隠し扉

 ハウス・アンスティートについたのは真夜中を少し回った頃だったらしい。街道に降りて揺れが一定になるとニーナは睡魔に負けてしまい、目が覚めたら見慣れた自室の天蓋だった。

 そして、屋敷のみんながニーナに激甘になっていた。厨房を覗けば料理長のトマが新作のお菓子を出してくるし、アンナはニーナを慰めようとせっせと新作のぬいぐるみを作ってはベッドサイドに並べているし、サンドラはどんなに忙しくても必ずお茶の時間には一緒にいてくれるし、厩舎の一画はハヤテの専用部屋になっているし、毎日1時間のトゥーリとの乗馬訓練も始まった。


 でも、ライサがいない。

 ニーナが無事に帰って来たのを見届けると、ニーナが目覚めるのを待たずに出掛けてしまったまま戻って来ていないのだ。ニーナ宛の手紙には「少し鍛え直してまいります」とだけ書かれていた。


「全く意味がわかんないんだけど……」


 おそらく、サンドラはライサの行き先や目的などを理解しているのだろうが話してくれないので、ニーナは空いた時間のほとんどをシェーザックの執務室で過ごしていた。

 貴族の大邸宅には図書室があり、そこに並べられるのは趣向を凝らした豪華本であることが多い。図書室は娯楽室を兼ねた一種の社交場でもあるため、自分がいかに知的で文化的であるかを誇示する道具としか考えない貴族だと、背表紙だけを貼り付けたハリボテだったりすることもあるのだとか。

 ここにあるのはそういう趣味本ではないものの、どれも丁寧に装丁された貴重な古書だ。執務机の背後は古今東西の医学書が並んでいる、とライサが言っていた。他にも外国語の辞書、哲学書、錬金術、魔術、数学、法律などの学術書から、神話や各国の歴史、挿絵がたくさんある旅行記や外国風物誌に、詩集や大衆向けの娯楽小説などもある。

 時間はいくらあっても足りない。……と、アンナには説明したが、ニーナの目的は古書ではなく、それが納められている本棚だ。初めて来た時から気になっていた、何ならこの屋敷に住みたいと願った最大の理由がここにある。あの時、隠し扉を偽装した本棚の飾りに「代」という漢字が彫り込まれていることに気付いたのだ。

 開かない隠し扉に、隠された文字とくれば、探求しないという選択肢はない!


 トマ料理長の自信作「栗のビスキュイ」を持ち込み、今日も本棚の前で立ったりしゃがんだりして、ニーナは他に文字が隠れていないかと探している。今のところ見つけたのは「千」「八」「二」「代」の四文字だが、「八」「ニ」「代」は別の場所にもあった。

 そろそろ高い目線が必要かもと、部屋の東隅にあった可動式の梯子もあらかじめ移動しておいてもらってある。屋敷のみんなはニーナが邸内にいる限り安心しているらしく、執務室や私室に篭っていると一人にしてくれるので、梯子におやつの皿と雑記帳とインク壺とペンを並べるという、利便性重視のスタイルも見咎められることはない。


 梯子の上に立ってすぐに「君」の文字を見つけた。花の飾り彫に不自然に十字の傷が入っていたので気が付いたのだ。するとその下にも深い掘り込みのある箇所が見つかった。


「〝力〟かな……? んー? この横にある点は傷? あ、あっちに〝代〟もある」


 これで見つかった文字は、「代」が3個、「千」「八」「ニ」が二個ずつ、「君」「力」が一個ずつということになる。


 千  八  代  代  ニ  ニ  八  代  君  力  千


 サクサクの栗のビスキュイを齧りながら、見つけた順に書き記した雑記帳を眺め、改めて見つけた位置通りに書き直してみる。


−−−−−−−−−−−−−−−−−


            君

       千

   ハ        力

        代

  千    ニ    代

    代

           ハ

   ニ


−−−−−−−−−−−−−−−−−


「解った!!! これ〝君が代〟だあ!」


 謎が解けたことで、ニーナのテンションは爆上がりする。指で一文字ずつなぞりながら読み上げていくが、微妙に節がついてしまうのは仕方がない。「ニ」までくると、続きが自然に口をついて出てくる。


「さざれ石の〜いわおと〜♪」


 気分よく次のフレーズを口にしようとしたら刻まれた文字が淡く光を放ち、本棚がギギギッと軋しみはじめた。


「うわぁあっ!? って、何!? いや、まずくない?!」


 これは手に余る! 余りまくって溢れる! と、慌てて呼び鈴を鳴らす。アンナがやって来て「何か……」と言いかけたが、埃を舞い上げながらゆっくり動く本棚を見て、直ぐに呼び鈴に飛びついた。

 連打される呼び鈴を聞きつけ、急ぎ足でやってくるシリルにアンナが叫ぶ。


「今直ぐにミセス・ベルトレを呼んできてくださいっ!」

「うぉっ、はいっ!」


 シリルは回れ右して走っていく。


「ニーナ様、もっと離れてください。何があるかわかりませんから」


 と言われ、隠し扉から離れた暖炉の前にある椅子に座らされる。


「何かって?」


 シームルグに攫われてから、みんながひどく過保護になっているなあと内心苦笑しながらニーナが尋ねる。


「これはおそらく封印魔法です。こういうのは性質が悪いものが多いのですよ。特に古いお屋敷やお城の封印された扉なんて、何を隠したかったのか解ったものじゃありませんからね。入ったものを引き摺り込んで二度と出さないとか、死に至る呪いが施されていたりだとか、とにかく気をつけなくてはいけないんです! でも、ライサ様やミセス・ベルトレが気が付かない封印って……」

「ん? ライサ先生はともかく、サンドラと魔法に何の関係が?」

「あら、ニーナ様はご存知ではなかったのですね。ミセス・ベルトレはとても優秀な魔術師なのですよ。現役の宮廷魔術師たちが王城のサロンへ足繁く通うのは、王妃様だけではなくミセス・ベルトレのご意見を伺うためだというのは有名な話ですし」

「そんなことはありませんよ。わたくしは人より少し目端が効くだけの面白みのない魔術師ですから」


 仕事用ハウスキーパーの黒いドレスのサンドラが、美しいグレーの瞳に少し照れたような色を浮かべて入って来た。


「まあ、本当に隠し扉が開いているわ! 掃除のために何度も入っていますが、魔法の気配も痕跡も見られなかったのに……」


 そう言いながら、サンドラは開いた隠し扉の先を覗き込む。


「確かにこの先の空間には、何らかの魔法が掛けられているのが感じられますから、アンナの判断は正しかったですね。これは迂闊に踏み込めませんので、専門家に任せることにしましょう。それまで執務室は封鎖ですよ。さあ、みんな出てくださいな!」


 うっかり隠し扉の封印を解いたことは咎められなかった。むしろ、そんな危険なものがあることに気がつかなかったことを謝られてしまい、悪いのは自分だけなのに、と珍しく反省するニーナだった。

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