第16話:初代蒼城大学校生徒執行部➀

 青城祭まであと17日 2022年9月13日am 15:01:大澤夏樹、佐々木隆之介


「当日の巡回ルートについては以上になります。ご参加頂きありがとうございました」

 締めの言葉が夏樹によって発されると共に、生徒達は気怠そうに教室から去った。

 椅子が床を削る音が止むと、教壇に立つ夏樹、その横から佐々木が語りかける。


「なんだか、意外ですね」

「何がだよ」


 夏樹は、教卓で資料を整えながらぶっきらぼうに返答する。


「てっきり、夏樹さんは今日のボランティアへの説明もサボると思ってました」

「だから言ったろ。人を暫定的な情報で判断するなって」

「まあ、これくらい当たり前の業務なので、まだ認めるには不十分ですけれどね」

 そう言いつつ、佐々木は教室の机を几帳面に整えてゆく。


「そうかい」

 夏樹は、ため息をつくと教室から出ようとした。

「あ、その資料持ち帰らないで下さいね。生徒会室に戻しておいて下さい」

「わかったよ」


 振り返る事もなく、教室を後にする。生徒の笑い声や作業音を聞きながら、気だるい足取りで生徒会室へと向かう夏樹。その最中、廊下で作業を行う女子生徒や教室前で屯する男子生徒達から、視線が向けられる。


 ————いつになっても不快だな。この視線は。

 先ほど、警備ボランティアの生徒達の前に立った際にも向けられた、好奇と侮蔑の混ざった視線。それは、昨年の長谷川との一件以降広がったが、七十五日も経つと皆忘れたようだった。しかし、他校の生徒を殴って停部した噂が広まったからか、山火事のように、ゆっくりと再燃しているようだった。


「ちっ」


 舌打ちする夏樹の肩を、誰かが叩いた。それと同時に、首筋にヒヤリとした感覚が走る。声にならない悲鳴をあげながら、夏樹は背後を振り返る。すると、


「やあやあ。お疲れ様、夏樹くん」

「……西園寺か」


 にししという擬音が聞こえそうな笑顔を覗かせつつ、西園寺は夏樹にサイダーを渡してきた。夏樹は、ぶっきらぼうに礼を言いながらそれを受け取る。


「またサイダーかよ」

「これが一番いいの。ね、生徒会室も取るんでしょう? 一緒に行きましょ」


 夏樹は、さらに強まった周囲からの視線から逃げるように、廊下を進んだ。


 生徒会室の重い鼈甲色の扉を夏樹が開けると、扉と腕の隙間を、西園寺が「あざす!」と言いながら屈んで進んだ。夏樹は生徒会室に入ると、古い壁掛け時計に目をやった。時刻は午後3時ちょうど。ガクや吉田との約束の時間まで、あと1時間弱ある。

 西園寺は、長方形の机、その最も奥の椅子に腰掛けた。夏樹は以前座った席に腰を下ろす。年季の入ったパイプ椅子に腰を下ろすと、みしりと音を立てた。


「君の学生生活は、やけに向かい風が強いね」

 缶から炭酸が漏れ出す音と共に、西園寺が語る。

「全部、身から出た錆だからな。文句は言えない」

 一時間近く話し続けていた喉に、サイダーが染み渡る。

「そう言い切ってしまうのも、なんだか悲しいけどね」

 ぐびぐびと炭酸を飲む西園寺。そのまま席を立つと、机の横に備え付けられた棚を整理し始めた。


「生徒会活動はどう?」

「思ったよりも雑務ばっかりだ。アニメみたいな教員以上の権力はないのか?」


 西園寺は、忌憚のない感想にしばらく笑うと、落ち着いて話し始める。


「あんな権力があったら楽しいんだろうけどね。結局は、裏方だよ」

「ああ、悲しい悲しい」と口にしながら、西園寺は席を立つ。そのまま棚から青いファイルを取り出すと、白黒写真が挟まれたページを夏樹の目の前で広げた。


『初代蒼城大学校生徒執行部』と、明朝体で表記された写真には、学帽にマント姿の男子生徒達が数人立っている。その後ろでは、セーラー服とワンピースが合わさったような、一枚袖の制服を着た女子生徒達がやわらかに微笑んでいた。


「ずいぶん古い写真だな。それに、学校名も違う」

「明治二十年、西暦で言うと1872年かな」


 そういうと、西園寺は夏樹の横に椅子をつけて、ファイルから写真を取り出して、覗き込む。


「そんなに昔なのか」

「因みに、右端の丸眼鏡をかけた男子は、佐々木くんの大お祖父様だよ」

「確かに、言われてみれば面影がある、かも」


 写真の右端の男子生徒は、丸渕の黒眼鏡をかけた坊主頭であるが、その女性のような顔つきは佐々木に似ている。


「加えて言うとね、『初代蒼城大学校生徒執行部』の構成員はその後、政府の重役としてキャリアを進めたんだって」

「へえ。なら、現代の生徒会メンバーも同じようなキャリア形成ができるとか?」


 夏樹がふんぞり帰りながら言うと、西園寺は、物悲しい顔になった。


「だったら良いんだけどねぇ。強いて言えば推薦を貰い易くなるくらいで、正直これといったメリットはないなぁ。私達は映えある『第150代:青城高校生徒会執行部』だと言うのに!」

