理不尽な憑かれ方
橋本洋一
理不尽な憑かれ方
私、小森あかりがどうして『右腕食い魔人』に出会ったのか。そして選ばれてしまったのか。
全てが終わった後でも、最後まで分からなかった。
くちゃ、くちゃという音。まるで肉を食べているような音が聞こえてきたのは、あの魔人と出会う三日前くらいだった。夜の帰り道、そんな音が聞こえてしまったから足を止めて周囲を見渡した。だけどそれ以上、くちゃ、くちゃという音は聞こえなかった。おかしいなあと思いつつ、私は歩みを再開した。
それから三日の間、くちゃ、くちゃという音が聞こえた。夜寝る前に、朝起きて食事をしているとき、あるいは通勤途中の電車の中で。耳に異常があるのかなと思ったけど仕事が忙しかったし、病院に行く時間が無かった。だけど、今から考えると病院に行ったところで解決はしなかっただろう。
右腕食い魔人と出会ったのは私のマンションの前だった。
その日は珍しく早く帰れたので、冷蔵庫のビールでも一杯飲もうかと考えていた。
そんな折、マンションの前でまた、くちゃ、くちゃという音が聞こえた。
また幻聴か。仕事し過ぎかなと思っていると――マンションの前に魔人がいた。
白い西洋風のスーツを着ている。頭には白いシルクハットを目深に被っていて、口元しか見えない。その口元は赤く染まっていて、ケチャップを使った料理でも食べたのかなと思ってしまった。だけど次の瞬間、それが血だと気づく。
だって、魔人の手には鎖がついていて、その先には少女がいたから。
正確には鎖の先の首輪がついた少女がいて、私をじっとりと恨めしそうな目で見つめていた。
ほとんど下着姿の少女はまだ十代前半で、体育座りをしていた。
だけど、不自然なことがあった。
「え、あ、なんで、右手が……」
思わず口に出してしまった。
少女の右手の半分は無くなっていた。
親指しか残っていない。人差し指から小指までごっそりと無くなっていた。
まるで誰かに食われたような……そんな跡が見えていた。
魔人の口から、くちゃ、くちゃという音が響いている……
そしてごくりと何かが喉を通った音。
魔人はゆっくりと少女の手首を掴んだ。
少女は無表情のまま従った。
魔人が大きな口を開けて、少女の手首まで飲み込んで――肉と骨が断ち切れる音がした。
その瞬間、少女は甲高い声で悲鳴を上げた。目からどんどん涙が溢れていく。
魔人はゆっくりと少女から手を放す――手首から先が無くなっていた。
「う、うそ、でしょ……」
呆然と、それでいてクリアな頭で、目の前の異常事態をなんとかしようと考えた。
だけど考えれば考えるほど、意味が分からない。
その間に、魔人と少女は徐々に姿を消していく。
魔人の口元は微笑んでいた。そしてくちゃ、くちゃという音。
少女は痛みに耐えながら、私をずっと睨んでいた。
二人のよく分からないモノが消えて。
マンションの前からいなくなった――血の臭いだけが残っている。
◆◇◆◇
私は恐れている。あの幻覚が実在のモノだということを。
あの後、自室に戻って風呂にも入らず、ビールも飲まず、ただ震えて朝を待った。
「あ、あれは、絶対……そんなわけない……ああ、神様……」
歯の根が合わないほどガタガタ震えて怯える私。
早く朝になって、病院に行くのだ。
精神を疑われても仕方がないけど、それでもこれ以上怖い目には会いたくない。
薬でもなんでもいい。とにかく解決したい……
ようやく朝が来て、ご飯も食べず――あんなの見て食欲なんて湧かない――私はスマホで調べた精神科に向かった。朝九時に診察が始まるらしい。だけど私は初診で予約外だから、一日かかるかもと看護師さんが言っていた。
病院のロビーで恐怖と戦いながら待っていると、看護師さんがやってきて「小森さーん、小森あかりさーん」と呼ばれた。詳しい症状が訊きたいとのことだった。
「で、ですから、幻覚が見えて……」
「どんな幻覚ですか?」
「スーツを、着た男が、女の子の――」
そう言いかけたとき、くちゃ、くちゃという音が病院の中に響いた。
看護師さんの後ろに、魔人がいた。
手首を失くした少女もいる。
「……? どうかなさいましたか?」
「あ、あれが、後ろに……」
看護師さんが後ろを振り返る――魔人を見たはずなのに、少女と目があったはずなのに、こっちに向き直って「何もありませんよ」と笑顔で言う。多分、私を安心させるために笑ったのだけれど、全てが見えている私には不気味に思える。
「ほ、本当にいるんです……あなたのすぐ後ろに……」
「後ろって……この辺ですか?」
看護師さんは笑顔のまま私から離れて、魔人のほうへ向かう。
そして少女に触れるかどうかの距離――右手が少女の頭に触れた。
魔人が看護師さんの肩を掴んで大きな口を開けて、一飲みに頭を――食べた。
くちゃ、くちゃと音を立てる――看護師さんの首から上が無くなって、仰向けに倒れる。
周りの患者や看護師さんが騒ぐ中、魔人と少女が笑っているのが見える。
そして私の目から涙が溢れる――幻覚なんかじゃなかった。
あの魔人は現実に存在するんだ。
◆◇◆◇
警察署の取調室で、私は全てを話した。
刑事さんは二人いて、私の話をなかなか信用しなかった。
だけど他の患者の証言――首がいきなり無くなった――を聞くと「どうやら本当らしいですね」と疑いつつも聞き入れてくれた。
「これはあの人の出番ですかね?」
「本庁にかけ合ってみます」
刑事さんの一人がいなくなって、また戻ってきて。
それから数時間後に「どうも遅れました」と男性がやってきた。
全身高級スーツに身を包んでいて、あの魔人のことを思い出してしまう。
ぴっちりと七三分けをしたエリートのサラリーマンの見た目をしていた。
「土御門吉平といいます。あなたは『右腕食い魔人』にとり憑かれているようですね」
単刀直入に切り込んできた土御門さん。
私は「なんですか、それは」と答えるのが精一杯だった。
「西洋の妖怪ですね。それもかなり手強い。僕の力をもってしても祓えないでしょう」
「え、あ、祓うって、あなたは……」
「僕はこういう妖怪相手の刑事でして。しかし西洋の妖怪は相性が悪い」
土御門さんは「少女の腕は徐々に無くなっていきます」と言う。
「今、肘の後ろまで食われています。もはや猶予はないでしょう」
「猶予って、なんですか」
「分かっているはずです。今度はあなたが右腕を食われる番です」
聞いた瞬間、声にならない悲鳴を上げてしまった。
あの少女と、同じ目に遭いたくない。
右腕を食われるなんて絶対に嫌だ!
