南の関所2

 約1.7mと長めのツヴァイハンダーを片手で横凪にした少年は、その重い剣を肩に担ぐ。対峙する少女が左右に握っているブロードソードは淡く輝き、徐々にその色を強めていく。両者とも刃はついていない。訓練用の模擬刀だ。


「全力でOK?」

「もちろん」


 高原に遅い春の訪れを告げる甘い風が、止んだ。

 少年が振り上げた剣の勢いで一瞬真空になったからだと、誰が気付いただろう。全身の筋力をバネにして、渾身の力で叩きつけられたツヴァイハンダーが、爆風を巻き起こす。雪解けに泥濘む地面に、踏みしめた少女の両足が深く減り込む。

 しかし、振り下ろされた両手剣は、少女が平行に構えた二振りのブロードソードに受け止められていた。

 互いの視線が、交差する。音は、音は聞こえない。


「親父が俺を選ばねえのが、よーく分かったわ」


 ふんっと鼻息を吐いて、少年が剣を引く。少女が驚いたように少しまなじりを上げ、構えを解く。

 取り巻いていた人垣から安堵のため息が聞こえ、辺境伯領へ来たばかりの見習いページたちがおずおずと話し出す。


「お前があれを受ていたら、どうなると思う?」

「受け止め切れるとは思えんな、弾き飛ばされるか、剣が折れるか……」

「そうはいっても、まだ子どもだよな?」

「いいや、押し切られて真っ二つだ」


 ロドリックがそう言い切ると、見習いページたちは「まさか?」「模擬刀だぞ?」などと呟くものの、全員が真っ青な顔をしていた。

 騎士家系に生まれたロドリックは、騎士になることに何も疑問を抱かずひたすら訓練を積み、十七歳で修行に出る。それなりに優秀で順調な人生であったが故に、辺境伯領で出会った少年と少女から、世の中が不公平で満ちていることを幾度思い知らされただろうか。


 辺境伯家バーゼンバインの流儀は、純粋な剣技の鍛錬で、そのため辺境伯ヘルマンは周辺国からも剣聖と称されている。

 その辺境伯の第3子であるヴァルナルは、恵まれた体躯と高い身体能力、さらに並外れた勘の良さも持ち合わせており、10歳にして後継候補と目されていた。

 一方、母親の療養に同行して辺境伯領に滞在していた11歳のライサにも、ハーゼンバインの剣才があった。「魔法を使う剣士は半端で異端」と揶揄されようと、彼女を打ち負かすことができる者はそうはいなかった。母クリスティーネの実家であり王都から離れた辺境伯領だからこそ、ライサの才能は潰されることもなく、むしろ慢心しがちなヴァルナルと対等に渡り合えるとヘルマン卿に歓迎されていたように思われる。


 しかし、魔法王国に女の騎士や剣士はいない。

 長年の療養の甲斐なく母親が没し、ライサが侯爵家へ戻ることになると、その才能を惜しんだヘルマン卿が「養女あるいは息子の婚約者、いっそ自分の後継者でも構わんから残れ」と言ったとか言わないとかで、侯爵家と辺境伯家だけではなく、王家までを巻き込んだ大騒動に発展したらしい。

 騎士でしかないロドリックに、この当時の王城の動向など知る術もないのだが、何故か筆頭宮廷魔術師のジアーナ嬢が王家に嫁ぎ、ライサの父マティアス卿がノシュテット家の家督を継ぐことになる。

 さらに、辺境伯には獣王国との国境を変更せよとの勅命が発布される。獣王国で内乱が起こっており、この機に乗じて領土を押し広げろということだ。

 そしてライサは、ノシュテット家の魔術師養成所に入ることに決まった。


 王都へ戻る日、迎えの馬車を待つライサにヴァルナルが剣を投げ渡し、居合わせた見習いページたちを心底震え上がらせた、あの一瞬となるのだ。




 普段は腹を擦るように這いずっているリンドドレイクが、太い脚で体を持ち上げ、馬のように地面を蹴って突進してくる様は、出窓ペヒナーゼから見てもいても気圧されるほどだ。

 しかし、あの時と同じように、彼女はただ静かに立っている。

 細かい歯がびっしりと並ぶ口吻がライサに届こうとした時、1頭目が横様に吹っ飛ばされ白イナス河へと落ちていった。疾走するための体勢が仇になり、ガラ空きの腹へ差し入れられた剣で掬い上げられたのだと、果たしてリンドドレイクに理解できたか。

 唸り声をあげて2頭目が頭を振った。片目から血が噴き出す。痛みが怒りとなったのだろう、立ち止まって己の目を潰したものを噛み砕こうと大きく口を開ける。ライサはその口につっかえ棒よろしく左手の剣を突っ込み、右の剣を喉の奥へと突き立てた。飛び退き様につっかえ棒がわりの剣を回収すると、ぱたんと口が閉じる。

 ブボボッ!

 くぐもった破裂音のようなものが聞こえ、少し体が膨らんだように見えたっきり、リンドドレイクは動かなくなった。それでもしばらくは緊張を解かず様子を伺っているようだったが、やがて関所へと向き直って手を振ってきた。


「よーし、門を揚げろ!」


 ロドリックの号令に、固唾を飲んで見守っていた警備兵たちが動き出した。



「あれね、あなたたちでやったことにしない?」

「いや、さすがに魔法で仕留めたってバレます」

「解体すれば誤魔化せるでしょ」

「剣を回収した時にご覧になったのでは? 中身はぐっちゃぐちゃなのに、外皮は傷ひとつない。あんなの魔術師のいないうちにはできない芸当なんですよ」


 ライサが剣にかけていた魔法がリンドドレイクの体内で爆発したことが致命傷なのだが、頑強な外皮は裂けることもなく、血の滲みすらないのだ。


「じゃあ、こうするしかないか」


 そう言うなりライサは門へと走り出した。遺骸を橋から関所へと運び込んでいた警備兵たちが手を止めて敬礼する。


「あ、おい!」


 おそらくは魔法で身体強化してあったのだろう、ロドリックが止める間もなくライサは対岸まで駆け抜けてしまった。そして、リンドドレイクたちが突っ込んできたことでかなり損傷していた石橋へ剣を振り下ろす。

 ポンッ!ポンッ!ポンッ!

 実に間の抜けた軽い破裂音を立てて、対岸と橋脚の間の輪石が弾け飛び、アーチを成していた壁石や中詰の土がボロボロと崩れ落ちていく。


「修繕費はそのリンドドレイクで払っておいてー!」

「諮りやがったなぁあ!!」


 ロドリックの怒鳴り声に小さく手を振って、ライサは森へと消えていった。


「しょうがない、貰った分は働いてやるよ」


 門の前でふんすっと腕組みする隊長に、出窓ペヒナーゼで見張をしていた兵が声をかける。


「なんだか春の嵐みたいな人でしたね。出立ちは剣士のようでしたが、お知り合いなんですか?」

「宮廷魔術師でも単独で前線に出られる強者はまず居ない。魔術師は脆いからな。あれは序列28位、魔法以上に剣が得意なおっかねえ女さ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る