第46話 甲斐くんは私の浴衣姿、見たい?



 ――――――



 ……それは、数日前のこと。晩ご飯の時間に起こった。


「ねえ、夏祭り行きましょう!」


「……はい?」


 どん、とテーブルに拳を置いた姉ちゃん、白鳥 楓しらとり かえでが唐突に言った。

 正確には、手には缶ビールを持っていて……缶ビールを勢いよくテーブルへと置いた結果、拳を打ち付ける形になったわけだ。


 そのせいで、姉ちゃんは「お手ていたい……」と涙目になっている。

 なにやってんだよこの酔っ払いは。


「……どうしたの楓ちゃん、急に夏祭りだなんて」


 と、俺と同じ疑問を抱いた詩乃さんが、姉ちゃんに問い掛けた。


 今日は、休日。というか今は学生おれは夏休み期間中だ。

 それに、社会人の詩乃さんと姉ちゃんも今日はいつもと流れが違う。普段なら、平日に詩乃さんはともかく姉ちゃんまでここにいることはない。


 俺と詩乃さんと姉ちゃんは、俺が作った料理で食事会をしている。会と言っても、そんなたいそうなものじゃないけど。

 俺はバイトが休みで、詩乃さんも仕事が休みだ。

 姉ちゃんは仕事だったが、早めに終わったため駆けつけたらしい。呼んでないんだけどな。


「どうしたもこうしたもへちまもないよ詩乃」


「へちまはどっから出てきたよ」


 疑問を投げかけてきた詩乃さんに対して、姉ちゃんは「ちっちっち」と指と首を動かした。

 妙に腹の立つ顔をしている。


「こないだは海に行ったんだよ? めちゃくちゃ楽しかった海……だったら今度は、夏祭りに行くしかないでしょうが!」


「全然話がつながらねえな!」


 ごくごく……とビールを飲み、「ぷはぁっ」と気持ちよさそうに声を漏らす姉ちゃんは、完全に出来上がっている。

 この酔っぱらいめ。


 言っていることはめちゃくちゃだが……まあ、言わんとすることはわかる。


「要は、せっかくの夏なんだからなんか夏らしく楽しいことをしたい……ってことか?」


「そう! そゆこと! さすがマイブラザー!」


 抽象的ではあるけど、こういうことだ。

 この間の海、姉ちゃんはよほど楽しかったらしい。その熱を再び味わいたいので、またなにかしたいと。


 世間では夏休みの今。夏休みと言えば海、それに夏祭り。姉ちゃんの中ではそう相場が決まっている。

 だから、先ほどの言葉なわけだ。夏祭りに行こうと。


 さらに姉ちゃんは、近くに置いていた鞄からなにかを取り出した。


「なに、紙……チラシ?」


「そう、近所で配ってたの。ほら、この近くで、この日夏祭りがあるのよ!」


 テーブルの上に乗せたチラシには、近々開催される夏祭りの日時などが書いてあった。

 なるほど、夏祭りってのは思いつきで言い出したのではなく、開催されることを知っていたから話題に出したのか。


 夏祭りかぁ……この三人で。……詩乃さんと、夏祭りかぁ。


「ど、どうすっかなぁ。べ、別に俺は、どっちでもいいんだけどなぁ」


 ただ、ここで夏祭りに行きたい様子を見せては子供のように見られるかもしれない。

 だから俺は、夏祭りには興味ないけど行っても構わないですよ……みたいな雰囲気を出す。


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、姉ちゃんは俺の耳元に顔を近づけてきて……


「詩乃の浴衣姿、見たくないんだ?」


「!」


 なんとも破壊力抜群な、そして魅力的な言葉を言った。

 詩乃さんの、浴衣姿……な、なんてとんでもないことを言うんだ。そんなの、そんなの……


 見たいに決まってるじゃないか!


