南の関所

 少し時間は戻って、ニーナが無事にハウス・アンスティートに帰還した大騒ぎがようやく落ち着き、みんなが寝静まった頃。

 ニーナの寝顔を見守っていたライサだったが、やがて部屋から退出するとサンドラの私室に封書をひとつ滑り込ませ、静かに館を後にした。顔見知りの緋衣クラモワジー騎兵隊の門衛は、ライサの出で立ちを一瞥すると何も言わずに門を開け彼女を通してくれた。


 王都を南下しリヴィル深林を抜けると白イナス河に出る。この周辺でマレリオン国、大ガルテア国、西ナホ国とが国境を接していることもあり、対岸へ渡る3つのアーチを持つ石橋には一応関所が設けられているが、この先はプシーディア湖沼群へとつながる大森林が広がっているだけで、ほとんど人が住んでいない辺境地だ。

 警戒しているのも人よりは魔獣の類いという場所で、いつもはわずかな兵が配置されているだけなのだが、昨年あたりからリンドドレイクが迷い出てくることが増えており、警備兵の数が増員されていた。その日も対岸に数頭のリンドドレイクが姿を現しており、警備についている緋衣クラモワジーのアンハルト隊は慌しかった。


 魔法王国には、まず王軍として王立魔術団がある。主力の宮廷魔術師以外にも多数の魔術師が属しており、その護衛を兼ねた剣士や歩兵などがいる。

 緋衣クラモワジー騎兵団は騎士階級を中心とした2隊(それぞれ隊長名で呼称)と、辺境伯麾下の3隊(それぞれ動物名で呼称)から構成される。隊には隊長と数名の騎兵、配下として数十名の剣士や軽騎兵が属している。

 この他に王族の身辺を警護する近衛騎士隊と、王都を警備する守備隊がある。近衛騎士隊は20名程度の貴族子弟で構成されており、エリート意識が非常に強く、実力主義の騎兵団とは折り合いが悪い。守備隊の方は、平常時は軍から指揮系統が独立している。


 さて、外の緊張を余所目に、関所内の執務室では隊長のロドリック・アンハルトが、来訪した人物から聞かされた話に大きなため息をついていた。


「間違い無いんですか?」

「内々ではあるけれど王軍からのリークよ。ヴァルナルだったら喜び勇んで飛び出してるわ」


 この世界には、生物の頂点として竜が存在する。一般的に竜と呼ばれるのは、ワイバーンなどの飛竜種か、翼を持たないリンドドレイクなどの地竜種だが、これらの群れの中で特定の条件が揃うと竜の王エンシェント・ドラゴンが生まれるという。火・水・風・土の四大元素がこごったと云われる竜の王エンシェント・ドラゴンは、火ならギーヴル、水はレヴィアタン、風がヴリドラ、土だとファブニールという固有名を持ち、その顕現は数百年に一度あるかないかの伝説級の出来事である。

 ところが、半年ほど前からアアラの森で重濃度の魔力渦が観測され、森林地帯の奥深くに棲むリンドドレイクが人里近くまで出没していると聞き及んだ王立魔術団が、厄災騒動もあって独自に調査を行っており、ついに先日、竜の王エンシェント・ドラゴンが発生したと確定して差し支えない事象を認めたというのだ。


「無茶言わんでください。騎兵隊のそれも1隊でどうにかできるわけないでしょう。魔術団が出張る案件ですよ」


 不満げに答えて、ロドリックはふっと目を上げた。そこに立っている、少し暗めの金髪を高く結いあげ、灰銀色のプレートアーマーで鎧った女は、見目麗しい侯爵令嬢でも、賢しげな王女付きの家庭教師ガヴァネスでもなく、かつて彼がよく見知った顔をしていた。


「ああそうだ、貴女は……」


ガンガンガン! ガンガンガン!


 不意に警鐘が激しく打ち鳴らされ、ロドリックの言葉を掻き消した。同時に、執務室の扉を蹴破る勢いで部下が飛び込んでくる。


「群が! リンドドレイクが群になってこっちに向かって来ます!」

「なっ?!」


 部下の報告を聞くなり、ロドリックは執務室から飛び出す。ライサもすぐ後について外へ出ると、関所の分厚い樫の大扉が警備兵たちによって閉められ、閂がかけられるところだった。


「それだけじゃあ間に合わん! 落とし格子も下げろ!! 最悪、橋を落としてでも奴らを渡らせるな!」


 隊長の怒声に、浮き足立っていた警備兵たちが少し落ち着きを取り戻したのを確認し、ロドリックは出窓ペヒナーゼへ上がった。

 対岸の森の上空には大量の鳥たちが悲鳴のような声を上げて飛びかっている。まだ少し距離があるが、リンドドレイクの足音と薙ぎ倒される木々の裂ける音が轟音となって関所にも響き始めている。


「閃光弾が効くといいんだが……」

「少しでも数が減るならやってみる価値ありね。でも、あそこまで飛ばせる? これって確実に魔術師の領分だと思うけど」

「辺境に魔術師が配備されてるとでも?」

「うん、ごめんなさい。お詫びに取り敢えず1発入れてみるわ」

「ん?!(今、誰と話していた?)」


 ロドリックが振り返ると、壁に掛けてある弓を取って、弦の張りを確認しているライサがいた。辺境担当などと茶化しているが、このロドリックという男が有能なことをライサは承知していた。緊急時に、規律が規則がなどと御託を並べるような悪手を取ることはしない。


「閃光に音も付けましょうか」


 番えた矢に魔法を刻んでいるのであろう、鏃が光を纏い出す。


「できるなら1発だけじゃなく3発くらい入れてもらえませんかね?」

「承知!」


 フッと嬉しそうに笑った彼女の手から放たれた矢は、河を超えると5つに分裂し、土煙を上げて突進してくるリンドドレイクの群れに到達、直後に眩い光を放って炸裂する。少し遅れて高周波の金属音が関所にも聞こえてきた。


「どう?」

「ええ、かなりの数がひっくり返ってます」


 20頭ほどいた群れの半数以上が目を回して立ち止まっているようだった。


「いい感じに減ったじゃない。5〜6頭ならなんとかなる?」

「ご冗談を」


 リンドドレイクは竜種の中でも比較的対処が容易だと言われるが、それは空を飛ばないからであって、外皮は分厚く硬く、火矢を雨と浴びせるくらいでは鱗一枚傷つかない。

 アンハルト隊も橋に近づく個体を森へと追い返すことに終始するだけで、討伐しているわけではないのだ。


「私が向こうへ渡る前に橋を落とされるは困るし、何よりリンドドレイクなんかで足踏みしてるようでは、ダメなの」


 ロドリックへそう微笑みかけて、ライサは出窓ペヒナーゼから橋へと飛び降りる。

 勢いをかなり失ったものの、パニック状態が治まらなかったリンドドレイクたちが橋へとなだれ込み、その勢いで押し出された数頭が河へと転落していった。

 残るは2頭。

 背中の皮鞘から抜き放った二振りのブロードソードには、すでに魔法が刻まれていたのだろう、右は赫く、左は蒼く。

ロドリックの脳裏に不意に懐かしい光景が浮かんだ。

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