シームルグを追って

 風の月8月の下旬ともなれば日没は16時すぎだ。できるなら陽のあるうちに山麓まで行きたいとヴァルナルは考えていたが、準備を整えたターヴィたちが思ったよりも早くやって来たので、夕暮れ時にはピアニー山へ踏み込んでいた。

 山麓の木々はすっかり落葉しておりバヤールの走破能力もあって、森を難なく駆け抜け尾根まで上がったところで、クスターが馬を止める。


「今日はここまででやすよ」


 かなりの高さまで登っているおかげで、夕日の残滓で見えていた尾根や谷ももはや暗闇に沈もうとしている。


「お爺、あれ」


 ライナーがかなり奥の谷間から飛び上がった影を指す。


「ありゃあ確かにルフだな。しかもかなり若けえ雌じゃねえか。ん? 後から付いて行ったのは今年の仔らかい? ずいぶんちっこいが」

「おい、雄鳥がいねえぞ?」


 ターヴィが周囲に鋭く視線を走らせながら言う。


「獣王国で騎獣を狩り集めてやがる噂があったが、本当だったつうことだな。ルフを騎獣にしようってんなら、卵から孵すしかねえ。おそらくだが、トレニア火山を追われて逃げて来やがったんだろう」

「卵を獲られ、連れあいも狩られたつうことか。ここでもう1回産み直してたんじゃあ、巣立ちも遅くなっちまわあな」


 追われ、狩られ、家族を失くす。自分たちと同じ身の上の魔鳥の親子は、北を目指して飛び去っていった。


「帰るんだ、故郷へ」


 ライナーが呟く。


「トレニア火山のあるギマ半島は、もう雪が積もり始めてるだろうからな。人間どもが入ってこれねえことを知ってんだよ」


 ターヴィが息子の背中を叩いた。


「さあ、野営の準備だ」



 ニーナはしばらくアカマツの木に止まっている巨大な鳥を眺めていたが動こうとはしなかったので、羽毛で歩きにくそうな真ん中は避けて巣の縁伝いに壁の方へ回った。気分的な問題なのだが、足元が目も眩むような断崖絶壁なので、少しでもしっかりしたものの側にいたかったのだ。

 取り敢えず命の危機が去ったと実感すると、急にお腹が空いてくる。昼食を食べ損ねていたからなあと、バスケットからプオルッカを掴んで口に入れた。


「!!!!! すっぱぁああああああ!!!」


 慌ててスキットルからメープルシロップのレモン水を飲むと、さっぱりとした後口になった。


「なにこれ、原理はわかんないけど美味しくなった」


 スキットルの中身が水や紅茶ではなく、メープルシロップのレモン水だったのは、ニーナがプオルッカをそのまま食べることまでをサンドラが想定してのことだったんだろうと理解して、急に悲しくなった。

 この世界に召喚されて、真にひとりぼっちになったのは初めてで、常に優しい大人たちに守られていたことを実感したのだ。


「帰りたい……」


 この問題の解決方法は至ってシンプルだ。巣から飛び降りさえすればいい。ただ10日ほど寝込むだけで、意識が戻った時には暖かなベッドの中、心配そうな顔をしたライサたちが側にいるはずだ。

 スキットルを握りしめたまま覚悟を決め兼ねていると、バサバサと羽音がしたと同時にズンっと巣が軋んだ。とっさに両腕で体を抱えるニーナには目もくれず、巨大な鳥は巣に敷き詰められた羽毛の中に頭を突っ込んで何かしている。


 コツコツ、カリカリ、コツコツ、カリカリ……。


 しばらく不思議な音が繰り返され、頭を起こした鳥は何度も首を傾げて、また頭を突っ込んだ。近くでカッカッ、カッカッという鳴き声が聞こえると、鳥は渋々という雰囲気で頭を起こし、胸に嘴を差し入れて羽毛を抜いては巣に落としだした。

 見ているニーナが禿げる!と心配になる勢いで羽毛を毟って積み上げると、トンっと巣の中に降りて羽毛を踏みしめて均す。そして、もう二度と巣を振り返ることなく飛び上がった。

 巣の反対の端まで歩いて夜空を見上げると、大きな影の後ろに小さな影が二つ並んでいる。巨大な鳥の親子は見る見る間にスピードを上げ、暗闇に溶けていった。


「巣立って行ったんだよね?」


 では、この巣の中に残されたのは何だ?