「それに、ほら」


「え?」


 姉ちゃんが、ある方向を指差す。自然と俺の視線も、そちらを向く。

 そこにあったのは……


「な、夏祭り……!」


 夏祭りのチラシを見て、目を輝かせている詩乃さんの姿だった。

 結構落ち着いたイメージのあった詩乃さんだけど、最近ではいろんな姿を見せてくれる。


 その中でも、今回の表情は……まるで、新しいおもちゃを前にした時の子供のようだ。


「……詩乃さん、夏祭り好きなの?」


「まあね、あの子結構お祭り好きなんだよ?」


 小声で、姉ちゃんに問いかける。

 すると姉ちゃんは、詩乃さんは夏祭り……いやお祭りの類が好きであるという情報を教えてくれる。


 へぇ、知らなかったな。てっきりああいう、人が多そうなところは苦手なイメージがあったけど。

 ……いや、海も結局楽しんでたし、俺がそう思ってただけか。


 昔よく一緒に遊んだ好きな人のことでも、知らないことはたくさんあるんだなぁ。


「で、よ」


 姉ちゃんが、俺の方に肘を置く。


「あんな詩乃を見て、ブラザーは夏祭りなんてどうでもいいなんて言うのかね? んー?

 はぁー、詩乃かわいそうだなぁ。あーんな目を輝かせちゃって、でもここに乗り気じゃない人が居たら自分が行きたいとは言えないよねぇ」


「行かせていただきます!」


 姉ちゃんの言葉は……というか、詩乃さんの姿は俺の心を揺さぶるには充分だった。

 あんなんかわいすぎるだろ! 行かせてあげたいに決まってるだろ!

 確かに、あの詩乃さんを前に「俺はパスで」なんて言ったら……落ち込む顔が、目に見えるようだ。


 そんなことを考えていると、姉ちゃんは俺の背中を叩いてくる。

 振り向くと、姉ちゃんと目が合い……いわゆるアイコンタクトが交わされる。言葉に出さずとも、言いたいことが分かる。


 ……っ、くぅ。


「し、詩乃さんっ」


 覚悟を決めて、詩乃さんに話しかけるけど。あぁ、やばっ。声裏返ったりしてないかな。


「甲斐くん?」


「あ、その……な、夏祭り! 一緒に、行きませんか!」


 ……姉ちゃんが要求したのは、改めて俺から詩乃さんを誘え、というものだった。

 先ほど姉ちゃんが夏祭りに行こうといい出した時点で、わざわざ改める必要もないとは思うが……


 いや、これはけじめみたいなもんだ。姉ちゃんに言われたからじゃない……

 俺から、詩乃さんを誘うという……


「ぁ……! うん、行きたい! 甲斐くんと一緒に、夏祭り!」


「!」


 あれだけ夏祭りを楽しみにしている詩乃さんが、俺の誘いを断るとは思えない……そんな打算も、確かにあった。

 あったが……そんな打算など、どこかに吹っ飛んでしまった。ただ、嬉しい。

 だって、返事をくれた詩乃さんの表情は、満面の笑顔だったから。


 こんな笑顔を向けられては、そのかわいらしさに思わず叫んでしまいそうになる。


「お祭りなんて、ずいぶん行ってないから……楽しみ! それに、甲斐くんも一緒なんて!」


「あ、そ、そう、っですっか……」


 うわぁああ、なんだ俺は! なんだこの切り返し方は! 声も上ずって、なんか嚙んじゃってるし!


 だけど、それも仕方ないと言い訳したい。

 だって……お、俺と一緒に、楽しみなんて。そんなん言われたら、もうどうしようもなくなってしまう。


 うわぁ、顔が熱い。俺今、絶対変な顔してる!


「ふぅーーーん」


 ぐっ……! 詩乃さんは俺の顔に気付いていないが、姉ちゃんは絶対気付いてる!

 だってにまにましてるもの! 腹の立つ顔をしているもの!


