第4話:祭の前
大澤夏樹:本校舎1階 6月4日 土曜日 13:11 PM
夏の気配を感じさせる澄み切った昼。強い日差しが、賑わう廊下に差し込んでいる。
人の汗や香水、食べ物の匂いが混ざった空気。
声を張り上げ、客を呼び込む男子生徒。周囲を気にせず写真を撮る女子生徒。
色とりどりの装飾を施された校舎は、活気に満ち溢れている。
俺は、笑い声で溢れる廊下をかき分け、一人、部室棟へ向かっていた。
その左手には文庫本が握られ、右手の甲には絆創膏が貼られている。
俺は、通行人とぶつかる事を躊躇わず、毅然とした態度で人の流れに逆らう。
————全てが、不愉快だ
「いらっしゃいませ! 1年5組で、熱々のたこ焼き作ってまーす! 築地直送の新鮮な蛸を使っているので美味しいですよ!」
短い黒髪を、白い鉢巻きで縛った男子生徒が、教室の前で叫ぶ。
「隣のたこ焼きより、美味しい焼きそば売ってます! 都内の有名店監修です!」
その横で、紺色のTシャツを着た女子生徒が負けじと声を張り上げる。
彼らの声に釣られ、通行人達は次々に足を止めて教室へと入っていく。
その客達を丁寧にもてなす生徒達の掛け声とともに、ソースが焼ける匂いが漂ってきた。
その横では、広い廊下の隅で簡易的な店舗が展開されており、机を並べて作った簡易テーブルの横にはクレープ研究会の看板が立てかけられている。
冷凍食品ではなく、客の目の前でクレープを焼くスタイルのようで、女子生徒達は手際良く、生地で円を描いている。その後ろには、高級ブランド苺がダンボール詰で置かれていた。
生クリームの甘ったるい匂いと、焼きそばの匂いが混ざり合う。
教室前で客を呼び組む生徒達も、道を行き交う生徒達も皆爽やかな表情をしている。
(全部、大人から与えられたハリボテに過ぎないのに)
ここ、青城高校は明治華族の通う私学校に起源を持ち、その名残か、今日も多くの社長子息や未来の経営者達が通っている。
そして今日は、青城高校の文化祭、通称『青城祭』の開催日だ。
都内最大規模を誇る『青城祭』だが、特筆すべきは学校外部との協力が認められている点だ。そこで、生徒達は自身の親族や会社のツテを用いて、全身全霊で文化祭展示に打ち込む。
親族の期待に応える、という目的もあるが、
『最優秀賞クラスには、難関大学への指定校推薦が与えられる。』
そんな噂が、まことしやかに囁かれているのも、生徒達が熱を入れる要因の大部分だろう。
彼らは今日のために連日居残りで準備を進め、その本番を迎えて色めき立っている。
しかし、俺には、この祭が茶番としか思えなかった。
富裕層の生徒とその親族。やつらは、自身の権威を示す場所として文化祭を利用し、
『クラスの出し物を手伝う偉大な両親と、彼らの期待に応え人々に称賛される子供』
という感動ポルノを作り上げている。
俳優の話題性だけで作られた、出来の悪い映画みたいだ。
スポットライトが、主要人物のみに当てられるできの悪い脚本。
完成の為に駆り出される、教師や一般家庭の生徒などの脇役は、誰も気に留めない。
「1年9組で縁日やってまーす。1等には、何と最新型ゲーム機!」
「今から1年10組で演劇開演します。プロ歌劇団からご指導いただきました!」
生徒の誇らしげな呼び込みが廊下でまざり、粗悪な雑音へと消える。
俺は、教室から視線を逸らして前へ進もうとしたが、急に足を止めた。
川の流れが堰き止められる様に、廊下の列が停滞してしまっている。
背伸びすると、列の最前列で、ブランドバックを携えた中年女性が演劇の衣装を纏った女子生徒を熱心に撮影しているのが見えた。
それを見かねた女性教師が、俺のすぐ横でメガホンを使って夏樹の横でアナウンスをしている。
「本日は、青学祭にご来場頂き、誠にありがとうございます。現在、6327人もの方にご来場頂いております。通路や展示内での混雑が予想されますので、皆様譲り合ってのご利用をよろしくお願い致します」
ひしゃげた大きな音声が鼓膜を不快に振動させ、夏樹はさらに顔を顰めた。
女性教師は慌てて音量調節をしている。
