ニーナとルフ2

 ライナーは背負ってきた背嚢を降ろし、まずニーナの手当てをする。水筒の水で傷を洗い、銀製の容器に入った軟膏を塗って、清潔な布を巻く。雛鳥もライナーを警戒することもなく、首を傾げながら眺めている。

 それが終わると、テント用の帆布を取り出して広げ始めた。帆布の四隅にあるアイホールにそれぞれロープを通して釣り上げて(つまりはもっこにして)、そこにニーナを載せて運ぼうということらしい。

 しかし、ニーナは滑車と鎖を見た時から思っていたことを口にする。


「こっちの方が高いんだから、滑車の鎖にこうロープを輪にして通して、そこに足を掛けるか座るかして、ガーッと滑り降りれば早いんじゃない? 心配なら私の腰にロープを結んで命綱にすればいいし」


 そう、これはジップラインだ。こんな機会滅多にないのだから、絶対にやってやる! と、ニーナは渋るライナーを説き伏せた。


「じゃあヴァルナルさん、よろしく!」

「おーしっ! どんとこーいっ!」


 対岸でヴァルナルが仁王立ちで応え、ニーナは躊躇なく、トンッと立っていた巣の縁を蹴って前へ飛び出す。


「きゃーーーーーーーーーはははははっ!」


 心底楽しんでいると分かる笑い声が谷間に谺した。


「ニーナ様、豪胆すぎる……」


 ため息をつくライナーの横へ、ルフの雛がトテトテと歩いて来た。ヴァルナルに受け止められて対岸に降りたニーナを首を傾げながら眺め、そして翼を広げると、飛んだ。


「え? ええええええ? 今朝孵ったばかりだよ! 飛べんの!?」


 ルフの雛はしっかりと生えそろった羽根で、崖の下からの気流を捉えて上昇していく。


「ルフは卵から孵るまでに3ヶ月ほどかかるんでさあ。その間に飛べるくらいまで翼が成長してるんでやすよ。孵ったばかりだと、まだそれほど距離は飛べやしやせんがね」


 タービィが空を見上げながら、ニーナに説明する。


「お嬢様を兄弟か親かと思ってるんでやしょう? 呼べば降りて来るんじゃねえですかねえ」


 おーいとニーナが手を振って呼ぶと、雛鳥は翼を広げて滑空していたのをやめ、羽を畳んで急降下してくる。


「こりゃあ参った。バヤールに続いてルフたあ、お嬢様には獣使いテイマーの素質でもあるのかねえ」

「怖いこと言うなよ、爺さん」


 ヴァルナルとしてはニーナには穏やかに暮らしてもらいたいのに、獣使いテイマーになんてなったら、魔法王国では生き辛くなってしまう。

 バサバサと羽音を立てて減速するが勢いが殺しきれず、雛はニーナの前を通り過ぎて地面をズザーと滑っていく。


「はは、着地もまだまだ上手くねえな」


 ヨロヨロモタモタと羽根を畳もうとしている雛鳥を、タービィが後ろから捕まえた。


 この後、巣に大量に敷き詰められていた羽毛を全て回収することになって、ライナーはせっせと帆布のもっこに乗せている。なんでも超がつく高級素材らしく見す見す逃す手はないそうで、確かに極上の寝心地だったもんな、とニーナは納得した。

 岩棚の巣で羽毛と格闘するライナーを眺めているニーナの側で、鹿の干し肉を貰った雛鳥は満足げに蹲って目を閉じている。ニーナが背中を預けているのは、どっかりと座り込んだトゥーリだ。


「お嬢様、ちっとばかしお手を」


 ん、と差し出された右手をクスターが取る。トゥーリの時と同じように、手のひらに指で模様を描き始めるが、すぐに光の円が浮き上がった。


「やっぱりだ。従魔契約が成り立っちまってる。この雛に何をしやした?」

「んー? ああ、この子が食べられるものがなかったから、こう、血を」

「はははは、そりゃあ命を分けてやるっていう、もっとも原始的な契約の方法でやすよ。全くもって、お嬢様はすげえでやすね。さあ、この雛に名前をつけてやってくだせえ」


 名前ねぇ〜と悩んでいるニーナに、トゥーリが鼻面をグイグイと押し付ける。


「風のように走るからトゥーリ、じゃあこの子は、うん、決めた。疾風、君の名前は今日から〝ハヤテ〟だよ。私の故郷の言葉で、速く吹く風という意味があるの」


 そう言って、ルフの雛鳥の頭を撫でた。


「キュイ!」


 風がくるくると小さな渦を巻いて、ハヤテの羽根をそよがせる。


「良い名でやす」


 クスターは晴れ晴れとした顔で笑ったが、ヴァルナルはひどく複雑な思いでニーナを見ていた。


 想定外の荷物が増えた(帆布畚もっこ3つ分の羽毛+ハヤテ)ので、ビレトス山脈の稜線を伝って南下してから、ルルニ湖へ流れ込むダラム川の支流の谷を下って帰ることになった。なだらかな尾根道を一行はのんびり歩いている。

 ニーナは、はしゃぎ回ることを想定していたサンドラによってスカートの下に乗馬用ジョドパーズパンツを履かされていた。だから足元を気にすることなく行動することができていたのだが、トゥーリがハヤテにヤキモチを焼いているらしくクスターですら乗せたがらないこともあって、ついでとばかりにニーナの乗馬訓練中だ。手綱はクスターが引いているので、ヴァルナルも安心している。

 ハヤテは羽を傷つけないよう、タービィによって布を巻いて保定されていて、ライナーが背負う背嚢にすっぽり収まっている。


 尾根道を逸れて谷に降りる前に、少し休憩を取ることになった。この辺りにバヤールに害を為す獣はいないし、賢い彼らはそう遠くに行ったりはせずに自由に草を食んで歩いている。


「トゥーリも満足しやしたでしょう。後は儂とタンデムでやすよ」


 急げば今夜中にハウス・アンスティートに帰りつくことが出来るらしく、ここから先はニーナも荷物扱いだ。サンドラが携帯食として用意してくれたジンジャー味のラスクを齧りつつ、背嚢から顔を出しているハヤテに干し肉を差し出す。

 ピアニー山は随分遠くなり、雲が掛かる山頂辺りには白いものが散らついている。


「雪だ」


 冬は、もうそこまで来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る