第一幕【薄幸症状】②

 一言謝った後、彼は驚いているような、残念がっているような、どちらとも取れる声を発した。多分だけど、残念がっているような気がする。根拠はなくて、あくまでも勘だけど。


「まさか俺と歳が変わらねえ女を寄越すとは……予想外だな。この世界の年齢なんて関係ねえが、それにしたってよ。何か凄い異能でも持っているのか? 変な意味じゃなくてな。なんて言えばいいのか、とにかく予想外だったんだよ」


 言いたいことは分かる。ドーチャ本人が来ないことくらいは予想していただろうけど、まさかあんな風に、あっさり背後を取られるような小娘が来るとは思っていなかったのだろう。自分でも、何故私なんだと思う。他に適任いるだろ、とか、そんなことを、内心では思っている。


「私の異能力は、大したことない異能力だよ。戦闘系じゃないし、探索系でもないし、隠密系でもない。そういう体質って言われた方がしっくり来る系の異能」


 異能力──とんでもない現象を起こす特殊な力の総称。単に異能と言われたりすることもある。全員が全員異能力を持っている訳じゃない。異能力については分からないことが多くて、どういうものなのか、私から説明することは出来ない。


 異能力者と異能力者の間に、必ずしも異能力者が産まれる訳じゃないし、異能力者じゃない人間と異能力者じゃない人間の間に、必ずしも異能力者じゃない人間が産まれる訳じゃない。私は父母共に異能力者だけど、親の異能とは全く関係ない異能を持っている。


「キリオ、でいいよな? 男みてえな名ま──ああ悪い、こんなこと言われたくないよな……」


「男みたいな名前。名付けをした母に、どうしてこんな名前付けたのか訊きたくなるぐらい、何度も言われたよ」


 訊きたいけど、訊いたところで教えて貰えないだろう。実際どうなのかは分からないけど、もう訊くことが出来ない以上、想像するしかない。


「もしかして下の名前で呼ばれるの嫌か?」


「こんな名前を付けた両親に疑問をぶつけたくはなるけど、コンプレックスに思っていないし、別に気にならないよ」


 親族に読みが同じ名前の人物がいるから、偶に改名したくなるけどね。先にキリオと名付けられたのはこっちだけど。


 名字は同じだから、ややこしいんだよな……。


 漢字表記にしても、一文字しか違わないから、本当にややこしい。


 自分の子供に、姪と同じ読みの名前を付けた叔母に、二時間ぐらい文句を言いたい。


 少しボーッとしていたのか、「キリオ?」と、呼び掛けられる。「ああうん、大丈夫、なんでもない。ちょっと考えごとしてただけ」と返せば、「そっか」と納得される。


「うん、じゃ、キリオ、フェドートからどこまで聞いているんだ?」


 フェドートとは、ドーチャのことだ。フルネームは、フェドート・ドルバジェフ。ドーチャというのはフェドートの愛称。フェドート・ドルバジェフという名が、本名かどうか、私は知らない。偽名だろうなと、思っている。


 とりあえずドーチャから聞かされた内容を口にすると、露骨に驚いた表情を浮かべた。


「この研究所のこととか、全然聞いてねえのか」


「うん」


「うわ、マジか……」


 リアンは蘇比そひ色の髪を掻きむしりながら、どうしたものかと呟き出す。結構不味いことなのかもしれないけど、だとしたら、ドーチャは何も言わなったんだろう? リアンは都合が悪いけど、何も知らない方が、ドーチャは都合が良いってことかな?


