第12話:最強の二人

 青城祭まであと19日 2022年9月11日pm 12:23:大澤夏樹、伊藤学


「ちょっと、ちょっと待ってくれ」

「どうした」

「……情報量が多すぎる」


 今日も大盛況の食堂で、珍しく、食事に手をつけずに頭を抱えるガク。


「整理するぞ。『一昨日、敵選手を殴って停部処分を食らった』『西園寺さんと連絡先を交換した』『暗号文を解いたら女子更衣室にカメラがあると判った』、この三つでいいんだよな?」


 ゆっくりと、指を使って数える。


「ああ」

「多過ぎるわ、情報が! どんな週末送ってんだよお前」


 夏樹の返答を聞くと、ガクは勢いをつけて叫んだ。


「それは自分でも思う」


 夏樹は、醤油ラーメンを啜る。チープながらクセになる添加物の味だ。


「説明しろ、全部」


 夏樹は、ありのままの事を伝えた。

おそらくだが、昨年長谷川は関東選抜チームでいじめの対象になっていた事。その主犯格と試合で再会し、拳を振るい停部になった事。試合後に西園寺と連絡先を交換し、生徒会の手伝いをすることになった事。


「前から思ってたけど、不器用だよな。お前」


 ガクは大きなため息をついたのち、チャーハンを口に含んだ。


「まあ、後悔していないならいいけどよ」

「それが意外としてないんだ」

「そうか」


 そのまま二人は一気に食事を終わらせ、本題へと入った。


「で、どうやって解いたんだよ」

「ちょっと待ってくれ」


 夏樹は、尻ポケットに挟んでおいた文庫本と、紙、ペンを取り出す。


「この前メッセージを送ろうとしたら、寝ぼけて数字のキーボードで打っちまった時に気づいた」


くしゃくしゃになった模造紙を広げると、昨晩に書いた、スマートフォンのフリック入力時に用いるキーボードを書き写した図が顕になった。




  う   く   す

 いあえ きかけ しさせ

  お   こ   そ 


  つ   ぬ   ふ

 ちたて になね ひはへ

  と   の   ほ


  む   ゆ  る

 みまめ 「 や 」 りられ

  も   よ   ろ


      ん   ?

 大小  をわー 。 、!

 濁点   


 ————————————



  ♪   $    °

 ☆1→ ¥2€  %3#

 

  ※   ×   =

 ○4・ +5÷ <6>


  」   々  |

「7: 〒 8〆 ^9/


  … -

 ()  〜0ー  , . /





 ガクは、興味深そうにそれを眺める。


「例えば、『ありがとう』と入力するのならば、どんな指の動きを取る?」

「そりゃあ、こうだろ」


 ガクは、夏樹からペンを受け取ると、キーボードの『あ』『り』『が』『と』『う』の箇所に丸をつける。


「この、丸をつけた部分に向けて、指をスライドさせる。今時幼稚園生もできるぜ」

「じゃあ、同じ事を、今度は数字キーボードでやってみてくれ」

「成程……そういうことか」


 ガクは、言われるままに数字キーボードの『あ』『り』『が』『と』『う』の位置に該当する部分に丸をつける。

『あ』と同じ位置にある『1』、『り』と同じ位置にある『^』。それぞれに該当する数字を当てはめてゆく。 

 その最中、ガクは、途中で指を止めた。


「あれだな、母音の『お』に該当する部分が、数字キーボードにはないのか」

「そう。だから代わりに、『あ』の位置に該当する記号と、下矢印を併用するんだ。

それと、濁点や小文字を含む場合は、丸い括弧が使われる」

「さいで」


 再び、ペンを走らせるガク。すると、数列が浮かび上がった。


『1』『^』『2(』『4→』『♪』


「成程なあ。言われてみればシンプルだけど、初見じゃ思いつかないな」

「寝不足が功を奏したよ。こればっかりは運だ」


 夏樹の言葉を流すと、ガクはそのまま、風の又三郎の裏に描かれた暗号文を、今度は逆に日本語キーボードを用いて変化させていく。数分の後にひらがなの文章が浮かび上がった。


「『女子更衣室にはカメラが設置されている』か」


 白いコピー用紙を睨みつけるガク。


「……これ本当ならやばくねぇか?」


 ガクは、一口水を飲んでから、再度つぶやいた。


「ああ。大問題になるな」


 夏樹は目を細める。

 この青城高校は、明治の私学校に起源を持つ、歴史ある名門校である。当時多くの華族が通っていた名残か、今でも社長令嬢や子息が通っている。そんな有名私立高校で、ましてや女子更衣室にカメラが設置されていたとなれば、大きなニュースとして取り上げられるだろう。


