第一幕【薄幸症状】③

 ドーチャが関係するところでは、ほぼ必ずと言っていいほど、死人が出る。血と死の臭い。彼を語る上で切っても切り離せない存在。


 九歳の頃から、テロリストであるドーチャに飼われている私は、嫌というほど、それを自覚している。いや、自覚しているというより、自覚させられたと言った方が正しいかもしれない。


「改造人間だけじゃなくて、研究員も動くだろうな……」


「研究員も?」


 何故? ここの研究員は戦闘も出来るの? 流石に改造人間ほどではないだろうけど、基本的な護身術は履修しているってことなのかな……。もしそうなら、かなり厄介なことになるぞ。


「そりゃあそうだろ。非人道的な実験とか行なっている訳だし、露見するのは避けたいって思うのが、人の心理って奴じゃないのか? 職も、地位も、名誉も、色々失うかもしれねえんだからよ。焦らない筈ないだろ? 大人しく傭兵と警備員、改造人間のことなんだけど、ソイツらに任せている奴もいるだろうが、そうじゃねえ奴も当然出て来るだろ」


 そういうことではないらしい。少し安心した。そこそこ戦える研究員まで相手にしないといけないとか、地獄でしかないからな。


「バレるって焦るぐらいなら、こんなことしなければいいのにね。そうしないと生きていけない人もいたんだろうけど、そうじゃない人もいるでしょ? 研究員になれるぐらい頭が良いならさ」


「俺みたいに選択肢すら与えられない奴もいるんだよ。好きでやっている奴も一定数いるんだろうが……四割ぐらいはそうせざるを得ない、あるいは、気が付けばそうなっていたって奴だ」


 研究員になれるぐらい頭良いのに、そうせざるを得ないって言われても、正直ピンと来ない。年齢が著しく低いなら分からないでもないけど。家族を人質に取られたりでもしているの?


「はぁ……なんだか事情が複雑で、頭が混乱して来たよ……パンクしそう」


「一気に説明されても困るよな」


「ホントその通りだよ……情報整理すんの大変」


 ここまでリアンにか帰られながら運ばれていたのだが、追っ手を完全に巻いたと判断したのか、ゆっくりと私を床に下ろす。


 それから「なんだかな」と呟いた。


「お前……人を疑うことを知らない訳じゃねえのに、妙に素直というか、されるがままというか、あー、あれだ、主体性っつーもんが欠けているっていうか……イニシアチブを握ろうっていう気概がねえんだよな。恐怖で服従しているって訳でもねぇし……死ぬのが嫌だと強く思っている訳でもねぇし……」


 死ぬのは嫌だよ。

 目的があるから。

 目的を達成するまでは死ねない。


「急にどうしたの?」


 こんなときにする会話じゃない。気になったとしても、後回しにするような内容だ。今は追っ手がいないのかもしれないけど、いつまた追い回されるか分からないし……。よっぽど言いたくて仕方がなかったのか?


 自分に主体性があるとは思っていないし、言いたいことは分からなくもない。傍から見れば、私は受動的な人物なのかな? ドーチャは「積極性とか、主体性とか、そういう言葉で表現されるものを、お前はしっかり有していますよ。発揮されるところと、発揮されないところでの違いが顕著けんちょなだけで」と言っていたけど、アレって正しいのだろうか。


「別に。俺に対して、随分と友好的だなと思っただけだ」


「ええっと、もしや何か疑われているのかな? 身の潔白を証明することは出来ないけど、現時点で私がリアンに逆らうメリットなんてないし、変な心配はしなくて良いと思うよ?」


「そういうところなんだよな……。俺が言いたいのは」


 そういうところって、どういうところだよ。

 何が言いたいのかハッキリしないな。


「……こっから出ることが出来たら話すわ」


「今はそれどころじゃないもんね」


「あぁ、そうだね」


「人質な訳だし、リアンの前を歩いた方が良いよね。人質になっていることを思えば、武器なしで良かったな……武器持った人質って、だいぶおかしいもん」


「妙に人質慣れしてるな……人質になったことでもあるのか?」


「一回だけ人質になったことがあるんだよ、狂言だったけど」


「どんな状況だ?」


「ヴェッテ・シュピーラーって子とちょっとあってね。まあ成り行きって奴だよ」


「成り行きで人質になるって……妙に気になること言うじゃねぇかよ」


「ここを出て、時間と余裕があったら教えるよ。とりあえず前を歩くことは確定として、前を歩く以外のことはした方が良いのかな?」


「俺がお前を人質に取るなら、前を歩く程度で充分だ。後ろを歩かれたって問題ないくらいなんだが、それだと不自然だしな」


「どこに行く? 構内図は持っているから、どこに行くのさえ言ってくれれば──あれ?」


 構内図を取り出そうとポケットを探る。ある筈の構内図がない。空っぽ。別のポケットが入れてたっけ、と、別のポケットも探ってみるが、そこにもない。全身弄ってみたけど、ない。