「それは残念だな」


 そう言いつつ、夏樹はこの学校の長い歴史に感嘆の思いだった。入学以降、サッカーと勉強に明け暮れた影響で、この学校自体についてなんら興味は持たなかったが、歴史ある高校だと言うことを改めて認識させられる。


 ————だが……

 夏樹は、机の下で、手を強く握った。

 ————だからこそ、あの監視カメラの存在は大問題になり得るだろう。未だ確証はないが、今日この後に行われる調査によっては、俺達は大きな決断に迫られるかもしれない。


 そんなことを考えるのも束の間、西園寺はファイルを捲る。

 すると、『原爆投下以前の蒼城大学校:1942年』と表記された写真で手をとめた。薄いカラー写真に映し出された茶色のレンガ調の校舎に、蔦が絡まっている。その写真を見ると、夏樹は一つ違和感を感じた。


「校舎が今と全然違うじゃないか」

「お。さすがの洞察力」


 西園寺は、夏樹を両手で指差しながら褒め称える。


「旧校舎は一回、原爆の影響で完全崩壊したんだよね。それで、再建に次ぐ再建が重ねられて今の真っ白な校舎になったの」


 その過剰な賛辞を流しつつ、夏樹は感想を伝える。


「俺は旧校舎の方が好きだな。歴史が感じられる」

「言うと思った。私は、新校舎の方が好き。お洒落だもん」

「無いんだな。『歴史的情緒』が」

「んだとー!」


 そのまま二人は、昨日行われたサッカー日本代表の試合内容やヨーロッパリーグに関する話題に花を咲かせる。すると、ノックが行われるとともに、佐々木が生徒会室へと戻ってきた。


「戻りました」


 夏樹はてっきり、以前と同様に叱責を喰らうかと構えていたが、佐々木は卓上に置かれたファイル、そして、『初代蒼城大学校生徒執行部』の写真を見ると、全身を硬直させた。


「佐々木くん……?」


 心配する西園寺の声に当てられて、佐々木は意識を取り戻したかのように、我に帰った。


「あ……! そうだ僕、教室に忘れ物をしてきちゃった。取りに戻ります」


 言葉を残すと、そのまま扉を開き、足早に去っていった。

 恐怖映像を見たような表情を不審に思い、夏樹は生徒会室を飛び出した。


「待てよ」

「なんですか、急に」

 佐々木は、振り返ることもなく廊下を進む。

「何か、あの写真に問題があったのか?」

 夏樹の言葉に歯ぎしりをすると、佐々木は歩くスピードを上げた。

「先ほども言ったでしょう。教室に忘れ物を取りに行くんです」

「そっちにお前の教室はないだろう。一年三組の教室は逆方向だ」

「うるさい。放っておいてくれ」

 佐々木は、そのまま走って行く。夏樹は、一瞬で追いつくと、佐々木の肩を再度掴んだ。

「何ですか、しつこいなあ!」

「別にお前の為じゃない。まだ、警備コースの準備が終わってないだろう。それともサボって帰るのか?」

「ぐ……」

 夏樹の口上に不満を覚えつつも、佐々木は夏樹の腕を払いのけて振り返った。

「あなたじゃないんだから、サボったりしませんよ、僕は」

「なら良い。この後予定があるから足早に済ませるぞ」

 夏樹の返答に頷くと、二人は生徒会室へ戻った。


「えーっと、うちのクラスは、『海鮮たこ焼き』をやります。築地の魚屋さんと協力して産地直送の新鮮な蛸や烏賊を使ったたこ焼きを売るのと、たこ焼きを実際にお客さんが作る体験イベントの二本軸でやってく感じっす」

「それは美味そうだ。仕入数とか目標来店者数。あと、店内スペースの席数とかとかは決めてる?」

 夏樹は、メモ帳に女子生徒の回答を書き記しつつ思わずため息をつきそうになる。


 ————これが、あと34クラス分もあるのか。

 二人の新たな業務は、各教室を回り、それぞれのクラスで行われる展示の内容や、その危険度や予想される動員数をリストアップするというものだった。それらを元に、ボランティア生徒の文化祭当日の警備ルートを確立するのだ。


「じゃあ、ざっと以上になります。ご協力ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。先輩、当日たこ焼き食べにきて下さいね。あと、その時写真取りましょ」

「ああ、是非とも」


 作業中のクラスを出ると、佐々木が夏樹に語りかけた。


「笑っているんでしょう」

「……いや、別に……?」

 語りつつ、少し吹き出しそうになる夏樹。

「やっぱりそうだ。馬鹿にしているんだ!」

「悪かったよ。ほら次行こうぜ、な?」

 夏樹は佐々木の頭を叩いて歩き出す。佐々木は無言のままその後ろを付いて回る。


「なんで、あなたはそんなに女性と上手く話せるんですか」

 階段を登る最中、佐々木はゆっくりと口を開いた。先程の女子生徒への聞き取りの際、最初は佐々木が担当した。しかし、女子の前に立つ前から茹蛸のように顔が赤くなると、しどろもどろな質問を明日の方向にするだけで、慌てて夏樹が交代したのだった。


