第3話:不穏、交換相手

大澤夏樹:西大宮駅付近 6月4日 土曜日 8:11 AM




肌にべったりと張り付いたシャツに不快感を感じながら、自転車を漕ぎ駅へと向かう。


今年は例年を遥かに凌ぐ酷暑らしく、6月初旬の今日でさえ最高気温が32度にも至る。


雲ひとつない空に、得意げな顔をした太陽が居座っていた。




(暑い……暑すぎる)


駐輪場に自転車を止めると、白いタオルで汗を拭った。


家から数分移動しただけだが、前髪が縮れるほどの汗をかいている。




電車に乗り込むと、冷えた人工的な空気が俺を包んだ。


通勤通学時間であるにも関わらず人の数は少なく、空席が目立つ。


それもその筈、俺の最寄り駅は上り線の始発に近いのだ。


余裕のある席に腰を下ろして、ノイズキャンセリングイヤホンを装着すると、単語帳を開いた。


フーファイターズの曲が外界を遮断し、俺を音で包み込む。




単語帳が2週目を迎える頃、窓は都会の景色を映し、目的地へと到着した。


多くの社会人達と共にホームへと降り立つと、朝の池袋駅は人の熱気でむせ返るような暑さだった。


スーツ姿のサラリーマンから、大きなバックパックを背負った外国人観光客まで、全員が何かに急かされるように機敏に、雑多に動いている。




俺はこの景色が好きだった。




この激動の流れに乗る事で、高校生ながら立派な都会人の一端になれた気がするのだ。


都会人が作る川の流れに沿って地下道を進む。


だんだんと社会人の数はまばらになり、クリーム色の階段を登ると、太陽光が反射する暑い道路の中、テリトリーである学生通りに出た。


先程とは打って変わって、制服を着た男女がゆっくりと談笑しながら歩いている。


一見普段と変わらない風景に思えるが、どの生徒達も酷暑ながら浮き足立っており、笑い声が目立つ。


俺は深くため息をついた後、音楽の音量を上げた。




道路を跨いで桜並木を奥に進む。


人混みから解放された澄んだ緑の中、朝の空気を噛み締める。


昨夜少し雨が降ったせいか、一歩進む毎にぐしゃりぐしゃりという音を立が立ち、足の中に温い雨水が侵入する。


周囲の小さな水溜まりに太陽光を反射しており、目を開く事が出来ない程に眩しい。


太陽光で体が加熱される中、逃げる様に公衆電話ボックスに入りこんだ。


安寧の場所で心が休まったのか急に食欲が湧き、今朝買ったサラダパスタを取り出した。


遅めの朝食だ。




ドレッシングを雑にパスタと絡ませると、甘い胡麻の香りと薫製チキンの匂いが立ち昇った。


芳しい香りに俺の食欲は更に刺激され、貪る様に麺をすすりサラダを噛みちぎる。


狭い室内に耐えかねて右脚を上に組んで文庫本を読んでいると、ガクから着信があった。


スマートフォンを取り出す。




「もしもし?」




『夏樹―。 お前今どこにいる?』


おっとりとした伸びる様な声。




「今、前に話した公衆電話ボックスで朝飯食ってる。まだホームルームの時間じゃないだろ?」




『いやいや、今日は開会式あるからいつもより20分早く来いって昨日言われたろ? 宇田の野郎、カンカンだぜ。悪いことは言わないから早く来い』


大袈裟に「ぷんぷん」と怒っている様な演技をしながら捲し立てるガク。




「完全に忘れてた。すぐ行く」




『うし! そんじゃぁ、早くこいよ。今日はお前に活躍して貰わないと困るからな。サボって帰ったりすんなよ?』


電話はそれで途切れた。


さしずめ文化祭で、ガールハントに洒落込むとか言いだすに違いない。




俺は恋愛している暇などないというのに。


そう考えた瞬間、昨日の黒い衝撃がフラッシュバックする。


美しい漆黒の髪とすらっとしたシルエット。


(西園寺は違う! 第一、まだ昨日初めて話したばかりだろ……!どちらかと言えば、俺が気になるのは……)