「失くした……」


「どっかで落としたのかもな。いつ落としたのか分からねえけど……一番あり得るのは、俺がお前抱えて逃げてるときか。もしそうなら悪い」


「ちゃんと管理していなかったこっちも悪いし、気にしなくて良いよ」


「俺が誘導するから、その通りに歩いてくれ」


「分かった」


 周囲を警戒しながら、指示された通りに、移動する。ある部屋の前に行くと、中に入るように言われたので、その通りにした。


 室内には、小柄な人物が立っていた。

 遠目からだと性別が分からなかったけど、「ここに来て大丈夫なのかい?」という声で、彼が男性だと理解する。


 柘榴石の髪と金緑石の瞳が特徴的な白衣を着たその男性は、身長が私とあまり変わらなくて(ちなみに私の身長は一六〇センチ)、中性的な顔立ちも相まって、女装が良く似合いそうという感想を抱いた。年齢は私より一〇は上に見える。実際はいくつなんだろう?


 中に研究員いるけど、大丈夫なの? という風にリアンに視線を遣れば、すぐさまこう答える。


「コイツは大丈夫だ。俺の敵じゃない。味方でもねぇけどな」


「そうなの?」


「嫌々ここで働いている奴だからな。俺がここで何をしようが、どうでもいいんだとさ」


「騒ぐ元気がないってのもあるけどね……」


 室内が薄暗いこと、少し距離があったことで気付けなかったが、よく見ると彼の目の下には隈がある。声も覇気がないし、大丈夫なのかな……。


「そこのお嬢さんはアゲマキさんのご親戚──ではないね。どうやって身分詐称して、この研究所に入ったんだい? 簡単なことではない筈なんだが……。まあいい。とりあえず他の人にはバレない方が良い。面倒なことになるからね」


 やつれたその人は、「名前が分からないと不便かもしれないから名乗っておくよ、エーレ・ユスティーツという……気が付いたときにはヤバイ仕事をさせられていた愚鈍な研究員だ」と、自分のことを虚仮こけにした自己紹介をする。


 そこまで自分を卑下しなくてもいいのに。愚鈍って言い過ぎじゃないかな。いや、改造人間云々に、気付いたときにはガッツリ関わっていたら、これぐらい言いたくなるものか。


「とっとと本題に入ろう」


 エーレさんは、気怠けだるげな視線を真剣なものに変え、リアンの瞳を見詰める。


「異能店の電話番号と、合言葉……教えるという約束を反故ほごにする訳じゃないけど、かなり丁寧に表現しても、肥溜めと表現出来るぐらいには酷いから、余程追い込まれなければ、使用しないつもりらしいけど……正直、余程追い込まれても、頼らない方が良い。僕は使ったことがないけど、使った人間がどうなるのかは知っているからね」


「そんなにヤバイのか?」


 リアンの問い掛けに、「キミが思っている以上に、ヤバイんだよ」と、エーレさんは言う。


「使われるよ、骨の髄まで。利用されるだけ利用される。あちらさんには、人を蹂躙じゅうりんすることへの躊躇ちゅうちょというものがない。使ってやろうとか、利用してやろうとか、そんなことを思った瞬間アウトだ。利用される、使われる、頼ってはいけない、常にこれらのことを頭に留めておく必要がある」


 胸に訴え掛ける真摯しんしで真剣な声だった。

 心の底から忠告しているように見えた。

 そして、そこには、どこか怯えが含まれているように感じられた。


 異能店と関わってしまったことで、過去に痛い目に遭ったのかな?


「あの……すみません、異能店って、どういうお店なんですか?」


「異能力を売ったり、情報を売ったりしてくれる店だよ、簡単に言えば」


「異能を売る?」


「そういうことが出来る異能力を持った人物がいるんだよ……世の中には。そいつは直接客と話さないけど」


 ジッと、遠くを見るような目付きになる。その目には、郷愁というより、畏怖が含まれているように見えた。この人、異能店と関わったせいで、トラウマ級のろくでもない目に遭ったんだろうな。どんな目に遭ったんだろう?