「家が母子家庭なのもあるな。おまけに母さんは癇癪持ちだから、子供の頃から女性の機嫌を取るのは上手かったんだ」

「そ、そうなんですね。すみません変なこと聞いちゃって」

「良いよ別に。俺から一つ、アドバイスするなら『男子と会話する感覚で行くことだな』」

「そうなんですか」

 大きな木の板を運ぶ生徒とすれ違う。二人は、階段の端に寄りつつ会話を続ける。

「結局は女子も人間だからな。俺と話す感覚でリラックスしていけば良いんだよ」

「なるほど」


 夏樹と佐々木が階段を上がりきる。この後のクラスで、佐々木に実践させるのも良いかなと思っていると、


「何でわからねぇんだよ!」

 2年生の教室から、男子生徒の大きな叫び声が聞こえてきた。

 声の元へ辿り着くと、中がピリピリした空気に包まれていた。クラスメイトたちが固唾を呑んで見守る中、男子生徒と女子生徒が激しく言い争っている。教室の黒板には、ジェットコースターの企画図が描かれており、その周囲に建材やコストの詳細が書き込まれている。


「売り上げを伸ばすならコストカットが一番手っ取り早いだろ。父さんの会社が余らせてる建材を使えば、タダだぜ!」


 男子生徒は、男子生徒たちに同意を促すよう、拳を握りしめながら声を荒げた。


「安全性を無視してどうするのよ! そんなことして事故を起こしたら元も子もないって、お父さんもいつも言ってるわ」


 三つ編みの女子生徒は、一歩も引かずに鋭い目で男子生徒を睨み返す。

 夏樹は、その状況を見るとため息をついた。大方、父親から唆された男子生徒が意見を押し通そうとしているのだろう。他人の意見に依拠した時特有の、無責任さと過剰な自信がその証拠だ。これから、監視カメラの存在という重要事項を扱うというのに、夏樹はわざわざ神経をすり減らしたくもなかった。そのまま、彼らを無視しして進もうと、佐々木に声をかけようとすると、


「ちょっと、二人共落ち着いて下さい!」

 佐々木は教室に飛び込んで、二人の間に割って入った。

 思わぬ乱入者の登場に、「誰だよ、てめーは」というクラス中の非難の視線を受けるが、佐々木は力強く声を張り上げる。


「生徒会執行部の一年、佐々木隆之介です。安全性の欠如という声が聞こえてきたので、思わず飛び入ってしまいました!」

「せ、生徒会が何の用だよ。関係ないだろう!」


 再び声を張り上げる男子生徒。それを遮るように、佐々木は啖呵を切る。


「大いにあります。建築法の観点から言えば、どんな建材を使っても、その構造物が十分な安全性を確保していなきゃいけないんです」


 大きく、身振り手振りをしながら更に続ける。


「『建築基準法第二十条』では、建築物の安全性が明記されていて、特に、多くの人間が利用する施設では厳しい規制がある。それは、文化祭のジェットコースターでも同じです。もし事故が起きたら、貴方達は責任を取れるんですか。彼女の言う通り、安全性を第一にして集客やマーケティングを活用して売り上げを伸ばせば良いでしょう!」

「ぐ……」


 苦い表情をする男子生徒。しばらく、教室に無言の静寂が訪れたのち、女子生徒や一部の生徒達が声を上げた。


「そ、そうよ。彼の言う通りよ!」

「皆で集客がんばれば良いだろう。あんま危険な橋はやめようぜ!」


 佐々木を肯定する声が上がる度に、男子生徒の顔が赤く染まり、震えが強くなる。


「この、『メッキの魔女』の七光が!」

『メッキの魔女』という言葉に、佐々木が固まるとともに、赤みが限界に達した、男子生徒はその固く握った拳を佐々木に振り下ろそうと駆け寄った。瞬間、夏樹は駆け出し、男子生徒の腕をその大きな手で止めた。それでも尚、拳を下ろそうとする男子生徒の腕を、夏樹は強く握り締める。


「い、痛ててて!」

 夏樹は男子生徒の腕を拘束したまま、ゆっくりと諭すように語った。

「やめとけ。後悔するだけだぞ」


 男子生徒は、やっとの思いで夏樹を振り解くと、そのまま教室外へとかけていった。周囲の生徒達は未だに緊張感に包まれており、誰も声を発していない。佐々木は、ゆっくりと生徒達の前に出ると、場を荒らした謝罪と相談窓口が生徒会にあるのでいくらでも頼ってほしいと言う旨を伝えた。夏樹は、その堂々とした有様や、教室に差す陽の光のせいか、ほんの少しだけ、佐々木が光っているような気がした。

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