しかし中年女性達は、自分が邪魔になっている事に気付いていない様で、甲高い声を上げながら写真を撮り続けている。
その様子を俺は侮蔑の眼差しで眺めていた後、比較的恵まれた体格で滞った列を押し除け、強引に前へ進んだ。
————————
冷めた目で廊下を進んでいると、見知った顔に声をかけられた。
「夏樹、一人でどこ行くんだよ?」
青年は、伊藤学。俺や友人達からは、ガクと呼ばれている。
茶色い短髪に少し焼けた肌をしており、アーモンド型の目が爽やかな、好青年である。身長は俺より少し低い。
彼は俺と同じく、高校から編入した高校1年生であり、数少ない友人でもある。
その両手で焼きそばと海鮮焼きを抱え、食べるかと尋ねたが断った。
「体調が悪くて少し横になりたいんだ。悪いけど、シフトに出れそうにない」
「サボりかー? まぁ、聞かなかった事にしといてやるよ」
俺のどんな些細な嘘でも、ガクは一瞬で見抜く。
その鋭さが時折、恐ろしくなる。
「恩に着るよ」
「ただし交換条件だ。あとで祐介と俺と3人で展示回るぞ」
「また、ナンパか?」
予想通りの展開に辟易しながら尋ねる。
「あったりまえよ。他校の女子を口説くなら、お前がいないと始まらないからな」
ガクは、2年生ながら強豪バスケ部のレギュラーに定着する一方で遮光性も高く、生徒達から一目置かれている。しかし、恋愛に対して意欲的すぎるのが玉に瑕だ。
「兎に角、3時に中庭で集合な! 来なかったら承知しないぜ?」
「はいはい」
「約束だからな。んじゃ、4組の玲奈ちゃんと劇見る約束があるから行くわ!」
「ま、待ってくれ!」
言いたい事だけ言って、走り去ろうとするガクを気付いたら呼び止めていた。
「なんだよ?」
「いや、悪い……やっぱりなんでもない。文化祭楽しんでくれ」
「何か今日は一段と暗いな。楽しむのはお前もだろ! また、後でな」
満面の笑みを浮かべてガクは去った。
その縦横無尽に駆け回る様は、少し眩しい。
俺はその眩しさに当てられて昨日受け取った、あの文章のことを相談してみようかと思ったが、何故か言い出せなかった。
気を取り直し、人で賑わう廊下を歩いていると、他校の男子生徒と肩がぶつかった。
周りの生徒や来場者が存在しないかのように、横並びで歩く男子生徒達。
夏樹とぶつかった事に気付いて、だらだらと歩く足を止めて振り向いた。
ワックスで固めた髪、手を叩く音と、大きな笑い声。
「おい、まじかよ! こいつ昨日の10番じゃん!」
下品な笑い声が廊下に響き渡るが、集団の雑音にかき消され誰も気に留めない。
不快な集団の中に、記憶に新しい顔を見つけた。
昨日の試合で彼が殴った6番の鱈子唇野郎だ。
「おい、晃平。どうするよこいつ?」
黒い髪を一際逆立たせた男子が、6番に問いかける。
「おい。面、貸せよ」
晃平と呼ばれた生徒は、返事もせずに夏樹に言葉をぶつける。
その目には血が走っていた。
俺は舌打ちすると、黙って男子生徒達の背後について行った。
————————
大澤夏樹:体育館裏 6月4日 土曜日 13:22 PM
「痛ってぇ……」
体育館裏、夏樹は廃棄されたダンボールに横たわって、青空を眺めている。
鈍い痛みを身体中から感じながら、少し体を動かすと、怪我を負った箇所に火が灯るように熱が篭った。
「あいつら、脚ばっか狙いやがって」
紺色のスラックスをさすりながら、ゆっくりと起き上がり、晃平達から殴られる前に物陰に隠した文庫本と、ガクから貰ったサラダパスタを回収しようとした。
痣の痛みから文庫本がこぼれ落ち、例のコピー用紙が地面に転がる。
広い上げたげた紙を俺は開く。
『青城祭で皆が消える』
俺がその文面を視界に入れたのと同時に、体育館裏の横、緑の広場で歓声が上がった。人の笑い声と叫び声。俺にはそれが、自分を嘲け笑う声にしか聞こえなかった。
灰色に染まった視界の中、ふと一つ考えが浮かんだ。
(全部、ぶっ壊れちまえばいいのに)
俺は紙をぐしゃぐしゃに握り潰すと無雑意に投げ捨てた。
————————
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