「な、なんとか、なんとかなりませんか!?」
「先ほども言いましたが、僕では相性が悪い。戦っても負けます」
「じゃあどうしたら――」
土御門さんは「一つ方法があります」と私に言う。
「この紙に書かれた廃村に向かってください」
差し出されたのは住所と廃村の名前。
『西谷村』というらしい。
住所は……ここから遠かった。
「今から向かいましょう。パトカーで行きます」
「あ、あの。その村に行けば、助かるんですか?」
「五分五分と言ったところでしょう。その村には別の妖怪がいます。その妖怪のせいで村は全滅しました」
「妖怪って……何を考えているんですか?」
土御門さんは「その村には『皆殺し地蔵』という妖怪がいます」と言う。
「決して地蔵から目を離してはいけません。それだけ守ってください」
「い、意味が分かりません……」
「パトカーの準備を。僕と彼女だけで行きます。それと彼女の右腕には触らないように」
刑事さんたちに指示をする土御門さん。
その刑事さんの一人が「どうして右腕を触ってはいけないんですか?」と訊ねた。
「もう既に右腕は『右腕食い魔人』のモノです。大切な食糧を守ろうとしますから、触ると殺されます」
◆◇◆◇
他県の廃村、西谷村までパトカーでやってきた私と土御門さん。
入口まで来たら「僕はここで待っています」と言われた。
「一緒に、来てくれないんですか?」
「魔人を見たでしょう。パトカーの外から少女の腕を食べていた。後一口で無くなります」
「…………」
「時間が無いのです。早く行ってください」
言い訳ですらない、煙に巻いたことを言われた私は、急いで廃村の中に入る。
時刻は夕暮れ近くで、灯りが夕日しかないので、見えにくかった。
村の広間に来ると、老朽化した家、崩壊した家があった。
その村の中心に、お地蔵様が一体、ぽつんと立っていた。
普通のお地蔵様と変わりない――いや、あの魔人と同じ感覚がする。
怖い、怖い、怖い――目を閉じた。
お地蔵様と私の距離が近づいた。
明らかに私に近づいてくる――瞬きした。
どんどん近寄ってくる。
『地蔵から目を離してはいけません』
土御門さんの言葉が思い出される。
ああ、そうか。目を離すと近づくんだ。
私は目を離さずに後ろに下がる――ああ、駄目だ。瞬きをしてしまう。
人間、目が乾くのだから、この地蔵からは決して逃げられない。
そして土御門さんが言っていた、皆殺し地蔵という言葉。
私は殺されてしまう――
瞬きをした。
地蔵が目の前にいる。
反射的に私は、右手を出した――
くちゃ、くちゃという音が辺り一面に響いた。
皆殺し地蔵が私を殺そうとしたのを、魔人が防いでいる。
正確言えば地蔵の突進を魔人が身体を使って防いでいた。
ばあんと大きな音を立てて、二体の妖怪がぶつかり合う。
右腕食い魔人は皆殺し地蔵を食おうとして。
皆殺し地蔵は右腕食い魔人を殺そうとして。
激しい殺し合いが起こっていた。
もはや目で追えないくらいの速度に達して――いきなり勝負がついた。
皆殺し地蔵がバラバラに砕かれた。
右腕食い魔人の身体には風穴が数個できた。
二体の妖怪は動かなくなった。
残されたのは右腕をほとんど食われた少女だけ。
すると二体の妖怪が急速に固まっていく――黒い塊になった。
「ご無事でしたか。ああ、良かった」
土御門さんが唐突に現れた。
黒い塊に触れると、それはどんどん小さくなって手のひらに収まるサイズになった。
それを内ポケットに入れる土御門さん。
「どう、なったんですか?」
「助かった、というわけです」
土御門さんは倒れている少女を抱きかかえた。
まだ息があるらしい。だけど……
「行きましょうか。小森さん」
「……あなたは、ナニモノなんですか?」
土御門さんはしばらく考えた後、にっこりと答えた。
「さあ? 多分人間ですよ」
理不尽な憑かれ方 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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