 マジでどんな理由があって、私をここに送り込んだんだ。分からない。本当に分からない。予想すら立てられない。これ分からないままでいた方が良い奴かもしれない。


「どういう意図があって、あの貧弱男はお前をこんな場所に送り込んだんだ?」


「さぁ? ドーチャの考えていることなんて、私にはさっぱり。我が身のことを思えば、分からない方が良いかもしれないし、そう見せ掛けて、分かった方が良いかもしれないし。今は考えるだけ無駄だから、一回置いておこうよ」


「そうかよ……てか、お前、あの貧弱男のなんなんだよ? まさか愛人って訳じゃないだろうし」


「冗談でもそんなこと言わないで……」


「ああ、悪い」


「真面目に回答すると、利用対象。服やら飯やら面倒見る代わりに、利用しているって言えばいいのかな? 私は他に頼れる相手がいないし、母親が厄介な人だから、アイツに面倒見て貰わないと生きていけないんだ」


 母親の存在のせいで、レヴェイユ雑技団に誘拐された挙句、強制的に働かされた。


「とりあえず、お前さんに複雑な事情があるってことは分かったよ」


「それさえ分かってくれればいいよ。話せないことも多い上に、話すと長くなることもあるから」


 一時間程度では、語り尽くせない。


 ドーチャと私の関係を一言で説明することが出来る言葉があるけど、それを使うことは出来るだけ避けたい。その事実が嫌という訳じゃないんだけど、面倒だから。


「それで、ここがどんなところなのかについてなんだが……そうだな、一言で表現するなら、改造人間量産所だ」


「改造人間量産所……」


 随分と物騒な表現を用いる。


「俺は数ある実験体の内の一体。体をあちこち弄られるから、かなり丈夫だし、かなり動ける。そういう奴を傭兵として貸し出して、データを取るついでに稼いでいるんだよ、ここは」


 一人じゃなくて、一体か。


「後ろ暗いことばっかしているんだね。どれぐらい黒いんだろ? 私の髪ぐらい?」


「それを更に濃くしたら、丁度良い感じだ」


「漆黒ってこと?」


「ああ、間違いねえ」


 この施設が漆黒だとしたら、ドーチャはそれを超える黒さ、ベンタブラック。腹の中が真っ黒。黒過ぎて光一つ差し込まない。ここでの黒は、犯罪に手を染めている、という意味だ。そして自分が間違っていると思っていない、そういった意味も含まれている。それなのに、自分のことを、チタニウムホワイト並に真っ白な存在だと思っている。なんなんだよアイツ。思い込みにもほどがある。あそこまで思い込めるのは最早才能だ。


 そう思える人間でないと、テロリストになれない、ということかもしれない。


「そんな場所だから、俺は逃げたくなった。人間の体を非人道的に弄くり回していることが表に出ないのは、お偉いさんと繋がりがあるからというのもあるが、身寄りのない、いなくなっても困らない存在を選んで、この場所に連れて来ているからだな」


「事件になり難くて、この場所から逃げ出すということが出来難い存在を、わざわざ調達して来ているってことか」


「そういうことだ──だから俺は、貧弱野郎の情報を流す代わりに、ここを出た後の諸々の問題、戸籍とか、そういうのを粗方どうにかしてくれって頼んだ訳だ。ただ逃げるだけなら、こんな周りくどいことをする必要性はねえんだが……ただ逃げた場合、世間知らずの俺は生きていけねえからな。野垂れ死ぬ。それは嫌だ」


「一体どうやって、ドーチャと、接触したの? そんな状態だと、自由なんてあまりないでしょ」


「傭兵として、この施設の外にいたとき、監視の隙を突いて、アイツに接触した。噂は細々聞いていたからな。噂と僅かな伝手を辿ってなんとかって感じだ」


「そうなんだ」


「俺にとって、これは、もう二度と来ねぇかもしれない絶好のチャンス。俺のことについて何も聞かされていないキリオには悪いが、もう少し付き合って貰うぞ。黒いファイルは、ここを出たら、渡してやるから」


「それは……乗り掛かった船ってことで、受け入れるけど。ファイルを持っているかどうかだけで確認させてくれないかな? じゃないと協力出来ない」


「それもそうだな」


 リアンは服の下から黒いファイルを取り出す。彼に見せて貰う形で中身を見せて貰ったが、何を書いているのか分からなかった。風邪のときに見る悪夢を文章化したみたいな内容で、とてもじゃないが、ドーチャが欲しがるものとは思えない。


