謁見

 あれから一週間が過ぎた。この世界は一年が約300日で12ヶ月あり、1ヶ月は25日で5週だそうだ。つまりニーナが召喚されたことを自覚した日から5日経っている。

 では召喚されてからどれくらいかというと、「召喚されてから11日間、1回目の転落で6日間、2回目の転落では8日間寝込まれていました」と、ライサが言っていたので、トータル1ヶ月も寝ていたことになる。

 ちなみに時間は1日約24時間で、体感的には地球とほぼ変わりない。


 ニーナが最初に居た部屋は貴人用のいわゆる幽閉部屋らしい。城の西端にある塔の最上階で、出入り口は重く分厚い木製のドアひとつ、らせん階段を降りた先は騎士の詰所で、窓から飛び降りればご存知の通り即死コースと、脱出はほぼ不可能な造りになっている。

 意識が戻ったニーナは、幽閉部屋のある塔から今は西館の客室に移されているが、窓から塔を見上げては人目に晒したくない人物を隠しておくにはこれ以上ないロケーションだと感心する。


 王族の護衛以外の城内の警備はヴァルナルが所属する緋衣クラモワジー騎兵団が担っていて、部屋の前には常に兵士が立っている。ヴァルナルから歩哨はテオドル、クラウス、ライナー、シリルの四人が交代ですると紹介されたが、小柄で人懐っこく気楽に話しかけてくるシリルか、存在を消すかのように静かに立っているライナーがいることが多い。おそらく、ニーナの身の上(仮の方)を聞かされているから気を使っているのだろう。

 ただし、あまりに気軽すぎるシリルは度々ライサに嗜められているようだ。


 またニーナの身の回りの面倒をみるため、アンナとサンドラという侍女も本館から来ている。彼女たちはニーナがひとりで身支度できることにとても驚いていたので、間違いなく幼女だと勘違いしているだろう。

 食事はライサと彼女たちと一緒にダイニングルームで摂る。侍女といっても一般の使用人とは違い、主人たちと同じ部屋で食事を摂ることができる身分らしい。

 事実、アンナとサンドラは伯爵家の息女で、「ご令嬢というにはとうが立ち過ぎてるがな!」とふざけたヴァルナルが、ライサたちから凍りつきそうなほどの冷たい目で睨まれていた。

 異世界に限らず異国で一番困るのは食事だろうが、ニーナは出されるもの全てを美味しくいただくことができた。もっとも、スクランブルエッグやオムレツなどの卵料理に、よく煮込まれたクリームシチューや肉のグリルなど、現代日本で食べ慣れたものとほぼ変わらないものが結構あったことが大きい。例え何の肉であったとしても、だ。

 そしてニーナいちばんのお気に入りの〝卵白だけで作ったホットケーキ〟は、日本でも大人気のふわふわパンケーキだった。これにロクシュニア特産のメープルシロップをひたひたにかけて食べる贅沢さの背徳感といったら!

 ガルテアとの国境であるリヴィル深林には良質なカエデの森がいくつもあり、魔法以外の産業を持たないロクシュニア唯一の特産品がメープルシロップなので、城の食卓にはいつでもたっぷりと用意されているのだ。


 この5日間、ライサはずっとニーナについてくれている。王家付き家庭教師ガヴァネスというだけあってニーナの質問に簡潔で分かりやすい説明をしてくれるから、ロクシュニア王家に対しての知識なら、ロンドンへ観光に行く日本人旅行者が英国王室について知っているくらいはあるんじゃないかと、なんとなくニーナは思っている。


 現在のロクシュニア王家は、国王アレクシスと王妃ジアーナとの間にソフィア王女とウィルフレッド王子、それに産まれたばかりのエリオット王子がいる。アレクシス王には兄弟がおらず、王姉のアンネリースは公爵家に降嫁しているため王族は5人のみ。

 先王の愛妾だったオーデルバリ侯爵夫人も王城で暮らしているが、この方が表に出てくることはないそうだ。

 ジアーナ妃は侯爵家の出身で宮廷魔術師長ノシュテット卿の実妹でもある(つまりライサの叔母)。序列1位の宮廷魔術師で魔力は当代随一、魔導大国ガルテアの特S級魔導士に匹敵する実力者で、各国からのスカウトが引も切らなかったとか。

