人狼族

 ハウス・アンスティートにいる馬丁のターヴィ、クスター、レイマ、ミルカはライナーも含め、元々は獣王国で暮らしていた遊牧の民だ。

 春になると村々を回って家畜を預かり、草原や森を放浪しながらたっぷりと草や木の実を食べさせる。雪が降る前に飼い主に戻して報酬を受け取り、冬の間だけ村で過ごす。そうやって何代にも渡って山野を巡って暮らしていたのだが、ある頃から国の争いに巻き込まれるようになった。

 逃げているうちに一族は散り散りになり、今では僅かばかりが辺境伯の庇護下で馬や家畜の世話をしながら暮らしている。しかし、魔獣を使役する獣王国人を嫌う魔法王国人は多く、特に彼ら人狼族ヴィルカシスはその金色の目や高い身体能力が魔狼ガルムを連想させるため忌避されがちだった。


 彼ら人狼族ヴィルカシスが辺境伯領に来るまで、バヤールは人に慣れない生粋の野生馬だった。それをクスターやターヴィたちが苦労して捕獲し繁殖させ、最高の騎馬に育てあげた。辺境伯が今までどんなに金を積まれても、例え王家の要請だろうとバヤールを領外に出すことがなかったのは、世話できるのが人狼族ヴィルカシスだけだということも大きかった。


 それが馬丁付きでバヤールを贈ると聞かされて、覚悟をしてきたターヴィだったが、このお屋敷のお嬢様はとても変わっている。シゥの出だと聞いたが、あの国でも人狼族ヴィルカシスはあまり歓迎されないはずなのに、一番気難しいクスター爺さんを「白い狼のようで!」と、キラキラした目で追いかけて歩いている姿にはびっくりした。

 もちろん、散歩の度にターヴィたちにも気さくに声を掛けてくれる。この屋敷の人たちは辺境伯領に所縁がある者が多く、またお嬢様のご意向で使用人たちにも厳しく言い渡されているそうで、ターヴィたちが不快な思いをすることはなかった。


 その日もお嬢様は、シリルをお供に日課の散歩と称して厩舎に来ていた。馬房の掃除も終わり馬たちの蹄をチェックしていたクスター爺さんが、何の気なしにお嬢様たちに話しかける。


「馬っこたちの中で一番強いのは、どいつだと思いやすか?」


 ハウス・アンスティートの厩舎には、4本とも長靴下を履いたように真っ白な脚のトゥーリに、額に大きな白い斑点のあるタフティ、鼻筋に太い縦長の白斑があるルーミ、後ろ脚2本が白い短い靴下を履いたようなスカットの4頭のバヤール種と、荷馬車用に気性が穏やかなずんぐりむっくりボディのランディック種2頭(ムスタとキャプ)がいる。


「やっぱり一番大きいスカットじゃないのー?」


 シリルは厩舎の手伝いもしているので、馬の名前や特徴を知っている。

 しかし、お嬢様は迷わず4本ソックスのトゥーリを指差した。


「この子よ。みんながお世話をする時に、必ずこの子が一番だから。馬は群れで生活する生き物だから序列があって、お世話も喧嘩しないように序列順にしてるのよね?」

「そうでやすよ。お嬢様はいい目をお持ちでやすね。シリルも見習わねえと」

「お爺、ニーナ様と僕を比べるのがそもそも間違ってるよー。それにバヤールたちは僕に触らせる気ないじゃないかー」

「それはお前が馬っこたちに侮られてっからだよ」

「あ、そうなんだ、残念。撫でてみたかったんだけどなあ。ランディックたちなら平気かな?」


 お嬢様は自由気ままに敷地内を散歩しているが、不用意に馬に近づいたり触ろうとはしなかった。でも、いつも優しい目で馬たちを見ているから、生き物がお好きだということはわかる。


「お嬢様は、こいつら以上に気性も荒くて凶暴な魔獣を、どうやって騎獣にすると思いやすか?」


 クスター爺さんが問うた。


「んー? あーそうか、魔法か。でも、そうなると無理矢理ってこと? それは可哀想だなあ」

「魔法はそこまで万能じゃあねえですよ。従魔契約はお互いに納得しねえと結べやせん。その納得の仕方が、まあ、獣によって違うってだけでやす。鼻っ柱をぶっ叩いて騙し討ちみてえに結んじまう奴らもいるが、儂らはそんな乱暴なやり方はしねえです。まあ、物は試しにやってみやすかい?」