「暗号化されているらしいぞ。俺には分からねえけど、キリオにも分からねえみたいだけど、あの男なら分かるんじゃないか?」


「まあ、多分、ドーチャなら……」


 頭良いし。知識も豊富だし。ドーチャならなんとかなるかな? きっと大丈夫。頭脳労働得意なんだから、大丈夫だよ。うん。


「一応黒いファイルは確認出来たから、協力するけど、具体的に私は何をすれば良いの?」


「思っていたより簡単に信じるな……」


「黒いファイルとしか聞かされていないし、仮にそれが目当てのファイルじゃなかったとしても、私はここのことを良く知らないから、今は従うしかないでしょ。私はリアンと違って戦闘力もないし」


 これで、実はこのファイルが目的のファイルと別物であったとしても、その件でドーチャから何か言われたとしても、黒いファイルとしか言わなかったドーチャが悪いと言い返すつもりだ。それでも文句を言うなら知らん。


「まあ、それもそうか」


「具体的にどうするの? 何か考えるはあるでしょ? 流石に全くの考えなしで、こんなことをした訳じゃないだろうし」


「ざっくりとしたプランはあるが、恥ずかしながら、具体的なプランがある訳じゃないんだよな。何せ、俺もこの研究所の全てを知っている訳じゃない上に、この研究所にいる奴ら全員について把握している訳じゃない。だから様子を見て判断するって感じだな」


「そうなんだ……」


 そんなんで大丈夫なんだろうか? 乗り掛かった船だし、よっぽどのことがなければ、最後まで付き合うけど。不安だ。


「……ふぅむ」


 リアンは、不意に、私の頭上に視線をやったかと思えば、ゆっくり下へと下がっていき、爪先まで見る。


「お前、戦闘力がないって言ってたけど、どれぐらいないんだ? 全く戦えねぇって意味か? 最低限は身を守れるけど、それ以上は無理って意味か?」


「……完全に、完全に無理。契合棹けいごうとうか、分断刀ぶんだんとうなどがあればある程度戦えるけど、何もない状態じゃ無理。一般人と変わらない」


 せめて魔擲斧まてきふがあればな……。

 ここに持ってくることが出来なかった武器を頭に浮かべる。アレがあればなあ。さっさとここから出ることが出来ただろうに。持って行こうとしたら、ボディチェックの段階で取り上げられるだろうし、不信感を抱かれただろうから、持って来なくて正解なんだろうけど。


 共輪きょうりんを持ち込めただけでも、御の字と思っておこう。戦闘に使える物じゃないけど。


「オーケー。役に立たねえってことは分かった」


「その通り」


 私は死ぬほど役に立たない奴だぞ。強いて言うなら、体が頑丈ってことぐらいじゃない? 使えるところなんて。


 もう一つ使えるところがあるとすれば、奥の手のアレだけど、アレは可能な限り使いたくない。奥の手って自分で言うぐらい重要なものなのだ。


「最後にもう一個質問──お前、異能力者か?」


「異能力者ではある。薬が効かないってだけの、大したことない奴。薬が効かない体質って言った方が正鵠せいこくを射ているかも。使えないでしょ?」


 私の異能力──薬物無効トラヴァー

 文字通り、薬物の影響を受けない。自分でオンオフ出来る訳じゃないから、体調が悪くなると地味に大変。赤ん坊の頃から一度として風邪を引いたことがない健康体じゃなかったら、だいぶ苦労していたと思う。


 産まれてから一度も病気になったことがない健康優良児、探してもいないと思うんだよ。どうしてあの母親から私のような健康的過ぎる存在が生まれたのだろうか。雑種強勢かな?