俺は、手にとっていた文庫本を見つめる。


1年間本の交換をした事で分かったのは、相手が女性である事。彼女の好みが学園系、特にノスタルジックな描写の多い小説である事。部活動に所属していない事。


イベントの時にはプレゼントを忍ばせてくれる事だ。


直接連絡を取り合ったり、話したいと思った事はあれど、匿名性の関係性だからこその心地良さもあり、一歩を踏み込めずにいた。


ふと、昨夜は無かった俺が貸した小説があるか確認しようと、公衆電話下の秘密の棚を探ると指に2冊の本が触れた。




(文庫本が、ある)


それは、俺が貸した江戸川乱歩の名作選と、次に貸してくれたであろう、文庫本の2冊だ。


それを取り上げると同時に、俺は背筋に悪寒が走った。




————じゃあ……昨日の本は誰が置いたんだ……? それに、あの文章は……?




俺は、文庫本で栞代わりに使っていた、あのコピー用紙を取り出した。




『明日、青城祭で皆が消える』




ゴシック体で出力されたその無機質な文章を見つめると、何故だか、昨日の試合を思い出した。


ピッチを切り裂くロングフィード。ゴールに迫る敵フォワード。




敗北という、死が迫る感覚。




俺は、サラダパスタのゴミを抱えると同時に、強引に扉をこじ開けた。


彼女が貸してくれた文庫本を走りながらバッグにしまう。




(こういう嫌な予感だけは必ず当たるんだよ……!)


水たまりを飛び越えて、桜並木に飛び出すと駆け足で坂を降ると、車道に並ぶ数台の車の間を走り抜ける。運転手の不快そうな視線が刺さるが、気にする間も無い。




生徒が集中する校門を避け、車両用出口から校舎に入る。


すると、車両出口に設置された赤や青のケミカルな色で彩られた入場門が俺を出迎えた。


丁度軽自動車が一台通れる横幅に、縦は5メートルくらい。


鉄製の門を跨いで設置されたそれは、学校を訪れる人々を全て飲み込まんと大きな口を開き、自転車通学の生徒達が黄色い声をあげながら中を潜っていく。




(門というか、トンネルだな、こりゃ)