「え、待ってー! それはまずいよー、試すなら僕にしてー!」


 シリルが抗議するが、クスター爺さんもお嬢様も聞いていない。もっとも、バヤールたちに舐められているシリルでは、試すまでもなく結果は分かっているのだが。


「お嬢様、ちっとばかしお手をお借りしてもいいですかい?」


 はい、と差し出された小さな手のひらに、クスター爺さんが、これは風、こちらは土、ここに太陽と星、と呟きながら指でいくつもの模様を描いていく。やがて薄っすらと光の粒が集まって円が浮かび上がってきた。

 クスター爺さんが鼻筋をポンポンと撫でると、トゥーリはぐいっと頭をお嬢様の方へ突き出す。


「お前の主人はこのお方だ。わかるだろ、お前を群れのボスだと一目で見抜いたんだからよ。お嬢様、こいつはトゥーリといいやす。自分が主人だと心で強く思いながら、手のひらをこいつの額に置いてみてくだせえ」

「よろしくねトゥーリ、私が主人よ!」


 一片の躊躇もなく、お嬢様は手のひらを馬の額にのせる。

 そこを中心に風が舞い上がった。


「あれまあ、風が祝福してやがる」


 運んできた飼葉を吹っ飛ばされたレイマと、藁まみれにされたミルカが笑っていた。実に10数年ぶりに、一族以外での従魔契約が成った瞬間だった。


「えええー、マジですかー!? ミセス・ベルトレに知れたら僕が死ぬほど怒られる気がするんですが……」


 シリルの願いが通じたのか、今の所、ミセス・ベルトレにはバレてはいないようだ。

 今日はピクニックだと、お嬢様たちはバヤールを4頭とも連れてお出かけになった。午前の仕事も一段落して昼食を取った後、厨房でお茶をいただきながらミセス・ベルトレと厩舎で使用する冬用の飼料や燃料などの見積りをしていた時だった。

 外が騒がしくなったと思ったら、ミルカが裏口から飛び込んできた。



 一刻を争うため少々荒っぽくなるからとクラウスに言われ、シリルは馬車後方の補助席ランブル・シートではなく、ライサたちと馬車の中に乗り込んでいた。馬車はハウス・アンスティートの門楼を抜け、正面玄関も通り過ぎ、厩舎まで乗り入れた。予定外に帰ってきた馬車に、作業の手を止めてクスターとレイマが出てきて荒っぽい停車に暴れる馬を宥める。

 御者台からクラウスが叫んだ。


「ターヴィはどこだ!? ミセス・ベルトレを今すぐ呼んでくれ! 急げっ!」


 水を運んできたミルカが桶を放り出して厨房へと走り、御者台から降りたテオドルが馬車の扉を開けて、まずはアンナを降ろした。振らつくアンナをシリルが支える。

 青い顔をしたライサが降りてきたところに、サンドラとターヴィがやって来た。


「ニーナ様に何かあったのですね?」


 一目で異常事態を察したサンドラが聞く。


「ニーナ様が、攫われてしまったの、急に降りてきた巨大な鳥に……。ライナーが鳥はピアニー山へ降りていったと、バヤールなら追えるって。クスター! ターヴィ! お願い急いで! ヴァルナルが待ってるわ。今すぐ準備をっ!」

「巨大な鳥? あの辺りに人を攫うようなのはいねえはずだが?」


 ターヴィが首を捻る。シリルに連れられ屋敷に入ろうとしていたアンナが振り返って叫んだ。


「シームルグ、いえ、ライナーはルフだと言っていましたわ! お願い……ニーナ様を連れて戻って……お願いです……」

「ルフかよ!?……いや、それなら攫われたつうのも納得できやすねえ……ところで山はもう白かったでやすかい?」

「まだだったよ、ただ降雪は時間の問題だと思う」


 クスターの問いにクラウスが答える。


「ふむぅ……。クラウス様たちは一旦王都の騎兵隊駐屯地に戻りやすかね?」

「ああ、お前たちが遊猟地へ向かうための馬を用意するように言われているからな」

「なるほど、それはありがてえ。ピアニー山に入るのに必要な装備でここにはねえ物がありやして、騎兵隊の方からちいっと融通してもらいてえんでやすよ。それと、ミセス・ベルトレ、4人で3日分の携帯食を準備してもらうことはできやすかい?」

「3日分で良いのですね。今すぐ用意しましょう」


 みんなが慌ただしく準備に走る中、無力さに打ちのめされたライサは、ただ立ち尽くすだけだった。

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