第五章 憧れの女性と夏祭り

第45話  あのね、甲斐くんに言いたいことがあるの



 ――――――



 ザァアアア……



「雨、やまないねぇ……」


「やみませんねぇ……」


 降りしきる雨音……

 空を見上げると黒い暗雲に覆われていて、先ほどまで晴れていたのが嘘のようだ。

 元々夜なので暗かったが、余計に暗くなっている。


 雨が降り始め、雨をしのげる場所を探して……なんとか雨宿りをすることができた俺白鳥 甲斐しらとり かいは、チラッと隣を見る。


「……」


 少し距離を空けた隣には、同じく雨宿りをしている花野咲 詩乃はなのさき しのさんが立っている。

 姉ちゃんの友達で、アパートで一人暮らしをしている。そして、この春一人暮らしを始めた俺の隣の部屋に住んでいる社会人だ。


 雨に少し打たれてしまった彼女の茶髪はしっとりと濡れ、ハンカチで拭いているが髪の先から水滴が垂れている。

 普段は肩まで伸ばして結んでいる髪を、今日はアップにしている。なので、少し後ろから見ると詩乃さんのうなじが見えてしまう。


 彼女が扇情的に見えるのは、なにもうなじが見えるからという理由だけではない。普段とは違った服装のせいだ。

 黒を基調とした、浴衣。所々水玉がちりばめられていて、白い帯は浴衣がよく映える。


「……っ」


 普段とはまったく違った装い。その姿を見てもうしばらく経つのに、未だに緊張してしまう。


 なぜ詩乃さんが、浴衣を着ているのか……それは、今日が夏祭りだからだ。

 そして、今は神社に避難しているが少し歩いた先には、たくさんの屋台が並ぶ夏祭りの会場がある。


 そのため、浴衣を着ているのは詩乃さんだけではない。が……俺にとっては、詩乃さん以外の浴衣姿など目に入らない。


「甲斐くん、大丈夫? 寒くない?」


「はい、俺は大丈夫ですけど……」


 せっかく、詩乃さんと二人きりで夏祭りに来ていたというのに。

 急な雨に、どこか雨宿りできる場所はないかと探し……この神社にたどり着いたわけだ。


 ふと、詩乃さんの肩が震えているのが見えた。

 季節は夏が終わりに向かい、秋が始まるころ……とはいえ、最近はどうしたんだというくらいに暑くて敵わない。


 なのだが……時間帯も遅くなってきているからか。なにより雨のせいか、今は冷える。


「……詩乃さん、これ」


「甲斐くん?」


 俺は、自分が来ていた上着を脱ぎ、詩乃さんの肩にかけた。

 厚手の上着ではないが、上になにか羽織っている分さっきよりましなはずだ。


「着ていてください。寒いでしょう」


「え、でも、そうしたら甲斐くんが……」


「俺は大丈夫ですよ、これくらい」


 本当は、少し肌寒い。あの上着でも、ないよりはましだったというわけだ。

 でも、逆を言えば詩乃さんに羽織らせた意味もあるということだ。


「でも、浴衣少し濡れちゃってるし……上着も濡れちゃう」


「気にしないでください。それも少し濡れてますし問題ない……

 あれ? 濡れたものを着せても意味ないんじゃ……」


「……ふふっ、大丈夫、あったかいよ。なら、遠慮なく借りちゃおうかな。ありがとう」


 周囲にあるのは、雨の音だけ。地面に当たる雨音が、屋根に当たる雨音が、俺たちの空間にあった。

 祭りには結構な人が来ていたが、今この場にいるのは俺と詩乃さんだけだ。


 二人きりの空間。そして雨により、外の世界とは隔絶されたような感覚。

 まるで、今この世界には俺と詩乃さんしかいないのではないか。そんな風にさえ思えてしまう。


「今日は、一日快晴の予報だったのにね」


「ほ、ホントですよね」


 二人きりの空間だ、なんて浮かれていた俺だが、話を振ってくれるのは詩乃さんのほうだ。不甲斐ない。

 今も、そして祭りを楽しんでいる間も、どちらかというと詩乃さんのほうが多く話しかけてくれた。不甲斐ない。


 会話が途切れても、二人が気まずくならないような絶妙のタイミングで、話題を振ってくれるのだ。

 これが大人の対応力か……と感心しつつ、自分の情けなさも感じてしまうわけで。


「雨は嫌いじゃないんだけど、さすがにお祭りの最中に振られちゃうとね」


「詩乃さん、お祭り楽しみにしてましたもんね」


「も、もー。それは言わないで」


 祭りまでの数日間も、祭りの最中も、詩乃さんは楽しそうだった。


 俺は正直、人の多さにうんざりしそうだったが……これも祭りの醍醐味だと言って、それも含めて詩乃さんは楽しそうだった。

 そんで俺にとっては、人混みの多さへの不満より詩乃さんと一緒にいる嬉しさのほうが勝るわけで。


 屋台で売っている食べ物を食べ、屋台のゲームをやっていき……今だって、詩乃さんの頭には先ほど屋台で買ったお面が付けられている。

 それは、最近人気のアニメキャラクターの顔……というかわいらしいものではなく、なぜか宇宙人だった。


 よく、みんなが想像するような……デフォルメされたあの宇宙人の顔だ。


「……詩乃さんは、宇宙人好きなんですか?」


「え? うーんそういうわけじゃないけど……なんだか、ちょっとかわいくない?」


 かわいいです、あなたが。

 ……とは、言えない。


 まあ、デフォルメされているだけあって愛嬌のある顔はしている。かわいいと言えなくもない。多分。


「すっかり満喫してますもんね」


「それは……久しぶりのお祭りだったし。つい、ね」


 詩乃さんは、前回行った海と同様に、夏祭りも久しぶりらしかった。

