隠し扉3
杖の先端にある透かし彫りが施された球体から白い霜がハラハラと落ちている。急に部屋の温度が下がったような気がしてニーナは身震いした。吐く息が白くなる。
サンドラがトンッと杖をついた箇所からピシピシと床に氷が広がっていくのが見える。それは真っ直ぐ伸びながらシリルを避けて、ソニアの足元まで届いた。
途端に、ガチガチと歯を鳴らしてソニアが震え出す。
「あ、サ、サンディねぇ……、そ、そ、そ、それ、お、お、王城の、宝物庫で、み、みた、ことある……」
「ええ、樹齢千年を超えた
「は……はぁ? う、うそ……、あ、あ、
「聞いたことないでしょう?当然です、
ものすごく闇深な話がさらっと語られているような気がするのだが、それよりも意識が保てずふらふらとし始めたソニアの様子に、焦ったニーナが声を上げる。
「このままじゃソニヤさんが死んじゃうよっ! よく状況がわからないけど、多分そう、ちょっとした行き違いだと思うの! だって本棚に肩がぶつかっただけだし!」
しんしんと降り頻る雪空のように凍てついた美しいグレーの瞳が、ニーナの姿を捉えて、溶けるように柔らかい光を浮かべる。
「ニーナ様は本当に聡くていらっしゃいますね。大丈夫ですよ、これは警告ですから」
そう答えたサンドラが手にしている杖は、もう霜を吐き出してはいない。拘束が解かれたようにふらふらとソファに倒れ込むソニヤ。それを一瞥もせず、ニーナへ向き直ったサンドラが、未だに淡い光を放ったままのリボンにそっと手を伸ばした。
「これに施された魔術紋様は、持ち主が危機に瀕した場合に結界を張るだけのものなのですけれど」
ピクニックに行っただけでシームルグに攫われるようなお嬢様はそうはいないだろう。だが、二度とないと断言できないから、サンドラたちはニーナの負担にならずに身を守れるような術を考えていたのだ。
「一針一針にニーナ様を守りたいとの強い思いが込められています。祈りながら刺繍された魔術紋様は思ってもみない効果を発することがあるのですが、ここまでとは」
「そうか、これはアンナが作ってくれたんだね」
みんなに随分と心労をかけているのだと、ニーナはようやく理解した。鍛えられているとはいえ、あまりにも素早く駆けつけてきたシリルとライナー、二人もきっと常にニーナに気を配っているのだろう。
サンドラもだ。先ほどのソニヤとのわずかなやり取りからでさえ、この家で家政婦長をやっていていい人には思えない。
ライサも、今どうしているのだろう。
思考がぐるぐるして困惑しているニーナを察して、サンドラはシリルに声をかける。
「ニーナ様をアンナのところへ連れて行って差し上げて。彼女も心配しているでしょうから。ああ、そこの魔術師なら魔力枯渇でしばらくはまともに動けないので大丈夫ですよ」
ソファでぐったりしているソニヤを警戒していたシリルだったが、その言葉に殺気を解いてニーナの方へいつもの人懐っこい笑顔を向ける。
「ニーナ様、
シリルに庇われるように背中を押されてニーナは執務室を出る。気になって振り返ったが、困ったように首を傾げるライナーによって中から扉は閉められてしまった。
さて、とサンドラが切り出す。
掴まれたはずみで肩がぶつかっただけだとニーナは言うが、それくらいで施された紋様以上の魔法は発動しない。明確な強い感情あるいは害意に、アンナの祈りが過剰に反応したのだ。
「ニーナ様に対して、かなり強い思惑があるようだけれど。それはあなた個人に発するものなのかしら、ね?」
辺境伯や侯爵家の肩入れの仕方に、ニーナが公表通りの身の上ではないと勘ぐる連中が既にいるのだ。
しかし、ハウス・アンスティートの使用人は辺境伯か侯爵家にゆかりのある者に限られているため他家が
そこに屋敷に堂々と入れるような依頼が舞い込んだとあれば、利用しようとする輩がいても驚きはしない。さらにノシュテット家系の魔術師ならば疑われることもない、というところだろうとサンドラは推察していた。
「あなたは特に野心家ですものね、想定内ではあります。ああ、依頼主については何も聞かないから安心して? 先ほども言いましたがこれは警告ですから、次は容赦いたしませんけれど。でもね、こちらの依頼した仕事はきっちり行っていただかないと困ります。さあ、続きをどうぞ」
サンドラが手にしている宝杖からふわりと霜が落ち、ソニアの瞳が恐怖で歪む。反射的に逃げようと扉へ顔を向けるが、そこには濃密な死の匂いを纏った
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