「確かに、この状況を打破出来る異能じゃねえけど、自分の異能をそう卑下しなくても良いだろ。毒か何かで殺されないのは良いことだぞ。うっかり毒殺され掛けことがあんだけどよ、あのときは本当に苦しかったぜ……。あんな思いをしなくて良いっていうのは、かなりの利点だと思うぞ。表の世界に生きているならまだしも、裏の世界で生きているんだから、いつどこで何に毒を仕込まれているのか分からない──そんな心配をせずに眠れるのは、幸せなことだろ」


「まあ、確かに」


 一理ある。

 今の今まで使いどころが限定的過ぎる竹頭木屑ちくとうぼくせつな異能だと思っていたけど。


 食べ物と飲み物に関して、味と腐敗ぐらいしか気を付けなくて良いってのは利点だよな。


「リアンは異能力者なの?」


「残念ながら、俺は異能力者じゃない」


「異能力者じゃないんだ」


「改造されているだけあって、フィジカルはかなり強いと自負してるし、最悪荒事になっても、度を超えたもの以外は対処は出来るから、その点だけは安心してくれ」


「それは朗報だけど、そうなると、私の存在って足手纏いにしかならないんじゃ……」


「アゲマキの親戚って思われている内は、お前を人質として利用することも出来るから、足手纏いじゃねえぞ」


 お偉いさんの親戚だから、手荒な真似をすることが出来ないってことかな? 私、総角あげまきって人のこと知らないけど、バレないかな……。


「てか、総角ってなんなの?」


「アゲマキはここの太客兼スポンサーなんだよ」


「なるほどねえ」


「俺がちょっと様子を見てくるから、キリオは少しの間、ここで待っててくれ。外の様子が分からねえとどうしようもないからな」


「動き回って大丈夫なの?」


「従順な振りをしていたお陰で、研究所内なら、ある程度自由に動き回っていいってことになっているんだよ。だから、よっぽど目立つことしない限り、大丈夫だ」


「それなら任せるけどさ……気を付けてね」


 リアンを見送ってから、机に置かれている菓子を食べて時間を潰す。昼ごはんを食べていないせいでお腹が空いていたのだ。ちなみに菓子は美味しかった。全部食べ尽くしてしまうぐらいには。


 どれくらい時間が経過した頃だったか。


 ──バンッ!!


 かまびすしい音が響き、ギョッとして、音がした方向に顔を向ければ、ヤベッって顔をしたリアンがこちらに駆けて来る。


 絶対に何かあった奴じゃん。


「待て!」


 よく見ると、彼の後ろには彼を追い掛けているであろう複数の人物がいた。


 うん、どう好意的に解釈しても、ヤバい状況であることには変わりないですね。一体何をやらかしたんですか?


「お前ら! コイツがどうなってもいいのか!」


 私を人質に取ったリアンは、このような言葉を叫び、私の存在を利用して作った隙を突き、ここから逃げ出した──勿論私を連れて。


 誘拐に近い形で連れ去られ、適当な場所まで移動すると、「すまねぇ、やらかした」と、申し訳なさそうな声で言われる。


「何したんだよ」


「端的に言うと、グランツっていう、俺ら改造人間達のリーダー的存在に、勘付かれた」


「その人ってヤバいの?」


「ソイツ自体は何の改造も受けねえ──戦闘能力は俺と比べたらかなり下、人間の領域は脱してないレベル」


「それなら、別にそこまで警戒する必要はないと思うんだけど……」


「目的を遂行するために、一番効率の良い手段を弾き出す力がスゲェんだよ。使えるものは、親の死体だって使うぞ、ありゃあ」


「ふぅん」


 ドーチャとグランツって人だったら、どっちが作戦立案能力が高いんだろう……。多分、ドーチャの方だろうな。


「そのグランツって人が、とにかく凄いっていうのは分かったけど、これからどうするの? 不味いよね?」


「お前を人質として利用しながら脱出を目指す形になるんだが──追手をある程度処理してからになるな、これだと」


「その処理が、殺すって意味なら、一体どれぐらいの人を殺すの?」


 殺しはあまり好きじゃないから、殺す数は多くないと良いんだけど。


「分からん。状況によるとしか言えねえ。最低でも五人くらいは殺すことになる」


 五人で済めばいいんだけどね……。

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