「どうする、俺らで確認しにいくか?」


 夏樹は冗談半分でガクに尋ねる。女好きの彼ならば、二つ返事で喜びながら向かうと言い出すだろうと思ったが、その顔は真剣だった。


「いや、ダメだ。まだ確証も無い中動くのは、流石にリスクが高すぎる」

「だよな」


 夏樹も水を飲み、口内に溜まった油を胃へと流し込んだ。


「それに、カメラの所在以外にもう一つ考えなきゃいけない事があるしな」


 ガクは、試すような視線で夏樹を見つめる。間違えれば馬鹿にされるだろうと思い、夏樹は、少し考察してから考えを伝える。


「この暗号を書いた人物のことか?」

「流石。話が早くて助かるぜ」


 大きな笑い声が、食堂に響く。中央の方で、男子生徒が奇妙なダンスを踊っているが、夏樹は一瞥もせずに話を続ける。


「一番あり得るのは、本の交換相手、女子生徒だろうな。偶然更衣室にカメラを発見して、俺にSOSを送った……とか」

「そうすると、わざわざ暗号で送る意味がないんだよな」


 ガクは断言した。


「元々公衆電話ボックスを知ってるのは、お前ら二人だけなんだろう。だったら、直接『女子更衣室にカメラがある』って書いても誰にもみられる可能性はないよな?」

「強いて言えば、情報の重要性が高いから、とか」

「重要だと思うなら尚更、最初から先公に伝えれば済む話だろう」

「それもそうだな……」


 がしゃん、と、プラスチック容器が地面と衝突する音が食堂内に鳴り響く。

男子生徒の名前を嘲る笑い声に睨みを聞かせた後、ガクは推理を再開した。


「それに、今回はお前が寝不足だったお陰で解けたが、暗号を解くことができなかったらどうなる。SOSを送るにも、暗号自体を投げ出されたら元も子もないだろ」


 ガクはそのまま、夏樹に断言する。


「俺が思うに、本の交換相手と暗号の主は別人だ。じゃなきゃ、不合理すぎる」


 唸る夏樹に、ガクはさらなる誘いをかける。


「なあ、夏樹。この前は冗談半分で言ったが、今度は本気で探してみないか」

「何をだよ」


 ニヤリと笑うと、ガクはゆっくりと口を開いた。


「そりゃ決まってるだろ、お前の本の交換相手さ。カメラの所在はその後!」

「……わかったよ」


 しばらくの思考の後、夏樹はため息をつくように返答した。


「よし。今日は俺もオフだから、夕方まで探してみようぜ」


 ガクの言葉にぶっきらぼうに返事すると、二人は立ち上がって食堂を後にした。


 陽光が漏れる桜並木の間を潜り、原っぱを奥に進むと公衆電話ボックスが見えた。

ガクはそれを見るや否や目を輝かせ始めた。


「すげえな。こんないい場所が学校のまん前にあったのか」

「あんまり荒らすなよ。学校にバレたら全部撤去されちまう」

「お前、レコードプレイヤーまで持ち込んでるのかよ。洒落てるなおい!」


夏樹の話を聞いているかいないのか、ガクは軋む戸を開き、室内から顔を出した。


「なあ、何かかけてくれ」

「仕方ないな」


 夏樹はため息を吐きつつ、ソーラーパネルからバッテリーを取り外すと、ガクを押し除け、レコードプレイヤーへと繋げた。午後の倦怠感を打ち消すような名盤に針を落とすと、控えめの音量のスピーカーから軽快な音楽が流れる。


「『セプテンバー』か。最高なチョイスだな」

「ちょうど九月だしな」


 そのまま、休憩がてら、二人は音楽を聴きながら取り出した簡易椅子に座り、外で語る。


「『最強の二人』っていう映画で流れるシーンが最高なんだよな、この曲」


 目を瞑りながら、ガクが踊るように語った。


「へー。どんな映画なんだ」

「身障者の大富豪と黒人ヤンキー介護士のハートフルコメディ」

「字面がすごいな」


 はははと夏樹が笑う。すると、ガクは笑顔で夏樹に語りかけた。


「なんか、憑き物が落ちたみたいだな。夏樹」

「そうか?」

「ああ。ここ最近やばかったぞお前。クマは酷いし、殺気だってるし」

「確かに、昨日は寝つきが良かったな」


 夏樹は、スマホのカメラを開いて自身の顔を確認する。考えてもいなかったが、停部処分以来、悪夢も幻視も見ていない。昨日は、母親も帰宅しなかった為、何者にも睡眠を妨害される事がなかった。