「知っているんですか? その異能力者のこと」


「詳しいことは知らないよ。例え知っていても言えない。死ぬだけなら全然構わないんだけど、死ぬより酷いに遭うのは、御免被りたいんだ。だから、出来ればで構わないんだけど、僕からの紹介であるということは、異能店側には伏せておいて欲しい」


「紹介した奴が誰なのか訊かれない限りは言わねえ。訊かれたら言うけどな」


「それで良いよ。絶対に言わないという言葉より信用出来る」


 用件が済んだのか、リアンは私を連れてこの場から去ろうとしたが、それを呼び止めるように、「これは個人的な忠告だけど」と、背後から言葉を投げて来る。


「もしも二人がローゼリア王国に行くことがあれば、お金がないときはペリコローソ病院ってところに足を運ばない方が良い。あそこは大金さえ積めば犯罪者であろうと治療してくれるところだけど、金にならない人間は金にされる可能性があるから、希死念慮きしねんりょや自殺願望があるならともかく、少しでも生きたいと思うなら、近付くことさえしない方が良い」


「一応頭に入れておくわ」


 リアンはそれだけ返し、今度こそ、この場から離れて行った。


「異能店、利用するの?」


「前にも後ろにも進めなくなったとき、本当に本当にどうしようもなくなったとき、利用しようとは思っているが、今のところ、利用する予定はねえ。保険みたいなモンだ」


「保険、か。お代がどれぐらいかにも寄るけど、高いと気楽に使えなさそうだね」


「代金は金じゃなくて情報らしいぞ。合言葉が必要なのは、顧客の情報収集能力検査、と言ったところか。情報を集め、それを売らせて、情報を提供して、また情報を集めさせて、売らせる、理に適っているな。悪質という点を度外視すれば」


 一種の無限ループが出来る訳か。恐ろしい。メッチャ怖い。気付いたときは抜け出せなくなりそう。薬物みたいに、中毒とか依存症とかにさせられそう。


「情報って、お金よりも世間や人を動かせる武器だからね……それお代するなんて、頭良いなあ」


 ある意味お金よりも価値があるし、お金よりも信用出来るものではある。真偽のほどを判断する必要があるから、お金よりも厄介ではあるけど。


「関心するなよ」


「便利ではありそうだし、便利だからこそ沼に陥り易そうで、ちょっと怖いよね」


「そうならないように。アイツはアレだけしつこく忠告して来たんだろ」


「使うときは気を付けないとね……」


 あ、そういえば。


「さっき、エーレさんが、取引とか言っていたけど……」


「交換条件だよ、異能店の情報やるから◯◯まるまるしろ的な」


 どんな内容なんだろう? 気になるけど、流石にそれは踏み込み過ぎかな? リアン個人のことならまだしも、エーレさんのプライバシーに関わることかもしれないし。深入りし過ぎるのもアレか。あまり色々訊くと、探りを入れていると思われかねない。


 不信感を抱かれるのは避けたい。構内図がない以上、ここでリアンに置いていかれるのは困る。向こうには、私を置いてドーチャに直接情報を渡すという選択肢があるのだから、平気で置いて行くという選択も、取れないということはない。実際するかどうかは別として、出来るか出来ないかはかなり大きいよな……。


「何か物をあげた感じではないのかな?」


「行動系だな。俺個人の財産なんてないに等しい以上、差し出せるのがそれぐらいなんだよ」


「ああ、まあ、そっか。表現が悪いけど、この研究所に飼われている訳だもんね、リアンは」


「マジで表現が悪いな。腹は立つが、その通りだから、何も言い返せねぇ。私物なんて、服ぐらいしか持ってねえし、その私物ですら、飼い主である研究所から与えられた物……ああ、嫌になるぜ、ホント」


 エーレさん、私が出会った人間の中では、かなり上位に位置するいい人だったな。出会ったばかりの小娘にも一応忠告の言葉を送ってくれるし、こんなところにいなかったら、普通のいい人になれたんだろうな……。


 どういう経緯でこの研究所に来たんだろう?


 最初からヤバイことをしていると分かっていた訳じゃないみたいだし……徐々に徐々に暗部に関わる形になって、気付いたら全身どっぷり浸かっている感じだったのか? 出来るだけ早く、こんなところから逃げ出して欲しい。


「それで、次はどこに向かう?」


「特に決めてねえんだよな。追手をある程度処理──有益な戦力を多少ぶっ潰して、それから出て行こうとは思っているんだが、どうやってそれを達成しようかは考えられていないんだ」


「行き当たりばったり過ぎる計画だよね。計画というより賭けって感じ」


 賭け。賭博。ギャンブル。ギャンブラー。ヴェッテ・シュピーラー。一瞬だけ彼女の存在が脳裏に浮かぶ。


「言い訳になっちまうが、俺が頭脳派じゃねえからってのもあるが……ギャンブルにならざるを得ない、行き当たりばったりな方法を選ぶしかなかっ事情ってのがあるんだよ。寧ろ俺は知らない方に分類される側だし、兵士として駆り出されることが多いから、内情を探ることにそこまで時間が使えねえんだ」


 そんな風に、声を潜めて会話をしていると──エーレさんでもウィンクルムでもない人物が、視界に入った。

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