 カリカリコツコツという音が先ほどより大きくなってはいないか?

 親鳥が仕切りに頭を突っ込んでいた辺りの羽毛を搔き分ける。そこには大きなヒビがいくつも入った羽化寸前の、ニーナの身長の半分近くもありそうな巨大な卵が埋まっていた。


「そうか、成長が遅くて巣立ちに間に合わなかったんだね」


 それでもあの親鳥は卵を守り温めるために羽毛を敷き詰め、ギリギリまで待っていたのだろう。


「ということは、まだ孵っていなかっただけで、私はやっぱり雛鳥のご飯だったってことかー?」


 ただ、母鳥には知り得ない誤算があった。残される仔に新鮮な餌を置いておきたかったのだろうが、鳥類には「刷り込み」現象があるのだ。生まれてすぐに見たニーナを親と認識してしまい、おそらく食べることはないだろう。

 もっとも、ニーナを食べたところで親鳥も居らず、雪が降りだす高山で、生まれたばかりの雛鳥が生きていけるはずも無いだろうが。


「あーあ、ひとりだったら死に戻れたのに。それも出来なくなったじゃない」


 バスケットを卵の側に置き直し、羽毛を掻き集めて潜り込んだ。ヴァルナルたちが、きっと探し出してくれる。サンドラが持たせてくれたスキットルもあるし、1週間は待てる。だから早く迎えに来て。




 人よりも夜目が効く人狼族ヴィルカシスは、空が白み始める前から行動が開始できる。ヴァルナルがそれに付いていけるのは、クスターに少年の頃から夜行軍を叩き込まれているからだ。


「昨夜ルフが飛び立ったのは、あの辺りだよ」


 ライナーが指さす方は、山頂へ向かう尾根の途中に見える岩場だ。


「陽が登るまでにあの尾根まで辿り着きてえ」


 そう言うとクスターは今居る尾根を駆け下りて森の中へ入った。この辺りはトウヒやアカマツの常緑針葉樹林ばかりで日中ですら暗い森だが、バヤールもそれを操るクスターたちも難なく駆け抜けて行く。途中にある小さな沢も飛び越え、ひたすら走る。

 やがて東の空が明るくなる頃には、目的の尾根の下の谷を超えていた。こちらの森はそれほど木々が密生しておらず、霧が出ていなかったこともあってかなりのハイペースで抜けることができた。


「そういえば、獣を全然見かけなかったな」


 ヴァルナルがポツリと呟く。今は背後から上る朝日に照らされながら、尾根伝いに馬を進めている。もう森はなく、高山植物の小さな草原や大きな岩や石が点在している光景は美しいが、それを楽しむ余裕はない。


「ルフの親子がいたんじゃあ、この辺にいた奴らは食われちまったか、逃げてちまってるよ」


 ターヴィが苦笑する。


「だから遊猟地まで降りてきたのか。そういや、案内人ギリーも森に動物がいないって言ってたな」

「おかしなことには必ず原因があるってこった。さあ、もうすぐ岩場だ。この時間なら、朝日でうめえ具合に隠れた岩棚も見えるだろうよ」


 クスターが言ったように、ゴツゴツと切り立った岩場も東から射す光でくぼみまでよく見て取れた。


「さあトゥーリ、お前のご主人はどこでい?」


 額を撫でられたトゥーリが、大きく嘶いた。

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