隠し扉2

 翌日、王城から一人の若い女性がやってきた。赤い絹糸で紋様が刺繍された深緑のベストとスカートに、金糸飾りがついた黒のジュストコール姿は、彼女が宮廷魔術師であることの証だ。


「初めまして、ニーナ嬢。私は宮廷魔術師序列第17位のソニヤ・ミュルダールです。現在、魔法王国の宮廷魔術師はきっかり30名だし、この若さでこの序列は結構すごいんですよ。でもね、ジアーナ様という規格外がいますから全然目立たないんですわ。あの方19歳で第1位になったって、ほんと、参っちゃうよねぇ。しかもその時にサンディ姉さんは15歳で宮廷魔術師になっちゃってて、いまだに最年少記録ホルダーだし、一族が天才ばっかで嫌になるわぁ。そうそう、私はノシュテットの養成所の出身でライサとはほぼ同期、サンディ姉さ…っと、ミセス・ベルトレとは又従姉妹なんですよぉ。あ、すみません、申し遅れましたが専門は魔術方程式です」

「おぅ、あ、はい……」

『珍しい、ニーナ様が気圧されてる』


 その場に居合わせたアンナとシリルは同じことを思っていた。


「あら? いつの間に上がったのですか。この前まで23位だったでしょう? 査定はまだのはずですし」

「それがさあ、姉さんちょっと聞いてくださいよぉ。上位は王城に研究室が持てるし、雑務もしなくてよくなるじゃないですか。年1回の査定で結果さえ出してりゃあ引きこもってても許されるし、あの爺様みたいに数年単位で顔見てないって人もざらでしょう? でねぇ、私の上が知らない間にいなくなっちゃってたんですよねぇ。という訳で、玉突きでトントントーンと上がったってこと、です」

「そんなことがあったなんて初耳ですよ」

「まあ、私も3日ほど前にあった会議で聞かされたんですけどねぇ。だから17位ってのも実は暫定なんですよぅ。ああ、居なくなったっていっても、病気の人以外はみんな外国人とつくにびとだったから、例の厄災絡みで国に呼び戻されたって話でしたしね」

「何やら奇妙な話ですが、取り敢えず、おめでとうと言っておきましょうか」

「そう! みんな微妙なお祝いしか言ってくれないのよぅ。ひどくなーい? だから今度の査定で実力を見せつけるべく、サンディ姉さんでも気付かなかっていう封印を調査しに、張り切って駆けつけましたぁ!」


 というわけで、気圧されぎみのままニーナは執務室で革張りの肘掛椅子に腰掛けて、隠し扉を熱心に調べているソニヤを眺めている。こんな風ですが腕は確かなので、とサンドラは仕事に戻ってしまい、ここにはソニヤとニーナの2人しかいない。


「仕掛けられていた封印はそれほど複雑な式でもなさそうだし、なんでこれで魔力露出をゼロにできてんだろう? ねえ、ニーナ嬢、これどうやって解きました?」

「え、ああ、その扉には模様に紛れ込ませて文字が刻まれているんです。それを正しく読んだだけ、だと思います。たぶん」

「そんな単純なはずはないんだけどなあ? それで、文字ってどれです?」


 ニーナは隠し扉の前まで行くと左下にある「代」と「ニ」を指差した。


「他にもありますが、全部……」

「ほぇ?まさか、文字自体が情報を持ってる?! こんな単純な線の組み合わせの文字が? なんなのこの情報量!? え、ちょっと、すごくない?」


 ニーナが言い切らないうちに、示された場所を指でなぞったソニヤが叫ぶ。


「え? それは漢字だから普通に……」

「は? KANJI? 何それ? 大陸言語は音素文字よ? たった1文字でも意味を成すのは数字を除けば神代文字しかないけど、とんでもなく複雑で難解だし。それなのに、こんなにシンプルなものにどうやって意味を持たせてるっていうの?」


 ソニヤの剣幕に、何か地雷を踏み抜いたことをニーナは悟った。


「ここって、確か隣の病院と同時期に建てられたのよね?じゃあ、せいぜい140年くらいしか経ってないはず。そこにこの世の誰も知らない文字が刻まれてて、それを当たり前に読んだってこと? ねえ、あなた本当にシゥ国の人?」


 ソニヤにガッツリ両肩を掴まれ詰問されるが、ここは抵抗しても無駄だとされるがままに、しかし視線は合わさないように顔を背け、どうやって言い逃れようかと考えるニーナ。

 一方、急に興味を失ったようにニーナが目を逸らしたことで、焦ったソニヤはますます早口で、掴んだ肩を激しく揺さぶりながら文字が意味を持つことの重要性とニーナへの疑問を捲し立てる。

 ニーナの肩が本棚にぶつかった。


「あっ?」


 思わず声を上げた瞬間、ニーナの胸元に結ばれたリボンが淡く光りだし、空気を断ち切るような金属音が、破裂するように屋敷中に鳴り響いた。

 弾かれたようにソニヤが手を離し、反動で押されたニーナもよろめき後ずさったものの逃げるというまでには至らない。それでもあわあわと執務室の扉へ向き直ると、いつの間にか開け放たれた扉から2つの影が飛び込んでくるのが見えた。

 大きな魔狼ガルムがふわりと降り立ったかと思ったら、ニーナは優しく抱き抱えられて扉前へ移動していた。

 そしてグレーハウンドのように飛び出した小柄な影は、ソニアの喉元にぴたりと短剣を突きつけている。


「「ニーナ様、大丈夫ですか?」」


 前方からシリルの、頭上からはライナーの気遣わしげな声にニーナがほっとしているとそこに、パリンピシリと氷を踏み締めるような足音をさせながら、手に見たことのない杖を持ったサンドラが駆け込んできた。


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