第48話 困っちゃったねぇ、あははは……
――――――
「お疲れ様でした!」
バイトの時間が終わり、着替えた俺は一言告げてから、更衣室を出た。
途中すれ違った店長に挨拶をして、店の外へ。
周囲はまだ明るい。夏場だからか、日が落ちるのは遅いのだ。
とはいえ、夏祭りが始まる時間は刻々と迫っている。のんびりしているわけにもいかない。
「よし。
バイト、終わった……と」
俺はスマホを取り出し、メッセージを送る。
その先は、姉ちゃんと詩乃さんのグループメッセージだ。三人でグループを作っている。
今日は、バイトが終わったら連絡をくれと言われていたんだ。なので、とりあえずメッセージを送信……と。
電話せずともやり取りができるんだから、便利な世の中になったものだ。
「お、もう来た。ええと……」
アパートへ足を進めていると、スマホが着信を報せる。メッセージが返ってきたのだ。
そのため俺は、スマホの画面を見つめメッセージを確認する。
もちろん、ながらスマホは危険なので立ち止まって道の端に避けてから……だ。
危険、ダメゼッタイ。
「待ち合わせは、祭りの会場入り口か……
了解、と」
メッセージを確認し、俺は返信する。
夏祭りには、事前に集合してから向かうのではなく。現地で集合しようということになった。
俺と詩乃さんは、隣同士だし家から二人で通えばいいかなとも思ったのだが……
『せっかくのお祭りなんだよ? 会場で待ち合わせしたいじゃん?』
正直言葉の意味はまったくわからなかったが、姉ちゃんの言葉に押し切られる形となり……現地集合になったわけだ。
事前に集合するより、現地集合の方が『っぽい』らしい。
……まあ、っぽいかはともかく……楽しみが増えた、という点はあるかもしれない。
「詩乃さんの浴衣……」
今回、詩乃さんは浴衣を着て夏祭りに行くことになっている。
浴衣姿の詩乃さんと、夏祭り現地集合……か。
うん……良い。
家から二人で行くのもそれはそれでありだけど、現地集合は待ち合わせ感がすごく……っぽい。
あぁ、これが姉ちゃんの言っていたことか。今になって意味がわかったような気がする。
「ただいまー、っと」
期待からか若干の急ぎ足になりつつ、俺は自分の部屋へと帰宅する。
さすがに、バイト先からそのまま待ち合わせ場所には行けない。
ちなみに、一人暮らしを始めてからも、「いってきます」と「ただいま」は口にするようにしている。
理由……と言われると、困ってしまうが。
「ええと……」
荷物は、事前に準備しておいた。今から慌てて準備する必要もない。
荷物とは言っても、せいぜい財布とか鍵くらいなんだけどな。軽装備だ。
とはいえ、出かける前に最終チェックだ。
「……一応、シャワー浴びとこ」
ここから会場まで、まだ時間の余裕はある。ってことで、シャワーを浴びていこう。
べ、別に詩乃さんと会うからってわけじゃあ…………あるけど。
バイトで少なからず汗かいたし。せっかくの待ち合わせなら、身綺麗にしておきたいじゃん。
「……ふぅ、さっぱりした」
軽くシャワーを浴び、腰にタオルを巻いてから部屋へ。着替えるためクローゼットを開ける。
さっぱりしたぁ。
『男はそういう時便利だよねぇ』
いつだったか、姉ちゃんにこんなことを言われたのを思い出した。
女はシャワーにも時間をかけないといけないけど、男はそんなことなくて楽だよね……と。今までそういう経験はなかったが……確かに、時間を気にしている時便利だ。
シャワーは浴びたし。服はどうするか……これも、祭りで動きやすいように考えて、と。とはいえ、詩乃さんと会うんだ。適当にはできない。
最近は暑いとは言え、一応上になんか羽織っとくか。
「……うん、いいでしょう」
さて、時間もそろそろいい感じだ。
荷物を確認。財布ヨシ、鍵ヨシ、スマホヨシ、腕時計ヨシ……
「うっし」
チェック完了っと。忘れ物なし。
さあて、今から詩乃さん(と姉ちゃん)との夏祭りか……ちょっと緊張してきたな。
でも、それ以上に楽しみにしている自分がいる。
「いってきます、と」
小さくつぶやき、俺は部屋を出た。
部屋を出た際、もしかしたら詩乃さんと鉢合わせしてしまわないか……そう心配してしまったが、結果としてその心配はなかった。
隣の部屋を見るが、誰かが出てくる気配はない。
ここまで来たら、待ち合わせ場所まで詩乃さんとは会わずにいたい。
待ち合わせ場所で、浴衣詩乃さんとご対面したいのだ。
「……そういや、詩乃さんと姉ちゃんってどこで着付けしてるんだろ」
待ち合わせ場所を確認しつつ、そこへ向かうべく歩みを進める。
歩きながらふと思い出したのが、浴衣のことだ。
姉ちゃんは詩乃さんに、浴衣は貸してやるとか着付けは手伝うとか言っていた。
ということは、二人は今一緒にいることになる。
姉ちゃんのところに居るのか……それとも、
「……人多くなってきたな」
夏祭りの会場に近づいている証拠だろうか。
周囲を見ると、人が増えてきたのがわかる。みんな……とはいかないが、この中のほとんどは夏祭り目当ての人たちだろう。
その証拠に、浴衣を着ている人も何人かいる。
「この辺かな」
待ち合わせ場所にたどり着き、その場で待つことに。
俺の他にも待ち合わせしている人はいるのか、一人でスマホを見たりキョロキョロしている人がちらほら。
ここは会場の入り口、屋台だってある。
こうして立っているだけでも、屋台の食べ物の香りが漂ってくるのだ。
