旧ゴッドリープ邸訪問2

「私のわがままで無理を言いますが、よろしくお願いします」


 ニーナもドレスをつまんで膝を曲げるだけの軽いカーテシーでご挨拶する。ライサとヴァルナルにこそ実年齢を告げたニーナだが、付け焼き刃のマナーや知識でボロが出ても言い訳が立つよう、今は相手が勘違いしたままにしておくことにしている。

 案の定、オスヴィン事務長も異国の小さな子が頑張って挨拶してるなあ、という目で見ている。ニーナの自尊心はやや傷つくが、これも処世術だ。


「まずは、研究所として使われていました一階の左手からご案内します。玄関ホールから伸びる廊下は、屋敷の南側に作られています。これは顕微鏡を使うのに光量の変化が少ない北側に研究室を配置しているからです」

「顕微鏡ですか?」

「はい、顕微鏡は小さなものを拡大して調べることができる便利な道具です。初代病院長であるゴットリープ卿が従来品を工夫されて、死腐病が細菌で感染することを発見しました。失礼、難しかったですね、細菌、違う、ええっと微生物はわかりますか?」

「あ、はい。微生物は人の目に見えない小さな生き物です。細菌は全てが悪者ではありませんが、病気の原因になる毒素を出すものがいます」


 オスヴィン事務長だけでなく、ライサも驚いた顔をしたが、すぐにしれっとした表情で鷹揚に頷いてみせた。


「ニーナ様は博識でいらっしゃいますから、気にせず続けて大丈夫です」

「なるほど、さすがこの館に興味を持たれるだけのことはありますね。では、こちらの部屋へどうぞ」


 廊下に面して並んでいる3つの扉の内、一番手前の扉が開かれる。

 中はまるっきり学校の理科室のようだった。違いはテーブルや窓際の棚の天板が重厚そうな木製だということくらいか。いや、大きくて深い流し台と蛇口はあるけれど、片付けや掃除の時に天板を拭くのに邪魔で仕方がなかったガス栓が見当たらない。


(この世界には魔法があるから、ガスが無くても火が使えるとか? そういえば、こちらに来てからまだ魔法を見たことがないや。ん……? ちょっと待って、王城内のシャンデリアやランプの灯りはロウソクだったっけ?)


 ニーナがハッとして天井を見上げると、アンティークなオイルランプっぽいものが下がっている。


「あの灯りはどうやって点けるのですか?」

「こちらは古いタイプですので、直接魔力を流さないといけないんです。ちょっと失礼しても?」


 ライサが頷くのを確認してオスヴィン事務長は室内へ歩いていき、手を伸ばしてランプの底を人差し指でくるりと撫でる。すると火屋ホヤの中に火が灯った。


(ま、魔法だあああああああ!!!!! もしオイルランプだとしたら、一旦降ろして火屋ホヤを外さないと火がつけられないはず。いやいや、火種がないのに点いてる時点で魔法だって!!)


「魔石を使った道具はとても高価ですから、これも貴重品なのですよ」


 ニコニコ顔で説明する事務長。興奮気味のニーナにようやく子どもらしい反応を見て満足気だ。


「他にも様々な魔法道具があったと記録されていますが、今は研究所の機能は病院に移されているので、ここには残っていません」


 もし医療器具に興味がおありなら次は病院へお越しくださいと言いながら、オスヴィン事務長が先ほどとは逆に撫でると、ランプの火は消えた。ランプの仕組みや魔法は気になるけれど、後でライサにじっくり教えてもらうことにして、今はお屋敷見学を続けることにした。


 残りの部屋も内部はだいたい同じで、3部屋とも中に開口部があり廊下に出なくても行き来ができるようになっていた。シェーザックがいた頃は、それぞれの部屋で違う研究をしていて、助手とか医者見習いみたいな人たちがたくさんいたのだろう。

 研究室の並びをすぎると階段スペースで、奥に外に出るための扉がある。

 そして廊下をまっすぐ進んだ正面にあるのがかつての所長室、つまりシェーザックの執務室だ。先ほどの研究室のものよりもずっと凝った装飾が施された両開きの扉をオスヴィン事務長が開ける。


「こちらが初代院長の執務室になります。蔵書や調度品などは当時のままですが、論文や研究資料などは王城の文書庫か病院へ移管されています」


 扉から入って部屋の右側にソファーとローテーブルの応接セットがある。左側の壁を背に大きな執務机と革張りの肘掛椅子が置かれ、窓以外の壁面はガラス戸付きの本棚になっていて、分厚い本がぎっしり詰まっている。

 扉のほぼ正面にお洒落な飾りが施された暖炉があり、その上に黒髪の青年の肖像画が飾られていた。


「そちらは唯一残されている初代院長の肖像画で、おそらくこの研究所が建てられた頃に描かれたものだと思われます」

「少し見て回っても?」

「もちろんです。わたくしは部屋の外におりますので、何かありましたらお声がけください」


 そう言ってオスヴィン事務長は部屋から出て行った。ライサも興味深げに部屋を見て回っているが、サンドラとアンナは扉の側で邪魔にならないよう控えている。

 ニーナは暖炉の方へ回り、肖像画を見上げた。


(少し広めの額にポワポワしたくせ毛、若く見える顔に馴染まない口髭、そして意志の強そうな黒い瞳。初めまして、シェーザックさん。話を聞くだけでは遠い存在だったけど、肖像画を見たら急に近親感が溢れたわ。だって、どこから見ても日本人なんだもん。おっといけない、つい涙が)


 ごまかすために部屋を見渡したニーナは、ある違和感に気付く。確かめるために廊下に顔を出すと、オスヴィン事務長と目が合った。


「どうされましたか?」

「こちら側の壁に扉って他にありますか? あの階段の下とか」

「いいえ、ございません」

「だとすると部屋が狭すぎるんだけどなあ?」


 唸りながら室内に戻るニーナに、事務長もついてくる。


「執務室としては十分な広さだと思いますが?」

「廊下の長さからみて、そこに壁があるなら、向こう側にも小さくはない部屋があるはずなの。でも、廊下には扉が無いというし、この部屋に入口があると思ったんだけど、本棚しかないよ?」


 ニーナがこう言うと棚の蔵書を確認していたライサが「あぁ」という顔をして、本棚の並ぶ壁へ歩いて行く。


「ニーナ様、その本棚ばかり、というのが鍵です。城や貴族の館などによくある仕掛けなのですよ。おそらくこの辺りに隠し扉が……って、あら、開きませんね?」


 ライサは並んでいる本棚の中程を調べて、何かをカチカチ押している。


「実はそれ、開かないのです。壊れたのか、それとも何らかの理由で塞いだのかはわかりません。外に回ると窓から中が見えるのですが、先ほどの研究室と同じようなテーブルがあるだけの空き部屋なのです。おそらく初代院長専用の研究室だったのでしょうね」

「え? か、隠し扉ぁああああああ!!!?」


 ニーナはライサが調べていた場所へ駆け寄った。


「飾りに紛れて少し色の違う箇所がありますでしょう。本棚ごと扉に偽装しているタイプは、こういう場所を押すとロックが外れて開く仕組みが多いのです」


(ほうほうほう! 確かにこの本棚だけ他と飾り模様が違うところがある。それにあれは……)


「ねえ、ライサ先生。もし私がこのお屋敷に住みたいって言ったら、可能かなあ?」

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