旧ゴッドリープ邸訪問

 てっきり歩いて行くとばかり思っていたニーナだったが、西館前に出ると2頭立ての4輪馬車が止まっていた。よく考えなくてもここは王城で、ライサはもちろん一応ニーナも貴族令嬢待遇だから、徒歩でお出かけなんてありえないのかもしれない。

 馬車の扉には紋章がついており、これで王家所有のものだと分かる。意匠は本と王冠を被ったフクロウで、それぞれ大図書館と王家と魔法を意味するそうだ。護衛として緋衣クラモワジー騎兵団からテオドルとクラウスが騎馬で待機している。二人とも歩哨に立っていて顔を知っているから安心できるだろうというヴァルナルの配慮らしい。

 テオドルは短く刈り込んだ金髪の偉丈夫でいかにも武闘派という出立ちなのだが、垂れ気味の目が優しいのでニーナはそれほど威圧的には感じていない。それよりも、赤毛で細身のハンサムなのに、冷ややかな雰囲気をまとったクラウスの方が少し怖いくらいだった。

 ところで、サンドラとアンナも一緒に馬車に乗っているのは何故だろう?


「ニーナ様には窮屈で滑稽に見えるでしょうが、貴族の外出とはこういうものなのです。身分のある女性が侍女も連れずに出かけるのは、外聞がはばかられるそうなのでっ」


(おや、ライサの語気が少し荒いなあ。短いお付き合いだが、ライサは侯爵令嬢にも関わらず形式や身分にあまり囚われない感じがする。今日も本当は身軽に出かけるつもりが、誰かにねじ込まれたのかな? サンドラがふふーん♪って顔をしているから、きっとジアーナ王妃だな)


 などと考えながら、ニーナは窓の外を眺める。そう、王城の外に出るのはこれが初めてなのだ。

 王城から貴族街を抜けて北門まで20分ほどだろうか。北門へ続く通りの左手は貴族向けの高級店が並んでいる、とアンナが教えてくれる。確かに通りに面したショーケースに、高価そうな骨灰磁器ボーンチャイナや綺麗なドレスが飾られている店が見えた。


「そうだわ、今度ニーナ様の服を何点か頼みましょう。どちらのお店がいいかしら。支払いはもちろん、ジアーナ妃殿下にお任せして」


 ふふふっとライサが悪い顔をして笑う。絶対意趣返しじゃん! いいのそんなことを言って、ジアーナ妃付きのサンドラがいるのに、と思ったらサンドラの目がキラーンと輝いた。


「では、ミセス・ミュリッパはいかがでしょう。昨年出店したばかりですが、機能的なのに美しいと評判のドレスメーカーですよ」

「私はマルコリンがいいと思います。たっぷりレースを使ったドレスが今年の流行だともっぱらの噂なのです。きっとニーナ様に似合いますわ!」


 いつもはサンドラから一歩下がっているアンナが、珍しく食い気味に意見を言ってくるではないか。


「どちらも呼びましょう!妃殿下の私財お財布から出るのですから遠慮なんていりませんしね! ふふっ」


(悪巧みっぽい笑い声がしてるけど、やっぱり女子ならファッションの話で盛り上がるよね! ってことだよね、多分……)


 門衛の守備隊に見送られ北門をくぐると、視界が一気に開けたように感じたのは、ずっと城壁に囲まれていたせいだろう。

 王都の各門は朝の6時に開門され、夜8時には閉められる。大図書館にある大きな時計塔の鐘が2時間ごとに時を知らせるから、城壁外で作業していても閉門までに帰ってくることができるそうだ。

 門から伸びた街道はルルニ湖に沿いながら丘の向こうへ消えていく。遠くに見える深い緑の山々がきっとビレトス山脈だ。

 放牧地では、馬とほぼ同じサイズで猪のような牙が見える、水牛みたいな長い角の何かがベェーと啼いている。あれが大陸北部地域で広く飼育されている乳、肉、毛、皮、角、骨と捨てるとこなしの優良畜獣エアレー羊ですよ、とライサが教えてくれた。ニーナが知ってる羊とはちょっと、いやサイズからして全然違う。

 街道を走りだしてすぐに壁と見張塔に囲まれた建物が見えていた。


「あの奥の石造りの建物が〝ミリアム・イーディス記念病院〟で、シェーザック様が伝えられた医学治療や伝染病患者などを扱っています。そして、手前に見えている中央に八角の小さな塔が乗った木造二階建ての屋敷が元研究所です」

「ミリアム王女が住むために作られたから、お城みたいな壁や塔があるの?」

「ああ、なるほど、あの様式はニーナ様には不思議に映るのですね。先ほどの門を出ると王都を覆う結界陣から出てしまいます。そのため、王都の外にある主要な施設は自衛のために堀や防壁を廻らし、見張り塔を建てているのです。もっともここは、患者を外に出さないという意味合いも含まれていると思われますが」


 伝染病患者が郊外の施設に隔離されるのは防疫の点で正しい。もし王都の城壁内で何かしらの伝染病が発生したら、それはあっという間に広がってしまうだろうから。

 でも、なぜ女王の名前がついているんだろう? 二人の記録が抹消されていることに関係があるのかも知れないなあ、などとニーナが考えていると、馬車が止まった。

 ドアが開けられても直ぐに出てはいけない。何故ならニーナの身長では確実に転げ落ちるからだ!

 従僕が踏み台をセットして、「お嬢様どうぞお手を」と声をかけたら扉から顔を出すのですよ、とサンドラにきつく言われている。マナーに関してはライサより厳しいのだが、それでもニーナの言葉遣いを大目に見てくれているのは、子ども+異国人だと思っているからだろう。

 降りたところは正面玄関の車寄せで、両開きの玄関扉は内側へ大きく開け放たれており、にこやかな笑みを浮かべた壮年の男性が立っていた。


「ようこそ、ノシュテット侯爵家のお嬢様方。病院事務長のフォルカー・オスヴィンと申します。こちらのお屋敷の管理は現在病院が行なっていますので、本日のご案内は私が務めさせていただきます。何でもお申し付けください」


 そう言いながら右手を胸に添え、右足を少し引き、左手を招くように奥へ差し出す。長い黒髪を後ろで結んだ眼鏡姿の事務長は、実に優雅なボウ・アンド・スクレープで一行を迎えた。

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