 夏祭りなら、海よりも行くハードルは低いような気もするが……わざわざ会社帰りや休みの日に、一人で祭りに行こうとは思えなかったようだ。


 だからこんなにはしゃいでいたのか。見ている分にはかわいいから全然良いんですけどね。


「久しぶりだってのに、すみません。姉ちゃんが……」


 そもそもの話、俺たちが夏祭りに来たのは姉ちゃん……白鳥 楓しらとり かえでに誘われたからだ。

 三人で夏祭りに行こうと、いやにハイなテンションで誘われて……俺も詩乃さんも、その勢いに押されて断れなかった。


 まあ、俺としては詩乃さんとお祭りに行ける口実ができて、姉ちゃんグッジョブと思っていた。

 近所で夏祭りがあると知り、どうにかして詩乃さんを誘えないかと考えていたからだ。


 だが……姉ちゃんは、今この場にはいない。

 雨のせいではぐれたわけではない。そもそも夏祭りに来ていないのだ。


「確かに、楓ちゃんがいないのは残念だけど……甲斐くんがいるから、寂しくはないよ。ううん、楽しいよ」


「! ……そ、うですか」


 姉ちゃんがいないことで、詩乃さんも残念がっているだろう。それは、予想通りだった。

 だけど、その後に……俺といるから楽しいだなんて言われてしまうと。顔を直視できない。


 俺も、詩乃さんと二人きりになれたのは嬉しい。詩乃さんを誘うことにも苦労していた俺が、詩乃さんと二人きりで行くことができたかは怪しい。

 きっと、日和って姉ちゃんを誘っていただろう。


 そう考えると、待ち合わせ時間寸前になって姉ちゃんから断りの連絡が来たのは、俺を気遣って……

 ……いや、ないな。


「俺も、その……た、楽しい、です……」


「ふふ、ありがとう」


 あぁもう、こういう時に堂々とできないからダメなんだよ俺は!

 せっかくの二人きりなのに、会話といい詩乃さんにリードされてばっかりじゃないか!


 そりゃ、詩乃さんの方が年上で社会経験も豊富で、大人なんだけど……俺も男として、少しはさ……したいじゃん、リード。


「でも、雨に降られちゃ……さっきまで楽しくても、今はそうでもないですよね」


「そんなことないよ? いつも甲斐くんの部屋にお邪魔して二人になるけど、こうやって外で二人っていうのも、新鮮でワクワクするけどな」


「ぅ……」


 ……この人、こういうこと天然で言うんだもんな。さっきから俺の心臓が何度破裂しそうになったことか。


 隣の部屋に住んでいる詩乃さんは、ひょんなことから俺の部屋で夕食を食べるようになった。

 その経緯により、いつも清楚でおしとやかな美人だと思っていた詩乃さんのイメージは、早々に崩れることになったのだが……


 新しい詩乃さんを見れて、それもまた嬉しいと思っている。


「ねえ、甲斐くん」


「どうしました?」


 ふと、空を見上げている詩乃さんが俺の名前を呼ぶ。

 視線は空にあるけど、意識は確かに俺に向いていて……ほんのりと、頬が赤い気がする。


 どうしたんだ? もしかして、寒くて具合を悪くしたとかじゃないよな?


「あのね、甲斐くんに言いたいことがあるの」


「言いたい、こと?」


 その言葉に、俺の心臓はドキリと跳ねる。

 祭りの夜、男女が二人きり……そして、言いたいこと。このシチュエーションで想像することは、一つだ。


 俺は、逸る心臓を抑えようとする……が、そんなことできるはずもなく。雨で肌寒い体が、火照っていくのを感じた。


「私ね……」


「は、はい」


 詩乃さんは、ゆっくりと首を動かし……俺を見た。

 頬は赤らみ、真剣な瞳だ。このシチュエーションは、やっぱり……こ、告白!?


 いや、ちょっと待って。俺まだ、心の準備が……! そもそも、こういうのは俺から言おうと……!

 いや、言おうと思って言えるならとっくに……じゃなくて!


 頭の中で混乱が大暴れしている俺に気づくことなく、詩乃さんは小さく息を吸い……吐いた。

 そして、開いた口から出てきた言葉は……


「私、今すごくビールが飲みたい」


「はい、俺もす…………ぉ?」


 真剣な瞳で、言われた言葉は……愛の告白などではなく、予想もしていない言葉だった。

 反射的に口を開いてしまったが、俺の言葉は最後まで出ることなく止まってしまう。


「え? 俺もって……ダメだよ、甲斐くんまだ高校生なんだから、飲んだりしたら」


「あ、いや、その……」


「というか、なにか言いかけなかった?

 す……?」


「な、なんでもないですぅ!」


 早とちりしてしまったのが恥ずかしく、顔が熱くなっていくのがわかる。なんてこった、なんてこった!

 俺は、なにもかもをごまかすように叫んだ。雨音なんて消し飛ぶくらいに、周囲に声が響いたのがわかった。


 うぅ、穴があったら入りたい……



 ……夏祭りの日、詩乃さんと二人きりという嬉し恥ずかしなこの状況。発端は、あの日だ。

 時は、姉ちゃんが俺と詩乃さんに夏祭りの話を持ってきたときまで遡る。



 ――――――



 皆様お久しぶりです! 一旦完結しましたが、好評だったのでこの度再開することにしました!

 ただ以前は毎日更新のペースでしたが、今回からは少しペースを落として週一更新にしたいと思います。

 その代わり、一ページごとの文字数は増やして書くつもりです。更新についてはあらすじの方に曜日と時間書いてます。


 はじめは十万字を目標に書いていましたが、それも達成したためのんびり楽しく書いていけたらと思います。

 今後も皆様お付き合いいただけたらば!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る