 そんな傑物が王家に輿入れする理由はただひとつ。大厄災以後、王家には優秀な魔術師が産まれることがなくなった。魔術師家系として衰退する王家と歩調を合わせるように弱体化し続ける魔法王国を立て直すためだ。

 ライサ曰く「父マティアスと叔母ジアーナの野望が合致した結果」、国王に嫁いた彼女は、見事に母親譲りの強い魔力を持ったソフィア王女を出産する。さらに7年後、ソフィア王女以上の魔力を持ったウィルフレッド王子の誕生で権力はもっと強固に、そしてエリオット王子を産んだ今、誰にも脅かされることのない絶対的な存在として王城に君臨している。

 それに比して、最下級の魔術師ほどの能力しか持たないアレクシス国王陛下はもはや空気でしかないとか。


(王様ェ…。)


 さて、ニーナがやっと落ち着いたということで、今日は王に謁見することになっている。ジアーナ妃はいわゆる産休中で、15歳になったソフィア王女が代役を務めるという。


 謁見のために正装ドレスを着せられ、姿見を見たニーナが真っ先に思い浮かべたのは、世界三大名画と呼ばれるディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」のマルガリータ王女だ。ただニーナは黒髪で、髪飾りは赤と白のバラだが、ドレスの感じはよく似ていた。

 ニーナもこういうのは嫌いではない。姿見の前で腰をひねったり、首を傾げたりしている姿をサンドラが微笑ましげに見ている。「ラス・メニーナス」のマルガリータ王女は5歳か6歳だった気がするが、この正装ドレスはそれくらいの年頃の女児用なのでは? という疑問がふっと浮かんだ。

 しかし、今それを確認してもどうしようもないので、ニーナは聞かないことにした。


 謁見にはライサが付き添っている。何でも王家付き家庭教師ガヴァネスではなく侯爵令嬢として来ているそうで、豪華なドレスと宝飾品が眩い。

 王への謁見は、まず控えの間に通され準備が整うまで待つ。朝一番と告げられ開門とともに登城しても、王側の都合で夕方になることだってあり得るからだ。案内の侍従たちが下がると、ニーナは謁見について前日にライサから聞かされた話を思い出す。



 ライサも、詳しい事情の説明がなされないまま、王命でニーナの世話役とされたらしく、王家の意向をある程度は把握しておきたいと王妃付き侍女であるサンドラにジアーナ妃宛ての書状を託したそうだ。

 すると、翌日には返事と子ども用のドレスが届けられた。


「なんっ……」


 返事に目を通したライサはしばし空を仰いだ。

 まず、例の厄災騒ぎについては、既に宮廷魔術師長ノシュテット卿と大図書館長オーギュスタン・ゴンティエ卿の協調で調査団が組まれ、現在も大図書館で調査が進められており、王も承知しているとのこと。

 そして、古代魔術式による召喚はジアーナ妃の与り知らぬことだという。ジアーナ妃が産休中なのを良いことに、厄災騒ぎを奇貨として王を唆した者がいる。


「これは予想を上回る厄介事だわ……だめだ、私の手に余る……嫌だけど……でも、これは立場的に、まあ私の立場はいいけれど、ここは父に相談? あ、兄、いや、多分に政治的すぎる……うーん、やっぱり父かぁ……?」


 ブツブツ言いながらライサは出かけて行った。

 その間にアンナはドレスのサイズをニーナに合わせて手直しし、サンドラは謁見時の最低限のマナーをニーナに教え込んだ。


「もう政治的なことは、ぜーんぶ父に丸投げしてやりましたわ。というわけで、ニーナ様は思ったことをお話しください。責任はノシュテット卿と侯爵家が取ります」


 戻ったライサはほんの少し悪い顔をしながら、ニーナに話したいことをまとめておくようにと言った。


(言いたいことは山のようにあるけど、望みはただひとつ。元の世界に返して欲しい、それだけだ。向こうに戻ったら、記憶喪失で押し切ろう。ただ、異世界召喚にありがちな、あれだけが心配だった。もしそうだったら……)


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