なにかを焼いている音、焼けた肉やソースのにおい……それらが、食欲を誘ってくる。
「うわぁ、腹減ってきた」
どうしてこう、屋台ってのはいろんなものを食べたくなるんだろうな。
お祭りって雰囲気が、いつもとは違った非日常を味わわせてくれるから……なのだろうか。
なんにしてもこのままでは、先になにか食べてしまおう……という気持ちに支配されかねない。
時間を確認すると、待ち合わせ時間まではまだ少しある。
くぅ、詩乃さんたち早く来てくれ。でないと俺は……
「あ、いたいた。甲斐くーん!」
「!」
がやがやと騒がしくなりつつあるこの場所の中でも、その声は確かに俺の耳に届いた。聞き違えるはずがない。
そして、ほとんど反射的に声の方向へと首を動かした。
人は増えてきている……だが、ここは会場の入り口付近。そこまで人が多いわけでもない。
彼女が俺を見つけてくれたように、俺も彼女をすぐに見つけた。
「詩乃さん……!」
「お待たせ、甲斐くん。早いねぇ」
手を振りながら駆け足になった詩乃さんは、俺の目の前までやってきて立ち止まる。
ふぅ、と軽く息を漏らし、耳にかかった髪をかきあげた。その仕草に、思わず目が行く。
い、いかんいかん……
「そ、そんな急がなくても良かったのに……」
俺を待たせたと思ったのだろうか、駆け足になって……
しかし、浴衣姿で駆け足なんて、なんだか悪いことをさせた気分になる。いや、浴衣姿でなくても詩乃さんが急ぐ必要なんてないのだが。
……そう、浴衣姿、だ。
「ちょっと走っただけだから、問題ないよ。ごめんねー、遅れちゃって」
「い、いえ。時間通りですからっ。むしろちょっと早いですしっ」
乱れた髪を直しながら謝罪する詩乃さんに、俺は首を振って気にする必要はないことを伝える。
俺のために急いでくれた事実に感激しつつ、すでに俺の視線は詩乃さんの顔には向いていなかった。
俺の視線が向いているのは、詩乃さんの身体だ。とはいえ凝視するわけにもいかない。
……身体だって言い方めっちゃ誤解されそうだな。
「ふふ、でも甲斐くんは早く来たんだね」
「さ、さっき来たばかりですよっ」
待ちに待った、詩乃さんの浴衣姿。
それは黒を基調としたもの。所々水玉がちりばめられているため、黒一色というわけではない。
海じゃ純白の水着だったため、それとは真逆の色だ。
腰には白い帯を巻いていて、浴衣をいっそう際立たせているように感じた。
足下に視線を移せば、履いているのは靴ではなく下駄だ。浴衣の雰囲気に合っているが、なおさら走らせてはいけなかったと反省。
それに、いつもと違うのはなにも服装だけではない。
普段は肩まで伸ばして結んでいる茶髪を、今日はアップにしているのだ。か、かわいい……
「甲斐くん?」
「えっ、あ、あぁ……」
いけない、つい詩乃さんの姿をじっと観察してしまった。凝視しちゃいかんとわかってるのに。
いつもと違った姿に見惚れていたのだが、それを正直に言うなんて……恥ずかしすぎる!
「あ、あの!」
「は、はい?」
けれど、せっかく詩乃さんが浴衣を着てきてくれたんだ。それも、俺に着てきてほしいか聞いてきたんだぞ。
姉ちゃんだって言ってた。女の子の格好はとにかく褒めろと。
たとえ姉ちゃんが言ってなくったって、詩乃さんに言わなければ。俺の感じたままの、思いを。
「し、詩乃さん……ゆ、ゆゆ……浴衣、とてもに、似合ってますしゅ!」
い、言えたぁあ……! でも噛んだぁあああ!
なんだよ、ましゅって! なんで大切なところで噛むんだよ!
目をつぶり、勢いに任せて言ったが……詩乃さんの反応が気になり、恐る恐る目を開ける。
「あ……ありが、とう」
前髪を指先で弄りながら……ちゃんと、俺の言葉を受け止めてくれていた。
顔が赤い……ように見えるのは、気のせいだろうか。それとも……
……ともかく、やったぞ姉ちゃん。噛んだけど、俺ちゃんと言えたぞ姉ちゃ……
「……あれ? そういえば、姉ちゃんは?」
そうだ、すっかり忘れていた……この場に一人、いない人間がいる。
姉ちゃんだ。浴衣詩乃さんが現れた事態に感激していたが、本来なら姉ちゃんも一緒にいるはず。
もしかして後から来るのか? いや、浴衣の着付けを一緒にやっておいて、別行動になるはずもない。
「あ……それなんだけどね」
すると、詩乃さんが手を上げた。なぜか、困ったような表情を浮かべて。
同時に、俺はなんだか……嫌な予感がしていた。
まさか、姉ちゃんのやつ……
「楓ちゃんは、その……彼氏と一緒に行くから、夏祭りは二人で楽しんできてくれ、って」
「……」
……それは、予想した通りの言葉だった。姉ちゃんが、この場には来ない。
三人で夏祭りに行こうと誘っておいて、ドタキャン……夏祭りは、俺と詩乃さんの二人で楽しめと言うのだ。
や、やってくれたなあの姉め……! まさか気を利かせたつもりか!?
全然利かせてないよ!
「こ、困っちゃったねぇ、あははは……」
こ、これは……まずいことになったぞ。浴衣姿の詩乃さんと、二人きりで夏祭りだと!?
これってその……な、夏祭りデート、的なやつじゃないのか!? そう思っちゃっていいのか!?
俺……耐えられるのかな、いろいろと。
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隣の部屋のOLが、俺の部屋で宅飲みしている 白い彗星 @siro56
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