなる。
「持っているなら会話なんてしないよ。それなら正攻法で突破しているし」
「何だよ、お前。死にたいのかよ。死にてぇなら自分で死んでくれよ」
「死にたくないよ、やることあるのに、死ねる訳ないだろ」
苛々が募り、集中力に大きな揺らぎが出て来たとき──私は思い切り、彼の腕に組み付いた。
銃を持っていた腕の方に組み付く。
明後日の方向に弾丸が放たれる。組み付かれたことで、力んだせいだろう。
「この、クソッ、放せ!」
銃を持っていない方の腕で、こっちを思い切り殴ってくるが、痛いけど、耐えられないほどではない。この程度の痛み、問題ない。
「お前、放せ! 放せっつってんだろ!」
二発目の弾丸が放たれる音がした。
「いいから放せ!」
三発目の弾丸が放たれる音がした。
「クッソ! クッソ!」
四発目の弾丸が放たれる音がした。
「ああ! クソッ! クソッ!」
五発目の弾丸が放たれる音がした。
「クソガキ! 放せよ!」
六発目の弾丸が放たれる音がした。
よし。これで弾はない。彼が持っている銃は、私が持っている対改造人間用の銃じゃなくて、銃砲店で買える物だと見て分かったから、どういう性能なのかは一応分かる。リロードさえされなければ、撃たれてる心配はしなくて良い。
「ッ⁉」
左手首を捻っているせいか、思っていたよりちゃんと組み付けていなかったらしくて、予想より早く振り解かれた。男女差、力の差を鑑みれば、当然のことか。
こっちも体勢を崩したけど、向こうも体勢を崩したらしい。銃を落とした。
背中が滅茶苦茶痛いけど、歯を食いしばって耐え、素早く起き上がると、銃を拾い、倒れているウィンクルムの頭を、それで殴る。ガツンと殴る。
弾丸がなくとも、銃はそれなりに重さがあり、何より固い。鈍器として使えるだろう。
三度殴ると、彼は気絶し、ピクリとも動かなくなった。
最初は死んだのかと思ったけど、息はしているし、脈はあるので、気絶しているだけと分かり、少しだけホッとする。
こちらを殺さないように最大限配慮してくれたので、出来れば殺したくなかった。
まあ、死んだら死んだで、それは仕方ないって思うけど。
ゴミの中から、縛るのに使えそうなものを取って、手と足を拘束した。
そのときに、リロード用の弾丸を持っていないかと、体中を弄ってみたが、ハンカチとティッシュしか出て来なかった。ティッシュは口の中に詰めた。ハンカチは
流石に弾丸が入っていない銃まで持ち歩く余裕はない。
危機はとりあえず去ったけど、この後どうしよう?
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