第13話:生徒会室にて

 ガクと別れると、夏樹は深い茶色の扉の前で立ち尽くしていた。


 ————この扉は、何人の生徒を見下ろしてきたのだろうか。

 ふとそんな考えが頭をよぎる。

 夏樹の体格を超える大きな木製の扉は、経年変化で鼈甲色へと変わっており、多くの生徒達を見下ろす番人のようだった。


 深く息を吐いた後、夏樹が意を決してノックし、扉を押し開く。

 すると、まず眼前に長方形の長机が目に入った。これまた茶色い大きな長机を中心に据えた室内には、多くの書類や看板、さらには工具が床にが雑多と置かれており、整理もできない多忙さが伝わってくる。


「あ、来た。こんにちは大澤君」


 その縦長の奥に座った西園寺が、夏樹に手を振る。夏樹は、条件反射のように、体に染み付いた行動をとった。


「2年8組サッカー部、大澤夏樹です! 本日はよろしくお願いします!」

「固い固い。部活動じゃ無いんだから」


 そう言って、西園寺が苦笑するのも束の間、夏樹は促されるままに長方形の横軸へと座った。てっきり生徒会のメンバーが全員集まっているものと思っていたが、西園寺と、もう一人、夏樹の正面に、メガネ姿の男子生徒が座っているだけだった。


「今、お茶を出すね」

「いいですよ西園寺さん。僕がやります」

「あら、ありがとう佐々木君」


 立ちあがろうとする西園寺を遮って、夏樹の眼前に座る男子生徒が立ち上がり、室内の角の方に歩いていく。

 さらりとした黒髪を七三分けした佐々木という、姿勢の良い男子生徒。女のような綺麗な顔つきにかけられた無骨な黒縁眼鏡が、どこかアンバランスに感じる。


 ————ガスもないのにどうやって沸かすんだ。ああ、電気ポットか。


 緊張からか、当たり前のことを思想する夏樹に、西園寺が耳打ちして語りかける。


「良かった。来ないかもって思っちゃった」

「すまん。ちょっと前用が長引いて」


 夏樹がそう応えると、その左頬に、ギロリと強い視線を感じた。慌てて奥の男子生徒に視線を巡らすも、男子生徒は素知らぬ顔でポッドからお湯を注いでいる。


「と、とにかく、良かった。これで一安心……!」


 困った笑みを浮かべる西園寺。今日は、体育があったのか、黒髪を後ろで一つに束ねている。


「ねえ、佐々木君もそう思うでしょう?」

「さあ、どうでしょう。西園寺さんは玉露の方がいいですか?」

「……うーんと、おまかせで!」


 西園寺に笑顔を向けると、佐々木と呼ばれた生徒は、豪勢な木箱から茶葉を取り出しお湯を丁寧に注いだ。そして、棚からビニールの包装を取り出すと、もう片方の湯呑みに、ティーパックをぶち込んだ。


「あの男子は?」


 夏樹は、その差別的な工程から目を逸らして西園寺に質問する。


「佐々木隆一郎君。書記を務める一年生で、君とコンビになって貰います」

「はあ!?」


 一際大きな声が部屋の隅から響く。


「ちょっと待って下さい西園寺さん。そいつ……その人は雑用をするだけでは?」


 ツカツカと歩くと、佐々木は湯呑みを夏樹の目の前に乱暴に置いた。

 夏樹の視線の先では、緑茶をさらに水で薄めたようなほぼ透明の液体が揺れている。


「あれ、言ってなかったっけ。井上君の代わりに、一時的に生徒会として手伝って貰うの」

「一から十まで、何も聞いていないです」


 喚く佐々木を無視して、夏樹は茶を啜るが、すぐに顔を顰めた。

 ————おいこれ、本当に緑茶か……? 流石に薄すぎるだろ!