「事情は知らんが安心したよ。生徒会の手伝いも良い気分転換になるんじゃねえか?」

「それもそうだな」

「あ、でも西園寺さんに手出したら許さないからな」

「お前は義父か」


 そのまま、飲み物を飲んだのち、二人は今回の調査のまとめを始めた。

最初に確認したのは、『風の又三郎』。最近再販された文庫本であるだけで、特に目新しい情報はなかった。


 後に二人は、図書室へと向かい、本の裏に記された貸し出しカードを確認し、特に読書数の多い生徒を対象に聞き込みを行おうと思ったが、一年前に貸し出しカード制度は廃止していた。学生証内のチップを用いて管理を行うようで、特に成果もなく、現場検証として、この公衆電話ボックスを訪れたのだった。


「そろそろ、調べっか」


 ガクが、上半身を伸ばしながら立ち上がる。夏樹も合わせて立ち上がると、レコードを止めた。


「あれだよな、感想文を書いたメモを管理してるって話だったよな」

「ああ」


 狭い室内に入り込むガクの合間を縫って、夏樹はメモを収納したクリアファイルを室内の棚から取り出す。


「おい、どんだけあるんだよこれ!」

「なんか、捨てるのも申し訳ないだろ!」


 言い合いながら、一枚ずつ、正方形の色とりどりのメモを取り出していく。ガクは紙を取り出すと、ペンを走らせ、時系列を確認していく。

夏樹は、手持ち無沙汰にその光景を室外から眺めていた。


「まあ、ざっとこんなもんだろ」


 そう言って、夏樹に紙を投げつける。

慌てて受け取り目を通すと、それぞれの感想文が時系列ごとに、まとめられていた。


2022年4月:6枚。交換頻度:普通。

2022年5月:2枚。交換頻度:遅め。

2022年6月:9枚。交換頻度:早め。

2022年7月:3枚。交換頻度:遅め。

2022年8月:8枚。交換頻度:早め。

2022年9月:2枚。交換頻度:遅め。


「なんだこれ」

「そのまんま、感想文の下に書かれた日付を基に、それぞれの月にどんだけ本を交換したかを纏めた」


 ゆっくりと、公衆電話ボックス内から身を出すガク。そのまま、夏樹の横に立つ。


「さて、ここでクイズです。明らかに、交換する数が減る時期がありますが、その理由は何でしょうか!」


そのまま、「チクタクチクタク」と小うるさく急かすガクを無視して、しばし考えて夏樹は応える。


「……長期休暇」

「ファイナルアンサー……?」


 大物クイズ番組司会者のように、意地の悪い笑みを浮かべると、「惜しい! 不正解!」と叫んだのちにガクは断言した。


「正解は、定期試験。それもな」

「そうか、言われてみれば」


 夏樹達、青白高校は特殊な教育カリキュラムを実施している。海外からの入学生を多く迎える影響で、一年生のみ、定期試験開催時期が異なるのだ。

それは、5月の実力テストと7月の学期テストである。


「お前は本の虫だから、テスト期間中だろうが笹山の授業中眠りこけている時だろうが読むのは知ってる」

「うげ」


 夏樹は、先日の笹山の授業中、眠り落ちそうになりながら小説を読んでいた事を見られていたのかと、恥ずかしい気持ちになった。

 そのままガクは、ゆっくりと夏樹の周りを探偵さながらに歩き始める。


「てことは、明確に感想文の数が減る時期は、交換相手ちゃんが忙しい時期としか考えられない」


ガクは、「お前との関係に飽きたのは考えないのが前提だけどな!」と意地の悪い笑顔を浮かべた。

 夏樹は正直驚いていた。ここまでガクが論理的な推理を立てるとは考えていなかったのだ。以前食堂で見た、猛禽類のような目つきを思い出す。


「ということは、交換相手は一年生……か」

「それに加えると、お前の誕生日を知っている人物だな」

「あ」


 夏樹は、先日ガクに『誕生日の日には多くのチョコレートが置かれていた』と伝えた事を思い出した。


「これで、だいぶ絞れるよな。お前、後輩の女子と関わる事ほぼ無いし」


 まっすぐと夏樹を見つめて、断言するガク。


「夏樹、お前の誕生日を知ってる後輩の女子。心当たりあるだろう?」

「それは……」


 夏樹が答えようとした瞬間、ポケットの中でスマートフォンが振動した。夏樹が画面を確認すると、一通のメッセージが来ていた。


『先輩、生きてますか?』


 それは、彼の後輩かつサッカー部の一年生マネージャー、吉田朱里だった。

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