呼ばれた子

 いかにも新入生といった真っ新でそこそこ大きめの制服を着た少女はとてもご機嫌だった。

 少女は物心つく前から東京都とは名ばかりの田舎で暮らしていたが、小学校5年になって親の転勤に伴い23区内に戻って来た。田舎育ちの自分は周囲から浮くだろうと覚悟していたが、繰り返される程度の低い嫌がらせ(あるいはイジメ)には心底うんざりした。そういう連中と同じ学校に進むのは絶対に避けたい一心で中学受験を決めたけれど、担任や進学塾の講師からも始めるのが遅いだの田舎者はこれだからだのと随分と嫌味を言われたものだ。

 それでも努力して第一志望の有名私立中学校に合格したのだから、少女が浮かれるのも仕方がなかった。少女を見下していた奴らの悔しそうな顔も、もう思い出さないくらいに。入学式は午後からで、両親は仕事先から直接向かうと言っていた。彼女は例年より4日も早く満開になった桜を眺めながら登り坂を軽い足取りで進んでいく。

 はらりと舞い落ちてきた花びらに手を伸ばして……。



 目が覚めたら見知らぬ天井……? いや、これは薄い布だろうか。

 その向こうにうっすらと透けて見えるのは自室のクロス貼りでも、田舎の和室の木目が浮いた板貼りでもなく、かといって病院の白いトラバーチン模様でもない、太い梁とくすんだ灰色が交互に並ぶ天井だ。

 ぼんやりと荒い布の織り目から見える天井を眺めているうちに違和感に気がついた。少女は受験勉強のせいかここ一年で視力が落ちてしまっていて、少し離れるとメガネなしではぼやけてよく見えなかった。

 しかし目が悪くなってからの期間が短いからか、夢の中ではいつも裸眼だった。今はメガネがないのに普通に見えているから、これは現実ではなく夢で、しかも自分は夢だと分かっているという状況、つまりは。


「明晰夢……だよね?」


 まずゆっくりと上体を起こす。

 自分が寝ていた寝台は四隅に柱が建つ天蓋付きベッドで今はカーテンが閉められている。体に掛けられていた布はボタニカル柄のキルトで、洗いざらしの木綿地のワンピースっぽいものを着ているらしい。

 広めの寝台をベッドサイドまで移動してカーテンを開けて見渡してみる。燭台が乗った小さな木製の机と椅子が置かれている。左手の壁に張り出し窓が1つ、右手の壁には重そうな木製のドアが見えた。寝台の向かい側の壁には煉瓦造りの暖炉があり、薪が積まれているが火は入っていない。壁は石造りで天井の薄い灰色は漆喰だろうか。

 スリッパも靴も見当たらないのでそのまま床に足を下ろして立ち上がる。床は板張りで足の裏に伝わってくるざらりとした砂粒の感触がとてもリアルだ。


「中世ヨーロッパ風、かな?」


 どうやら春休み中に読み耽ったネット小説の影響が出ているのだろうと少女は納得する。

 ベッドを周り込んで窓に近付いてみる。木枠に分厚いガラスが嵌っていてぼんやりとしか外の景色が見えない。採光用の嵌め殺し窓だったら最悪はぶち割ってもいいかもと思いながら、窓枠を掴んで揺らすと少し動いた。どうやら引き上げ式らしい。滑りのよくない窓をガタガタいわせながら持ち上げ、最後は身体をねじ込んで押し上げた。

 何となくそうじゃないかと感じていたが、外を見て少女は確信した。ここはおそらく塔で、かなりの高さがある。あれを試すのには実に都合のいいロケーションだと気が付いた瞬間、バランスを崩して窓から滑り落ちた。



 目が覚めたら見覚えのある天蓋があった。


「んー、失敗、失敗」


 笑いながら彼女は先程と同じ部屋の寝台で起き上がった。あっと叫ぶ間も無く衝突した感覚があるのに、元の部屋に無傷でいる。これが夢ではないとしたら何だというのだ、もはや明晰夢であることは明らかだ。

 今こそ憧れの〝空を飛ぶ〟を試す時!!

 再び窓を引き上げて、まず景色を確認する。遠くに高い山が連なり裾野には森と湖が広がっている。湖面は陽光を受けてキラキラと細かく輝いていて、あの上を飛ベたらものすごく気持ちが良さそうだなと思った。

 明晰夢で思い通りにするには意識することが重要だと何かで読んだことがあったので「空を飛ぶ、空を飛ぶ」と呟きながら、湖の上を優雅に飛ぶ自分の姿をイメージしてみる。


「今度はきっと大丈夫!」


 勢いも大事に違いないと、少女は窓枠に足をかけ勢いよく飛び出した。



 目が覚めたのはお馴染みの寝台だった。三度目のこんにちは。


「んー?」


 何がいけないのだろう、イメージ力が足りないのか。墜落する直前にふわっと浮いたような気もしたんだが。彼女は少し不安を覚えながら起き上がった。

 もしかして繰り返す覚めない夢は悪夢の方じゃないだろうかと考えながらべッドを周り込んで窓に近付き、叫んだ。


「やっぱりかー!!」


 窓にはさっきまでなかった鉄格子が嵌っていた。

 そしてとても重要なことを思い出す。自分は入学式のために学校へ向かっている途中だったはずだ、と。学校へ向かう途中だったのに夢を見ているという事実に少女は呆然とした。

 もしかして事故にでもあって病院で意識不明とかだったり……する?


「植物状態は嫌だなぁ……うーん」


 ブツブツとつぶやきながら考え込んでいる少女の背後で、蝶番の軋しむ音がする。驚いて振り向いた少女はすぐにがっくりと項垂れた。押し開けられた扉の前には血まみれの鎧が立っていたから。繰り返す悪夢の定番は脱出系ホラーに決まっているが、無事に脱出できたとして目は覚めるのだろうか。

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