「いいと思うんだけどなあ。頭脳の佐々木君と体格の大澤君。二人が組んだら、最高の文化祭を迎えられると思わない?」

「……それはそうかも、ですけど」


 ゆっくりと、西園寺の前に湯呑みを置くと佐々木は自席に戻った。


「けどこの人、暴力事件を起こしたらしいじゃないですか。そんな低俗な人間は生徒会に相応しくないと思います」

「……それは」


 言葉に詰まる西園寺。

 自分の落ち度とはいえ、後輩からの散々な言われ具合に、むかっとする夏樹に、いつかの吉田の言葉が浮かぶ。


『何だよ、先輩もバカじゃん。言い返す勇気がないだけでしょ』


 夏樹は、手を握りしめて反論を開始する。


「暴力事件を起こしたのは否定しない。だが、逆に考えてみろよ。お前の貧相な体格じゃできない汚れ仕事も、俺のような悪漢ならできると思わないか?」

「たっ、体格は関係ないでしょう! 今は、あなたの品格の話をしているだ!」


 思わず反撃に一瞬よろめくも、佐々木は立ち上がって言い返す。


「暫定的な情報で差別する人間が品格を語るのか。お前の家はさぞ良い家なんだろうな」

「なんだとこの————」

「はい、ストップ。二人とも落ち着きなさい」


 西園寺は、二人を抑制するように手を伸ばした。


「ふん」


 大袈裟に横を向く佐々木。

 面倒なやつが出てきたな。差し詰め、前任者はこいつとの不破でやめたのだろう。と夏樹は思った。


「なんで、そこまでこいつを庇うんですか」


 佐々木は、じとっとした目で西園寺を眺める。西園寺は無言のまま緑茶を啜る。


「そうだ。土曜もおかしいと思ったんだ。急に生徒会室を抜け出したと思ったら、この男と二人で仲良く話し込んでいたじゃないですか。まさかこの男の事が————」

「佐々木君」


 ————鬼だ。鬼が居る。歩くだけで圧を放つような美人の冷酷な笑顔。これを向けられたら、数日は寝込む羽目になりそうだ。

 夏樹は、鋭い刃を連想させる冷たいな笑みを向ける西園寺から目を背けた。


 以降、文字通り切り伏せられたように項垂れる佐々木をよそに、西園寺は話し始めた。


「なんとなく判っているとは思うけど、夏樹君の仕事を説明するね」


 いつも以上に力強く頷く夏樹。


「君に頼みたいのは、『青城祭の警備』。本当は外部委託する予定だったんだけれど、予算の兼ね合いで、人員が割けなくなっちゃったの」

「そんなことがあり得るのか? 警備こそ、一番金をかけるべきだろう」

「急に、最新のAI警備システムを本校に導入する事になったんです。その影響で、実際に巡回する人員が足りなくなったので、生徒会メンバーとボランティア、教員で巡回するんです」


 机に突っ伏したまま、長谷川が語る。


「流石は佐々木君。よく情報を確認してるね」

「あ、ありがとうございます」


 顔を上げ、照れ臭そうに笑う佐々木。その純朴さの残る女のような顔も相待って、夏樹はより子供のようだと感じた。


「そんな素晴らしい警備があるなら、それこそ人員はいらないんじゃないか?」


 夏樹の言葉を聞くや否や、西園寺は神妙な顔つきになった。

 そのまま、一際小さな声で続ける。


「……実は、文化祭の2日目の午後に『計画停電』があるの」

「『計画停電』?」

「うん。国からの方針で、東京都北部の一帯が30分間程度停電するの」

「何でまた」

「それが、本当に分からないの。一応、電力の安定供給の為って言われてるんだけど」


 ————まあ、あり得ない話ではないか。ただ待てよ。多くの地域にとってはなんて事のない30分だが、俺達には即急に考慮すべき問題ではないか。


「という事は、30分間、警備システムが使えなくなるという事か……?」


 ゆっくりと、頷く西園寺。

 一口緑茶を飲むと、不安を取り繕うような笑顔を携える。


「まあ、そんな重大なことが起きるとは思えないんだけれど、念には念を入れて、生徒と教員でしっかりと巡回をしておきたいの」

「なるほど。合点がいったよ」


 夏樹の言葉を聞くと、西園寺はにっこりと笑った。


「そしたら詳細を説明するね。佐々木君もちゃんと聞いて」


 がばっと起き上がる佐々木とともに、夏樹は西園寺から説明を受ける。

 西園寺が言うには、夏樹の役割は警備の総括だった。学校の安全に関する事項と、緊急避難経路などの確認。そして、文化祭当日の巡回と非常時の対応などが業務だった。


 ————これくらいの内容なら、部活動との両立もできたかもしれないな。

 説明を受ける中で、ふと夏樹は思い浮かんだ。

 だが今は停部処分の身、それにクラス展示も精を出すつもりは無いので、空白の時間を潰すにはこれ以上ない暇つぶしになるだろう。


「ざっとこんなもんかな。詳細はまた後日伝えるね」

「判った」


 夏樹の返事に笑顔を浮かべると、西園寺は他の業務があるらしく、生徒会室から去って行った。去り際に、「二人とも仲良くね」と言っていたが、佐々木の視線は鋭く、高圧的だった。


「大澤さん、でしたっけ。西園寺さんがどう言おうと、僕はまだ認めていませんから」


 吐き捨てるようにいうと、座ったまま夏樹を睨みつける。


「そうかい」

「おい、勝手に備品を漁るな。お菓子を食うな!」

「すまん。小腹が減っちまった」


 夏樹は、生徒会室の探索も兼ねて室内を物色しては、目ぼしいものを口に運ぶ。


「改めて言う! 僕は君を認めないし、渡された資料も共有しない!」


 その光景にわなわなと手を動かすと、佐々木は大声を上げた。


「それは困る」

「そりゃあ、そうだろう。どうせ君も、西園寺さんを狙っているだけなんだろう? 僕の方から伝えておくよ。『大澤君は全部投げ捨てて逃げました』ってな」


 部屋を歩き回る夏樹の足が止まる。


「違う。俺は一つ、確かめたい事があるだけだ」

「……?」


 夏樹の真剣な眼差しに、困惑する佐々木。しかし、黒縁の眼鏡を吊り上げると、断言する。


「よくわからないけれど、君が自身の正当性を証明するまで、僕は何も共有しない」

「じゃあ、どうすればいい?」

「じゃ、じゃあ何か、自分がこの学校に役に立つと言う証拠を見せてみろ。3日以内に」

「判った。とびきり驚くやつを見せてやるよ」


 困惑する佐々木をよそに、夏樹は生徒会室を去った。

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