 姉ちゃんめ、絶対楽しんでやがる。


「ほんじゃまー、この日は夏祭り行くってことでね!」


「うん! お祭りもだけど、甲斐くんともずいぶん久しぶりじゃないかな。小さい頃だったもんねぇ……覚えてる?」


「そ、そうですね……ぼんやりと」


 夏祭り自体久しぶりだという詩乃さん。さらに、俺と一緒となれば余計に久しく感じるはずだ。

 その理由は、俺と詩乃さんは九つも年が離れているところにある。


 夏祭りと言えば、夏休みに学生が行くイメージが強い。だが、詩乃さんが学生の時は、俺はまだほんのガキだ。

 そして、詩乃さんが就職してからは、彼女が夏祭りに行く機会もなくなった。俺が中学生になったときには、すでに詩乃さんは社会人になっていたのだ。


 だから、こうして……詩乃さんのことを、一人の女性として意識することの意味が分かるようになってからお祭りに行くのは、初めてだ。


「くっくっく、二人ともいい表情になってきたねぇ。

 そうだ、せっかくのお祭りなんだし、浴衣着ていこうよ詩乃」


「!」


 喉を鳴らして笑う姉ちゃんは、手を叩いて今思いついたと言わんばかりのことを口にする。

 その言葉に……『浴衣』という単語に、俺の耳は反応した。


 先ほど俺を焚き付けておいて、詩乃さんには今から浴衣の話をするのだ。ここでもし、「浴衣なんて嫌」と言われたらどうしよう。


「えー、浴衣かぁ……いいけど、浴衣なんてあったかなぁ」


「なけりゃ、アタシの貸してあげるからさ。せっかく久しぶりのお祭りなんだし、まずは恰好から入らなきゃ」


「そうねぇ、浴衣いいかも」


 だけど、その心配はなさそうだ。本人、わりと乗り気……!?

 やばいな……俺、この夏いい思いをしてばかりじゃないか? 海では詩乃さんの水着姿を見れたし……今回は浴衣姿まで……?


 俺、死ぬのかな。


「ふふん」


 そんで、先ほどから姉ちゃんが俺にウインクをしてくる。何度も。

 正直うざったいが、詩乃さんに浴衣を勧め見事着させる方向に誘導した功績があるので、放置しておく。グッジョブ姉ちゃん!


「でも私、浴衣の着方とかも覚えてないよ?」


「そんなん、私が当日一緒に着付けてやるから」


「うん……

 ……ねえ、甲斐くんは私の浴衣姿、見たい?」


 姉ちゃんは着実に、詩乃さんに浴衣を着せるルートを作り上げていく。

 そんな中で、詩乃さんは……ゆっくりと俺に視線を向け、とんでもないことを聞いてきた。


 浴衣姿が、見たいかだって? な、なんでそんなことを、俺に聞いてくるんだ?

 そりゃ、見たい。えぇ見たいですとも。だが、ここで素直に見たいと言ってもいいものか? 変態だと思われないか? なんか、試されてるんじゃないか?


 ……いや、せっかく姉ちゃんがおぜん立てしてくれたんだ。応えなきゃ男が廃る。


「見たい、です」


「……そ、っか。

 わかった、私浴衣着るよ」


「おぉ、よぉ言った詩乃! それでこそ男や!」


「女よ!」


 俺の答えを聞いて……詩乃さんは、確かに言った。浴衣を着ると。

 これでは……まるで、俺が浴衣姿を見たいから、着ることを決意してくれたみたいじゃないか。

 いや、そもそも俺に聞く時点で、俺の答えによって着るか着ないか決めるつもりだったのか?


 わからない、詩乃さんがなにを考えているのか。

 だけど、今確かに俺の心臓は……高鳴っていた。それは、詩乃さんの浴衣姿を見ることが出来るという、期待もあるが……


 俺が見たいと言ったから、浴衣を着ることを決めてくれた。

 その詩乃さんの言葉に、表情に……どうしようもなく、昂っていた。

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