昇降口に入るにはこの巨大な入場門を潜るしかない。


騒ぐ男女を尻目に走ると、赤と青のステンドグラスを介した色のある光が左右から俺を照らす。


深紅に染まった光が、昨日見た血液を思い出させる。


生温い血と人の顔に張りめぐった骨の感触。俺は、右手を握って、目を瞑る。


入場トンネルを通り抜けると、車両出口を真っ直ぐに全力疾走すると、ボーカルの絶叫を聴きながら中庭を突っ切た。下駄箱で校内靴へ履き替え、階段へ。




階段も廊下も全て何かしらの装飾を解かされており、本来の校舎の面影などどこにもない。


ホームルーム開始のチャイムに急かされ、急いで階段を登った。


ポップコーンやチュロスの屋台の匂いを感じる中、


『明日、青城祭で皆が消える』


俺は、あの文言を繰り返し脳内で唱えていた。




————————




教室に着くと、既に全校集会の直前であり、急いでクラスの列に加わって体育館へと向かった。


体育館の右から、3年1組から1年7組まで、来た順番に規則正しく並んでいる。


我が2年4組は、遅れて空いているスペースへと並ぶのと同時に、生徒指導部長の声が走る。




「えー静かに。漸く最後のクラスも来たという事ですし、そろそろ開会宣言を始めようと思います」


周囲に配置された教員達が興奮する生徒達を叱責する声の中、開会式が始まった。




見慣れたジジイ校長の蘊蓄をあくびをしながら聞き流す。


珍しく十分もしない内に話は終わり、我が校のオービーが壇上に上がった。




「おい。あれ塚本じゃね?」




「民衆党の重役じゃんかよ。ここのオービーだったんだ」




周囲から話し声が聞こえる。




「らしいぜ。ここだけの話、父さんの会社が大分エンジョ貰ってたらしい」




「お前、それ言って大丈夫なのかよ。まぁ、ウチの爺ちゃんもそういう事多いって言ってたけどよ」


小声で話す男子生徒達。その自慢が混じった声色が恨めしい。




塚本龍之介は、衆議院議員として名を馳せる大物政治家だ。俺もテレビで何度か見かけたことがある。


確か、有名な製薬会社の研究職の出身で、幅広い薬学への知識に裏付けられた医療施策が功を奏したとかなんとか。




「えー。皆さんおはようございます。青城祭がこんな素敵な天気で迎えられる事を、一人のオービーとして嬉しく思います。私の場合、頭が太陽光を反射して大変なんですけれども」


にっこりと笑いながら、寂しい頭部をさする塚本。


それと同時に生徒達からどっと笑い声が上がる。




「何はともあれ、人生において数回しかないこの晴れ舞台を、精一杯楽しんで下さい。皆さんの創意工夫に溢れる催し物を楽しみにしています」


塚本のお辞儀と共に拍手。頭部に太陽光が反射する。




「えー。今年の青城祭ではなんと、塚本先生にも最終評価に参加していただきます。現役の政治家にご意見をいただける機会など滅多に無いですから、皆しっかりと励む様に」




横から校長が口を出す。




「おい、まじかよ。これ最優秀賞とったら、塚本とコネクションできるんじゃね?」




「そしたら、父さんの会社に公的事業任されちゃったり……!」


生徒達が再度ざわめいたのを教師が注意したのち、生徒代表による開会宣言へ移った。




「生徒代表。2年5組、西園寺薫」


無愛想な声で、昨日聞いた名前が呼ばれる。


彼女は、透き通る様な声で返事をすると、教員からマイクを受け取り壇上へ上がった。


等間隔の歩幅で、彼女は静寂に満ちた体育館を切り裂く。




「生徒会長、西園寺です」


生徒に向かって御辞儀をする彼女。一つ一つの仕草がスムーズにつながり、俺は流麗なイメージを感じとる。心なしか、彼女が動く度に体育館全体に活力が漲る気さえする。




「今年のテーマは花です。私の名前も花に関したものなので、少々気恥ずかしいのですが」


そう言って苦笑する彼女。毅然とした雰囲気に、10代特有のあどけなさが灯る。




「ご存知とは思いますが、ご親族の手を借りる事も外部業者と提携する事も自由です。ただし運営規約や先生方のアドバイスには最大限、従う様にお願いします」


堂々とした振る舞いが、彼女の自信と経験を感じさせる。


自分と同い年である彼女に、どこか大人びた雰囲気を感じるのはそれが原因だろう。




そんなことを考えながら白と青の基調にした夏服を身につけた彼女を眺めていると、


目が合った。明らかに、俺に向けて矢印を放っている。


昨日の夜に感じた、興味を孕んだ好奇心の矢印に似ている。


こちらの考えを見透かされている様に思われ、俺は思わず心拍数が上がった。




それも束の間、体育館全体を見渡し、最大限の笑顔で宣誓する。




「クラス内外問わず協力し、最高の青城祭にしましょう。ここに、青城祭の開催を宣言します!」


満面の笑みを浮かべると、高らかに口上を述べた。




生徒達は、彼女の宣言を待ちわびていたかの様に、堰を切り、大声をあげる。


体育館に降る生徒達の祭へ対する歓喜と期待の雨の中、彼女は壇上を降りる。


最後の言葉が、人との交流を最小限に抑えている自分に当てられた物に感じられるのは、


自意識過剰だろうか。




————————




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